クリスマスが近づいたある日のこと、
樹は風邪をひいて寝込んでしまっていた。
講義も休み、電話で由紀子にノートだけを頼むと、
アパートの部屋で一人、布団で寝ていた。

午後のことだ。突然アパートのチャイムがなった。
本当は出たくなかったのだけれど、
「イッちゃん・・・私・・・」と由紀子の声がしたので、
ふらつく体を何とか気力で支えると、ドアの方へと向かい、
何とか腕をチェーンの所まで持っていくと外し、鍵を開ける。

「イッちゃん・・・顔が真っ赤よ!早く横になって!」

壁にもたれかかるようにして何とか立っている樹の顔を見て、
由紀子は樹の病状が悪いことをすぐに察することが出来た。
もともと、普段から樹は多少調子が悪くても、ノートを後で写すのが
面倒だからと、ムリして講義に出てくる。だから、朝、電話があったときに、
(イッちゃん、かなり体調悪いんだ・・・)とは思っていたものの、
まさかこんなにひどいとは思っていなかった。

樹に自分の肩を貸して、部屋の中に戻ると、
ふらつく樹を早く布団の中に入るようにと勧める。
気のせいか、着ているパジャマが湿っている気がした。
横顔を見ると、髪の毛が汗で側頭部に張り付いている。

「お薬は?飲んだの?」

「・・・まだ」

「もしかしてないの?」

「な・・い・・・」

熱だけではなく、咳も少しあるらしく、ゴホゴホとしながら答える樹。

「わかったわ。どうせその調子だと、ご飯も食べてないわよね。ちょっと待って。
買い物に行って来るから。あ、部屋の鍵、借りていくわよ」

そう言って、バスに乗り、商店街まで行くと、薬屋で薬と、冷却シートを買い、
スーパーでちょっと買い物をする。そして再び樹の部屋へと向かった。

(イッちゃん・・・あんなになっても助けを呼ばないんだから・・・)

今朝、電話があった時の声はそれ程ひどいようには思えなかった。
今、考えるとムリしていたのだろう。自分を心配させないようにと・・・。

(少しは私を頼って欲しいのにな・・・)

樹は自分の事は自分でやる主義だから、自分から何かを頼むことや、
甘えてくる・・・ということはまずない。由紀子はそれを樹らしいと思いつつも、
もう少し自分にも樹に関わらせて欲しいという気持ちがあった。

部屋に戻ると、樹は横になっていた。もしかして、自分に気を使って何かを
しているのではないかと思っていたが、それはなかった。少しホッとして、
靴を脱ぎ、樹の所へと向かおうとすると、炊飯器が湯気を出していることに気付いた。

(あっ!)

樹のほうに顔を向けると、相変わらず辛いらしく、口を軽くあけ、
喘ぐような感じで息をしている。

(そんな体でご飯を炊いてくれたなんて・・・)

由紀子は少し悲しい気持ちになっていた。
全部・・・自分に任せてくれても良いのにと。
怒りたくても、今は怒れない・・・。
仕方なく、買ってきたものを片付けると、
着替えをさせようと、樹に声を掛ける。

「イッちゃん、パジャマが汗で湿ってるわよ。着替えようよ」

「ん・・・いい。・・・面倒」

「だめよ、そのままだと悪化しちゃう。ほら、新しいの出したから、
着替えようよ。・・・手伝うから」

ゆっくりと赤い顔を隣で心配そうに顔を覗き込もうとしている由紀子に向けると、
見ているだけで辛くなる顔で笑顔をする樹。

「一人じゃ大変でしょ?ほら・・・」

樹が着ているパジャマを横になったままで脱がせると、
タオルで汗を拭ってから、新しいパジャマを着せる。
すると、少し楽になったのか、樹が由紀子に話し掛けてきた。

「ごめん・・・」

「どうしたの?イッちゃんらしくないじゃない?」

「だって、由紀子は今日もバイトでしょ?」

由紀子は近所のケーキ屋でバイトをしている。
当然、今の時期は猫の手も借りたいほど忙しく、
今日も講義が終わり次第、店に行くことになっていた。

「イッちゃん・・・私と仕事とどっちが大事?そんなに私にバイトに行かせたいの?」

「だって・・・自分の不注意で風邪をひいたのに、由紀子に迷惑をかけられない・・・」

「・・・・・・」

由紀子は立ち上がると、脱ぎ終えたパジャマをもって、
洗面所のほうへと向かう。そして、洗濯物の籠の中に入れると、
そのまま台所に立ち、おかゆの準備を始めた。

(イッちゃんの・・・バカ・・・)

炊き上がったご飯を鍋に移しながら、なぜか由紀子は悲しくなった。
おかゆと生姜湯をお盆に載せると、自分のほうを見ていた
樹の枕元に置くと、自分も座り、樹のほうを見る。

「体は起こせる?」

「何とか・・・かな?」

樹が上半身を起こそうとしてくれたので、由紀子はそれに手を貸す。
近くにあったジャケットを樹の肩に羽織らせる。

「食欲・・・はある?」

「あんまり・・・ない」

「そうだと思って、ドリンク剤も買ってきてあるわ。
でも、少しはお腹に入れたほうがいいから、ちょっとでも食べて」

「ん・・・ムリしない程度に食べるよ」

先にドリンク剤を飲んでもらうと、「フーッ」と冷ましながらおかゆを
樹の口に運ぼうとする由紀子。それを見て樹は慌てて自分で食べようと
手を伸ばすが、由紀子がそれを許さなかった。

「病人はおとなしくしてなさい!」

ちょっと悲しそうな笑顔を浮かべながらも、口調はいつもより強い。

「由紀子、怒ってる?」

「怒ってないわよ・・・ただ・・・。それより、先に食べてよ。薬を飲もうよ」

「・・・わかった」

樹は由紀子におかゆを食べさせてもらいながら、生姜湯を飲んだ。
体がポカポカとしてくるのがわかる。特に吐き気もなかったので、
よそってくれたおかゆをなんとか食すと、買って来てくれた薬を水で飲んだ。

食べ終えた食器を台所で黙々と洗い片付ける由紀子の姿を見ても、
樹はなぜ由紀子が悲しそうなのかわかっていない。
由紀子に迷惑を掛ける事も時には由紀子にとってはうれしい事なのを、
樹はまだ気付いていなかった・・・。

「イッちゃん・・・私、バイトに行くね・・・」

タオルで手を拭きながら、樹の顔も見ないでバイトに行くと告げる由紀子。
それを見て、さすがに樹も不安になった。

「由紀子・・・私・・・悪い事した?」

小さな力のない声で自問自答するかのように話す樹。
由紀子はそんな樹の小さな声を聞き逃さなかった。

「イッちゃん・・・今日はもう休んで」

「由紀子・・・わかんないよ・・・」

布団を跳ね除けると、ふらふらと立ち上がる樹。
それに気付き、由紀子が急いで駆け寄る。

「ダメ!寝てないと治らないわよ」

「由紀子・・・私、何かした?」

「・・・イッちゃん、ダメよ・・・ほら・・・寝てよ」

由紀子に諭され、樹は再び横になる。いきなり立ち上がった為か、
倒れるように横になると、目を閉じた。そして、熱で朦朧としつつある意識の中で、
自分が本当にして欲しい事を呟いた・・・。

「由紀子・・・行かないで・・・」

「イッちゃん・・・」

まだ薬の効き目が出るわけもなく、樹は顔を真っ赤にして、肩で息をしている。
そんな樹の姿を見て、由紀子がそのままその場を離れられるはずがない。
樹は目を閉じたまま苦しげに寝ていた。由紀子は冷却シートを取りに行くと、
一度、樹の額の汗をタオルで拭うと、貼り付けた。

「強情・・・なんだから。もっと素直になって欲しい・・・のに」

布団の上に手を乗せ、樹の顔を覗き込むようにしながら、
独り言のように話し掛ける由紀子の姿は、ちょっと寂しそうだった。

「イッちゃんに必要とされることだって・・・私にとっては嬉しい事なんだよ・・・」

口を軽くあけ、大きく息をしつづける樹に、由紀子はいつも思っていたことを話し続けていた。




何時しか、外は真っ暗になっていた。
そんな街灯の薄明かりが入る部屋の中で、樹は目が覚めた。
薬が効いてきているらしく、ボーっとはするものの、汗が引いていた。

「あ、由紀子・・・」

樹は由紀子が自分の手を握ってそのまま隣にいてくれたことに気付いた。
横を向くと、気のせいか由紀子は微笑んでくれているようだった。
どうやら、隣にいてずっと見守っていてくれていたらしい。

「イッちゃん・・・調子はどう?」

「・・・かなり楽になった」

「そう、良かった」

「由紀子・・・バイトは?バイトはどうしたの?」

体を起こそうとするのを見て、それを止める由紀子。
首を横に振ると、明るい声で答えた。

「今日はお休みよ」

「そんな・・・私のせいで・・・」

「イッちゃん・・・私、もともと今日は休みをもらってたの。看病しようと思って」

「えっ?」

「だから・・・気にしないで。それに、休んだのはイッちゃんのせいじゃなくて、
私が勝手にしたことなんだから。そうでしょ?」

それまで片手で握っていた手に、もう片方の手を添えると、ギュッと握り締めた。

「・・・もっと甘えてよ・・・私を・・・頼ってよ・・・」

由紀子が弱々しく自分の本心を打ち明けるのを聞いて、
樹は由紀子の気持ちがようやくわかった。

「由紀子・・・お腹すいたな・・・」

「イッちゃん?」

「まだ、おかゆ残ってる?」

「あるけど・・・」

「食べさせてもらって・・・良いかな?」

ちょっと照れながらも、由紀子に甘えようとする樹。
由紀子も、樹が無理をしながらも自分に甘えようとしてくれるのを見て、
つい、笑ってしまった。

「ふふ、いいわよ。温め直すから待っててよ」

「早くね」

「はいはい、わかってますって」


調子が落ち着いたらしく、軽口も叩く樹に安心するよりも、
自分に甘えることを少しでもしてくれる樹にドキドキしている由紀子。

何ヶ月前に告白された後、樹との関係にどこかぎこちないものを感じていた。
それが、樹が変に自分に気を使っているからと気付いていた。
どうそれを変えればいいか考えていたら・・・こんな形で。
(でも、これで私もイッちゃんに甘えられる・・・わね)
そう思いながら再び台所に笑顔で立つ由紀子の姿があった。


あとがき

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