「文学横浜の会」

 随筆

これまでの随筆

2008年06月13日


「優しい顔」

 昨年のことである。秋風の冷たいある日、夕飯の仕度をしていると、玄関のブザーが鳴った。
 急いで扉を開けると、懐かしい女性が立つていた。
 夏の間、新鮮な西瓜や野菜を売りに、三浦から来ていた奥さんだった。

「たくさん、お母さんには買っていただいたので、これ食べてください。ささやかなお礼です」
 引き抜いてきたばかりの瑞々しい大根と、柔らかい青菜が、ビニール袋にはみだしそうに詰め込まれていて、その緑が目にしみた。
 この人は、いつも私を「お母さん」と呼ぶ。

「これ、いただいてしまっていいの? うれしいわ。私こそ、奥さんがスイカを売りに来られるのが楽しみだったのよ。スピーカーに流れる声が澄んでいて。それに主人もお宅のキュウリは歯ごたえがあるって、大好きなの」
「そう言っていただくと張り合いがでます」

 口を平たく開いて笑った。彼女は夏の日焼けも幾分とれた艶のいい顔に、薄化粧をして、すっかり若奥さんになっていた。
 私の住んでいる粟田の町は三浦海岸や三崎方面から七月下旬から一ヶ月ほど、西瓜、トマト、ナス、キュウリ、カボチャなどを農家の人が売りに来る。
 昔は三浦スイカがキヤッチフレーズだったが、このごろではメロンも加わった。スイカの形も大玉、小玉、ラグビーボール、種無しスイカとさまざまだ。

 冷やしておいたスイカを、子どものようにかぶりつく。シャリシャリした歯ごたえと、ほどよく甘いスイカの汁が暑さに萎えた身心を癒してくれる。
 何組もの農家が売りに来ているが、私はこの奥さんから買うことに決めていた。
 七十歳を少し過ぎた風情の姑と二人で商っているのだが、互いに労わり合う様子がなんとも平和で美しいのだ。二人のやさしい顔が、今どきでは貴重品のように思えて眺めている。

「おばあちゃんが、『せがれは結婚が遅かったですけど、いい嫁にあたりました』って、あなたのことほめていられたわ」
 彼女は一瞬、ほっとしたような表情をした。
「おばあちゃんからは、いやな目に合ったことないのですけれど、あたし、なかなか子どもができなかったので、『まだ? まだ?』って村の人がうるさくて、大変だったのですよ」
「それも辛いわね」
「近所の人が、『またげばできる』って言うんですよ」

 彼女の口調はしだいに熱がこもってきた。
「知っているわ、そのことば。横須賀の村の人はよく言うのよね」
「またいでもできないときはできないですよ、ねぇ。これって、ことばの暴力です」
 彼女は私に同意を求めるように調子を高くしながら話し続けた。

「本人は人が想像するよりずっと気にしているのに。ねぇ、お母さん」
「でも、恵まれたのでしょ?」
 彼女は一瞬目を輝かせた。
「ええ、女の子二人。一人は、もう高校生になりました」
「うらやましいわ、私には娘がいないのよ」
「このごろ、バイトは断っておじいちゃんと野菜の袋詰めをしてくれます」
 そこまで話して、彼女はうれしそうに付け加えた。

「娘が、『おじいちゃん、背中が曲がってきたから、扇風機の風が当たる方に座らせてあげるのよ』なんて言ってくれます」
 若いお嫁さんと思っていた彼女が、ひるがえったように良い母親ぶりを見せた。その話につられて、私の心も明るく弾んできた。

 *

 私が子どものころ、牛が三浦スイカを積み上げた車を引いて来た。牛は車が止まると、道にぽたっぽたっと、糞をして長い尾をくるくる動かしていた。
 知り合いのおじいさんは、日に焼けて黒光りしていた。丸顔を手ぬぐいでぬぐいながら、「牛んぼが着いただよ」と、あいさつより先に言うのがおかしかった。彼は、とても穏やかな人だった。

 おじいさんが、スイカを一つずつ取り上げて、スイカの底をポンと叩き、「これが熟れてんよ」と母に渡してくれる。彼は、
「スイカの種を食べると、スイカの芽が出て、葉っぱも出て、おなかにスイカが生るよ」
 と冗談を言い、牛車を取り囲む子どもたちを笑わせた。本気で心配をしてお腹をおじいさんに見せる子もいた。

 *

 スイカ売りの奥さんの話を聞きながら、こんなことを思い出し、私は口をついだ。
「私の知り合いが『須軽谷』にいるのよ。スイカ畑にスイカが転がっていて、あの辺はのどかねぇ」
「そうでしたか、そこは家の近くの村ですよ」
「お宅は専業農家なの?」
「そうなんです。今度は大根が始まるんです。農協に収めているので忙しいんですよ」

 午後五時を告げるメロディーが遠くから聞こえてくると、彼女は思い立ったように、
「お忙しい時間、ごめんなさい」
 と、軽々と手を振って帰っていった。
 私の心にほのかなぬくもりが残った。

(福谷美那子)


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