5月26日/沖縄旅行第一日目

宮崎空港に到着。空港玄関を抜けると正面には日本エアシステム、全日空、エアージャパンなど横一列に航空券発売、手荷物専用、ご案内、登場手続き、と並んでいる。玄関左側には鳥類オウムらしいキャラのシールが貼られている。それには羽は緑色、腹は水色っぽい感じのがテレホンカードと書かれたのを掴んで紹介しているシールが貼られた自動販売機がある。

少し早く到着したせいでまだ時間があるので近くにあった椅子に座って何かしら時間をやり過ごすことにした。こういう中自分の付近に何があるか辺りを見渡して見ると正面斜めの方に手荷物検査を行う機械に添う形で藍色かつ白い線の入ったのを着帽している警備員らしい空港の男性と、カッターシャツを着込んだ同じ藍色のスカートと、上のほうにタンクトップみたいなのを着ている女性が他愛ない話なのだろうか話をしている。まだ周りには誰も来ていないようだし同時に窓口にも人も見られないから、そのせいでこの二人の存在が自分としては気になるのかも知れない。

時々、宮崎空港の出口辺りから太鼓を叩いた音と鈴の音がホールの奥辺りから聞こえ、それが空港内を包み込んでいる。

他に見られるものと言えば目の前を行き交う人達。それもさまざまで小さい車の付いた長立方体形の鞄を肌色の大理石の上に転がしながら引いて歩く人もいれば、紙製の手提げ袋を左手に持ち、もう片方には彼女自身が旅行発自宅から持ってきたであろう赤い手提げ袋を持ち、肩には皮風のビニール製ショルダーバックを身につけている。服装は至って派手でな色の模様であり、その模様柄が辺りにぎわせているようにも見てとれる。靴は黒いヒール。こういう女性の場合は時々上着に灰色のブラザーを着込んでいる人もいる。

それから10分後過ぎただろうか、色々な人達と周囲の様子を見渡すのも飽きてきた。そこで辺りを散策しようと思っただが、ここで先ほど辺りを見渡した正反対側も見ようと思い、そちらの方向に行くのだが、何か面白そうなものが見あたらない。というより地元の空港なものだから目新しく面白そうな物を普段から目にしているからなのかもしれないが、今日は沖縄旅行出発の輝かしい第一日。ここらの様子を見るよりも今は行った先の方で、この気持を発散させようと思った。

30分後航空券を手に手続きを終えた後、発着前の待合室へ行こうとした為、手荷物検査を終えた後に指定された番号の搭乗口で待つことになった。この搭乗口に入れる時刻はいつ頃だろうと現在手にしている券に明記された時刻に目をやると午前11時15分と書かれている。まだまだ待つ時間があるだろうと腕時計の方を見ると現在時刻は10時40分。この数字を見たとき、やはり見なければ良かったと正直思った。

 

搭乗口前待合室/午前11時15分。
準備ができたとのアナウンスが聞こえた。と同時に、辺りで座っている人達が席から一斉に立ち上がった。ここにいる人達の多くは、この機に乗るのだろうと想像した。当たり前か同じ搭乗口の近くにある椅子に腰掛けているわけだから。その後、搭乗券を機械にかけ券の5分の1ぐらいのを受け取ると機内に乗るための梯子?架け橋?みたいな中を歩く。その中で時折左側に窓がある。そこに豊かな色彩のある飛行機が見えた。尾翼には明るい山吹色の太陽の存在が大きく感じられ、尾翼の下あたりにJal Fenix Expressというような文字が書かれている。確か以前JALだったかピカチュー(Japanese Nintendo POKEMON)の絵が描かれていたときがあったと思うが目の前に見えるこれというのは、それの地域限定版というところだろうか。自分がこれからのる機はANKだ。その時期にちょっと遅れた感じで、他のところがデジタルモンスター関連のをやっていたような気がする。

飛行機内。
券に書かれている自分の席に着席すると自責は機内の一番右端だった。
その時丁度、左隣に座っている人と、ちょっとしたきっかけで話すことになった。沖縄先で何処に向かわれるのですかというところから話が始まった。以前にも沖縄に行ったことがあるというので、このご婦人の話を深く聞いてみることになった。この人によれば当時15年前の沖縄というのは海はどこにいっても澄みきっており、海の底の方まで見えたそうだ。過去に軍が設置されたいといところの崖っぷちみたいなところが特によく綺麗に見えたそうだ。これが今日どうなのかは、これから行ってみないと分からないが教えてくれた。そうして話を終え、手にあるモバイルを使用しているときスチュワーデスから直に「上空にてご利用下さい」という勧告がきたので、これの電源を切ることになった。

再び電源投入開始。
離陸時、自分が座っている席は幸運なことに一番右端であり、飛行機も右側へゆったりと迂回したので青島がよく見える。そこから奥のほうの左手辺りに白い何かが浮かんでいるのが見えた。最初は海に捨てられたゴミかと思い、何て大きなゴミなんだろうと思ったが、中には白い尾を引いているのも見られるから、これは多分船だろう。そのなかで白い尾を描いていない白いのは乗船客が釣りか何かをして楽しんでいるのだろうと想像した。他にも、そういう白いものが海に浮かんでいるのだが、なにかがあるのか集まっている船らがあるのが見受けられた。その時「宮崎の海も綺麗じゃないか」のいうような声も聞こえたが、今もなおこの白いのが窓から見られる。これがさっき思った船であろうという予想が本当であろうと祈るしかないように思った。

上空飛行機内/午前11:30。
弁当の包みの入ったビニールと、それを開ける紙を破く音、弁当とものと思われる食欲を注ぐ香りが機内を満たしている。
早速自分も周囲の雰囲気に便乗して自分も弁当の包みを開けることにした。この中には卵焼き、鮭、かまぼこ、梅干し、肉じゃが、空揚げ、こんぶ、キャベツ、千切り、カイワレ大根、からあげ、ミニトマト、白米に黒いゴマがまぶしてある、のだった。
味はまあまあ、濃い味でも無かったし薄いわけでもない。

上空飛行機内/午前11:47。
シートベルトサインが消えた。それから機内アナウンスが入ったがパイロットの声なのかは分からないが声が機内の音、機械音または外の風の音が声を遮ってしまっており、それが何と言っているのか聞き取れなかった。でも乱気流、トイレ、シートベルトという単語は聞き取れたから、乱気流などの振動などがあるかもしれないからトイレなど必要な時以外はシートベルトを外すなというような感じだろうと勝手に解釈した。
右側の窓を覗き込むと下の方に真っ白な雲が見える。自分が座っている前の席の背にある物入れに先ほど食べた弁当と茶がひとまとめに入ったビニール袋、そしてB737-500と藍色の太字書かた下に赤字で書かれている「安全のしおり」と、抹茶色のゲロ袋(そうだと勝手に自分が思っている)。これは「屑入れやご気分の悪い時にご利用ください。(防水加工済み、再生紙使用)Waterproof Disposal Bag ANK」と書かれているからゲロ袋と思ってもいいだろう。そういや飛行機酔いをした子どもの気を晴らすために袋を膨らませる芸能人が中に入っている汚物に気が付かずに袋を膨らませ、子どもを驚かせようと、それを潰すのをテレビで見たことがあるが・・・今は想像しないほうがいいか。(笑)
話を戻そう。他にも「青空キャンバス」と書かれた「エアーニッポン機内情報誌 5 私の青空Vol.81 May 2001」。そしてANA Sky Shopと書かれた黄色いパンフレットがあった。この黄色いパンフレットにはご自由にお持ち下さいと書かれているがリュック内が嵩張るので遠慮した。

上空機内/午後12:12
後何十分かで着陸するとナウンスが入った。それと同じ報で那覇空港の天気情報もあった。
窓のほうを見ると雲が上の方にきていた。同時に日差しの強い光が窓から差し込んでくる。
これが沖縄の光か。
機内の廊下では新聞紙をもったスチュワーデスがこれを読まないか促すような仕草で辺りを歩いている。

上空機内/午後12:20
目を少しの間休めて、窓の方を見ると雲が下側に見えた。
そして同時に海に面した町が見える。同時に湾辺りが、鮮やかな青緑色をしたエメラルドグリーンとも言える絶景的海が見える。

機内/午後12:27
着陸するとのこと。

機内/午後12:36
着陸した時に大きな倉庫らしきみたいな、でかい扉のある屋根の下に『海上自衛隊』と書かれたのが見えた。

那覇空港内/午後12:57
「めんそーれ沖縄。オリオンビール」という看板が空港内にあった。
近くにいる人に単語の意味を聞くと「めんそーれ」は「ようこそ。よくいらっしゃいました。」などというような意味らしい。
ホントかどうかは分からないが、とりあえず頭に留めておく。

守礼の門〜首里城〜/15:10
瑞泉門で写真撮影(写真は首里城公園内で撮影)。

那覇市内/17:00
ホテルに到着しバスに積んでいた荷物を降ろすと自分が宿泊する為の鍵を受け取った。近くにエレベータがあるであろう場所を探してそれに乗り、手渡された鍵番号を見ては宿泊する所定の部屋に荷物を降ろした。その後すぐさまホテル一階のロビー受付で近くにコンビニは無いかと、問い合わせるとホテルを出て付近の両側にコンビニがあると言う。
そこへ行きビールとつまみは無いものかと思いそこへ向かうことにした。

自分はホテル出て右側の方のコンビニに行くことにした。ロビーの人の話によると二つ目の信号付き横断歩道を渡り終えたところにローソンがあるらしい。そこへ行く途中に自分が今まで見たことのない信号機に直面した。それは横断歩道用の信号機の色なのだが二色の信号機の色が全く深い感じの青色と、従来の色の赤色というものだ。

今まで見てきた信号の色というのは、青っぽい、緑っぽい感じの色だったのだが、この信号機の色というのは全くの青色だ。他の歩道信号機はどういうものかと次に渡る歩道の信号機を見たが、他のは今まで見てきたのと変わらない。他のもそうなのかと一瞬思った。

その後コンビニに到着したとき思ったのは何処にでもあるローソン風コンビニだった。「せっかく沖縄に到着したのに何故コンビニ?」と思われるかも知れないが、全く知らない土地に来て何か欲しいと思うと、その商品は何処にあるかと考えるとき第一にコンビニという文字が浮かんでくる。
日本全国同じ店名で同じ食べ物を食べるマクドナルドの感覚に近い感じがした。
それはそうと思いつつ、その気持を一新し、店内はどうだろうと店内に入ると一番最初に思ったことは広いということだろうか。
ちょっと無理した立地条件の中、無理矢理コンビニという店内を当て込んだようなのとは違って、ここのローソンは、ゆったりしていた。
店内に入ったときに感じたのはローソン流のどこにでも見られる店内の色調。そういうなか気になったのがスパン列の幅だ。
サンクス、スパー、セブンイレブン、AMPM、ファミリーマートというような列のとりかたよりも通路の幅の取りかたなどが、ややゆったりしているように思えた。
そして同時に各スパンに置かれている商品の種類が少ないようにも思えた。これは恐らく商品を並べるとき、この店内が広いせいなのか、それとも今の自分の気分のせいなのか、そういうように感じがした。

そしてコンビニといえばお約束の分かりやすさと言ってもいい、店内入り口から奥の方にそれはあった。
そのスパンあたりからビール探す。どこにである様な商品が並ぶ。アルコールの入ったビールは、キリン端麗生。キリン一番絞り。アサヒスーパードライ。札幌ビールは無かった。
ここで驚いたのは見たこともないビールが置かれている。その名前を見るとORIONと書かれている。
銘柄を示す顔ともいえる印刷には太陽と月が描かれていた。これが空港で見た「めんーそれ沖縄。」と書かれたビールの看板のはこれのことだと思った。

ローソンで買い物を済ますと到着したばかりで何だが自分の好奇心がそうさせたのか、体の疲れはどこへやら、ここら辺りを散策することにした。
ちょっと歩くと、奥手の報に自治会館と書かれたビルが見える。とにもかくにも、ここら付近で面白そうなものは無い物か変わり種のものを探すことにした。

壁に貼られたポスターでこういうのを見つけた。『自衛隊沖縄地方連絡所●●●−5●57』あと、自治会館の前にある広い駐車場の門あたりに貼られた案内と思われる看板に『自治会館午前8時〜午後10時_但し駐車は午後8時まで_自治会館』というのがあった。付近には開南小学校を案内を促す看板があった。

あと,島尻群琉球団地から出たところにcityというお店を移動中車窓から発見した。何故その店に注目したかというと玄関先にあるドラゴンボールの主人公幼いときの青い胴着を着た悟空の絵があったからだ。その絵ばかり見ていても何だから、この店のウリは何かと辺りを見渡すとランチ650円と書かれていた。早速店内に入ろうと思ったのだが、意に添わないまま、そこを通り過ぎてしまった。あらら、写真を撮る暇もなかったよ。
他に驚いたのが、水色に白い文字で書かれた葬祭場店の看板。自分が知っている身近なものの色彩城の色の感覚といえば地味なものが多かったような気がする。

その後、宿泊先の自分に戻り部屋でシャワーを浴びて身軽な服装に着替え夕食を摂る。
それから部屋に帰りつきビールを飲んだ。これの自分なりの感想としてはアサヒスーパードライ程の細かい炭酸でもなく、かといってキリン流の「これがビールだ!」という感じの自己主張の強いビールでもなかった。
どちらかと言いうと自分の住んでいるところで売っていたサントリーのモルツに近いかなあと思えるもので、炭酸はキリン流。香りはアサヒ流の感じに思えた。ホップは、そこまで利いているのか利いていないのか、その加減の程は分からないが「ビールだったらこんなものでしょう」程の、アサヒとキリンの真ん中のような感じ。
キリン程のビール濃さは無いが、アサヒのような軽やかさでは無いように自分が飲んだ感想としてはそうだ。

本当はさっきの店で買ったツマミと共に飲むつもりでもあったがビールの味に集中して専念していたせいか忘れてしまっていた。今では鏡面の前で悲しく横たわっている。このツマミの為に明日もオリオンビールを飲んで酔いしれるのかと思ったが明日は明日の風が吹く、予定はあっても明日はどうなるのか誰にも分からない。

ホテルに定番といえるほどベットあたりに目覚まし時計内蔵のラジオが添えつけてあるから、それの電源を入れてみた。すると丁度アバンティーが放送されていた。この番組のコマーシャルに「事故車は絶対売りません」というのがあった。そのままベットに横たわることにした。

沖縄内/5月26日/20:58

ホテルから出て、またも散策する事にした。
その中に沖縄タイムズの建物の横にある木に縛られているポスターか張り紙か分からないが「ちゅーすが(わったー)うちなー」というポスターを発見。主催が「沖縄の自立を考える県民講座」実行委員会と書かれていた。ところで「ちゅーすがわったーうちなー」って何だろ?
この後、帰りにファミリーマートで色々買い、先程つけてたラジオからbugs_bunnyフェアをやるというのがあった。
この時すでに午後9時頃になってる。そのフェア開催場所というのは一体どこなんだろうと気になった。

ホテルにあるテレビのリモコンを触り、どういう番組があるのだろうとつけてみると海外の番組と思われる番組があった。
これは字幕もなく次々と話題が入ってくる。そんな放送局のチャンネルで何かSkyManとうタイトルのなかで日系人らしい写真が次々と表示され、それが書店で販売されていると感じにも受け取れるコマーシャルや戦争の話を墓の前で語る人生の大先輩の人が語る番組のが映っていた。

そんな番組が放送されているチャンネルを見てシャワーを浴びベットへ戻ると先ほどの放送番組を見ると、もうその番組は終わっていて、今は軍服を着た人物の多い中なにか調停らしきところに同じ様な軍服を着た人物が高台に立ち、何か真剣に話しているというのも見た。これは映画とかドラマなどのような雰囲気ではなく、なにか迫力というか、そこからくる何かがテレビを見て感じ取れるものだった。
これは他の人達と番組を見ていたら、とても冗談の言えるような感じの番組ではなかった。

こうしている最中時刻を見ると午後の9時頃になっていた。
もうこんな時間かと思ってテレビを見ていたが沖縄のテレビを見るためだけに、ここに来たのじゃないと気合いを入れ直して国際通りに行くことにし身支度を整えると、国際通りは何処かとホテルのロビーで聞いた。すると行き方を教えてくれたので、その話をもとにホテルからくり出すことにした。
その途中で色々面白いものが無いかと辺りを見渡すのだが、それがなかなか見あたらない・・・というか辺りはもうすっかり暗くなっており分かることと言えば夜の空にとけ込んだ雲を背景に更に真っ暗なビルが浮き彫りになったような印象を受けた。もちろん非常ライトなのかは分からないが、そういった最低限のライトや町の街灯は点灯している。この時自分が想像していた沖縄のイメージとは全くかけ離れていて、立ち並ぶ高層ビルに、どでかい銀行などが有り、辺りは途切れることのない車の量に圧倒されながら、「国際取りはまだかー!」と間違っても叫ぶことなく足をすすめることにした。
・・・・・そうして歩いて30分は歩いただろうか、なかなかそれらしい目的地に到着できない。
それからも更に歩いていると、ちょっとした登り坂を歩いていくと公園に差し掛かった。
(この時は辺りが暗かったせいもあり公園と、その時は思っていたが実際は県立那覇商業高校前あたり。国際通りへ曲がらず、そのまま直線した格好になる。)
ここでついに足を止めることになった。横にはバス停らしい時刻表がある。
いったい、いつになったら目的地に到着できるのだろうと前のほうを見てもそれは、繁華街と言えば繁華街なのかもしれないが自分から見たらビジネス街だと思いつつ座れる椅子を探すのだが、こういう時に限って見つからない。
(後日幸運なことに、ある親切な親子の話で自分が全く見当違いのところを歩いていたことに気がつき国際通りへ向かうことになる。だがこの時は絶望感しかなく途方に暮れていた。)

しょうがないから今来た道を引き返す形で帰ることにしたが何の収穫も無くこのまま帰るのかと思うと悔しいなってきた。だから、それに変わるのは無いかと思うのだが一向に見つからない。かといって何も無かったでは話にならないから「せめて」何かちょっとした変わり種みたないなのは無いかと付近を長い間歩き回った。さすがに足も痛くなってきたのだが、それでも、これと変わったものが無いから、途方に暮れつつホテルへ帰ろうと沖縄銀行本店前のほうで何かしら音楽が聞こえる。音のするほうを見ると、何かちょっとした人の集まりが、そこらにできていた。それに近づいて見るとビルの傍らでギターを弾いて歌っている人達を見つけた。
この辺りはこれを聞くためなのか少し人のが集まっていて、しゃがんで聞く人もいれば、近くモスで買ったであろう食べ物を食べながら、ここで足を止めて聞いている人もいた。なんだか、自分がの住んでいる町と同じ様な感じを受けて、先程までの気持がほぐれたような、何かほっとした様な気持になった。

沖縄旅行第一日目終わり

 


 

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