書庫
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  「よう、楽俊。わざわざ此処まで来てもらって悪いな」
 いつものように、迎えにきてくれた趨虞のたまに乗って、楽俊は此処玄英宮の外殿に来ていた。
 「延台輔」
 気軽な服装、気軽な態度――――見慣れたものであっても、苦笑を禁じ得ない。
 王を選び、王のために在るモノ――――それが麒麟である。その麒麟と自分が仲の良い間柄だとは、今だに楽俊は不思議に感じる。王や麒麟のお姿など、一生に一度見れれば僥倖なのだ。見れない者のほうが断然多いのだ。だが隣国の慶国女王を奇妙な縁で助けたために、楽俊は王の友人を持つこととなった。喜ばしいことなのだろう、本来ならば。半獣とはいえ、官になりたいと考えていたのだから、王自身につてができるなど、諸手を挙げて歓迎すべきことなのだろう。
 しかし、楽俊はこの奇妙で愉快な出会いをそんな風には考えたくなかった。
自分の将来とか関係なく、普通の友人として考えたかった。そう、身分さえ超えた友達として‥‥。
 (こういう考えも、王によっちゃ失礼なんだろうけどな)
 浅い笑いがつい浮かんでくる。
 楽俊は鼠の半獣だ。半獣は、通常人として扱ってもらえない。半分獣なのだからと、冷遇されるのが常だ。それなのに、隣国の王とはオトモダチで、留学中の雁国の王と麒麟とは、親しくしてもらっている。
 ふと、楽俊は考えるときがある――――もし、あの時陽子と出会わなかったら自分はどうなっていただろうか、と。
 あの後、塙麟は失道し、塙王は斃れた。王が斃れれば、国には妖魔が溢れる。今思えば、陽子と楽俊が出会った頃の巧国は、既に傾いていたのだろう。あのまま、巧国にいれば妖魔に殺されていたかもしれない。母と一緒にいれたかどうかわからない。
 運命は時として予告もなく急に廻りはじめる。ちょうど、3年前のあの時が楽俊にとっての「運命の歯車が動き出した」時だったのだろう。
 「確か、こういうのをなんていったっけなー。陽子が教えてくれた蓬莱の言葉で‥‥‥」
 「どうしたんだ?思い出し笑いなんかして」
 不思議そうに自分の顔を見つめる延台輔の視線に気づき、慌てる。
つい延台輔の前なのに、意識を飛ばしてしまった。
 「すみません、延台輔。おいら、ちょっと考え事してて」
 小さな手をぶんぶん顔の前で力一杯振る。慌てたときの誤魔化し方なんてどこの世界でもおんなじだ。
 「陽子がいってたんだ、楽俊の手のひらは紅葉みたいで可愛いって」
 楽俊の言葉を遮るように、じぃっと、左右に動く楽俊の手を見つめながらいう。
 「は?」
 「いや、だから、楽俊の手のひらが可愛いって」
 「えι」
 「ま、それはいいとして。今日は尚隆が用事があってわざわざこんなとこまで来てもらったんだもんな、わりぃ。
尚隆んとこまで案内するぜ」
 「あ、はい」
 そうだった。今日は、延王から頼み事があると玄英宮に呼び出されたんだった。
 つい本来の目的を忘れるところだった。らしくないなぁと声に出さず呟く。
 外殿をでて、くねくねと無意味に曲がった通路をいく。
 幾度となく玄英宮にお邪魔した楽俊だったが、こんな路は初めてだった。
 「延台輔。どこにいかれるんですか」
 いつもなら、行き先に口を挟まない楽俊も、ちょっと不安になったらしい。
 延麒は楽俊を軽く振り返って、にやりと笑った。そして、そのまま歩き続ける。
 楽俊はちょっとぞっとしなかった。
 (‥‥‥‥なんかいやな予感がするなぁ)
 全身の毛がじっとりしてくる気がする。
 それから十数分歩いただろうか。ぽてぽてと、歩幅の小さな楽俊だから歩くのに時間がかかってしまった。延麒はわざとゆっくり歩いてくれた。こういう心遣いが嬉しい。
 「ついたぜ」
 そういって、延麒は左の親指を立てて前にある扉を差し示す。
 それは大きな扉だった。大きいというか――――しっとりと湿気を帯びた木が持つ特有の色をしたドデカイ扉だった。
麒麟の姿が浮き彫りに彫られていて、そこだけ、少し濃い茶色をしている。麒麟の回りには、見たことのない文字が縦に連ねて書かれてあった。
 「‥‥え、延台輔。こ‥‥‥こは」
 「ま、なんだ。この中に頼み事があんだ」
 呆気に取られた楽俊を尻目に、延麒はどかっと扉を蹴った。
 「え、延台輔!?」
 「おぉーい、尚隆!開けてくれーー」
 扉が、内側へゆっくりとぎぎぃっと古めかしい悲鳴を上げながら開いた。そこから、湿気たっぷりのかび臭い空気がふたりを襲う。
 楽俊は、あんぐりと口を開けた。
 巨大な扉の中には、尚隆の背丈をゆうに超えた高さにまで積まれた本の山があったからだ。
 「‥‥‥」
 「お、よくきてくれたな、楽俊」
 右の扉の影から、いつもよりももっとくだけた――――正直にいえば、町男程度の服装をした尚隆が煤で顔を真っ黒にして出てきた。
 「延王‥‥様」
 楽俊が呆然としてしまうのも無理はない。
 「いったい‥‥」
 「どうだ?すごいだろう」
 尚隆は両手を腰にあてて、ふんぞりかえった。
 「なあに、やってんだよ、尚隆。お前が威張るもんじゃないだろ」
 呆れを隠しもせず、延麒は尚隆をどついた。
 「痛いぞ、六太」
 「痛くしたんだから、当然だろ」
 このまま続くと、ふたりの掛け合い漫才になってしまうことは自明の理だったから、楽俊はいつものごとく、ふたりの間に割って入った。普通なら、王と麒麟に一介の大学生風情が、そんな態度などとってよいものではなかろうが、楽俊にとって、それはもう手慣れたものだ。出会って三年。しょっちゅうこれじゃ、慣れるのも当然だろう。
 「延王、延台輔!おいらを呼んだのはご用があったからでしょう!」
 短い腕を左右に広げながら、牽制する。
 その声を聞き取って、雁国主従は、ぱたりと掛け合いをやめた。
 「そうだった。すまんな、楽俊」
 「わりぃ、うっかり、いつもの調子で」
 「〜〜〜おふたりがこういう人達だって、十分わかっているんですけどね。‥‥‥玄英宮の人たちって、大変だなぁ」
 「楽俊‥‥ついに、そんなことまでいえるようになったか」
 にやりと延王は笑う。
 「最初は、立場の違いにおっかなびっくりだったのというのにな」
 延麒も笑みを浮かべる。
 「延王も、台輔も、おいらとは別世界の人ですよ。そんなことわかっちゃいるけど、おふたりだけに付き合っているときは、別です。畏まっていちゃ、おさまりがつかねえって、学んだんです」
 尚隆と延麒は顔を見合わせて、ぷっと噴き出した。
 「それもそうだ」
 「それで、おいらにご用というのは?」
 「ああ、この中の書物なんだ」
 「書物?‥‥‥まさか、これを片付けろという‥‥」
 そういって、楽俊はちょっとぞっとしなかった。楽俊の背丈の――――鼠の背丈だが――――ゆうに数倍はあろうかという高さの建物だ。その奥が見えないくらい大きな部屋一杯に埋った書物を片付けろなんて、いくら本が好きな楽俊でもできっこない相談だ。――――全部読めというのならまだしも。
 「いやいや、違う。流石に、これを片付けろとはいわないが‥‥‥そうだな、似たものかもしれん。
楽俊には、この膨大な書物のなかから、ある巻物を探し出してほしいのだ」
 「巻物」
 「そうだ。今朝からがんばってみてるんだが――――どうにも見つからん。俺も、装丁なんかはうろ覚えだし、あまり見つけ出す自信がない。なにせ、最後に見たのが三百年ほど前だからな」
 「は、はぁ」
 「俺も、探したんだぜ。でもこんなとこいたくねえから、やめた。そんで、楽俊がちょうど試験休みだって思い出してさ」
 「無論、無報酬ではない。報酬は、ここにある書物の貸出許可証だ。どうしても貸せない物もあるが‥‥‥。それは、勘弁してもらおう。
だが、どうだ?悪い話ではなかろう」
 楽俊はぼーっと視線を巡らせた。
 あまりにも大変そうだという気持ちと、許可証の誘惑に負けそうな気持ちとが入り交じって、楽俊は少々混乱していた。
 しかし、無意識に、いっていた。
 「お引き受けします」
 いってから、しまったと思ったが、もう遅い。
 「そうか、引き受けてくれるか。助かった」
 満面の笑みで答える尚隆の表情をみれば、どれだけ大変な――――逃げ出したい仕事かはわかる。まあ、尚隆がやりたくないのは、探すのが大変だからというだけではないだろうが。きっと、いつものようにどこかへぶらりと出かけたいのだろう。
 「期限はないからな、楽俊!時間がかかるのはわかってんだ。部屋を用意するから、玄英宮(ここ)に泊まってってくれ。必要なものがあれば、用意するからな」
 ぽんっと延麒が楽俊の肩を叩く。
 やっかいごとを引き受けちまったのかもしれねえな。
 そう心の中で呟いて、楽俊は髭を軽く動かした。



 ――――5日後。
 膨大な書物の山が、ごそごそと動く。その旅に、もわもわと白い噴煙が立ち昇る。
 「ぷはっ」
 山から生還したのは、白い埃にまみれて灰茶色の毛がまだらになったた楽俊だった。
 「ようやく見つけた‥‥‥」
 はぁーーーーと特大の溜息をついて、左手に握った巻物を眺める。
 「大変だったなぁ。でもいい本が沢山あるな、さすがに。どれもこれも読んでみたいものばかりだ」
 そういって、くるりと書物の山をてっぺんから見下ろす。
 「延王に知らせねえと」
 もぞもぞと書物の山を掻き分け掻き分け進む。まるで泳いでいるかのようだ。――――といっても、楽俊は海で泳いだことなどなかったが。
 時間はかかったが、なんとか脱出して、楽俊は重たい扉を押す。あまりの重さに開かない。鼠の姿のままでは、力が弱く、埒があかないと思った楽俊は、どうせ誰もいないんだしと人間の姿になって扉を開いた。鼠の時に服をあまり着ない楽俊は人間の姿になると、裸になってしまうからだ。
無事、鼠が通れるくらいの幅に扉が開いた。楽俊は、ひょっこり扉から顔を半分だけだして―――傍からみたらきっと怪しい人にみえただろう―――誰もいないことを確認する。
 鼠の姿に戻ると、巻物を両手でしっかりと抱えて、与えられた部屋へと向かう。そこには、連絡係が定期的にやってくるからだ。大抵連絡係としてくるのは、延麒ではあったが。
 ぽてぽてぽて。
 鼠の進む速さは、人のそれよりか遅い。
 かなりの時間をかけて、部屋まで歩いていく。比較的近い部屋を尚隆が用意してくれていたのだが、蔵書庫近くに人を泊めれる部屋がなく、結局、楽俊はかなりの距離を歩かなければならなかった。
 いくら半獣に許容的な雁国といえど、鼠姿のまま楽俊が宮を歩くのを好まない者も多い。ちらちらと好意的とは言い難い視線を受けながら、楽俊はぽてぽてと歩き続ける。
 (ま、いつものことだしな)
 陽子の景王即位の儀式の時に浴びた視線よりは余程ましなものだ、と楽俊は思う。巧国で浴び続けた視線よりも、きついものだった。どれだけ、慶国が半獣に辛く当たる国か身を持って体験した。慶国の禁軍将軍は、半獣だという。彼も辛いだろうが、陽子がいるんだからきっと大丈夫だと楽俊は確信が持てる。そんな自分に驚き、そして笑う。
 「半獣の住みよい国が増えるといいのにな」
 
 部屋に到着すると、光が見えた。
 「延台輔」
 上下に髭を揺らして、楽俊が声をかけた。
 「お、楽俊。休憩か?」
 延麒は、書卓の上に行儀悪く座って待っていた。
 「見つかりました」
 そういって、楽俊は右手に持ちかえていた巻物を軽く挙げて見せる。
 「見つかったのか!」
 ぱっと喜色を浮かべて、延麒は卓を飛び降りる。そして、楽俊の側まで駆け寄り、巻物を受け取る。
 「ありがとな、楽俊。これで、海客の手助けができるぞ」
 「海客の手助け?」
 今初めて、聞いた。
 「楽俊には、蓬莱の書物だとしかいってなかったな。これは、俺たちがここに来た頃に書かれたもんなんだ。
ひとりの海客がいて、そいつが自分でこっちの言葉を学ぶためにつくった、蓬莱の言葉で書かれた辞書まがいのものなんだ。だから、海客がこっちの言葉を覚えるのにきっと役立つだろうって思ってな。
陽子に相談を持ちかけられてだんだが、ふと尚隆がこいつのこと思い出して、探してたんだよ。
これで、少しは海客の地位向上に役立つんじゃねえかな」
 そういって、延麒は破顔した。
 「そう、だったんですか‥‥」
 自分が我知らずと陽子の手助けをしていたと知って、楽俊はびっくりした。そして、なんだか妙に嬉しくなった。
 「陽子は、自分が海客だから‥‥‥」
 「そうだろうな。神籍・仙籍に入った者は、言葉が勝手に変換されるから、どうやって教えたらいいのか判らねえ。その点、こいつを使えば、多少は海客も自分で勉強できるってことだ。
言葉が判れば、海客も仕事ができる。扱い方もちっとはましになるだろう」
 

 楽俊は、尚隆と延麒の要請を受けて、余った試験休みを利用して慶国へと向う。例の書物を届けるためだ。
 「陽子が、少しでも喜んでくれるといいだけどなぁ」
 陽子は今、どうしているだろうか。
 定期的に鳥をよこして連絡をくれるが、逢うのは久しぶりだった。
 陽子の顔を思い浮かべながら、楽俊は、ゆっくりと微笑むのだった――――――――。

 



狩夜ひびきさんのHPに「楽俊と六太」の御礼イラスト差し上げたのですが、そのイラストに小説つけていただきました〜♪

イラストは人型楽俊だったのですが、こちらの楽俊は獣型。
それが、とてもかわいいのですーー!!
管理人は人型楽俊を愛していますが(^-^;)、獣型楽俊もやっぱりかわいい♪と再認識。
だって、「紅葉のような手」ですよ!「紅葉のような手」!
うう!かわええ!!ふかふかしたーーいーーー!!(今は夏だけど(^-^;)

また、最後の陽子に会いに行くくだりがいいですーー!!
もう、楽v陽ファンにはたまらいですね。微笑む楽俊、かわいいーー!!
六太くんも尚隆さんもいい味だしてますし♪

狩夜さんありがとうございました!!

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