『孤独』
1.華菜(かな)
「ゆーたん、まって!!」
3つ下の妹が 僕の名を呼ぶ。
危なっかしい足取りで 後をついて歩く。
「華菜、おいで」
しゃがみこんで 両手を広げる。
飛び込んできたその体は、いつもの数倍熱かった…。
階下で料理の音がする。
「りゅーや、起きなさい。遅刻するよ」
姉さんの声。
「今行くー。お弁当、できてる?」
「自信作!」
胸を張って 姉さんが答える。
あまりにも自信たっぷりだったので、思わずからかってしまった。
「期待してないよ」
荷物と弁当を抱えて 家を飛び出す。
後ろから追いかけてくる 声。
「どういうことっ!? もうお弁当作らないわよ!!」
きっと 仲むつまじい 姉弟の図。
でも…楽しければ楽しいほど、俺は淋しくなる…
「今夜がヤマです」
暗い廊下に お医者さんの声が響く。
連れて行かれた 病院。
苦しそうな 華菜。
僕が異変を感じてから 3日も経っていた…。
「ゆーたん…ゆーたん…どこ?」
熱にうなされて 華菜が僕の名を呼ぶ。
手を握っていてやりたかった。
でも その場所は両親のもので。
「もう少し早ければ、あるいは…」
虚しく響くその声を聞き、8歳年上の姉に しがみつく。
「僕、言ったじゃないかッッ」
涙が止まらない。
優しく背中をなでる姉の手が 暖かかったのを憶えている…。
「龍、おっす」
クラスメイトの岡村 洋 が声をかけてくる。
「おっす…あれ、お前って…この時間、だったか?」
遅刻ぎりぎりの電車。
この時間に知り合いに会うことは…まずなかったのに。
寝坊でもしたのだろうか。
「ちょっと、な」
照れたように口を歪める。
視線の先には 一人の女生徒。
この先の女子校の…制服?
「ほぅ…お前の、彼女?」
一瞬にして頬が朱に染まる。
…分かりやすい奴…。
「ま…だ、だけど…」
握りしめた 一通の封筒。
それなら俺は いない方がいい。
満員に近い列車の中、俺は身をひねった。
「行くなよ…」
情けない声に、振り向いて言った。
「彼女、降りるんじゃないのか?」
次の電車に乗っても、遅刻確実。
洋ははじめからその覚悟だったのだろうが、俺はそんなことするわけにはいかない。
いかないってのに!!
「洋…腕、離せ」
意外と強い力で 人の流れに逆らい・・・最悪。
「俺ら親友だろ!?」
「ただの、クラスメイト、だ!」
そりゃ…
高校で出会った奴らの中では、一番 仲がいいかもしれない。
わりと、大ざっぱで、人のことをあまり気にしない洋の性格が、気に入ってると言えば、気に入ってる。
でも!
それとこれとは、別だろ!?
…なんて言ってる間にも 俺は強引にホームに降ろされて。
そこに呆然と立ちつくした。
そんな…遅刻かよ…。
何ていいわけ、するんだよ…最悪。
「りゅーや、戻ろう?」
お姉ちゃんが迎えに来た。
でも、戻れない、戻りたくない。
木にしがみついて、必死に抵抗する。
「ヤダ! 行きたくないっっ」
華菜の病室を飛び出したのには それなりの理由がある。
僕の名を呼ぶ、華菜の声を聞いていられなかったから。
それから…両親のそばに、いたくなかったから…。
「お母さんたちも、心配して…」
「ありえない」
途中で、遮った。
今は、華菜のことしか見えてない。
そして普段は…お姉ちゃんしか見ようとしない人たち。
そんな人たちが僕の心配なんて、するわけがない。
「でも…お姉ちゃんは心配だよ? りゅーやまでこんな寒い中…風邪引いちゃったら、どうすればいいの?」
目に涙をためて言うお姉ちゃんの前で、僕がそれ以上わがままを言えるわけもなかった。
「ごめんなさい…」
そうして、病院に戻るために歩きながら、問いかける。
「華菜、平気だよね? 明日になったら、また一緒にススキ取りに行けるよね?」
「そうよ。だって、りゅーやの妹でしょう?」
暗く長い廊下を歩き、病室のドアを開ける。
聞こえるのは すすり泣く声。
華菜の顔には 白い布。
足から力が抜けて…ぺたん、と床にしゃがみ込んだ。
「お前なんかに 任せとくんじゃなかったっっ」
母親の、悲鳴じみた叫び。
胸に突き刺さる…。
”僕、言ったのに…”
のどでひっかかった 想い。
外に出せなくて…息ができなくて…苦しくなる。
知らずこぼれ落ちた涙を、お姉ちゃんの指が拭ってくれた。
…お姉ちゃんがいれば、何もいらない。
5歳になったばかりの秋の日。
僕は 妹を なくした…。
「りゅーや。反省、してるよね?」
放課後。
呼び出された姉は、怒っていた。
校則の以上に厳しいこの学校では、よっぽどの理由がない限り、どんな小さな違反でも 保護者呼び出しの上、注意が与えられるのだ。
それを避けたかったからこそ、今まで遅刻なんてもってのほかだったのが…。
しかし、洋のせいにしたところでどうしようもない。
「りゅーや」
再度 問いかけられて、しおらしく肯く。
「ごめんなさい…反省 してる」
「沢木君」
学年主任に呼ばれる。
「はい」
「今までに一度も遅刻をしたことのない君のことだ、何かよっぽどの訳があったのだと思うが。以後、気をつけなさい」
彼は、退室を促した。
「申し訳ありませんでした」
姉さんが、頭を下げている。
俺の…為に。
…困らせたくなかったんだけどな…。
本当、反省してます…。
校門へと並んで歩きながら、沈黙が続く。
はぁっ…気まずい…。
「ねぇ、りゅーや。明日から、もっと早い電車で行ったら?」
姉さんが切り出す。
でも、とんでもないっ!
「そんなことしたら、朝ご飯食べられない…」
「早く起きたらいいじゃない」
「姉さんだって、大変になるんだよ」
なんて…。
俺が、少しでも一緒にいたいだけだけど。
「じゃあ、もう二度と呼び出されることはないって思って、いいね? もし、次があったら…もう、お弁当は作らないから」
そんなっっっ!!
「俺に 餓死しろって?」
姉さんの手料理は、天下一品。
…というか…それ以外、口にするのも苦痛なのだ。
もちろん、精神的なものだって、分かってはいるのだが…。
「今朝、何か聞こえたんだけど。あれは何だったかなぁ?」
…えっと…
「そんなの、冗談だって分かってるだろ? 俺が姉さんの料理、一度だって残したことあった?」
あるわけないって。
「分かったわよ。ねえ、買い物して帰ろう。冷蔵庫の中、空っぽなのよ。荷物持ち、してくれるんでしょう?」
「もちろん!」
喜んで…ってね。
2.葉菜(はな)
華菜がいなくなって 5年。
僕はまだ、忘れられない。
”ゆーたん…どこに行くの? ひとりにしないで…”
苦しそうな息の下の…華菜の声。
病室を飛び出す前に聞いた 最期の…。
それなのにっ!!
「りゅーや、バイバイ。いつでも遊びにおいでね」
お姉ちゃんは 僕を残していってしまうんだ。
「どうして!? ねぇ、なんで僕をおいていくの!?」
ダイガクに行くって。
「ごめんね…でも、5年経って、それでもりゅーやの気持ちが変わらなかったら…。お姉ちゃんの所においで。そこから高校に通えばいい。…だから、がんばって勉強しなきゃだめよ?」
5年…?
「でも、お姉ちゃん、ここにもどってくるんでしょう…?」
ダイガクって、4年間…だよね?
「お母さんたちには、内緒よ? お姉ちゃん…ここには、戻らない。だから、りゅーやが来たければ…」
ウィンクして。
真っ暗だった行き先に 光が射し込んだ気が…した。
「ナイショね! …僕、がんばって勉強する」
「よしっ! じゃ、がんばってね」
その後は、悪夢のような日々。
あの5年間は…思い出したくない。
両親の愛情を受けていた姉がかばってくれていたそれまでとは違い、怒りがまともに向かってくるようになった。
…なぜ、自分ばかりが…。
そう、思わなかったわけではない。
すべての答えは、ただ一人の男に、隠されていた。
”荒田 弘二”
遺伝子上の、父らしい。
婦女暴行の、常習犯。
僕がそれを知った頃にはすでに、交通事故でこの世を去っていた。
…さげすむのなら、生まなければよかったのに。
けして言葉にはできない、想い。
生んだのなら、せめて平等に扱ってほしいのに…。
誰も何も言葉にはせず、時は過ぎた。
それを、暗黙の了解、と、人は言うのだろう。
とにかく。
お姉ちゃんが就職活動を始めるに当たり、初めて両親は、姉に反対、した。
自分の側に置いておきたかった、と。
お姉ちゃんの決意が固いのを見て、まず父が認めた。
そして1年後…。
高校受験。
もちろん、意志の変わるはずもなかった僕は、姉の所へ行くことに決めていた。
志望校を両親に話した。
当然のごとく反対される。
母親の言い分は、
「お姉ちゃんの邪魔を、しないでちょうだい!」
と、言うことだった。
返す言葉を失ったとき、父親が言った。
「ここより、葉菜の所にいたいんだろう?」
一瞬、期待 した。
分かってくれたのか…と。
「父さん…」
でも、それは間違いだった。
「その方が、お互いのためかもしれんな」
深い意味は、ないのかもしれない。
でも、その一言は、心をえぐった。
もう、分かってもらおうなんて…思わない。
「じゃあ…お姉ちゃんの所に行っても、いいね?」
渋々うなずく母親を後にして、僕は部屋にこもった。
約束の、5年が過ぎようとしている。
その間に 何が変わっただろう。
心に鎧をまとうことで 辛さから逃避する術を身につけたことくらいだろうか。
お姉ちゃんはこの家に戻らない。
…唯一の理解者のもとに、僕は逃避する。
僕も、二度とここには…戻らない。
「龍、昨日ごめんなぁ」
どうして、またこの電車に乗ってるんだろう。
「…おかげで餓死するところだった。…何でお前がこの電車…」
洋の斜め後方に、女の子。
うまくいったのか。
「紹介、してくれないのか?」
訊ねて、会釈を彼女に送る。
「お前って…目ざといよなぁ…」
「ホメ言葉、だろ? それ」
悪びれなく言う。
…つい観察してしまうんだよな…。
「で、この子 昨日から俺の彼女。吉田 霞さん」
…軽く頭を下げる。
「初めまして」
「違います。私、沢木さんにお会いしたこと、ありますよ」
え…?
「龍、お前…」
洋の顔が、不審に陰る。
「どこで?」
おぼえて…ない。
「ここ、おぼえてないですか?」
彼女は俺の頬を 指さした。
「…あ」
そういえば…。
「えーと…去年の、冬?」
「そう! あ…もう降りなくちゃ。じゃあ岡村クン、放課後ね」
あのときの彼女か…。
懐かしいね。
「お前…霞ちゃんといつ会ったんだ!?」
「だから、去年の冬」
…忘れてくれればいいのに…。
「そうじゃなくて!」
「あ、降りるぞ。また 遅刻する」
適当にはぐらかして 走り出す。
だって…言えるかよ。
女の子振ったときに、横にいた友達に叩かれた、なんて。
もう会うとは、思ってなかったんだけどな…。
「りゅーや よく来たね! なにか食べたくない?」
駅まで迎えに来てくれた姉さんが、聞いた。
少し考えて、答える。
「姉さんの手料理」
それ以外なんて、欲しくない。
姉さんの手料理以外は、何の味も感じない。
それは時には吐き気すら催すほど、体が拒絶反応を示す。
だから…俺の栄養状態は、非常に不良で…。
その状態での入試は、かなり辛いものがあったが、姉さんに会えることを励みにがんばり、無事に合格したのだ。
「りゅーや、やせたね」
ドキ…とした。
「受験疲れ」
ボソッと答える。
心配…かけたくない。
「お姉ちゃんが太らせてあげるわ」
「せっかくスリムなのに…」
冗談めかして言ってみた。
「もう少し肉ついてたほうが、女の子にモテるわよ」
「別にいい」
何も考えずに即答すると、姉さんが足を止めた。
「何? どうかした」
不思議に思って振り返る。
「りゅーや、まさか…同性にしか興味がないとか…??」
「へ??」
頭が真っ白…。
どうしたら、そんな結論が…。
「姉さんっっっ!!」
言われたことを理解すると、頭に血が上ってきた。
きっと、真っ赤な顔をしていることだろう…。
姉さんは笑って逃げ出した。
「ごめん。悪気はないのよー」
あったら、困る。
「このままでも モテてるよ! そういう姉さんこそ、どうなのさ!?」
「んー? こんな手のかかる弟がいるのに、お嫁には行けないでしょ?」
…ごまかされた気がする。
それでも。
俺が手のかかる弟でいる限り、姉さんはいてくれる?
まだ…行かないで。
俺を一人には、しないで…。
「龍の姉さんって、美人だよなぁ」
昼食の時に、洋が言う。
…相変わらず美味だ。
一粒たりとも、残せない。
頭の中には姉さんのことしかなかった。
まわりの会話は、聞き流している。
「そうなのか?」
だから、話しかけられても、うるさいだけ。
邪魔するな。
「おい、龍」
しつこいな。
もうすぐ食べ終わるから、待ってろ。
最後の一口を飲み込んで、顔を上げる。
手を合わせて、心の中で ”ごちそうさま” 。
「で? なんだって」
洋が改めて、言い直す。
「お前の姉さん、美人だよなって」
そうか…。
こいつ、昨日見てるから。
誉められるのはうれしいが、彼女の話はしたくない。
姉さんは、俺だけの姉さんなんだから。
「それより霞ちゃんの方がかわいいだろう?」
話をすり替える。
一緒に弁当を食べている連中はまだ知らなかったようで、当然その話に飛びついた。
根ほり葉ほり聞かれて困惑している洋の様子をはたから眺めていて。
それでもこいつは 幸せそうじゃないか…と思った。
そして一段落した頃。
洋が思いだしたように言った。
「一年前、何があったんだ?」
―――…ヤブヘビ。
しかも、こいつらの前でか?
…聞き出すまで…逃がしてくれそうも、ない。
ジタバタするだけ、無駄だ。
あきらめて、口を開く。
「…叩かれたんだよ。霞ちゃんの友人を、振って」
情けねー…。
思った通りの爆笑。
勝手に笑ってろよな。
でも、彼女を作る気には、ならない…。
3.洋(よう)
「お前、どこの中学?」
入学式の日、クラスメイトに話しかけられた。
友達、作る気はなかったので 冷たくあしらう。
「県外から来てるんだ」
学校名を言ったところで、知らないだろ。
そんな気持ちを込めて、短く答える。
分かったら、あっちへ行け。
友達なんて、いらない。
自分を追いつめるだけじゃないか。
強い面だけでつきあわなきゃならない友人なんて、必要ない。
「えー、一人暮らし?」
鈍いのかなんなのか。
冷たくされていると、気づいてないわけじゃないだろうに、彼は言葉を重ねる。
無視すればいいのにできず、机上のプリントから目を離さずに、答える。
「姉さんと二人だよ。気が済んだら、向こう行けよ」
近くに来るんじゃねーよ。
でも、そいつは去ろうとしなかった。
「姉さんと二人?」
オウム返しに訊かれる。
”…どうしてだ?”
好奇心に彩られたそんな声が聞こえた気がした。
もう一言だって話すものか。
決心した矢先に、そいつが言った。
「うちは兄貴と二人なんだ。交換してくれない?」
なっ…。
「とんでもない!」
顔を上げてそいつを睨み付ける。
「やっと見てくれた。俺は 岡村 洋。太平洋の、洋。お前は?」
やられた。
苦笑して、答える。
「沢木 龍也。よろしく」
差し出された手を、握り返した。
入学早々、話す相手ができるなんて、思いもしてなかった。
洋に頼まれて、霞ちゃんの待つ駅へ、急ぐ。
「あ…れ? 沢木さん、どうして?」
目ざとく俺を見つけた彼女が、近づいてきた。
「あいつね、居残りだって。今日はごめん、て伝えてくれって頼まれたんだ」
彼女は気落ちした様子で呟いた。
「そっか…それじゃ、仕方ないね」
「あのっ」
帰りかける彼女を呼び止めた。
自分でも無意識の行為。
「何?」
聞き返されて、焦る。
何、言おう…。
「えっと…。友達、元気?」
名前はもう、忘れてしまった。
…忘れたわけではなく、初めから覚えてもいなかったのか。
…ヒドイ奴だよな。
「気にしててくれたんだ? 早苗かわいいから、モテてるよ。…つきあおうとはしないけど…でも、大丈夫。心配しないで?」
つきあおうとしないのは…俺のせいだろうか…。
「そ…か…」
気まずいや。
言わなきゃよかった。
「あの、気にしないで下さい。早苗のタイプがなかなかいないだけですから」
…だと、いいんだけど…。
「ところで、どうして敬語使うの? 同じ学年、だよね?」
岡村は、クン、なのに 俺はさん付けだし。
「…早苗がね、そう言ってたから…。うつっちゃった」
「いつか、会いたいな」
口からこぼれた言葉に、深い意味はなかった。
すべて中途半端なままで…。
俺は一体何をしているんだろう。
原因は、一本の電話。
いつもより少し遅れた 帰宅直後になったベル。
「りゅーや、出て?」
油の音。
あわてて受話器に手を伸ばし、耳に当てる。
「はい、沢木です」
「龍也なの? 葉菜とかわってちょうだい」
―――…3ヶ月ぶりに聞く、母親の声。
それだけ?
仕方ないか。
こいつらは、姉さんにしか用がないんだから。
「今、かわる」
保留にして、姉の元へ行く。
「母さんから。俺、やってるから」
菜箸を取り上げ、受話器を押しつける。
「りゅーや、話すこと、ないの?」
遠慮がちに訊かれて、困った。
「向こうが、ないだろうし。話したく、ないよ…」
…さっきのだけで、十分だ。
きつね色に揚がった唐揚げを見ながら、耳を澄ます。
姉さん、イヤミ 言われてないよね?
受話器を置く音。
…盛りつけしようかな。
姉さんもすぐ来るだろうし。
思った直後。
再び呼び出し音が響いた。
「はい、沢木でございます。…あ、松尾くん?」
”松尾くん”?
誰だよ、そいつ。
―――…気になって、盛りつけるどころではなかった。
授業が始まり、昼に弁当を食べるにあたって、俺を含めた4人が教室の片隅を陣取った。
当たらず触らずの 行きすぎない楽な関係。
聞けば、洋以外の二人は、同じ中学なんだとか…。
洋は、俺と同じで県外からの受験だったらしい。
おかげで当初の予定とはうって代わり、仲間ができたわけだ。
…悪くない、か…。
「龍の弁当、うまそーっ!」
ふたを開いたとたん、卵焼きが消えた。ウィンナーもなくなった。
「すっげーうまい。なに、誰が作ったんだ??」
あ…あ…なくなる…。
「りゅーってば」
「俺の弁当 食うなーッッ! せっかく姉さんが…」
あ、ヤベ。
姉さんと二人ってことは、ナイショにしようと思ってたのに。
「お前、姉さんに作ってもらってんの? すごくうまいって、伝えといて。いつか、俺のために作って下さいって」
「誰が。言わねーよ、絶対。あの人はまだ、独りでいいんだ」
独占欲の、問題だ。
…時々…自分でもイヤになるけどね。
「いつか、会わせてくれよな」
洋が言った。
兄貴と二人ってのは…どんな気持ちなんだろう…?
妙に嬉しそうな姉さんを前に、無言で食事する。
何があったんだろう…?
やっぱり、”松尾” って奴かな。
「りゅーや、食べないの? お姉ちゃん食べるよ」
最後の唐揚げが、奪われた。
「あーっ」
食べたかった…のに。
「考えごとしてたんでしょう? ご飯の時に考えること? お姉ちゃんに、言えないこと?」
怒ってる…てほど大げさなものではないけれど。
「母さん、何だって?」
顔が曇る。
何か、イヤなこと…?
「戻ってきなさいって。りゅーや、子供じゃないし、一人でも大丈夫でしょう?って」
そんな…。
一人にされる…ワケ?
華菜を取り上げただけじゃ、なくて!?
「行っちゃうの…? お姉ちゃん」
打ちのめされて、声がかすれる。
「行かないわよ。お姉ちゃん言ったよね? もう二度と戻る気はないって」
6年くらい前に…聞いた。
頷くと、姉さんは微笑んだ。
「戻らない、絶対に。安心して学校行ってていいよ。りゅーやがしたいことをしてたら、いいの」
姉さんは、優しいよね。
…人の手に渡したくないよ。
ずっとは無理だって分かってる。
でも、もうしばらくだけ…。
洋の家に遊びに行った。
兄さんは仕事らしく、いなかった。
買い込んだ食料を消費しつつ、会話を交わす。
ごく、普通の…。
でも、両親のことが気になって仕方ない。
もちろん、洋の、両親のこと。
切り出すタイミングを伺う。
「龍、どうかした?」
会話のとぎれをいぶかしんだ洋が問う。
「お前が、料理とかすんの?」
唐突に。
洋はキョトンとしている。
「もちろん、するけど…? あ、龍は姉さんがしてくれるもんな」
自分で…考えたこと、ない。
姉さんが作った以外のものを、食べるってこともね。
「ある程度は我慢できるけど…姉さんが作ったもの以外は、味が分からない…」
胃から、こみ上げるものがあって…。
今なんて、1年以上姉さんの手料理食べてるから、余計かも。
「それってさ…気の持ちようだろ? 龍ってひょっとして、姉さん以外は人じゃない、とか思ってない?」
たぶん、冗談で言ったんだろう。
でも…事実だ。
「確かに、そうかも。姉さん以外はいらない…ってずっと思ってきたし…」
姉さんさえいたら、何もいらない。
他の人に分かって欲しいなんて、思わない。
自分に言い聞かせて、強がって…心は鎧をまとった。
自身でもその鎧を解くことはできず、そのうちそれが自分だと思い始めた。
今まで、思い返そうともしなかった。
「俺も? …俺のことも、いらないのか?」
洋?
いらない…わけがない。
「洋も、いる。あ、もちろん変な意味じゃなく、な」
友達、だから。
なくしたくない奴って、いるよな?
そういえば、姉さん以外でこう思えるのは…友達、としてでも洋が初めてかもしれない。
考えてると、洋は吐息をついた。
何だろう…と首を傾げる。
「お前さぁ、自分でいつも考えてんだろ」
「何を?」
よく、理解できない。
いつも考えてる?
姉さんさえいたら、いいってことを?
「どこかの世界に、自分と好きな人たちだけで暮らせるところがあればいいのにってこと。―――…考えてるだろ?」
…。
普通は、考えるものじゃ…ないんだろうか。
他に誰もいらないって。
あの人さえいたらいいって。
「悪い、のか?」
「その、好きな人って基準は、一体なんだよ。龍を傷つけない奴のことか? 違うだろ。そんなのは現実逃避だ。夢に、逃げるなよ。現実の…この世界で呼吸しろよ、頼むから!」
かなり真剣に訴える洋を、ぼんやりと眺めた。
「どう…して?」
洋は、それには応えずに続けた。
「逃げたって仕方ないだろ? 確かに辛いことだってあるけど、目をそらしてなくなるもんじゃ、ないよな。分かってんだろ、本当は」
心配してくれてるのが分かって、涙が出そうになった。
自分が大切だと、なくしたくないと思う人から、思われる。
それは、奇跡に近いこと。
例え友情だって、片思いって言うのはあるものだ。
今まで…分かってくれるのは姉さんだけでいいと思っていた。
そして、姉さん以外から心配された記憶も、ない。
もしかしたら、気づけなかっただけかもしれないと、今初めて思った。
今までは、自分に向けられるものに、関心がなかったから。
…気づかずに通り過ぎてきた想いも、あったのかもしれない。
だから。
きちんと向き合おうと思えた。
「現…実で 叶うわけないユメを見てんだよ。分かってる、それくらい。だから…死んだら華菜の、妹の側に行けるかな、とか思うんだ」
責めるような目で見つめられる。
死んだら、終わりかもしれない。
でも、そこが始まりかもしれない。
誰にも分からないんだ、そんなことは。
「まだ、死ぬつもりはないんだろ?」
「姉さんを哀しませるつもりは、ないよ」
まだ、引き留めるものがある。
死ねない。
「暗くなったな。何かゲームする?」
「あぁ」
今は、死ぬ気は、ない。
4.龍也(りゅうや)
Tel が鳴り止まない。
目を擦ってベッドを抜け出す。
姉さんは、いないのか?
…仕事、休みのはずなのに。
買い物にでも行ったのかなぁ…。
起こしてくれたら、荷物持ちするのに。
あ、もしかして姉さんからの電話か?
普段より少し高めのトーンで、受話器を取る。
「はい」
しかし、聞こえてきたのは姉さんの声じゃなかった。
「あ、松尾、と申しますが、葉菜さんご在宅でしょうか?」
”松尾”…?
落ち着いた、大人の男性の声。
「今、出かけてるようなんですが」
この前も電話かけてきた…。
誰だ、こいつ。
「そう、ですか…」
落胆した声。
「えーと…それじゃ、電話があったことだけ伝えてもらえますか」
「松尾、さんですね。分かりました」
「それじゃ」
切られそうになって、思わず口が動いていた。
「あの! …姉と、どういうご関係ですか」
「…」
一瞬の沈黙。
やっぱり…突然すぎたか。
「あ、失礼しました…あの、折り返し電話させますので」
気まずくなって、切ろうとしたとき。
「聞いて、ませんか」
「え?」
「―――…まぁ、いずれ分かることだろうから…」
独り言のように、ぼそぼそと。
何が言いたいんだろう。
イヤな予感がする。
「一年前から、おつきあいさせてもらってます」
…え?
そりゃ、つきあってる相手がいない、なんて本気で思ってたわけじゃない。
でも、一年、って、ナニ?
―――…俺、聞いてない。知らない。
信じられない。
姉さんに、一年も秘密にされてたんだ?
「あ、不躾な質問、すみませんでした。姉さんのこと、よろしくお願いします」
口が勝手に動く。
電話の向こうで、嬉しげな声が何かを言っていたけど、聞かない。
聞こえない。
適当にあいづちを打って受話器を降ろし、白い息を吐く。
外は雪だ。
もう、いいよ。
全部分かるから。
この前の電話はきっと、見合い話。
今日はそれを断りに行ったんだ。
自分には結婚したいヒトがいるから、ってね。
…俺は、捨てられるんだ。
姉さんだっていつまでも独身じゃ、いられない。
頼れる、いい人って感じの声だった。
きっと、幸せになる。
子供も、産まなくちゃ。
姉さんならきっと、いい母親に、なるよ。
俺は、ここにいちゃいけない。
姉さんが幸せになる、邪魔になる。
それだけは、しちゃいけない。
姉さんは恐らく、今日中には戻れないだろう。
初雪にしては酷い、この雪。
天気予報でも、雪になるのは2,3日先ってことだったのに。
今の気分には最適だけれど。
交通機関はストップするだろう。
だから、姉さんは今日中には絶対こない。
どうしよう、どこにいこう。
行く宛なんて、ないよ。
ただ、一つだけ確実なのは。
俺はここにいちゃいけないってこと。
――― もう、ここに在る必要は、ない。
そっか…。
もう、いなくていいんだ。
姉さんの手料理もたくさん食べたし。
俺の存在は、なくていい。
その方が姉さんは、幸せになれる。
(…ゆーた…ん… かな、さみしい)
頭の中に、声が響く。
バイバイ
―――。
今ではもう使用されていないトンネル。
半ばまで入り込み、腰を下ろす。
…華菜…華菜、どこにいる?
僕がついていってあげる。
遅くなったけど、一緒に行こう。
ここに来て。
お姉ちゃんが幸せになるために、僕はいちゃいけないんだ。
僕を連れていって。
お願い…―――。
雪が僕の足跡を消してくれるだろう。
僕のいるトンネルの入り口も、ふさいでくれ。
誰にも見つからないように。
華菜の側に行くから。
誰にも邪魔されないように。
耐えきれない眠気が僕を襲う。
どれだけ時間が経ったか分からない。
頭を占領する、思考の渦。
何の脈絡もなくて。
そこに、洋が出てきた。
哀しそうな瞳で、じっとこっちを見ているだけ。
…姉さん以外で初めて、僕を認めてくれた人。
もう少し早く、ほんの少しでも早く出会えていたなら。
結末は違ったのかもしれない。
『死なない』と、言ったのに。
その矢先に、手のひらを返したように消えてしまう僕を、どう思うのだろう。
あぁ、華菜が迎えに来た…
幾度目かに目を開けたとき。
いや、それすらも確かではないけれど。
現実との境界があやふやになって。
気がついたら、目の前に華菜がいた。
「元気?」
そう、問いかけてくる。
当たり前のように。
逝ったあの時、そのままの姿で。
「か・・な…?」
「へへへ。オドロいた? あたしね、ずっとここにいたんだよ」
「独りで?」
「ん。でも、今からゆーたんも一緒にいてくれるんでしょ?」
そこからはお姉ちゃんの姿が見えた。
「いつも、見てたの?」
「そう。ずーっと」
「もう、僕がいるから、淋しくないね?」
二人、見つめ合って微笑む。
記憶がだんだん曖昧になっていく。
お姉ちゃんが半狂乱になってるのは…心が痛む。
それでも。
きっと隣にいる”松尾”さんが支えてくれるだろう。
「いつか、葉菜ちゃんも呼ぼうね。前みたいに、3人だけで、暮らそう」
華菜が言う。
永遠に終わらない … 3人だけの ――――――
Fin