トップ小説作成者・虹純晶さん


「…きれいだね。」
少女が言った。
「………うん。」
少年が短く答えた。
二人は並んで、大きな桜の木を見上げていた。
桜は見事なまでに咲き誇り、そして、もう花びらを落とし始めていた。二人がほんの少し、言葉を交わしている間にも、薄紅色の雨が彼らの上に降り注いでいく。
「すごいよね、桜って。すぐに散っちゃうのに、何でこんなにきれいに咲けるのかな。」
今度は少女の言葉に、少年の返事はなかった。
「ねえ、どう思う?」
少女がにこやかに少年へ顔を向ける。それに応じるかのように、少年も少女の方へ視線を転じた。

その目から、涙が流れていた。

「ねえねえ、何して遊ぶ?」
「僕鬼ごっこ!」
「私はかくれんぼがいいな〜。」
「ドッジボールしようぜ!」
「野球の方がいいよ!」
「誰か、オラと『半分土に埋まった死体ごっこ』しない?」
「それはイヤ!!!」
双葉幼稚園で、楽しげな子供の声が響き渡っている。いつもの光景、変わらぬ風景だ。幼稚園中の子供たちが集まって、何をして遊ぶか議論し合っている。

・・・ただ、一人を除いては。

「ネネちゃん、みんなと遊ばないの?」
よしながみどりは、遊び場の隅の木陰にうずくまる人影に、ためらいがちに声をかけた。
「誰も入れてくれないから・・・」
桜田ネネの声はかすれていて弱々しく、いつもの彼女とは別人のようだった。こちらに背を向けているので、顔は見えない。
「じゃあ先生が言ってあげましょうか。一緒に遊んであげてって。」
「いいです。そんなことしても同じだから。」
少しきつい口調でそう言ってから、ごく小さな声で、ネネはつけ加えた。
「・・・それに、ネネが悪いんだし。」
それ以上は何とも言えなくなり、みどりは「そう・・・」とだけ答えると、足早にそこから立ち去った。そして一つ、大きなため息をついた。
どうしてこうなってしまったのかしら?いや、原因は分かっている。確かにアレは、ネネが悪いとしか言いようがないのだ。
少し前のことだったが、ネネが「幸せが三倍になるヘアピン」というものを懸賞であて、幼稚園につけてきたことがあった。ところがそれを、(案の定というか)なくしてしまってのである。
そこまではいいとして、ネネはなんとしんのすけたちのみならず、幼稚園中の園児たちを巻き込んでそのヘアピン探しに総動員させたのである。
その女王様然とした態度に腹が据えかねるのは当然とも言えようが、それだけではなかった。最終的にみどりが見つけてきてくれたそのヘアピンを、ネネは自分のものではないと否定したのだ。ヘアピンが見つかれば、他の園児たちを女王様のように使えていた「幸せ」が、なくなってしまうと考えて。
その時点では、まだそのことが分かっていなかったので良かったのだが、真実というものはいつしか露見するものだ。一人にバレてしまえば、園児たち全員に話が広まるのはあっという間である。そしてそのことはネネに対する怒りを煽り立て・・・とうとう誰も、防衛隊の面々でさえ、ネネの相手をしなくなった。先生たちが何とかなだめようとしたのだが、まるでどうしようもなかったのだ。

でも・・・子供だもの。すぐにみんな忘れて、仲直りするわよね。
自分にそう言い聞かせて、みどりは職員室に戻っていった。



しかし、ネネに降りかかる不幸は、まだまだ終わりではなかったのである。



次の週の月曜日、ネネは幼稚園を休んだ。ある意味それは彼女にとって、大いに幸運なことだった。幼稚園で・・・というよりしんのすけたちが住む双葉町一帯で、容易ならぬニュースが広まりつつあったのだ。

ネネがアクセサリー店で万引きをして、そのまま逃走した、という噂が。

時期が時期だけに、子供たちのほとんどがそれを信じてしまった。先生方の中にも疑いを持つ人が現れ始め、ネネの幼稚園での立場はますます悪くなりつつある。みどりは胸を貫かれるような思いだった。
せめてしんちゃんたちが信じてくれれば・・・と思っていたのだが、どうやらあの四人も、それを信じ込んでいるらしい。
「ネネちゃんは春日部防衛隊から追放だ。いいね。」
トオルの言葉に、
「賛成ー!」
しんのすけたちが何のためらいもなく合意して、当のネネがいないうちに、彼女との絶交が決まってしまうのを、まつざか梅がたまたま耳にしてしまった。
「子供のけんかだと思っていたのに・・・」
梅が頭を抱える。彼女もネネを心から心配する一人だった。
「仕方ありませんよ。今はじっくり、様子を見ましょう。」
「ええ・・・」

職員室に、重苦しい暗い空気が充満していった。

町の中でも、ネネの評判は日増しに悪くなる一方だった。そのうちに、バラ組のたちの悪い女の子達が、ネネの家へ「お見舞い」に行こうと相談し始めるようになった。彼女らが計画していることが「お見舞い」という生やさしいものではないことは、容易に予想できた。
「これはもう、何とかしなければ。園長先生・・・」
みどりがたまりかねたように園長に訴えた翌日。

とうとうネネが、幼稚園に戻ってきた。

幼稚園に現れたネネを見た時、みどりは少なからず驚いた。特に見た目が変わったというわけではないのだが、何というか・・・オーラが薄くなったというか、それまで彼女が持っていた勝気さや強気が跡形もなく消え、どこか儚い印象を与える少女になってしまっていたのだ。
これは子供たちにも分かったらしく、初めは彼女に冷たい視線を向けても、次第に妙な気分になり、目をそらさざるを得なくなるのだった。
しかしネネが来たことを早くも聞きつけたばら組の女子たちが、お昼ご飯の時間にひまわり組へ乗り込んできた。もちろん、ネネが目的で。
彼女らはうまくみどりのいない隙をつき、ネネを取り囲んであらゆる嫌味や陰口を浴びせかけた。無論のことに、周りのみんなは無視していた。中にはネネがどんな反応をするか、面白そうに見つめるものすらいた。
でも、ネネは何の反応も示さず、まるで聞こえないかのように弁当を食べ続けた。普段ならきつい一言を返してやるようなところを………。
それでも女子たちは、しつこく嫌がらせを続けたが、ネネは相変わらずの無反応で、みどりにそれを告げる様子もなかった。

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