このホームページは南九州、
宮崎県日南市飫肥
(みやざきけんにちなんしおび)
鹿児島県曽於群大隅町
(かごしまけんそおぐんおおすみちょう)、
宮崎県北諸県郡山之口町
(みやざきけんきたもろかたぐんやまのくちちょう)、
で執り行われている祭り『弥五郎どん』を掲載しています。
内容は主に、「弥五郎どん基礎知識、現代祭時資料、現代祭時風景、歴史的な古文献、絵画資料」を掲載しています。
掲載目的はより沢山の人へこの祭りを知ってもらいたいことと、私自身(このホームページの制作者)もファンだからです。これの祭りをもとに、地域の人達という、ごく平凡な人達の範囲で、より多くの国の方々と交流すること、そして祭りは、多くの人と地元の人達のものであるのを強く主張するのが目標であり目的です。
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弥五郎どん基礎編 |
「弥五郎どん」とは日本の南九州で行われている祭りです。
これは毎年(新暦)十一月三日に行われています。
『弥五郎どんゆかりのものにふれると、
一年を無病息災で過ごせる
[宮崎日日新聞より]』とも言われています。
また、これは大人伝説(※1)のひとつとも呼ばれています。
左の写真は宮崎県日南市飫肥(おび)
三男の弥五郎どんです。
地域それぞれに特徴がありますが、これらの共通の特徴を考慮してか、
現在は人系列伝説の大人(おおひと)伝説、または巨人伝説として取り扱われています。
この巨人伝説は、ちょっとした面白い説があります。
それは「地元でたくさんの人達が死んだ霊を慰める行事」という説があります。でも伝説は、それだけではありません。
「農作生産上の儀式」というのも存在します。
色々な伝説と話が各地に存在しているので、
それら、ひとつひとつがとても興味深いものです。
右の写真は1999/11/3に行われた
鹿児島県岩川の「次男の弥五郎どん」の人形です。
話の行く末は、それが伝説だと言ってしまえば終わってしまいます。
伝説という言葉そのものが、そういう存在なのかも知れませんが、これだけは、はっきりと言えます。当時日本も、裕福ではないものの、
人々は愛と情熱で精一杯生きてきた証拠だと思います。
これは私たちの身近な歴史として、とても大切なものです。
右の写真は鹿児島県岩川の次男の弥五郎どんです。
祭りが行われている場所
現在「弥五朗どん」祭りは、
無形民族文化財のひとつでもあります。場所は日本の九州南部の3カ所で行われています。
これら3つを説明するものとして地域の人々の話では、それらは兄弟として認識されていたりします。
その話では、宮崎県北諸県郡山之口町が長男、
(地図では「山之口」と書かれています。)鹿児島県曽於(そお)群大隅町が次男、
(地図では「大隅」と書かれています。)宮崎県日南市飫肥(おび)が三男
(地図では「日南」と書かれてます。)できるだけ分かりやすいように、
地図の色と、説明する文書と色が同じにしてあります。
それぞれの人形の特徴 宮崎県山之口町富吉の円野神社(日高広野宮司)にある行列で使われる人形の特徴は、
体が竹を組み合わせて麻を着せています。
山之口町の長男の地元の評判は、
「当時の弥五郎どんは、かなり飲んべえで、賭事が好きだった。」
という話があります。
その為か、この人形は質素に作られています。
鹿児島県曽於(そお)群大隅町の岩川八幡神社に保存されている人形の特徴は、
腰には木彫りの白い面を付け、
腰に大小日本の刀を差しています。
また、3つの人形の中で一番背が高いのも特徴のひとつです。右の写真は、鹿児島県曽於(そお)群大隅町にある弥五郎どんの銅像です。
宮崎県日南市飫肥(おび)の田ノ上八幡神社では
末っ子である人形は赤い面を付け白髭をたくわえています。
左手には刀、右手には槍を持っています。
次男と違い、この人形には腰には付けていません。
また、三男の人形は7mと大きく引くことが困難なため、それよりも小柄な人形を使用します。
より具体的な神社写真はこちら左の写真は、宮崎県日南市飫肥(おび)の田ノ上八幡神社。
祭時の弥五郎どんの広報活動など |
岩川には「弥五郎もち」があります。どこにあるかは、周りの人に聞いてみて。岩川の人達で親切に教えてくれない人はいません。町並みを楽しみながら探すのも通かもしれません。
飫肥に行ったなら「飫肥天」を食べてみて。とくに揚げたてが美味しい。飫肥天を買いに、遠くから来る人もいるぐらいです。お店によって味が違うから、食べ巡りをするのも良いかもしれません。
祭時の弥五郎どんの動き |
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1.町中を巡る
岩川では「浜下り」と呼ばれています
おばあちゃんの見上げている、その姿が
その人形の大きさを物語っています。
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2.格闘会場広場で町の勇士をご回覧
弥五郎どん隣では空手などの試合会場が。
左同時に家族単位の写真撮影が始まる。
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3.その時の様子
馬に酒を飲ませて、リズムある音楽をかけると、
面白いもので踊ります。馬も踊るのですね。
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4.神社へ移動 時間経過は左から順に経過(この間約4秒程)
神社へは、かなり急な上り坂になっています。
弥五郎どんは、
とても大きく重いので
一気に駆け上がらなくてはなりません。
この写真は、その時の迫力を撮影した物です。
5.神社に到着
ひき手の休憩後、人形を正面に向けます。
〜昔の弥五郎どん開催時文献より〜 |
的野正八幡宮(当時呼名)
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円野神社(現代呼名)_
的野正八幡宮(当時呼名)の
当時の弥五郎祭り縮小画像をクリックすると拡大されます。
『三國名勝図會から抜粋』『彼大人隼人記にいへる弥五郎は、川上梟帥取石鹿文(とりいしや)を伝へしにや、野口村枝(えだ)之宮は、隼人の四肢を分ち埋めて祭り、或は大人弥五郎の四肢を分ち埋めて、緒所神に崇む、其霊を宥る所と云、鼻面(はなづら)川は其鼻を埋め、福島村は其弓を埋し所などと云、今山之口的野(まとの)八幡宮浜下に、大人弥五郎といへる人形を製し、行列の先に推し、是隼人征伐の故事といひ伝へ、末吉八幡の浜下にも、大人弥五郎あり。白尾国柱曰、市成の双子(つか)・桜島の竃等、皆弥五郎蹟の伝へありと。』 『三國名勝図會から抜粋』
〜情報をお持ちの方他、ご協力お願いします。〜 |
今をもってなお、この弥五郎どんを調査中です。
ご協力の程をお願いいたしますどうか、何か新しい情報をお持ちの方は
下記メールへご連絡をお待ちしております。
〜情報をお持ちの方他、ご協力お願いします。〜 |
あなたも探検隊員やってみませんか?
休日など空いた時間などを使って、弥五郎どん関係を話したり、調べようという企画です。
あくまでも趣味としてでの活動ですので、見返りなど一切ありません。
募集範囲は、資格や年齢性別なども、全く問いません。「我こそは!」と思われる方は
※住所番号や電話番号などは一切いりません。
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