忘れ得ぬ鳥達
8,石垣島1 
 ズグロミゾゴイ(幼鳥) 1999・12・5  キンバト  2000・12・10
初めて石垣島を訪問したのは1999年12月のことでした。石垣市の市街地にほど近いバンナ公園を散策していた時に、ふと気が付くと私のすぐ横を同じ方向に並んでゆっくりと歩いている見たこともない変な鳥がいました。トボケタおじさんが両手を後ろ手に組んで前かがみにゆっくり並んで歩いている。そんなふうに見えたのです。これがズグロミゾゴイとの最初の出会いでした。あわてて持っていた200万画素のデジタルカメラで撮影したのがこの画像です。この時はそれがズグロミゾゴイの幼鳥であることは分かっていませんでした。成鳥ならば初めてとは言えすぐに分かったと思うのですが。その後は石垣島に行く度に観察出来る見慣れた鳥になったのですが、近年は以前のようにどこにでも居るというわけでもないようです。  石垣島初訪問の翌年、2000年12月に再度石垣島を訪問しました。このときは最初の2日間を西表島で過ごし3日目に石垣島のバンナ岳の山裾にある小さな農園を訪ねました。ここは石垣島探鳥経験のある先輩から教えられていた場所で農家の庭先にキンバトがやってくるのでタイミングが合えばすぐ近くでゆっくりと観察できる場所として知られていました。森に囲まれた民家の庭先で、その家の主であるおばあさんと世間話をしながら運よく庭先に現れたキンバトを観察したのでした。その後は石垣島、宮古島、与那国島などで何度も観察する機会がありましたが、やはりこの時の印象が強く、おばあさんとの会話の記憶とともに忘れ難いキンバトとの出会いになりました。その後何年かしてその民家もなくなってしまったとのことです。
1   ムラサキサギ 2011・10・3 カンムリワシ  2015・3・28 
ムラサキサギを初めて見たのはやはり石垣初訪問の1999年12月のことです。石垣市の市街地とは山地を隔てた北側の米原の水田でした。最初の印象はおそろしく頸が長く、「ヘビのような首」に見えたのです。非常に警戒心が強くてほとんど近付くことが出来ず、当時は手持ちのデジスコでの撮影だったので満足できるような写真は撮れずに終わってしまいました。その後は石垣訪問の度に観察する機会を得ていますが本当に良い条件での撮影機会は思ったほどは多くはなく、出会いの多い割には満足できる写真は少なく、上の写真は数少ないちゃんと撮影できた写真の一つです。 カンムリ鷲の初見は2度目の訪問の初日、西表島の港のすぐ近くでのことでした。港に着いてすぐ、目の前の横枝の目の高さよりやや高い位置からじっとこちらを見ていました。デジスコでは完全に視野からはみ出してしまう距離でした。さらにその近くでは幼鳥も見ることが出来ました。石垣島では比較的容易に見られますが電柱や人工の杭などに止まっていることが多く、数見た割には良い写真はありません。汎翔時の翼に出る白帯が美しく印象に残ります。
1999年9月に娘が石垣島に居を移して以来毎年のように石垣島を訪れるようになりました。その度にレンタカーを借りて観光に鳥見にと島中を走り回ってきましたがもう20年が過ぎようとしています。一人で暮らしていた娘もやがてこの島で伴侶と巡り合い2人の子供にも恵まれて平穏な日常を過ごしています。最初は1人暮らしの娘を気遣っての訪問でしたが娘の生活が落ち着くにつれて、訪問の主目的は鳥見に移っていきました。よく言う石垣島3点セット、ズグロミゾゴイ、カンムリワシ、ムラサキサギをはじめこの島で初めて見た鳥は数多く、私の鳥見ライフの中では大変大きな比重を占めるフィールドです。さらにこの島を起点として西表島や与那国島まで足を伸ばすこともしばしばです。初訪問の20年前は石垣市の市街地こそ人が多かったのですが町から外れるとまだ人は少なく、走っている車の多くは軽自動車で、時間がゆっくり流れる島という感じでした。しかし今では空港の移転と拡大、大型クルーズ船の寄港などによる観光客の増加が著しく、さらに周辺の離島からの移住も多く人口も増え続けています。コンビニの増加、大型スーパーや商業施設も増えて、もう立派な地方の観光都市となっています。今年は新型コロナウイルスの影響で訪問できませんでしたが、今年の秋以降はまた時々訪問することになります。(2020・5・21 記)