何回かに分けて、父方の祖父の介護記を綴ります。
最後の二週間
第一話
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- 父から祖父の病状が非常に悪いとの一報が入ったのは二月二十二日(火)の23時半頃だった。
- 急遽帰ってこないかと。
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祖父が入院している事も知らなかったし、ましてやそんなにクリティカルな状態にあるなんて事は全然知らなかった。
- 随分お世話になり、可愛がってもらっていた祖父だ。帰らぬわけにはいかない。
- 長期滞在を覚悟して身の回りを片付け、
- 24日(木)の朝イチのJALに乗って松山へと飛ぶ事にした。
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- 次の日の朝、松山空港へと到着した。
- 5年ぶりぐらいだな。松山。
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伊予鉄バス(道後温泉行き)に乗って市の中心へと向かった。
- 流れて行く松山市の景色。
- かつてはここにトータル6年半住んだ筈なのに、なんだか知らない街に来たかのようだ。
- 自分が運営しているウェブページのタイトル「どこか遠くの見知らぬ街で」(現「白昼夢」)を思い出した。
- 昨日「日記」に暫く留守にする事を記しておいたから、常連の方はそれで分かるだろう。
- 途中昔通った自動車学校の前を通過した。
- その頃の思い出がよぎった。
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- 祖父の入院している市民病院はJR松山駅の近くだ。
- だが、手ぶらで行くのも何なので、JR松山駅前のバス停では降りずに市駅(私鉄・伊予鉄道の松山駅)前まで行った。
- 市駅の周りのほうが色々店があるから。
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第二話
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- 市駅前のバス停で下車。
- この辺は比較的あの頃のままだ。
- 日切地蔵の前を横切り、銀天街に入った。
- 銀天街の西口すぐ近くに屋台の花屋があった。
- 薫「すいません、これから見舞いに行くんですが、何か合う花ありますか?」
- おばさん「こんなのどうかね」
- 薫「男性を見舞うんで、ちょっとこれは可愛すぎるんですが・・・」
- おばさん「じゃあこれは?」
- 薫「それください」
- 地味目の花を買い込んだ。花を手に提げて、タクシーを拾い、松山市民病院へ向かった。
- 南口に降り立ち、ロビーの混雑を突っ切って目標の9階へ(9階だったかどうかは記憶が定かでないので、誤っているかも)。
- 言われた部屋番号は違う患者。
- おかしいな、直前に何かの都合で移動?と思いながら付近の部屋の前の名札を見ると、
- 左隣の部屋の名札がうちの祖父の名前になっていた。
- 久しぶりに見る名前に心臓の鼓動が高鳴った。
- ノックして扉をあける。
- すると・・・。
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痩せて弱って変わり果てた祖父が激しく痙攣していた。
- なんだか小さくなっているような気がした。
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これを見て、正直「あー、もうだめか」と思った。
- 数秒間言葉が出なかったよ。
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第三話
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- 危険防止のため入れ歯を抜かれ、
- 歯が無い分下顎が上顎に突っ込んだ状態で、祖父は激しく痙攣していた。
- 口からは「あわわわわわわわ・・・」と声を発しながら。
- 否、恣意的に発せられたのではなかろう、声を出す気が無くっても声が漏れているのであろう。
- それすらも制御できないほどに自律神経が破壊されているのか。
- それとも声を漏らさずにはいられないほどの激痛が篭っているのか。
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- 祖父を看病していた祖母と介護士が僕を迎えてくれた。
- 祖母「おお、あんたよう来たな」
- 介護士「はじめまして」
- 少しばかり言葉を交わした。
- 僕の緊張をほどくには充分だった。
- 買ってきた地味目のチューリップを部屋の片隅に飾ってもらった。
- 今ここに鎮座する苦悶にやや不似合いかもしれない。
- 窓外に広がる青空とその花が呼応すると、
- 花は冷たく笑った。
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- 祖父を直視できたのはほんの数秒で、
- 後は別の人の方へ目を向けているか、
- 或いは祖父を見ているように見せかけながら、祖父の顔から微妙に視線をずらした。
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- じいちゃん、許してくれ。
- 俺には耐えられない。
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- その日のうちに祖父の体内にはステロイド剤が注射された。
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- 昼頃だっただろうか。
- 苦しみつづけていた祖父が痙攣から解き放たれ、目を開いた。
- 介護士「村瀬さん、お孫さんが神奈川から駆けつけてくれたよ、わかる?」
- 更に仕草で僕の方を見るように祖母が促した。
- 祖父は僕を3秒ほど凝視すると、
- 僕だということが分かったらしく、酸素マスクが外れそうなほどニーッと笑った。
- 今まで見馴れていた祖父の笑顔だった。懐かしい・・・。
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第四話
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- 数分ほど意識があった後、祖父は昏睡状態に落ちた。
- でもステロイド剤を投与されているため、痙攣もなく楽そうだった。
- 午前10時頃までみんなと一緒に祖父を看病した。
- 床ずれさせないように時々「体位変更」。
- お風呂に入れないから毎日「清拭」。
- 氷枕の中の氷を取り替える。
- 二時間おきぐらいに体温を測る。
- 口の中に汚れがたまるので、時々カット綿で口の中を掃除。
- 時折見舞いに訪れる方の接待。
- 看護婦の仕事の手伝い。
- 足りなくなったもの、新たに必要になったものの買い出し。
- 細々とした仕事がいろいろある。
- そうした間を縫って親戚の間でいろいろと会話を交わした。
- 昔相当もめて連絡がなくなっていた叔母夫婦とも普通に話せた。
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- 午前10時を少し過ぎたあたりで、叔母から家で休むよう勧められた。
- 今日は長旅で疲れたろうから、今日の所はこの辺にして祖父宅で休めと。
- 少し前なら叔母とこのような会話を交わすこともなかったろう。
- 祖父がもう一度結んだ絆なのだ。
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- 荷物を持って祖母と共に家に行った。
- タクシーの窓の外を流れる懐かしい風景。紛れもなく少年時代の一時期を過ごした松山市の風景だ。
- 風景の流れがやけにスローモーションになった気がした。
- 多分、いろいろな思い出と重なり合ったからだと思う。
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- タクシーから降りて思い出深い祖父の家に着いた。
- すぐ近くにバイパスが開通し、あのころに比べれば騒々しくなったとはいえ、
- 庭の柵から中はほぼあのころのままだ。
- 見慣れた庭の植物たち。
- 家に入ると、昔自分が使っていた部屋に荷物を下ろし、少し眠った。
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- 夕方頃起きると、昔この家から去るときに置いていった荷物を整理してくれないかと言われた。
- 昔の教科書・ノート・漫画・文房具などだ。
- それらを夕食まで整理していた。結局、終わらなかった。
- 一つ一つに思い出があり、これは一応捨てようなどと思った本などはつい読みふけってしまい、整理が進まない。
- 全体の量もすごいし、倉庫に積み上げられた箱詰めのものを一つ一つ出してくるだけでも一苦労だった。
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- 目がちかちかするほど全身が埃まみれになったので、
- シャワーを浴びて、祖母の作ってくれた夕食を取った。
- 今まで話せなかった祖父のいきさつや、それに伴う身内の話を祖母から聞いた。
- その中で、昔祖父に嫁いだときの話になった。
- 祖母は幼少時から体が弱く、病気がちであった。
- 大学を卒業した後、学校の教員をしていたのだが、
- 二年目ぐらいに大病にかかり、長期入院し、そのために教員も退職を余儀なくされた。
- この病気で妊娠能力も喪失した。
- 退院してからしばらくは療養も兼ねて兄夫婦の家に同居し、兄の経営する書店を手伝い、姪の面倒を見た。
- しかし・・・
- 祖母「あたしはあのうちでは必要ない人間なのよ。別にあたしが居なくてもあのうちは動くしね。
- あくまでもあたしは好意で居候させてもらってるだけだったから、その好意が辛かった。みんなの目も辛かった。
- 誰からも必要とされないのは本当に辛いのよ。言葉に表せないほど辛かったわ・・・。
- でも、おじいちゃんとの見合い話が来て、トントン拍子に話が進んで結婚。
- 専業主婦になって本当に気が楽になった・・・。
- この家に来ればあたしは必要とされる人間。
- あたしが居なければおじいちゃんが困るし、当時子供だったあんたたちの世話もあたしが居なきゃダメだったしね。
- この家に来て、やっと居場所が見つかった。
- 「必要な人間」になれてよかった・・・」
- 祖母の目から涙がこぼれた。
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- 僕は何を言ってあげたらいいのか分からなかった・・・。
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第五話
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- 翌日の祖父の容態も落ち着いたものであった。
- 投与し続けているステロイド剤のおかげで熱も大したことはなく、すやすやとよく眠っていた。
- 何人もの人数が病室に相変わらず詰めていた。
- しかし容態が安定していることが我々から仕事を奪っていった。
- 何人も居ても仕方ないかも?と思えるほど・・・。
- それ故、手が空いている時間帯は昔話に花が咲くほどの余裕が生まれた。
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- その日の夜の当番は私と祖母。
- 祖母は8時ぐらいに一度荷物を取りに帰った。
- 戻ってきたら、二時間交代で睡眠をとりながら夜の看病をする。
- 病室の片隅の狭いスペースに小さな布団を敷いており、そこで眠るのだ。
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- 淡々と看病を続けていると、突然祖父が目を覚ました。
- 祖父は暗い病室をきょろきょろと見回した。
- 「薫、ばあちゃんは?」
- 「今はちょっと出かけていて、居ないんだ」
- 「そう」
- その会話だけ交わすと、また眠ってしまった。あっという間の出来事だったが、
- 考えてみれば、これが祖父と数年ぶりに交わした会話だった。
- あまりに突然でしかも十数秒間の出来事だったため、
- 呆気にとられて、ただ訊かれたことに答えることしかできなかった。
- 帰ってきた祖母にこの出来事を話すと、
- 「そう!しゃべったかね〜」
- と嬉しそうにした。
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- このまま元気になってくれるといいのに。
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第六話
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- 僕が松山入りして三日目か四日目ぐらいに聞いた話だが、
- 今回の病こそは祖父の生命が危ういと分かった約半月前から、
- 身内で財産分与を巡るトラブルが勃発していたらしい。
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- 入院直後に遡る。祖父が入院して祖母しか居なくなった松山の家に私の父(つまり、祖父から見て息子)がのりこんできて、
- 祖父が死んだらもらえるはずの遺産を今くれと迫った。常識では考えられない発想である。
- 厳格な祖父がもし留守でなければ勿論そんなことは通らない。
- それを見越して、気弱な祖母しかいないこの時期を狙ったことは、父の性格から容易に想像がつく。
- 何日も何日も父が強要するうちに、祖母はとうとう折れた。
- 松山市の南西に位置する松前町にある土地(先祖代々から受け継いだもの)を売却し、
- 得たお金(1000万円)のうち300万円を父に渡したのである。
- 他に、300万円ずつ叔母と自分の物とし、余った100万円を昔の職場に寄付することとした。
- 事の次第を聞いた叔母は唖然・・・。
- しかし、父はもっと非常識な行動に出た。
- 「どうして長男の俺が三分の一しかもらえないんだ。もっとよこせ」
- と更にせびり始め、祖母・父・叔母夫婦で激しくもめ始めることになった。
- 5年前に祖父はもし自分が死んだときに備えて遺書を残していた。
- その遺書を開封して、この紛争に終止符を打とうと誰かが提唱したらしい。
- それで三者が一堂に会し、まだ祖父が死んでいないにも関わらず、遺書を開いた。
- それには「長男夫婦に金500万円、長女夫婦に金1000万円、妻に残りの金銭と家、そして二つの土地を与える」と記されていた。
- 二つの土地とは、現在家の建っている土地と、先祖代々受け継がれた土地の二つのことである。
- 後者の土地の方はすでに売却・換金しており、実質的に無効。
- 残りの動産・不動産を遺書通りに分配すれば何も問題はないわけだが、
- ここでも父が異論を唱えた。持ち主の祖父が父には500万円しかやらないと明記しているにもかかわらず、
- 「なんで長男の俺がこれだけなんだ。俺は長男だからもっともらう権利がある」
- と主張して、周りに金をせびり始めた。当然、大喧嘩。
- 叔母夫婦が京都の家に帰っているときには、父はその時期を狙って高知から松山に来て、
- 鍵を使って家を開け、祖母の在・不在に関わらず、家の中の書類をあら探しして一部の書類を勝手に持ち帰ってみたり、
- 祖母に電話して「松山の家は売らないように」と注文してみたり(狙いは分かりますね?)。
- 祖母は預金口座の通帳を隠す場所にも苦慮しているらしい。泥棒同然である。
- 祖母は祖母で、「あたしはよそから来た人間だし、この家を全部もらう筋合いは・・・」などと気弱なことをいってる。
- 祖父と夫婦で何十年も暮らした家。今まで通り住んで何が悪い。祖母にとって思い出深い家であることにも相違ない。
- 誰にもあげることなく、大いばりでここに住めばいいのに。
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- 祖父の容態が一進一退を続けるうちに、祖父の誕生日が来た。2月26日。
- 祖父は起きあがることもままならない状態だが、
- ささやかなお祝いを上げることになった。
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第七話
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- その日の夜聞いたのだが、祖父に何とか誕生日を迎えさせる(=その日まで持たせる)のが叔母と祖母の間の一つの目標だったらしい。
- 誰かが買ってきたバースデーケーキ。それを病床にふせって(多分)ほとんど意識のない祖父の前に掲げた。
- 「じいちゃん、誕生日だよ〜。わかる?」
- 祖父はベッドで半目を開けたまま。ケーキの方に意識的に瞳孔を向けるでもなく、ただ目を僅かに開けているだけ。微動だにしない。目の前に出されているものがケーキかどうかも判別できていないだろう。
- 誰も何も言わない。みんな、祖父がこの祝いを認識できていると信じて動いている。現実がどうあれ。
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- ケーキにろうそくを年齢の数だけ立てた。マッチで火をつけ、電灯を消した。
- 「♪はっぴバースデー、つーゆー。はっぴバースデー、つーゆー。はっぴバースデー、ディアおじいちゃん〜」
- ベッドの上でただ目だけを開けている祖父をみんなで祝う。
- 祖父はケーキを食べることはできない、というより、普通の食事自体ができない状態であるため、祖父以外のみんなに叔母がケーキを切り分けていく。
- 祖父を祝ったと同時に、自分たちを慰めていたと思う。
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第八話
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- その夜は叔母も暴言を吐いた。いつ死んでもおかしくない状態で膠着している祖父の病状について一言。
- 「これ以上生き延びるのはまわりのみんなに迷惑じゃないかな」
- この言葉にもプッツン。今までさんざんみんなで祖父に迷惑をかけてきたんだから、こんな時ぐらい逆に迷惑かけたっていいじゃないか!迷惑だから早く死ねとは!!
第九話
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- その後も病状は一進一退を繰り返した。ステロイド剤が利いているうちは容態は落ち着き、そうでないときには激しい痙攣を繰り返した。
- 祖父が痙攣もせず楽そうに眠っていた日のこと。その日は昼間も晩もずっと眠っていたのだが、午前2時頃、不意にすっと目を見開いた。
- 「あ?起きた?」
- と問いかけると祖父は元気だった頃のようににっこりと微笑んだ。
- 「かあちゃん(=祖母のこと)は?」
- 「いないよ」
- 「そう」
- 少しがっかりしたような顔をして、そういうとまた目を閉じてすやすや眠り始めてしまった。起きたらいろいろ訊きたいこと、話したいことがたくさんあったはずなのに・・・。いざ急にその場面になってみるとそんなことにまで気が回らなかった。面食らった状態から訊きたいことがあることを思い出す状態に遷移する前に幕が閉じてしまった。残念。
- 一日半ぶりぐらいに目を開いた祖父は病気などする前のように元気にしゃべっていた。この日はたまたま夜担当だったのでこの幸運に恵まれた。ついてた。
- 病で痩せこけて小さくなった祖父。元気だった頃とは比較にならないなあ・・・。
- 厳格だった祖父。あのころには触れたことすらない頬に手をあててみた。ほんの少し暖かく、弱々しい肌の感触が愛おしさをほとばしらせた。
- 「男は年をとると子供になる」
- と誰かが言っていたのが今の心情と交錯した。自分が老いたとき、子や孫や妻にどう感じてもらえるのだろう。
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- 祖父はこのまま少しずつ回復するのではなかろうか。普通に眠る祖父の寝顔を見て、そんな矛盾した思いさえ心に滲み出た。
第十話
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- 次の日も祖父はずっと眠ったままだ。容態は安定している。
- 今の祖父は水を飲めない。衰弱のため、まともに水やお茶を飲ませると危険なためだ。そのため、代わりにカット綿やガーゼに水を含ませて口の中を軽くたたく感じで水分を与えている。水分を与えるというよりは、口の中の乾いた部分を湿らせるといった方が表現としては妥当かも知れない。毎日の日課として一日に二、三回これを行っている。今日もそれを実施していると、高知から父がふらりとやってきた。アポ無しで来るのは、いつも通りだ。
- 父 「おお、がんばってるな」
- 私 「あー。はは」
- 祖母「仕事の方は大丈夫なの?」
- 父 「大丈夫だよ。明日の朝帰ればいい。・・・ところで、今夜の夜番、誰がやるの?」
- 祖母「あたしと薫だよ」
- 父 「かあさんは疲れているだろうから、今夜は休んだら?」
- 祖母「だいじょうぶだよー、それに薫一人だけじゃ可哀相よ」
- 父 「母さんの代わりに俺が夜番に入るよ」
- 「だめよ、あたしがやる」「俺が代わりに入る」この押し問答がしばらく続いたが(強情なんだから・・・)、結局父が押し切った。今夜は父と私の組み合わせだ。
- で、父と夜の世話を始めたのだが、やっぱり父はこういう「世話」系統は全然できない。・・・というより、全く働こうとしない。後ろから役に立たない指示を飛ばすだけで全然体を動かさない。予想はしていたけど・・・。今夜に限っては自分一人だけで働いていると自分に言い聞かせてやって行くしかないと思った。
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- はあ、役に立たない人だ・・・。(ーー;)
第十一話
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- 父のことは気にせず、祖父の世話を続けた。そうしてどんどん夜が更け、午後11半時過ぎぐらいだったろうか、祖父が突然顔色を変えて息苦しそうにしながら私にすがりつき、もの凄い力で私の背中をかきむしった。喉に何か詰まらせているような様子だ。呼吸が出来ないのであろう。目をひんむいてあらん限りの力で訴えている。
- 「父さん!ナースコールボタンを押して!」
- 看護婦を呼ぶボタンは丁度その時ベッドを挟んで僕がいる側とは向こう側にあった。僕は祖父の背中を叩いたりして必死に応急処置をしている最中で、ボタンまで手が届かない。だから向こう側にいる父に頼んだのだ。
- しかし、父から帰ってきたのは常識で考えられない返事だった。
- 「ん?そういう場合、何もしないのもいいんだよ」
- 「はぁ〜??この状況を見て何でそう思えるの!?」
- 父は「何をそんなに騒いでいるんだ」といわんばかりの表情でにやにや笑っている。信じられない……。
- 「コールボタンを押して!」
- 「……」
- 「そこのボタンを押して!!」
- 無視……。このままでは祖父が死んでしまう。背中を叩いているだけではほとんど効果がない。ナースにバキュームしてもらわないと(※バキューム:喉や口内の異物を専用の吸引機で吸い取ること)。
- やむなく祖父を介護する手を離して、ボタンに手を伸ばしてしっかりと押した。お願いだから誰か早く来て!!
- 20秒ほどして、当直の若いナースがナースステーションからのんびりと来た。
- 「どうかしましたか〜?」
- これにも内心頭に来ながら、状況を話してバキュームを頼んだ。
第十一話
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- そのころには祖父はぐったりしていた。その様子を見たナースは「そんなに慌てるほどの事が起こっているのかねえ」ってな顔をしてゆっくりバキュームを始めた。ちょっと吸引してみては様子を見、またちょっとやってみては様子を見……。それがまた僕の神経を逆撫でしたのは言うまでもない。
- 何度かやってみた結果、口内の皮膚の固まりが吸引機の先端について出てきた。普段ずっと酸素マスクをつけている関係上、口の中が乾くのだ。どうしても。それでばりばりに乾いた皮膚を時々ガーゼで除去してあげたりしていたのだが、時折無意識に飲み込んでいたのだろう。今回飲み込んだ皮膚は、喉を塞ぐほどのものであったのだ。その固まりが原因だったのだ。
- 怒りを抑えながら、やってくださった若いナースに礼を言うと、
- 「はい、どーも」
- と事務的に答えて去っていった。何だあいつ。
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- その後、夜通し祖父の意識が戻る事は一度もなかった。ずっと昏睡状態だった。……父は事件のあと、病室の隅でぐぅぐぅ朝まで寝ていた。
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- そうそう、重要なことを思い出しました。以前、祖父が夜中に突然起きて、病室をきょろきょろと見回したあと、
- 「かあちゃん(=祖母のこと)は?」
- 「いないよ」
- 「そう」
- との会話のあと、手で湯飲みの形を作って目で訴えかけました。湯飲みでお茶を飲みたいと。至極印象的な出来事でした。
- 祖父は普段からお茶を飲むのがすごく好きなのです。入院して病状が悪化してからというもの、危険だから普通にお茶を飲ませることはさせていなかったのです。もっぱら、ガーゼにお茶や白湯を含ませて与えていました。味気なかったことでしょう。
- そういう日がずっと続いていたため、祖父は久し振りに湯飲みでお茶を飲ませてくれよ、と言いたかったに相違ありません。
- そうしてあげたい気持ちは山々だったのですが、湯飲みで水分をとることはやっぱり危険だからと言い聞かせて今まで通りガーゼにお茶を含ませて少しずつ口に流し込んであげました。
- このことが後に、激しく後悔することとなるのですが。
第十二話
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- 昨日叔父と叔母は京都の自宅に所用で一時的に帰ったらしい。父も高知へ帰った。しばらくは看護は私と祖母だけになる。
- 祖父は日中もずっと昏睡状態のまま、意識が戻らない状態が続いた。
- 祖父を観察していて、奇妙なことに気づいた。今までは祖父は眠っていてもいつも口は締めたままなのに、今日になって必ず口が半開きなのだ。気になって閉めてあげても数秒したらまた半開きになってしまう。どうしてなんだろう。
- 昼の間はいつものように数組の訪問客。全く意識のない祖父にしばらく話しかけていってくださる。話の内容は私は知らないものも少しあったが、祖父にとっては思い出のあるものだろう。意識のない祖父には認識できるはずもないのだが、それでも元気なときと同じように話しかけてくださるその気持ちに感謝を感じた。おじいちゃん、みんなの情を受け止めてね。
- 夕方頃に2時間ほど睡眠をとった。が、これが失敗だった。いつも仮眠するときよりも薄い布団で寝たためか、風邪をひいてしまったようだ。鼻水ずるずる。頭ガンガン。寒気少々。しまった。
- マスクを病院内の売店で買ってきて、看護続行。
- その日の夜番は私。9時頃に祖母も家に引き上げ、私と祖父だけが病室に残った。Perlの参考書で勉強しながら、時折祖父の世話をした。
- 夜に入ってから、幾分祖父の表情が穏やかになったような気がする。この平穏な状態が数日続くのだろうか?
- 23時に消灯。真っ暗になった病室の曇りガラスに外の街の明かりまばらに映る。ぼんやりと。いつかこの曇りガラスの向こうに祖父を連れ出せる日が来る。……ここ数日平穏な日が続いた。このまま祖父は回復するんじゃないか?そんな気がする。いつか退院できたら、その幸せをかみしめたい。
- 午前2時頃、当直のナースが巡回してきた。
- 「ご気分はいかがですか?」などと祖父に問いかけるが、全然反応無し。……そのままいつものように血圧を測定し始めた。ところが、何度もやり直し。
- 「変ですねえ。……これでは脈が分からないなあ。朝の巡回でもう一度計ります」
- ナースは諦めて、測定器具と聴診器をしまってナースステーションに帰っていった。
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- 30秒後、さっきのナースが血色を変えて病室に飛び込んできた!
第十三話
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- 心拍測定器の液晶画面をナースにも私にも見えるように設置し、大急ぎで心臓マッサージを始めた。……心拍数が40を割り込み、そこからもどんどん低下しているではないか!
- 祖父のあばら骨を折らんばかりに心臓マッサージを行っている様子を目の当たりにしながら、僕の頭の中は真っ白になっていた。今目の前で祖父がどういう状況になっているか、『頭では理解』できても『感情では理解』できないでいた。普段の冷静な状況であれば、せめてこの状況の切迫感ぐらい感じることが出来ただろうに。また状況は頭で理解できても今自分が何をするべきか判断がつかないでいた。当直ナースはそんな私の方を時々振り返りながら
- 「この方の住所は?」
- とか
- 「年齢は?」
- とかカルテを見れば載っているはずの事、しかも今この緊急時にそんな呑気なこと、とも思ったが、私を少しでも落ち着かせるための処置だったのだろう。
- 「すぐに来ることの出来る身内の方を呼んだ方がいいですよ」そう言われてはっとした(そんなことも分からないぐらいに頭の中が真っ白な状態だった)。それで家で休んでいる祖母に急遽電話した。
- そうこうしている内に他のナースやドクターが続々と集まり、祖父を取り囲んで救命行為を行ってくださっているのは6,7人になった。やがて祖母も大慌てで到着したのだが、ナースに
- 「遠方の親戚の方にもお集まりいただいた方がいいですよ」といわれてあちこちに電話し始めた。病室を出て。……命の火が消えかかっているのだから、こんな時ぐらいそばにいてあげればいいのに。
第十四話
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- 多くのスタッフに遮られてよく見えなかったが、様々な救命行為をしているようだった。祖母が病室の外で電話している間、スタッフのみなさんの必死の救命行為にもかかわらず祖父の心臓はどんどん衰弱していった。……そのうち、心臓マッサージ無しで自力で動く事は出来なくなっていった。
- (終わったんだな……)
- 『もうどうにもならない』ことを感じて、肩にのしかかっていたものが軽くなった。気分も落ち着いた。今目の前で行われている状況を冷静に見ることができはじめた。もうどうにもならないんだったら、やらなくていいよ。もう……無駄じゃんよ……。
- 祖母が戻ってきた。戻ってきたのを見て、医師とナースでアイコンタクトしたのが分かった。すると人形のようになった祖父に再度心臓マッサージをし始めた。かわるがわる。私と祖母はその『儀式』を見つめた。心拍のグラフはマッサージしている間だけ動いた。
- ひとしきり心臓マッサージを試みた後、スタッフ同士でアイコンタクトすると、医師が腕時計を見て
- 「午前2時15分、ご臨終です」とつぶやいた。
- 祖父は筋肉の力が抜けたためか、これまで開けたことがないぐらい大きな口を開けて寝ていた。口を開けていた、というより、顎の筋肉に力が入らなくなったのだろう。
- ナースの手によっててきぱきと衣装替えを終えた後、慣例に従って死に水を取った。正直言って、祖父が生きている感覚も死んでいる感覚も感じなかった。でも、葬儀屋が来て祖父を病室から運び出した後、ベッドの中央に触れたら現実をはっきりと認識させられた。
- ベッドのくぼみにはまだ温もりが残っていた。確かにあなたはほんの少し前までここに生きていたのだ。そして、他界したのだと。
最終話
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- 住み慣れた家に祖父の遺体が戻った。この家の中に祖父が居る。その感覚が懐かしかった。
- 祖父の遺体の傍で、身内のみんなで昔話に花を咲かせた。
- 話の途中でいったん部屋を出てみんなにお茶を出したのだが、その時に祖父にもお茶を出した。祖父がずっと使っていた祖父の湯飲みで。
- 「そのお茶は?」
- 「じいちゃんにもお茶を、と思ってね」
- 「ふ〜ん」
- その場にいた大半の人は知るはずもない。祖父の遺体の枕元にお茶を出した理由、というか、重みを。
-
-
-
- あなたにもう一度湯のみでお茶を飲ませてあげたかった
-
- あなたは良くお茶を楽しんだ
- 90年近い歳月の中で
- あなたが何度お茶を嗜んだかは分からぬが
- カーテン越しの柔らかな日差しを浴びながら
- その老いた手で すこしづつ口へと運んだ
- あの満足そうな笑顔
- その一つ一つが 僕の脳裏に有る
-
- 病床で
- あなたはよく 喉が乾いたというので
- 頻繁に白湯やお茶を飲ませてあげた
- ときおり 湯のみで飲みたいと呟いていた
- ごめんね・・・
- 今の状態じゃ ガーゼに含ませて飲ませてあげる事しか出来ないよ
- 湯のみで飲めるぐらい回復したらそうしようね・・・そう言い聞かせた
- ガーゼでお茶を吸う姿がなんとも哀れだった
-
- 結局その夢も叶う事無くあなたは逝った
- あなたにもう一度湯のみでお茶を飲ませてあげたかった
-
- 住みなれた家に戻ったあなたの遺体の前に
- 温かいお茶の入った湯のみを置こう
-
-
-
- もしかしたら回復するかも知れないと希望を持っていたあの頃。祖父に危険なことをさせるのが怖かった。それがもし、あと数日で確実に命の火が消えると分かっていたのなら……きっと祖父に温かいお茶を注いだ湯飲みを差し出しただろう。そのせいで数日寿命が縮んだとしても、人生最後の瞬間に幸福を噛みしめて穏やかに一生を終える事が出来たなら……そう思うと後悔の念で胸が締め付けられるのです。
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-
-
- 葬儀が行われる日、小雨が祖父邸をくるんだ。そして手伝いにいらした近所の方や業者のスタッフで賑やかになった。祖父と懇意にしてくださった近所の方々は本当に積極的にあれこれして下さり、感謝の気持ちで一杯である。
- M葬儀場で行われた葬儀。次々と献花していく中、粋な見送りをしてくださった老紳士がいらした。棺の前に来るなり、大きな声で
- 「T中尉、Sであります。お会いしに来ました。この度お亡くなりになられたことは、大変残念であります。しかし私めの瞼裏には、T中尉が雪の中を颯爽と馬で駆けていらっしゃる姿が昨日のことのように鮮明に浮かびます。(後略)」
- 祖父は若かりし頃、満州で兵役に従事していた。所属は輜重隊(=補給部隊)で、馬を駆って北の大地を往復していた。そのころの部下なのであろうか。このお別れの言葉には少し驚いたが、とても嬉しかった。言葉一つ一つに祖父への愛情がこもっていた。その方の回想を耳に受けながら、雪中の祖父の勇姿を思い描いた。
- そして葬儀が終わり、身内だけで家に帰ってきた。祖父がまだこの家にいた頃に戻ったような気がした。
-
-
-
- あれから何年も経った今年、祖母からの便りが届いた。手紙には家の傍らに咲く花の写真が同封してあった。
- 「同封の写真は四月・五月頃のもので、薫ちゃんが大学を卒業して就職していった日に、おじいちゃんが植木市で記念に買ってこられて植えた『土佐みづき』です。毎年このように黄色い花を咲かせます。派手でなく地味な、おとなしい花ですが、おじいちゃんが買ってこられた日のことを思い出します。春先、薫ちゃんの目に触れることもないからと、ちょっとスナップを送ります。 時節柄、くれぐれもお体を大切に。お元気で」
−終わり−
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