大須賀町のマッコウクジラ・ストランディング報告

平成12年4月6日の朝、静岡県小笠郡大須賀町大渕の遠州灘海岸に成熟したと思われるマッコウクジラの雄が発見され、救出の模様がメディア等を通して報道されました。
以下に流れを記載します。

静岡県小笠郡大須賀町大渕の場所

以下に大須賀町に関連したサイトとアドレスを明記します。
http://www.wbs.ne.jp/kakegawa/oosuka/oosuka.htm
静岡県中部方面から海岸に沿って国道150号線を西へ向かい、静岡県最南端の御前崎から浜岡町・大東町を抜けた所が大須賀町です。大東町の国道150号線を西に向かうと防風林が続いておりますが、防風林が切れる付近に大須賀町の境界があり、その付近が大須賀町大渕となります。「サンサンファーム」と言う観光いちご狩り施設は大渕に有り、今回のストランディング場所に近い所と推測されます。公式HPとは言えませんが、以上のアドレスで場所的な物はご理解頂けるかと思います。
大須賀町役場の住所は西大渕100となっておりますが、この付近から西へ約1Km進むと役場へ入る道案内の看板(国道150号線から2Km離れているそうですが・・・)が出ております。
今回の現場は、大須賀町でも最も東側に位置した大東町に近い場所と言えるでしょう。

発見から埋葬に至る経緯

6日9時頃、静岡県小笠郡大須賀町大淵の遠州灘海岸に、体長16メートルのマッコウクジラが砂浜に埋もれるような状況で発見。発見者は苺農家の73歳男性。

6日午後頃から、地元放送局の数局では現場で中継を実施。観客は200人に達する。夕方の県内ニュースではトップ項目として報道される。

6日17時頃、救助活動開始。救助にあたったのは、大須賀町職員や地元住民で、大須賀町の消防団が可搬ポンプ(静岡県では地震対策用に数多く設置)を使用して水を掛けるのと同時に建設会社のショベルカーを使用して砂浜を掘る方法にて実施。

6日19時30分頃、日没を超えている為に作業打ち切り。大須賀町長のコメントとして、「町役場に帰ってから農林水産省の職員と相談した上で、明日の予定を決める」と21時頃に放送。夜間は海岸を立ち入り規制し町職員が3名1組で監視するとの報道であったが、静岡県内外からの若者らがボランティアとして現地に駆けつけ、バケツを使ってマッコウクジラに水を掛けたり、砂浜の清掃を行った。(深夜帯、常時40〜50名が入れ替わり状態で作業)

7日6時頃、大須賀町から西(浜松市方面)におよそ10キロ程度向かった福田町(ふくでちょう)の福田漁港から出港した漁船3隻が現場の沖合に到着。

7日6時45分、救出作業再開。マッコウクジラの尾鰭付近に直径約3センチのロープを巻き付け、地元ダイバーが漁船にロープを渡しパワーショベルで押すと同時にロープを使用して沖合の漁船が引き出す形で救出を行うが、ロープが切れてしまった為に再度試みるも潮が引き始めた為に午前中の救出は困難との判断に達する。その後は再度水を掛け続けて様子を伺う。救出作業中に地元住民から担当者に「ロープが細すぎる」「漁船じゃ駄目だから御前崎(大須賀町の東側へおよそ25キロ・静岡県の最南端)から巡視船を持ってこい」と詰め寄る光景もあった。

7日正午頃、マッコウクジラの容態が悪化して動作も減る。呼吸が途絶えだしたのは13時頃から。

7日14時頃、国立科学博物館動物研究所の研究官が聴診器による診療を実施。この時すでに心臓や肺が停止していた。

7日14時18分、早朝から現地で指揮を取っていた大須賀町の伊藤徳之町長が死亡発表。「最大限努力はしたが、力及ばす、残念な結果になった。多くの人から温かいご声援を頂いたのだが・・・」とコメント。見物客は信じられない様子でなでたり花を手向ける。小笠町から僧侶が訪れてお経を読み上げると、一緒に手を合わす人も。死亡の報道後、大須賀町役場には弔いを求める電話が殺到。

死亡後、静岡県の問い合わせに対し水産庁が「焼却するか埋めるように」と指導し、クジラの肉が市場で流れないように強く依頼する。内蔵や骨格は学術研究用に使用し、国立科学博物館が死因や年齢を調べる方向で調整。その他は焼却する方針が決定。

8日1時頃、引き上げ作業開始。重機やワイヤーが重さに耐えきれない為に引き上げに失敗。

8日2時頃、引き上げは不可能とされた為、現状のまま解体するとする。

8日朝、現場には更に花束が手向けられたり、線香がたてられたり、お供えが置かれたりする。午前中に和歌山県の業者によって解体作業が始まる。強風と高波の天候と同時に見物人が多く作業は難航。目隠しシートが張られたものの、見物人が多く近付くのを禁止出来ない状態。作業期間を2日間としていたが、延びる可能性も。

8日8時頃、水産庁遠洋水産研究所・国立科学博物館・大学関係者らが現状のままの測量作業を実施。

その後、大須賀町は、死んだ鯨を当初、和歌山県の解体業者にゆだねることに決めたが、業者側が鯨の表皮しか引き取らないことから(引き取った肉は販売する為でしょう)、解体をやめた。焼却しようにも1週間以上かかり、腐敗の進行を考えると残された方法は埋葬しかなかった。結局、海岸管理者の県と協議して、現場から50メートル離れた砂浜を5メートル掘って埋葬と決定。数年後に骨を取り出し、標本にする予定。現地では町関係者や研究者が供養祭を行い、読経・焼香後に病理解剖実施。
学術研究の為に標本を希望したのは、国立科学博物館・農林水産省・東京大学大学院・三重大など約10の機関で、そのうち9つの機関が標本を持ち帰る。

その後の動きについて

その後、マッコウクジラが残した様々な問題が論議され、地元の新聞やTV等でも話題となった。

今回、救出から埋葬まで一貫して策を練ったのは、伊藤町長ら町幹部と県の職員、清水市にある水産庁遠洋水産研究所の研究員でつくった即席チームであった。漁船で鯨を引っ張る作戦などは海上保安庁の知恵を借りた。
水産庁遠洋水産研究所の山田室長は、「今回の救出が最善だったかどうかは何ともいえない。鯨のサイズが大きいだけに難しかったことは確か」とした上で、「専門知識を集結して保護にあたれば、海に帰すことができたかもしれない。現場に駆けつけた多くのボランティアの熱意を生かすためにも、海のほ乳類を救出するための情報交換やネットワーク作りが必要」と指摘した。

伊藤徳之大須賀町長は「やじ馬の整理が一番大変だった。現場で事故が起こらないかと気が気でなかった」と振り返るのと同時に、「全国からの手紙に勇気づけられた」とコメント。一目鯨を見よう、触ろうと詰めかける人の数は日を追って増え、町は軽く一万人を超えたと見ており、パワーショベルやレッカー車などが動き回る現場は、報道陣と見物人がもみくちゃになって混乱した。一方、町役場には連日、深夜まで問い合わせや激励、救出方法に対する意見などの電話が殺到した。電子メールも十数通届いた。現場の状況は全く判らない状態で進めた為に、伊藤町長は「最善の方法は全て試してみようと思った。対策マニュアルや専門のコーディネーターがあれば助かる可能性が上がるのでは?」ともコメント。

夜間のボランティアについて報道では群馬や尾張小牧ナンバーの駐車車両が映し出され、静岡県内外からのボランティアが多かった事を物語っており、現地で夜間のボランティアとして活動した人の中から「始めから専門家が付いていてくれれば、指示通りに動きたい」、「どうにかしたいけど、何もできない」と言った声が挙げられた反面、「今の若者もやるじゃないか」とのコメントも。

また、地元の大渕小学校児童が今回のマッコウクジラを見物して書いた作文もTVで放送され、「周りの人から、鯨を助けたいとの気持ちが伝わって来た」「私達より鯨の方が苦しくて辛い、命の大切さを知った」と印象を述べた。

今回の県の対応としても、
窓口−水産資源室
海岸を掘る−河川砂防対策室
埋葬する−廃棄物対策室・自然保護室
と担当部署が次々と変わっていく事に関し、TV記者が問題定義を行った。と同時に海岸線の長い静岡県としては、独自のマニュアルやコーディネーターのネットワーク作りが必要なのではないか?とも報道された。

町内には「鯨の上がった町として大須賀の名をPRする絶好のチャンス」という声があちこちで聞こえ、役場には「鯨神社を建てたら」など町民から具体的なアイデアも寄せられているとの事。町側は「今後の検討課題」としているが、骨格標本を町の所有にするかどうかも含めて、まだまだ議論が続きそうである。


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