「嫉妬」
−第1話−
夜のカーテンが降りたばかりのカフェテラス。外の通行人の流れはやや疎らになってきた。話も尽きかけ、コーヒーが冷めかかった頃……。
「美恵子、今度結婚する事になったんだ」
「えっ?」
「それが部長の親戚の子でさあ、何だかとんとんと話が進んじゃって・・・もちろん君も喜んでくれるよね?」
「この先も今まで通り、いい友達で居て欲しいな・・・」
「友・・・達−−−?」
いつも通りの朝。秋元夫人・早苗が夫を仕事に送り出している。近所の奥さんがにこにこしながら近づいてきた。
「おはようございます、秋元さん!」
「いってらっしゃい!あ、おはようございます」
「ご主人のお見送り?お熱いのねー」
「でもまだ新婚二ヶ月ですもんねー。当然よね」
秋元誠、振り返りながらまだ手を振っている。
「はあ・・・」
「でも、寄り道もしないで真っすぐ帰って来るんでしょ?今が最高ね」
早苗が少し照れているところへ、マンションの傍からスッと美恵子が現れた。
早苗に近づいてくる……。
「あの、私に何か−−−?」
「あなたが秋元誠さんの奥さん?」
「ええ・・・、私が妻ですけど、あなたは夫のお知り合い?」
「そうよ。誠さんとはとっても親しい間柄なの」
「はあ?」
「というよりも、親密な関係というほうが本当かしら」
「え?」
「それももう、何年も前からね」
「ま・・・まさかーーー悪い冗談」
「本当よ!」
「誠さんは大根の煮物が大好きで、サラダはマカロニサラダしか食べない。グラタンが苦手で、スパゲティはナポリタン」
「何、このひと女・・・何だってこんなことをあたしに言うの?」
「趣味はヘラブナ釣りと、時計の収集。好きな作家は赤川次男」
「当たってるーーー。でも、そんなことなら・・・」
「そうだわ、彼の足の太ももに、十円玉大のあざがあったっけ。それがブーツの形をしているのよ。知っているでしょう?あなたも」
「そうよ その通りよ」
早苗の顔が真っ赤に。
「ちょっとカレの奥さんを見てみたかったの。当分の間は共有と言う形になるのかしら?よろしくね!」
「当分の間ぁ?どーゆーことよそれっ!!」
「あの・・・ね、誠さん」
「うん?」
「あっ、ううん、何でもないの。おかわりは?」
「もう満プク・・・ごちそうさん。それで、お母さんの体の具合どうなの?」
(聞けないわよ、とても・・・)
「もう大丈夫みたい。いつもの癖なのよ、あれ(ギックリ腰)って」
「そりゃ良かった。今週の土曜には、一緒に様子を見に行こう」
「わあ!お母さん喜ぶわ」
「お安い御用さ」
(そうよ・・・こんな優しい人が浮気なんてするもんですか!あれはきっと何かの
間違いよ!誠さんは帰りだっていつも早いし。きっと、私の今の幸せをやっかんだ
イタズラに決まっているわ。そうよ、絶対イタズラよ!!)
しかし、それからというもの、早苗の前に美恵子は頻繁に姿を現すようになった。まるで、誠さんとのことは間違いでもイタズラでもないと言わんばかりに。
買い物に行けば、買い物カゴ片手の美恵子にバッタリ会う。
「まあ、なんて偶然なのかしら」
散歩に行けば、公園のベンチで休む美恵子にバッタリ。
「あら、お散歩?まあ、偶然ねぇ」
(ったく人を尾け回すみたいにっ!)
「あなたねぇ!!」
「今日、誠さん出張でしょう?大阪で一泊」
(違うわ!朝そんなこと何にも言ってなかったし・・・)
「あら、知らなかった?会社に確かめてごらんなさいよ。いつもほんとにこまめにお土産を買ってきてくれるのよね。札幌のときは夕張メロン、神戸のときはアクセサリー、それから・・・」
いたたまれず、その場から走り去った。
(そんなの嘘よ!出張なんて!そんなすぐにバレる嘘を・・・。)
家に駆け込むと、喘ぎを抑える間に電話が鳴った。夫からだった。
「あ、早苗?僕だけど。急に大阪に出張になっちゃって、今日帰れないから。聞いてる?」
当たった・・・。
でも、そんなの調べれば誰にだって・・・。でも・・・。
どうしても気になるので、弟の亨(とおる)に調べて貰うことにした。
「あっ、亨ちゃん?ちょっとお願いがあるんだけど・・・」
その日の夕方から、亨は美恵子の尾行を開始した。
翌日から、仕事も休んで四六時中美恵子を見張り続けた。ごく普通の朝。ごく普通の通勤風景。ごく普通のOLってやつか?
・・・昼休みには、同じ制服を身に包んだOL達と、楽しげに冗談を飛ばし、毎日明るく、元気に働いている・・・らしい。
こうしてみていると、よその夫婦仲を揺さぶったり妨害したりするようなことをする子には見えない。
昨日は友達とカラオケに行ったくらいで、今日は帰りに、コンビニで雑誌なんかを買って帰る程度。
不倫相手がやってくることもないようだし、生活も乱れてはいない・・・ようだ。
ん?この道は姉貴んちの方角だ。まさか旦那と逢い引きじゃ?
不意に美恵子が走り出した。尾行に気がついたか?!・・・かと思うと、急に止まった。おいおい、なんなんだよ!
前方を見ると、買い物カゴを下げて歩いてる姉がいた。誠さんと逢い引きかと思ったが、姉貴を尾けていたのか・・・。
あれから幾日か彼女のことを見ているが、旦那と会っている様子は無い。一体どうやって早苗の旦那と?
彼女がパン屋に入っていくのを見て、後を追って入った。店内でトレーとトングを持ち、パンを選んでいる振りをして美恵子の動きをチェックする。
・・・トレーに何個かパンを乗せたまま向きを変えようとしたその時、背後を横切ろうとした人と接触した!
亨はバランスを崩し、パンの陳列台を引っ掛けながらブチコケた!!ドンガラガッシャーン!!
パン屋の床に散乱する何十個の菓子パン。唖然とする周囲の人々。
「いってー。あ・・・ども」
美恵子がすぐに駆け寄り、パンを拾い、床を拭いてくれたのだった。
ダメにしたパンを弁償し、店を出てきた亨。ふう・・・どっと疲れが・・・。そこへ、後ろから聞き慣れた声が・・・。
「パン買えなかったのね。私の少し分けてあげましょうか?」
わわっ、吉岡 美恵子!
「あっ、いやそのどうも・・・」
「まあ、随分チョコやら油やら背広に付いちゃってグチャグチャ・・・すぐ応急処置しなくっちゃ。うちに寄ってよ。すぐ近くだから」
「あの・・・はあ・・・」
何かすごくいい子じゃないか?
こうして僕は思いがけない形で彼女の部屋に通された。きっちり片付いた部屋。男のものなど見当たらない。
「あなたこの近くの人?」
「あっ、いやたまたまこの近くを通り掛かったんで」
「お仕事は?」
「え・・・とちょっとまじめな公務員。君は?」
「ごく一般的なOLさんよ。(ニコッ)」
「仕事はおもしろい?」
「まあまあね。イヤじゃないから」
彼女はシミの処置をしながら、
「ごめんなさいね、私シミになると思うと、そのまんまにしておけなくなるタチなの。でも大体取れたし、後は乾かすだけだから大丈夫」
「あ、すみませんどうも」
どっちかっていうと、そんな腹黒い子じゃなくって・・・あんなことにはまるで縁がなさそうな子なのに・・・。
じゃあなぜ?
「ねえ、例のこと調べてくれた?」
「うん・・・それがさあ、ダンナと会っている様子はないし、きっと何か訳があるんじゃないかなあ、その子」
「やあだ、本気で調べてくれたのぉ?」
「ちゃんと調べたって。二日も有休取ったし、放課後もすぐ見張りに走ったんだぜ。他ならぬ姉のためだと思って、一肌脱いだ僕に対してそれは失礼じゃん」
「ごめん・・・じゃあ、あのひと女のいったことは、ただの悪い冗談?」
「・・・だと思うけど・・・」
・・・だといいと思う・・・。
先日は散々吉岡さんにお世話になったから、今日はお礼をしようとケーキを持って吉岡さんのお宅に向かった。
吉岡さんの部屋の扉の前に立つ。少し照れを感じながら、呼び鈴を押す。
ピンポーン・・・・・・
「あら・・・!」
「やあ」
照れ臭そうにケーキを差し出すと、
「先日はすっかりお世話になっちゃったから、今日はお詫びに・・・ケーキが好きだといいけど・・・」
部屋に通してもらった。
「公務員ってどんな?区役所とか?」
「高校の教師。いつぞやのドラマっぽいでしょう?」
「まぁ〜ほんと」
「もちろん全然ああいうのはありませんが」
「でしょうね。・・・でも、教師って大変そう。学校内暴力とかは?」
「あることもあります。しかしまず、お互いの話し合いってことで」
「今泉さんっていうのよね。今泉先生っていい先生?」
「そうだなァ。いい先生じゃないだろうけど、生徒の言うことに耳を貸すことくらいはしてやろうと思っている」
それを聞いた彼女は、優しい笑みを返してくれた・・・。
それからの偶然の積み重ねの末・・・
僕たちは何となく
つきあい始めた・・・。
低く垂れこめる雨雲の下、秋元夫妻宅の電話が鳴った。
RRRR・・・・・・
「はい、秋元です!」
「・・・私と誠さん、別れられないんです。カレ、あなたとは、便宜的に結婚しただけなの。・・・本当に愛しているのは私。彼はいつも言うのよ。愛しているのは美恵子だけだよって。彼、優しいから、あなたに言い出せないのよ、きっと」
早苗の顔に、ショックの色が広がっていった。
「だから私、彼の言葉を信じて待っています」
「ちょっとあなたねぇ!!」
電話を切られた。
美恵子と会う度に、明るくて気がついて、本当にいいコだと思う。なのにこの子は現に、姉に戦線布告をしているのだ・・・。
「今度は嫌がらせの電話がかかってきたのよ。それから手紙も!」
「手紙?」
「そうなの。うちの主人がどんなに優しく愛してくれたかって」
「全部作り話?」
「分からないわ。主人の口癖が良く出ているけど」
もしも本当だとしたら、彼との接点は一体何なのだ?
「パチンコ 花まつ」の看板が見える。吉岡 美恵子と今泉 亨が一緒にパチンコしている。
「やっぱパチンコはなかなか来ねえもんだよな」
「あんまり教え子には見せたくない姿ね」
「それを言うなよ」
玉切れ。
「あーあ」
日も暮れてきた。
「まあ、お金の分だけ楽しめばいいのさ」
美恵子はふと気がついた。
「あっ」
道路を隔てた向かいのホテルで結婚式をやっているのだ。
きらびやかな花嫁の姿。
「ああ、ここホテルの前だもんなァ・・・どうしたの?」
亨が視線を投げたときに美恵子は、嫉妬とも憎悪ともつかない目で見ていた。祝福の輪の中の二人を・・・。
亨の「どうしたの?」のセリフで我に返り、彼女はうっすらと涙を浮かべた。
「今の私・・・きっと意地の悪い顔をしているわ・・・」
顔を伏せながら、言葉を拾うようにポツリポツリ語り始めた。
「私・・・つきあっている人がいたの・・・二年間・・・。
偶然電車の中で知り合って、それから親しく話をするようになったの。家を行き来したり、映画を見たり、とっても楽しかった・・・」
これは姉のダンナの事だろうか?
「それまでの私は、恋愛はうまくいかないし落ち込んでて、
でも電車で、いつも片思いしていた相手とひょんなことから話すようになって、
そしてついに恋人になったのだもの。
私はすっかり有頂天よ。・・・いつしか私は、彼との結婚を確信するようになった。・・・
でもね・・・彼のセリフの意味合いが世間一般のそれとは違うということに気づかなかったの。
誠さんにとって、女性に「好きだよ」「きれいだね」「かわいいよ」「君と結婚したいな」「君と一緒に暮らしたら楽しいだろうな」と言うのは、
女性に対するリップサービスみたいなものだったの。
・・・だから、男には結婚相手は他にいるってこと・・・それが私の耳に入ってきたのは、彼が他の女と結婚するというときだった。
いそいそと彼の服を洗濯したり、彼に朝食を作って送り出したりしたことだってあるのに、結婚するのがこの自分とじゃないなんて!嘘よ!
そんなのってないでしょう!
あんな事だってこんな事だって言ったでしょう?
・・・失恋してとことん落ち込んだ女は、涙が枯れるほど嘆き悲しんで、北のほうに旅に出て泣き寝入り・・・
でも、私は違う!
偶然、幸せそうに夫を送り出す彼の妻の姿を見たときに、イジワルな美恵子がこの世に生まれてきたのよ。
あなたの夫は浮気をしていて、他に女がいるんだって・・・
あなた以外にも、夫のことをこんなにも詳しく足の先のことまで知っている女がいるんだって思い知らせてやりたくて・・・。
不信感は人の幸せをギスギスした物にするわ。
今ごろあの二人だって、うまくいかなくなっているかもしれない」
涙をポロポロこぼし、亨の胸を叩きながら、
「ねぇ、私って醜いでしょう?いやらしい嫉妬に狂った女だと思うでしょう?」
「・・・彼女の家庭は、何一つ壊れちゃいないよ」
「えっ?」
「あいも変わらず男は口がうまくて、彼の奥さんはそれを信じていると思う。
陽気に幸せに浸り切って、毎日は過ぎている。君の投げた石は小さ過ぎたんだ」
「どうしてそんなことが分かるの?慰めようとしているのなら、」
「違うよ。僕は君を尾行していたのさ。パン屋のときも、その他も・・・ひっくり返したのはアクシデントだが」
「・・・信じられない・・・あなたって私よりもずっと上手なウソつきなのね!」
「嘘はついていない。言ったことは全部本当のことだから。僕はただ、姉の悩みを解消してやりたかっただけなんだ」
美恵子(姉?!)
「私のことをおねえさんから聞いて、どう思ったの?」
「信じられなかったよ。
あのダンナが浮気しているなんて。
タチの悪い女にひっかかったかなってさ。
・・・今の君の話を聞いていたら、無性に腹が立ってきた。
そんな勝手な男がいるなんて!」
「私がお人好しだったのよ」
「そして男は口のうまい奴だった」
「そうね・・・」
「今でもまだあいつのことを?」
「今は・・・今は、あの後出会ったある人と話すようになって、
あんなことは忘れたほうがいいのかもって思えるようになってきた。
だけどもう、その人もいなくなるかもしれないわ。
その人はもう、知りたいことは知ったでしょうから」
「君はそれでいいの?」
「仕方がないわ」
「最後に君に一言、言いたいことがある」
「えっ?」
「口のうまい男には気をつけなさい」
「分かったわ」
それが二人の別れ・・・一件落着。単調で平凡な毎日・・・。
亨が勤めている高校の門の前に、一人の女性が来た。
男子生徒A「ハイ、お姉さん。この学校に何か用?」
男子生徒B「よかったら僕とお茶しない?」
「私は・・・」
「口のうまい男には気をつけなさいと言ったでしょうに」
振り向くと亨がいた。
「じゃあ・・・あなたは?」
「僕は口下手だから・・・いいかも知れない」
もう、イジワル女は現れない。
−終わり−
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