「もう、会わないほうがいいのかもしれない・・・」
伊瀬公子は付き合ってもうそろそろ1年経つ人物にそう告げた。
場所は相手が住む1Kのマンションのベッドの上。
ついさっきまで、その場所で二人は心地好い汗をかいていた。
適度ともいえる運動を終え、しばしの休息を互いの温もりを感じながら取っていた。
その後、公子は会社の同期の尾崎望に対してそう告げた。
二人が出会ったのは会社の入社式。
それほど大きくはない専門商社の就職した公子。
まだまだ、女性の営業職が建前とは異なり狭い中、
それでも営業に配属される事が決まっていた、
二人のうちの一人が公子であり、もう一人が望だった。
出会った当初からベッドを共にする関係であったはずがなく、
同じ部署に配属された二人はライバルであり、
同じ苦労を共にする仲間であり、友人であった。
それこそ、月に2度、二人っきりで飲みに行くことがあるかどうかの仲だった。
それが変わったのは・・・本人達も実際の所、記憶をどう辿っても思い出せない。
ただ、外に飲みに行くのはお金もかかるし、時間も制限があると、
互いの部屋で飲むようになったのだ。電車で30分ほど離れている事もあり、
飲んだ日はどちらかが泊まることになっていき、それが日常化した何年かのち、
酔った勢いか、それとも互いの感情がどちらとも無く求めていたからか、
ベッドを共にしたのであった。・・・それが約1年前の事である。
「愛している」とか、「付き合おう」と言った言葉が二人の口から出た事は無かった。
二人の間に愛情が無いからか、
それとも、お互いがこれは一時の「あそび」と考えているからか。
どちらも心のうちを完全に相手に見せることなく、
ズルズルと体の快楽だけを求めるような関係が続いていた。
公子はずっとその関係に疑問を抱いていた。
少なくとも公子は望に愛情を抱いている。
自分自身の感情だからそれには確信をもてた。
同姓に「友情」以上の感情を持ったことを。
初めて望とベッドを共にした後・・・、
異性も含めて性的関係を持った事がなかった公子だが、
相手が望であったから、それにどこかでホッとしていた。
そのまま、互いの部屋に泊まりに行った時、肉体の関係を持つ事に、
それこそ喜びを感じ、拒否する気持ちなどさらさら無かった。
・・・が、同時に不安があった。望はどう考えているのか。
望は公子と違い、少なくとも異性との恋愛経験があり、
当然、処女ではなかった。「彼氏はいない」と言っているが、
自分との仲は、単なる独り身の寂しさを一時的に紛らわすためだけではないのかと、
何度も思い、それを望にぶつけようと考えては打ち消していた。
そもそも、二人は「付き合う」と口に出して言った事が無いのだから、
その質問をする事自体がナンセンスな気がしてならなかった。
(結局、この関係が壊れるのが怖いんだよね・・・)
望に質問をぶつけ、「遊び」だと判明したその時、
二人のこの関係は解消されるはず。
「恋人」と表立って言ったことがないし、
それこそ、「漠然」と関係を続けているに過ぎないのだ。
「関係を続ける理由」が存在しない事をお互い認識したら、
それこそ、世間様から見たら「異常」な関係にピリオドを打つことになる。
(別れるなんて・・・出来ない・・・)
公子は何時望に「捨てられる」かも知れないという不安を持ちながら、
それでも自分には彼女が必要だとおもっていた。
だから、自分のほうからわざわざ波風を立てる事もないと、
望がこの関係について何も言及しない事を不思議に思いつつ、
今日の今日まで自分達の関係について触れる事すら避けていたのだった。
「公子さん、この後、時間はあるかしら?」
「今日?今、処理している伝票さえ経理に回したらもう上がれるけど?」
「飲みに行かない?」
「飲み?・・・いいけれど?」
17時半を少し回った頃、公子と同じように伝票の処理をしていた望が、
珍しく仕事後のスケジュールを聞いてきたのだ。
もう何時の頃からか、毎週金曜日にどちらかの部屋に泊まりに行くことが、
二人の間で暗黙の了解と化していた。
もちろん、仲間内や接待で飲みに行くことがあるから、
絶対という約束にはなっていなかったが、
金曜日にそういった飲みが入らない限り、それは実行されていた。
逆に言ったら、それ以外の日は、二人は関係を持つことは無かったのだ。
それなのに、こうして望から飲みに、しかも会社でなんてどういうことなのか。
公子は望の考えている事がわからないまま、仕事を終えると、二人して会社を後にした。
「ごめんね、いきなり。実は、昨日、総務の池田君に飲みに誘われて」
「池田君に?」
同期の独りである池田に飲みに誘われたのと、自分とどういう関係があるのか。
ますます困惑に陥りそうになるのを何とかおし留め、望の言葉の続きを待つ。
「そうなの。で、私が、『それなら、大野君も誘って久しぶりに同期会にしましょうよ』って提案したの」
二人と一緒に入社したのは全部で7人。男性が4人に女性が3人。
そのうち、男性二人は転職してしまい、事務職で入った女性は寿退職をしてしまい、
残っているのはここで話している二人と、望を飲みに誘った池田、
課が違うがやはり営業の大野の4人のみになっている。
「・・・池田君、望と二人っきりで飲みたかったんじゃないの?」
(ついに来たか)そう公子は思った。
二人の関係が終局に向かうのは何も理由は一つとは限らない。
明るく、誰からも好かれる性格と、パッとするような華こそないものの、
女性から見ても綺麗と思える容姿に、今まで会社の独身組が手を出してこなかったのが、
不思議なくらいなのだから。・・・それとも、自分の知らないところで望は
男性と付き合っていたのか・・・公子はあれこれと考えを頭の中に思い浮かべては、
目の前にいる望に不審に思われずに消す事に躍起になっていた。
「知らないわよ。別に『嫌だ』とは言われなかったわよ」
公子の思いを知ってか知らずか、「そんなことはどうでもいい」と言った感じだ。
「でも、ごめんね。本当はこんな直前に言うつもりじゃなかったんだけど、
向こうがいきなり、『大野が今日ならいいって言ってるんだけど』って、
場所と時間をいきなり言われちゃって。
まったく、人の都合と言うものを社会人なら考えて欲しいわ」
「別に今日は大丈夫だったから良いわよ。
それに、本当に同期だけで飲むのも久しぶりだし・・・」
そんな話しをしながら男性陣が待つ焼き鳥屋にたどり着いた。
その後は酒のつまみにと、仕事の愚痴話に始まり、
同期のその後の消息、そして当然の事ながら恋愛話もでた。
焼き鳥屋の後、もう一軒接待でよく使う飲み屋に回ると、
すでに時間は12時を回ろうとしていた。
何年か振りに突然やる事になった同期会もお開きになり、
「タクシーで送っていくよ」という池田の申し出を「反対方向だから」と断ると、
同じ方向同士の者同士で別々のホームへと向かっていった。
「新入社員に戻ったみたいで若返った気分だったわね」
「そう?」
電車の中、軽く口に手を当てながらあくびをしている望に公子は答えた。
「公子は違うの?」
「・・・別にそうは思わなかったけど。それより、池田君が積極的に望にアプローチしているのに、
全然気付かない振りしてさりげなくかわしているのを見て、ハラハラしてたわよ、大野君と」
「えっ?池田君アプローチしてたの?」
「まさか、気付いていなかったの?」
「全然、まったく」
目を真ん丸くして、「そうだったの?」という顔を向けられては、信じるしかない。
そう言えば、望は普段からマイペースというか、鈍い所があるんだっけ。
「ハ〜ッ・・・」と、額に手を当てながらため息を大きくつくと、
「大野君と私、バカみたいね」と苦笑いしながら答えた。
ほんの少しの間の後、「ねェ・・・」と望が聞いてきた。
「なぁに?」
「公子、大野君と親しげに話していたけど・・・仲良かったっけ?」
(何でそんなことを聞いてくるの?)と公子は思いつつ、
「仲?別に悪くは無いわよ。それに、話してたと言っても、
『池田のやつ、同期で久しぶりに飲まないかって俺に言って来たけど、
本当は尾崎さんと飲む口実が欲しかったんだな』って話し掛けてきたから、
それにあわせて話していただけよ」
「そうなの・・・」
「そうよ」
そうして話しているうちに、電車は望が降りる駅の一つ前に停車した。
「公子、この後うちに来ない?」
「・・・泊まってってこと?」
「・・・そう。無理?」
「そんなことは無いわよ」
着替えも、歯ブラシも何もかも、公子の分が望の部屋にはあるのだ。
この後は部屋に戻って寝るだけなのだから、断る理由が無い。
・・・が何で今日に限ってこうして泊まりに誘うのかがわからない。
今までも、仲間内の飲みの後、一緒に帰ったりしたが、泊まりに行ったことはない。
そんな時は、泊まることはしないとなんとなく決めごとになっていたはずなのだ。
結局、二人で次の駅で降りると、駅から歩いて2分の望のマンションに歩いていった。
そして、部屋に入ると、望はいきなり公子に抱きつき、そのままコトにいたったのだ・・・。
時計の針はすでに3時を指そうとしている。
互いに頂点に上った後、望は気持ち良さそうに横になっている、
公子は眠ることとができず、自分で今まで抱いてきた感情を整理しようと、
薄明かりの中で頭の後ろに手を組んで考え込んでいた。
(望・・・私のことを好き?)
今までは思いつかなかったが、今日一日の彼女の言動を思い返すと、
そうとしか取れない発言が多かったし、何よりさっきのエッチ。
普段だと、積極的とは言いがたい望みの動きが、
今日は、まるで公子の全てを自分のものにするかのように、
体の隅々まで手と、口を使って愛撫をしていたのだ。
どう考えても、そうとしかとれない。
目を閉じる。・・・体に温もりを感じた。
望が公子に寄り添うようような形で体を合わせてくる。
胸の上に軽い重みを感じる公子。望が腕を回してきた。
公子は手を下ろすと、望から抜けるような行動をとりながら、自らの半身を起こした。
そして、自分を愛しそうに見詰める望の瞳を初めて見て、決心をした。
「・・・望、私の事・・・好き?」
公子は初めて望に対して自分をどう思っているか聞いた。
答えはわかっている。わかっているからこそ、逆に聞いたのだ。
「好き・・・ずっと前から・・・この関係になる前から好きだよ・・・愛してる」
(愛してる・・・か。まさか、そう思われていたなんて)
「ふっ」と自嘲めいたため息をもらすと、再び目を閉じ、何かを考えている公子。
そんな公子の体に手を絡ませるように、自らも上半身を起こすと公子に抱きつく望。
目を閉じている公子の耳元に口をよせると、もう一度、囁くように「愛してる」と言う。
公子の体が僅かに動いた。それを確認して満足な笑みを浮かべると、
力強く抱きしめなおす望は、全てを話そうと決心したようだ。
「私ね、恋愛経験が豊富なんて公子に言ったけど、あれ嘘なの」
「嘘?」
「そうよ。あなたが『恋愛なんてしたことない』って言ったから、つい、そう言いたくって」
「何のために?」
「理由なんて無かったわ。ただ、口から出てしまったの。でも、強いて言うなら・・・」
「強いて言うなら?」
「あなたにいいカッコを少しでも見せたいっていう気持ちからかしら」
望は腕を離すと、ベッドから降り、近くにあるTシャツと下着とを身につけた。
台所のほうへ行くと、冷蔵庫を開け、中から缶ビールを二缶手にとると、
再びベッドに戻ってきて、一つを公子に渡した後、自分は腰掛けるようにベッドに座った。
公子も、望が離れた間にパジャマの上だけを着ていた。
「プシュ!」よく冷えた缶ビールを開けると、「ゴクゴク」とノドをならしながら、
一気に黄金色の液体を体の中へと送り込んでいく望。
公子は対照的に、ゆっくりとプルタブを掴んで開けると、口を湿らす程度に飲むだけだった。
「意外だったかしら?」
「そうね、関係を持つ前からだなんて思わなかった」
「ねぇ、公子。あなた、私になに聞いてこなかったのは怖かったからでしょ?」
「そうよ、ものすごく怖かった」
「あなたも私のことを愛していて、こういう関係を壊れる事を怖がっていたのね」
「その通りよ。私はあなたに愛情を抱いていている。
でも、あなたが単に体のみを求めているのなら、捨てられると思って」
「・・・なんだ、あなたも私と同じ事を考えていたのね」
「えっ?」
「もっと早く言いたかった。『愛している』って。でも・・・怖かったのよ、私も」
「何で言ってくれなかったの?」
「じゃあ、あなたはどうして今まで『愛してる』って言ってくれなかったの?それと同じ」
「遠回り・・・しちゃったのかな?」
「そんなことは無いと思うけど?」
「そうよね、今が一番良い時だったのかもしれないわね」
二人して顔を見合わせると、大声で笑った。
おなかを抱えて、この一年間、話してこなかった二人の胸のうちをぶつけ合っていた。
涙を流しながらの長い長い笑いを終えると、公子は急に真顔になった。
「望、私達、もう会わないほうがいいのかもしれない・・・」
「な、何を急に言うの?二人とも愛し合ってるってこうしてわか・・・」
望の言葉を口で塞ぎ、思いっきり口腔を刺激する公子。
始めは突然の公子の行動に驚いた望も、公子の舌の動きに答えた。
長い長い口の睦み合いの後、二人はゆっくりと口を離す。
「まだ、最後まで言ってないよ。よく聞いてね。
私、今までのような形で会うのはもうやめたいの。そして・・・」
「そしてなに?」
「一緒に暮らさない?」
朝になった。当然仕事はあるから、二人して食卓につき、簡単な朝食をとる。
トーストにかぶりつきながら、予備に置いてあったスーツに身を固めた公子が望に話しかけた。
「私、本当は別れるつもりで始め『会わないほうが・・・』って言ったのよ」
別に慌てることなく、トーストにイチゴジャムを塗りながら笑顔で望が答えた。
「やっぱりそうだったんだ。なんとなくそう思ってた」
その答えを聞いて、公子は2・3度まぶたをはばたかせると、
軽くため息をした。なんでも、望にはお見通しなんだと考えていた。
「だって、女同士で愛し合うのって、どう考えても今の世の中じゃ認めてもらえないもの。
本当にお互いが愛し合っているのなら・・・だからこそ、別れるべきかなってね」
「でも、一緒に暮らす事にしたのはどうして?」
「ん〜、そうね、望の目を見ていたら、それは乗り越えられるかなって・・・ね」
「大丈夫よ、男の人と結婚したからと言って、必ず幸せになるとは限らないもの。
私たちが幸せになれば、きっといつかみんなわかってくれる」
「望・・・」
「なぁに?」
「愛してる」
「私も愛してるよ、公子」
あとがき
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