わたしのおいたち

いしいさんちの子になるまで
わたしは、1990年5月5日に、豊島区椎名町の、服部さんのお宅で生まれました。
当時、服部さんのお宅は、チンチラばかり、総勢10人以上いました。
このへん、わたしは、あかちゃんだったので、ちょっと、うろおぼえ、なのですが、おとうさんと、おかあさん、姉たち叔母たちが、くんずほぐれつだったと、記憶しています。
服部さんと、ちかこさんは、元ご近所の、猫友だちでしたが、その頃は、ちょっと離れていましたが、ここが、猫仲間の情報網のオソロシイところです
ちかこさんは、わたしの先代にあたる、やはりチンチラのガブリエルちゃんを失ったばかりで、"ど"が付くほど、落ち込んでいました。
ガブリエルちゃんというのは、服部さんが、ちかこさんに、横浜から連れて来た、というご縁で、その生存中も、妹または弟をちかこさんにお世話しようとしていた、のでした。
そして、わたしの離乳の済む頃、もちろん、服部さんは、ちかこさんをコールしました。
"もう、ガブちゃん以外の猫はいや"なんていいながら、ちかこさんは、浜田山にお引っ越しした服部さんのお宅に、のこのこ行ったものです。
そして、当時、"大"、"中"、"小"と呼ばれていたわたしたちを目にするや、寝返りました。
ま、このへん、わたしの魅力の勝負、だったのですが・・
一瞬、"小"を選ぼうとしたこと、わたし、忘れてないけど、服部さんのお勧めもあり、"中"のわたしを車に乗せて帰りました、とさ。
そして、その夏から、わたしは、ちかこさんをおかーさんにしてあげて、いしいさんちのこになりました。
どーでもいーけど、服部さんの浜田山のお宅、って、お嬢さんとご主人のお家だったのだけれど、ある有名な俳優さんのおうちでもあったので、すごーく大きかった、です。ちかこさんは、お手洗いの大きさだけで、びっくりして、ちょっと、みっともなかった、です。
わたしなんて、お客間の床の間で、壺をはさんで、姉妹でおっかけっこ、なんていうスリルあふれる遊びしてたのに・・

いしいさんち いわさきさんち
いしいさんちは、おかあさんと、そのご主人、おじちゃまと、人間はふたり、です。
わたしがいることで、彼らの生活が、どんなに潤っているかは、わたしの自負するところでもあります。
いわさきさんち、というのは、おかあさんの実家です。
わたしが家族に加わる前の年に、おかあさんのパパがなくなり、ママはひとりになってしまった、ということと、もう、お年だった、ということで、わたしは、毎日のように、車で浦和のいわさきさんちまで、通っていました。
ママは、いつも、わたしにごはんを用意してくれていました。
そして、
"このこ、パパみたいなこと、するのね。"
っていって、パパ生まれ変わり説を唱えていました。
わたしの魅力のみならず、芸を、よく理解してました。おかあさんだけじゃなく、そのママも、わたしは、たちまち、しつけたものです。

1時間の道のりは、わたしには、おかあさんの肩に乗ったままの楽しいドライブでした。
そして、いしいさんちは、ママのために、いわさきさんちの近所に引っ越すこととなりました。
でも、その直前にママはなくなってしまいました。
今では、いわさきさんちは、おかあさんのおにいさんが、クリニックをしています。
わたしは、昼間はずっと、いわさきさんちにいて、"院長猫"とよばれています。

"おじちゃま"、"おにーさん"っていう呼び方
いしいさんちは、わたしが来る以前から、"おじちゃま"と、"ちかこちゃん"または"おかあちゃま"または"おかーさん"と、ねこさんの3人です。
"おじちゃま"という呼び方は、ご近所のこどもさんが、そう呼んでいたから、です。
おかあさんのことは、先先代のプレアデスちゃん、先代のガブリエルちゃん、わたし、と、皆、呼び方が違う、ようです。
おじちゃまは、ご自分の会社に、フレアデスちゃんの名前をつけています。

"おにーさん"は、以前は"おにいちゃん"または、"のりりん"でしたが、ある日、酔っぱらって、わたしに、
"おじさんはねー、血のつながりはないけど、おまえのおかーさん
いもーとなんだからね。
つまりね、おまえのおかーさん
、おにーさん、なんだ゛よ。"
と、かましてから、"おにーさん"と、呼ばれるようになりました。

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