むかし、しみずをはしっていたてつどう
こくてつしみずこうせん  (しみず−みほかん8.3きろめーとる)
国鉄清水港線(清水−三保間8.3Km)

清水港線(しみずこうせん)のいきさき
巴川鉄橋(ともえがわてっきょう)をわたるれっしゃ

れきし

大正(たいしょう)5年(ねん)、いまのJR清水駅(しみずえき)から清水港駅(しみずみなとえき)までかいぎょう。
清水港駅(しみずみなとえき)は、いまの「エスパルスドリームプラザ」になっているところです。

昭和(しょうわ)5年(ねん)、清水埠頭駅(しみずふとうえき)までかいぎょう。
清水埠頭駅(しみずふとうえき)は、いまの「浪漫館(ろまんかん)」というたてもののところにありました。

昭和(しょうわ)19年(ねん)、三保駅(みほえき)までかいぎょう。
三保駅(みほえき)は、げんざいの「三保(みほ)ふれあいひろば」となっています。

はじめはかもつれっしゃだけうんてんされていましたが、昭和(しょうわ)21年(ねん)から客車(きゃくしゃ=おきゃくさんがのれるしゃりょう)がはしりはじめました。

昭和(しょうわ)37年(ねん)にC50じょうききかんしゃからDD13がたディーゼルきかんしゃにきかんしゃがかわりました。

昭和(しょうわ)27年(ねん)から昭和(しょうわ)35年(ねん)までは、6おうふくの混合列車(こんごうれっしゃ=かしゃときゃくしゃをいっしょにつなげたれっしゃ)がはしっていましたが、昭和(しょうわ)35年(ねん)から昭和(しょうわ)49年(ねん)までは3おうふくの混合列車(こんごうれっしゃ)、昭和(しょうわ)49年(ねん)からは1おうふくの混合列車(こんごうれっしゃ)がはしっていました。

昭和(しょうわ)59年(ねん)3月(がつ)31日(にち)にはいしされました。

私(わたし)も、小学3年生(しょうがく3ねんせい)のころから、中学生(ちゅうがくせい)までなんどかのりました。

ふつうれっしゃ普通列車(ふつうれっしゃ)・昭和(しょうわ)59年(ねん)ころ

いまものこるしゃりょう
いれかえようきかんしゃ・スハフ42型(がた)きゃくしゃ・しずおかてつどうモハ65型(がた)

しずおかてつどう・65ごうしゃいれかえようきかんしゃときゃくしゃ

元(もと)・巴川口駅(ともえがわぐちえき)−折戸駅(おりどえき)のあいだ、国道(こくどう)150号線(ごうせん)ぞいにしずおかてつどう・清水市内線(しみずしないせん)の65号車(ごうしゃ)といっしょに、普通列車(ふつうれっしゃ)につかわれていたきゃくしゃとかしゃのいれかえをしていたきかんしゃがのこされています。

*しずおかてつどう・清水市内線(しみずしないせん)
清水市(しみずし)では、昭和(しょうわ)49年(ねん)7月(がつ)6日(か)から7月(がつ)7日(か)にかけて大雨(おおあめ)がふり、水害(すいがい)がはっせいしました。この水害(すいがい)で、はいしされてしまったのが清水市内線(しみずしないせん)です。
はいしされたのは、昭和(しょうわ)50年(ねん)3月(がつ)31日(にち)でした。
この水害(すいがい)のはなしは、アニメ「ちびまる子(こ)ちゃん」にもでてきます。

清水港駅(しみずみなとえき)いれかえようきかんしゃ・タンクしゃ

いれかえようきかんしゃとかしゃ

終点(しゅうてん)だった三保駅(みほえき)があった「三保(みほ)ふれあいひろば」にも、いれかえようきかんしゃとアルミをはこんだタンク車がおかれています。


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