今日は第25回宮崎医科大学すずかけ祭内で実施されている介護用品の博覧会を目標に現地に向かいました。
宮崎医科大学は清武町に存在しており、
都城方面から、できるだけ早く行きたいときの私の場合、
都城市から宮崎市に向かう道路269号線を走り、
途中から宮崎医科大の書かれた青い看板から右へ進んだ方が早いと思っていますので、
今日はこの道を通ることになりました。
実際に宮崎医科大に到着した時には大学前の駐車場は、
すでにいっぱいで隣の駐車場に停めて父さんと母さんぐるみで目標となる場所へ向かいました。
私にとって宮崎医科大学の存在は、
「今回のように祭りなどでも無ければ、あまり来ない場所」というのが本当であり、
乱雑に扱っている(?)この体でも今の自分の体の良好さに感謝しつつ学祭を楽しむことになります。
車を止めた場所は、方角からいって病院から見て西側にあり、
学祭のイベントなどは、ここから東側になるので、そこへ歩くことになりました。
そうして東へ東へと向かうとグランドに広がるテナントがあります。
グランドの周りにそのテナントがおかれており、
その中央には、サッカーのゴールと食する為の椅子とテーブル、そして舞台が置かれているのが見えます。

それらを見ながら素通りし、介護博覧会の行われている棟内にはいりました。
棟内の入り口では、医学展と書かれた大きな掲示物と、筑紫哲也さんの写真の刷られたものが見えます。
どうやらここで、筑紫哲也さんの講演が行われる予定らしいです。
日常的に放送されている地元の民間のラジオでしきりに宣伝しているのはコレのことでしょう。

ここにいる二人から全体的に水色調であり、
そして、まる文字で「第25回宮医大すずかけ祭」と書かれたパンフレットを手渡されました。
ちょっと今回の件に関しては時間に余裕があったので、ここで先ほど手渡されたパンフレットを開くと、
『皆楽優日』と書かれた四文字熟語らしい文字が書かれていて、
どうやらこれが、このまつりの今年のテーマらしいです。
すらすらと目を通して、この大学の学長の挨拶らしいページを探しました。
この大学で行われている今回の祭りではありますが、この大学の顔とも言える長ですから、
学長と言える内容が書かれているだろうと期待しつつ、
探しているページを見つけだし、そして読みました。その中で目にとまったのが
『・・・浮き足立って日々の学弁怠るようなことのない様に・・・<略>」
(第25回宮崎医科大、配布パンフレットから抜粋)』
身の引き締まる思いがしました。
宮崎医科大の学生を対象に言っているものかも知れませんが、
私にとっても、それは人事と言えるものではありませんでした。
『いやあ、さすが宮崎医科大学の学長だ。いい言葉を言うね。』という風に
客観的に見れば気が楽なのかも知れませんが、
『人のふり見て我がふり直せ』という言葉を、遅いながらも最近になって大事に思い出した私にとって、
それはとても大切・・・いや、心当たる部分が多く感じられるものでした。
自分に心当たりのある、その部分の弱いところに良い意味で喝を入れられた、
この気持ちを忘れずに、今からでも勤しもうと思いつつ、パンフレットを閉じて
玄関口から右上にある階段を上りました。
そうして福祉機器が掲示されている会場に到着。
たくさんの物が掲示されていましたが、その中で注目したのは二点あります。
ひとつは、車椅子に乗って足を乗せる部分を自らの手で出来るという物がありました。
これは、それを作った方かと思いますが、その方に声を掛けられ、
言われるがままにやって見て素直に感じました。これの良い点は、
実際に座った方も安易にできる、『自分でやれる!』という強い意志と気持ちを感じさせられました。
ふたつめは二人用の車椅子。
分かりやすく説明すると、よく想像する二人乗り自転車が縦に並んで一緒にペダルを漕ぐ
という様な物ではなく、横に並んで乗るというものです。
実際には、二人が息を合わせて前に進まないといけないので、実用には至らないように感じましたが、
その「二人で息を合わせないと思うように進めない」という感じの、
車椅子に座る二人の気持ちが現れているような気がしました。
これをこのまま改良もせずに、これを商品化するなら
遊び感覚で買うような雰囲気をもって売り込む風になると思いました。
現実主義者にとっては無用の産物かもしれませんが、
「夢の車椅子」という言葉がすっぽりと当てはまりそうな発想ある、この純粋っぽさが、かわいらしい。
『夢を持つ気持ちの大切さ』を思っている私にとって、すこし感動させられました。
これに関しての詳しい情報はこちら、『http://med-design.hello.to/』そこが今回紹介したところです。
一通り内容を見た後、これらの会場を後にし、
他に行くところは無いものかとパンフレットを広げて次に向かった所は
二階の『患者さんの気持ち、看護婦さんの気持ち、お医者さんの気持ち』という会場でした。
この部屋に行くと、そこには壁に沢山の紙が貼られています。
沢山の紙の一枚一枚が一人の主張であり意見でもあります。
それらのが、この壁を埋め尽くしています。
少し内容を読ませて頂いたもので、ひとつ考えさせられたものがあります。
確か・・・ひとりの患者として扱われなかった・・・とか、そういう文面があったと思います。
(違っていたらすみません。)
ここで医学に対して自分なりに考えてみようと椅子に腰掛けました。
医学。僕にとって、医学はよく分かりません。それどころか、あまり知識すら持っていません。
だから、身近な所から考えてみます。
それでは、この文書を読んでいる貴方と私が話をするとしましょう。
そこで体の何処が使われるかと言ったら、
言葉をする為に使う、口、舌、のど。
言葉を出すために息を吸う、肺。
言葉を聞くための耳。
私の言葉をどのように聞いているか、
その様子を見てから考え、話題と文書を組み立てていく頭。
これだけでも自分の体の中にある器官やらが使われているのが分かります。
でも、これらの一つに支障のきたす場面に遭遇したらどうでしょう。
ここで、どれか一つ、あなたが選んで下さい。
どれでも、いいんですよ。どれか一つ。
どれか普段、使かわないような、ものがありませんか?
口にしますか?
舌にしますか?
肺にしますか?
耳にしますか?
頭にしますか?
答えは一つ。
今回のように人と話をするにしても、どれか一つが欠けても困るという事です。
ところが現実には支障をきたす場合が多く存在します。
時には足だったり、目だったり、手だったり・・・。
実際には支障が出てきてから困るものです。
そこで人体に詳しい専門家が、貴方を直すようにする。
その専門分野の呼び方が「医学」ではないかと、私は思いました。
医学。
この言葉は文字にすれば、たったの二文字の筈なのに、何故か難しい感じがします。
そして実際、それは沢山のものが存在しているような気がします。
でも、自分で使っているものだからこそ、もっと身近にあるべきある分野の「医学」だと僕は思うんです。
実は、上には書いていませんでしたが、『解剖・病理展』というところにも行きました。
『これは正常の肺です。
これは異常の肺です。』
・・・・・という風に、現物を見せられた時には、その説明を丁寧に教えてもらいましたが、
私にとって理屈も何も「これは異常」という分かり易さが、
当初、面白かったですし、
ここで勉学に勤しんでいる学生の今までの成果を丁寧に教えてくれている、
その姿と、その賢明さに関心させられました。
難しい印象のある医学だけれど、もっとも身近にあるもの。
それは医学かもしれないと思いました。
だからこそ、少しぐらいは自分なりに興味を持つべきものかも知れないかと感じさせられ、
同時に、この学祭の基本的な役目を感じさせられました。
さて、お腹も減ったところだし、ご飯も食べていいだろうと思って、先ほど、通り過ぎたイベント会場である、
当大学のグランドへ向かいました。
そこでバングラディッシュの方でしょうか?そちらの方の本場のカレーを食べました。
インドカレーらしく、チキンとカレースープ。
私の住んでいる近くのインドカレー屋さんと違う点がありました。
ひとつは鶏の肉がササミ状になっていた事と、スパイスがちょっと弱かったところです。
なんというかスープと共に食べるご飯という感じは同じですが、
スープに入っている具そのものが今まで食べていたカレーとは違う感じがして、ちょっと以外でした。
分かっていると思いますが、あのルー状態ではなく、あのカレーです。はい。
多く食べられているルーのカレーじゃありません。一応念の為に書いておきました。
それから食べた物が、たこ焼きと、コーラ。あとは紅茶とココアのドーナツでした。
味は学祭にしては、よく出来ているという風に感じて頂けたらいいと思います。
あと、食べた後と言ったらゴミですね。
ここは捨てる部類が6つに分けられて、
生ゴミ、瓶、ペットボトル、金属類&空き缶、トレイ(白いもの)&スチロール製品、燃えるゴミ
という風に段ボールで作ったゴミ箱が用意され、それぞれは、ナイロンのヒモで留められていました。
あと、帰る時の山之口町の道の駅の方で、
山之口町新ひむかづくり運動町民会議、山之口あじさい市
と書かれたオレンジ色のノレンがありました。

このノレンによると、毎月第二日曜日にやっているようです。
こちらも方は、ちょっと時間が無くて、そこまで見られませんでした。
こちらは、また機会がある時に書いてみようと思います。
今日、祭りに行って感じたのは、こういうところです。