《子供たちの逆襲》 プロローグ 「あの子か?」「はい、どう思われますか?」 「ふうむ…」 その人物はにやりとして、「いいではないか。よし、うまく手はずを整えろ。」 「やるんですね。」と、若い声が念を押すように言った。 「ああ、勿論だ。今更ごちゃごちゃ言ってられまい。」 楽しげな声が、室内に響く。男はモニターに大きく映し出されたその子供の笑顔を見つめながら、呟いた。 「喜べ、お前はもうすぐ、私と共に世界の支配者となるのだ…。」 1.けんか 野原しんのすけ、風間トオル、桜田ネネ、佐藤マサオ、ボー。 春日部防衛隊を結成している仲良し五人組だったが、今はそれぞれの間に険悪なムードが流れていた。 「何よそれ、どういう意味?」 ややこわばった顔で尋ねたのは、桜田ネネだ。 「そのまんまの意味だよ。僕たち、自分の好きな事して遊びたいんだ。」 冷たい声を出したのは、風間トオル。突き放すような口調だ。 「もうネネちゃんの趣味に付き合わされるのはうんざりなんだよ。ネネちゃんもたまには僕らの意見を聞いてよ。」 「おままごとが悪趣味だって言うの!?」 「ネネちゃんのおままごとはドロドロし過ぎだよ。」 トオルの後ろで、しんのすけたちがうんうんと肯く。 ネネが好むリアルおままごとは、様々な意味で子供らしい遊びからかけ離れていた。その遊びに、男子四人はかなり強引に付き合わされてきたのだ。 もう我慢できない、というわけで作戦を練り、こうして抗議に持ち込んでいるわけであった。 「だからどうしてもしたいって言うんなら、別の人を見つけてよ。僕たち、もう知らないから。」 そう言うと、トオルは立ち上がった。しんのすけたちも後に続き、ネネの前から歩み去る。 何か小言が降ってくるかと思ったが、ネネはもう何も言わなかった。四人は振り向きたいのを我慢して、公園から出て行った。 数分後、無言で座り込んでいたネネは、ボソッと呟いた。 「ふーん…言ってくれるじゃない。誰があんたたちなんか…くたばれ!」と、周りの人が飛び上がりそうな大声で言うと、ごろりとおままごと用のシートの上に仰向けに寝転がった。 「何よ偉そうに!こっちから願い下げよ!あんな…あんな嫌な奴ら…」 呟くネネの目に大粒の涙が盛り上がり、次から次へと頬を伝ってこぼれ落ちた。 2.事故 その日一日中、佐藤マサオはもやもやした気分を抱えていた。 ああ言う風にネネとケンカした事で、おままごとに付き合わなくてもよくなったのに、全然いい気分になれない。何かして遊ぼうと思っても、漫画もゲームもちっとも面白くないのだ。 それはあの能天気なしんのすけも同じだったらしい。夕方も近くなってから、いきなり電話がかかってきた。みんなで一緒に散歩でもしないかと言う。 このまま家でいると気が滅入るばかりなので、マサオは喜んで承知した。行ってみるとトオルやボーも来ている。二人とも沈んだ表情をしていた。 しばらくお互いに黙りこくって歩いていたが、マサオはふとある事を思いついて口に出してみた。 「ねえ…公園に行ってみない?」 ネネとケンカした、あの公園だ。 反対されるかなと思ったら、意外にも全員賛成だった。誰も口には出さなかったが、みんなそこにネネがいるかも知れないという期待をかけていたのだろう。四人は公園に向かって歩みを進めた。 夕暮れの公園は、これまでになく寂しい感じがした。 砂場も、ブランコも、滑り台も、夕日に照らされて茜色に輝いている。それはこれまでに見た事もないような、息を呑む光景だった。 しばし四人はぼうっと立ち尽くしていたが、不意にマサオは足元に何かが転がっているのに気がつき、身をかがめた。 ネネのリュックだ。 四人は顔を見合わせた。ネネがこんなに大きな忘れ物をするとは思えない。それとも、おままごとの事など忘れ切ってしまうほど、ネネが今回のケンカに動揺しているという事だろうか。あるいは…。 その時、しんのすけたちの目が、公園の生垣の端っこに佇む小さな人影を捉えた。 ネネだった。 「ネネちゃん!」 マサオが思わず叫ぶ。こちらに背を向けて立っていたネネは、その声に反応し、ゆらりと振り返った。 ネネは泣いていた。 四人は今度こそ言葉を失い、立ち尽くしてネネを見つめていた。こんな泣き方をするネネは見た事がない。 泣き声は聞こえなかった。ただ透明な涙の筋が、ネネの目から溢れて頬の上に流れを作っているだけだ。でもその静かな泣き方のせいで、余計に悲しげな印象を与えた。 四人の胸に、強烈な後悔の念が込み上げてきた。 「ど、どうしたの、ネネちゃん…そんなに…」 マサオはそこまで言ってから、自分がネネのリュックを両手に抱えたままだという事に気がついた。慌てて駆け寄ると、ぽうっと立っているネネに手渡す。他の三人も後に続いた。 「それより早く帰らなきゃ…おばさんが心配するよ、きっと。」 ネネは何も言わない。リュックを抱えたまま、また公園の外へと目をやった。 静かだ。不安になるほどに。 四人が口を開こうとしたその時、ネネがぼそりと、ほとんど呟くように言った。 「みんな、ネネが死んじゃったらどう思う?」 みんな、しばらくの間言葉を出す事ができずにいた。 「どう思うって…」 マサオはネネの顔を見た。いつもの勝気でおませなネネの面影は、そこにはなかった。 「ごめんね。」 ネネはまた泣き出した。 「急に変な事聞いたりしちゃって…でも、あたし…怖くて…」 意外にも、しんのすけが沈黙を破った。 「悲しいよ。」 ネネが顔を上げた。「ほんとに?」 「うん。」しんのすけの声は、いつもとはどことなく違っていた。 「でも…ネネがいない方がいいって、思った事、あるでしょ?」 「ない!」しんのすけが突然大声を出したので、ネネはもちろん、全員飛び上がった。 「しんちゃん…?」 「オラはネネちゃんに死んでほしくない。だから死んだらどう思うとか、聞くな!」 しんのすけは怒っていた。四人が今まで、一度も見た事のない、怖い顔をしていた。 しばしの沈黙の後、ネネはかすれた声で謝った。「ごめんなさい…」 「うん。」と、しんのすけは普段の声に戻って、「早くおうちに帰ろ。」と、みんなを促した。 帰り道、誰も、何も言わなかったが、それで良かった。五人の気持ちは、静かに、しかし確実に、一つになりつつあった…。 「あ!」と、ネネが足を止めた。 夕日が春日部山の向こうへと、沈みかけている。それは最後のひと仕事とばかり、真っ赤な光を辺りに放っていた。 「きれいだね。」ネネは道路の脇の柵に手をかけ、夕日に見入った。 しんのすけたちはぼんやりとその姿を眺めていたが…。 「ニャー。」 突然猫の鳴き声が聞こえてきて、びっくりした。ネネも振り向く。 「あら、三毛猫。」 向こう側の歩道に、ちょこんと一匹の三毛猫が座っていたのである。しんのすけたちと目が合うと、もう一度「ニャー。」と鳴き声を上げた。 「わあ、可愛い!『こっちに来て』って言ってるみたいだわ!」と、ネネは車の走っていない道路を横切り、三毛猫へと走り寄った。しんのすけたちも慌てて続く。 トオルは当然、三毛猫が逃げるものと思っていたが、まるでネネが来るのを待っているかのように、じっと動かないのを見て、びっくりした。 「あら、逃げないの?変わってるのね。」 ネネは笑って、三毛猫の背中を撫でた。どこかで飼われているのだろう、ビロードのように滑らかな毛並みをしている。 「僕も撫でていい?」と、マサオが腕を伸ばしたその時…。 背後でものすごい音がした。何か重いものが地面にぶつかる音。ガラスが砕ける音。 そして、何とも形容しがたい轟音が、辺りの空気を震わせた。 五人は振り返り、目を疑った。 車が反対側の歩道の柵の所へ突っ込み、炎を上げて燃えていた。粉々に砕けたガラスの破片が、道路に散らばってキラキラと光っている。 しばし、五人は何も言わずに立ち尽くしていたが、やがてマサオが、我に返ったように、 「あそこ…さっきまでネネちゃんのいたとこだ。」 もしまだあそこにいたら…全員、ネネの腕に抱かれている三毛猫を呆然と眺めた。 「この子が…」と、ネネが呟くように言った。「この子が、あたしを助けてくれたのね。」 言い終わった途端、ネネは力が抜けたようになって、その場にしゃがみこんでしまった。 トオルとボーは、慌ててネネの肩を支えた。その様子を、三毛猫が何とも言えない優しい瞳で見つめている。 五人とも、この事故がこれから始まる事件の序章に過ぎないという事など、知る由もなかったのである…。 3.紅一点 「ひどいもんだな…。」 片山義太郎は、思わず呟いていた。 それぐらい、その事故の様子は悲惨なものだったのである。 本来、警視庁捜査一課の刑事である片山は、主に殺人事件を担当しているから、こういう場に来る必要は無い。しかし今回は呼び出されたわけではなく、たまたま居合わせてしまったのである。 数少ない休みを利用して、妹の晴美、同僚の石津、そして愛猫(?)のホームズと共に、春日部へ日帰りの旅行にやって来たのだが、その辺を散策しているうちに、ホームズがふっと姿を消してしまった。 探していると突然ものすごい音が聞こえてきて、びっくりして駆けつけてみるとこんな状況だった、というわけだ。 「中の人は当然、死んでるでしょうね。」という晴美の言葉を聞きながら、片山は内心、駆り出されなくてよかった、と胸をなでおろしていた。殺人担当の刑事のくせに、血を見ると貧血を起こすという、厄介な体質の持ち主なのである。 ついでに言えば、高所恐怖症でもあり、狭くて暗い所も嫌い、きれいな女性と接触すると失神しそうになる…とにかくまあ、苦手なものが多いのである。 兄とは対照的に冒険好きな晴美が、いらいらして時折叱りつけるのも、無理からぬところではあった…。 「これだけ燃えてれば、牛を丸ごと一頭でも焼けますね。」と、石津がいかにも食いしん坊らしい感想を漏らす。ヒョロリと長身でなで肩の片山とは対照的に、大柄でずんぐりした、たくましい体格の石津だが、刑事らしくないという点では二人とも共通していた。 その時、足元で「ニャー」と鳴き声がして、石津は「ワッ!」と三十センチも飛び上がった。 「こ、これはホームズさん、おいでとは気がつきませんで…」 「相変わらずだな。」と、片山は苦笑した。 晴美への恋心を機に、大分と猫恐怖症を克服してきた石津だったが、やはりこんな風にいきなり現れるとびっくりしてしまうらしい。 「おい、一体どこをほっつき歩いていたんだ?」という片山の言葉にも答えず、ホームズは悠々と歩いて行って、晴美の鞄の中に納まってしまった。 「やれやれ…。」 片山はため息をついた。大方他の猫と仲良く「おしゃべり」していたか、オス猫に追い回されでもしていたのだろう。ホームズはなかなかの「美人」なのである。 それより何より、この三毛猫、見た目だけでなく頭の方も、ちょっと………いや、かなり、変わっているのだ。 その小さい頭の中で、一体いつも何を考えているんだろうな。片山はそんな事を考えながら、ぼんやりとホームズの顔を眺めていたが…。 「あ、さっきの猫!」と、子供の声がすぐ近くでして、ハッと我に返った。 振り返ると、五人の子供が集まって、ホームズの方を見ている。まだ、せいぜい五歳ぐらいだろう。四人が男の子で、女の子は一人だけ。声を上げたのはこの子らしく、嬉しそうに目をきらきらさせて、ホームズを見つめていた。 いくら片山が女性恐怖症とはいえ、五歳の女の子ぐらいなら別に何ともない。片山は至って気楽に、「ここにいたら危ないよ。事故があったからね。」と声をかけた。 すると男の子のうちの一人が、「あ…僕達、たまたま事故があった時に居合わせてたもんで、警察の人に事情を聞かれてたんです。」と言った。端整な顔立ちの、利発そうな少年である。 「へえ。」と、いつの間にかそばに来ていた晴美が目を丸くして、「怪我しなかった?」 「はい…この猫ちゃんがいなかったら、あたし死んでたかも。」と、女の子がホームズを指差した。 「あら、それはまたどうして?」 子供達が、事故が起こった時の状況を説明するのを聞いて、片山はびっくりしてホームズを見た。 「ホームズ…お前、そんな事してたのか。」 ホームズは澄まし顔である。 「ホームズっていうんですか?お利口そうな猫。」 「飼い主に似たのよ。」と言うと、ホームズがギャーッと声を上げて抗議したが、晴美は知らん顔をした。 「これから帰るのかい?」と、片山が尋ねると、全員一斉にこくりとうなずいた。その動作がいかにも子供らしくて、何となくおかしい。 「おうちの人は?来ないの?」 晴美の質問には、さっきとは違う男の子が答えた。何だかおにぎりみたいな頭をした子である。 「しんちゃんのパパが迎えに来てくれるって電話で言ってたから、みんなでここで待ってるんです。ね、しんちゃん。」 坊主頭に太い眉毛の少年が、「うん。」と肯いた。この子は「しんちゃん」と呼ばれているらしい。 片山はおや、と思った。晴美の「おうちの人」という言葉を聞いた途端、女の子の顔がはっきり分かるほどに曇ったのだ。 もちろん、別に深い意味があるわけではないのだろうが、明るい表情が似合う可愛らしい顔立ちをしているだけに、片山は何となく気になったのだった…。 その時、車のエンジン音が片山の耳に響いてきた。 「お、来た来た。」と、しんちゃんと呼ばれた男の子が後ろを振り向く。大きめの車が、子供たちと片山のすぐそばに停車した。 「おーい、ここにいたのか。早く乗れよ。」 そう言いながら運転席の窓から顔を覗かせたのは、三十ぐらいの男だった。多分「しんちゃん」の父だろう。眉毛らへんがそっくりである。 「あれ、この人たちは?おいしんのすけ、また迷惑かけてたんじゃないだろうな?」 「かけてないもん!」と、しんちゃんは胸を張って、「オムライスにケチャップはかけるけど。」「関係ないだろ。」 個性的な子供だ。片山は思わず吹き出した。 「いやあ、すみません。うちのガキが何かしたんじゃないですか?」 「いえ、何でもないですよ。ちょっとしゃべってただけですから。」 子供たちが車に乗り込むと、しんちゃんの父親は車を勢い良く発進させた。後部座席の窓から、あの女の子が顔を出し、手を振る。 「バイバーイ、ホームズ!」 「大人気だな、ホームズ。」 車が見えなくなり、片山が笑いながら振り向くと、ホームズは意外にもかなり難しげな顔をしていた。猫の表情に難しいも易しいもあるかと思うかも知れないが、そこは長年の付き合いというもので、片山や晴美には分かるのである。 「ホームズ、どうした?何か気になるのか?」 片山が尋ねると、ホームズはぴょんと地面に飛び降り、トコトコと茂みの方へ歩いていって「ニャー」と鳴いた。椿の茂みで、白色の種類らしく、一面白く咲き乱れている。その中でただ一つ、赤く咲いている花を、ホームズはしきりに突ついているのだった。 「椿がどうしたの、ホームズ?」 晴美もそばにやって来て、小首をかしげた。ホームズがじれったそうに「ニャー」と鳴く。 「あのぉ…。」 その時、石津がためらいがちに口を挟んできた。 「ひょっとして、『紅一点』っていいたいんじゃないでしょうか。」 片山と晴美は顔を見合わせた。またホームズが「ニャー」と鳴く。今度は「さすが!」といったニュアンスだ。 「すごいわ、石津さん!」 晴美の賞賛の声に、石津は真っ赤になって照れている。 「じゃ…ホームズが気になるのは、あの女の子か。」 「ニャー。」 ホームズが「そうだよ。」と言うように鳴く。 「でも、一体何でだ?」 「アジの干物でも持ってたんじゃないですか。」 と石津が言った。 「フギャー!」 「すっ、すみませんっ!」 すくみ上がった石津は反射的に敬礼していたのだった‥‥‥。 4.ライバル 「どういうことよ!」 小笠原ユミは、思わず大声を出していた。 「小笠原さん、落ち着いて‥‥‥いつも一番になれるってわけじゃないのよ。」 「でも‥‥‥。」 ユミはまだ納得できない、といった表情を浮かべて、 「あの風間っていう子、確かに10番台には入ってきてたけど、いきなり一番になるなんておかしいじゃないですか!」 「そんなこと言われても‥‥‥。」 若い女の先生は、困った顔になった。 「今回はきっと、すごく頑張って勉強したのよ、風間くん。」 「あたしだって頑張ったわ!」 「みんなが頑張ってるのよ。時には誰かに抜かされることだってあるわ。」 先生は少し厳しい声で言った。 「だから今度のテストでは、また1番になれるように頑張ればいいでしょ。変わらないものをくどくど言わないの。」 「はーい‥‥‥。」 ユミはこれ以上先生への印象が悪くならないうちに、素直に引き下がることにした。何しろユミはつい最近映画に出て話題になった新人子役アイドルなのだ。他人へのイメージを悪くすることは、それがどんなに些細なことであっても、人気の下降に繋がる危険性がある。 それでも‥‥‥やはりどうしようもなく腹が立つのである。 ユミは目立つのが好きだった。だからこそアイドルの仕事にすぐ馴染んだとも言える。しかし問題は、いつでもどこでも目立っていたいと思っていることだった。それも、いい目立ち方をしたいのである。 だからテストだって、1番でなければ意味がない。2番など、まるで注目されないのだ。 まだプリプリしながら塾の外へ出た途端、誰かにぶつかりそうになった。 「あ、ごめんなさ‥‥‥。」 言いかけて、ユミは凍りついた。 目の前にいるのが、トップの座を奪った当人‥‥‥風間トオルだったのである。 「あ、ごめん、よく見てなくて‥‥‥。」 トオルは固まっているユミの様子には気づかず、そのまま塾の中に入っていってしまった。 ユミは振り返って、トオルの後ろ姿をしばし眺めた。こうやって見たら、なかなかハンサムだわ。子役俳優になっても売れそうな‥‥‥。 そこまで考えて、ユミは慌てて頭を振った。成績を抜かされた奴について、そんなことを考えるなんて‥‥‥。 ユミは鞄を持ち直し、歩き始めた。塾の建物の陰から、自分と同じようにトオルを見つめている女には気づかずに‥‥‥。 酢乙女あいが子役女優デビューすると聞いて、ネネは仰天した。 「それってほんとにほんと?」 「だと思うよ。」 情報を持ってきたマサオが返事を返した。頬が紅潮している。 「映画に出るんだって!主役らしいよ!僕、ホラーでもいいから見に行くんだ、絶対!」 「そう‥‥‥。」 ネネは胸の奥が微かに痛むのを感じた。 誰にも話していないが、ネネはマサオが好きだ。それもずっと昔からで、時が経つにつれてその思いは大きくなるばかりだった。 でもマサオはあいに心を奪われている。マサオにことあるごとにつらく当たるのも、あいを嫌っているのも、全てはマサオに対する思いの裏返しであった 。 だからこそ、こうしてあいへの思いをあらわにするマサオを見るとつらいのである。どうして自分は素直に「好き」と言えないのだろう、と‥‥‥。 「‥‥‥で、何でこんなとこに呼び出したの?」 ネネはやや落ちつかなげに周りに目をやった。喫茶店なんて、子供が二人だけで足を踏み入れるべき場所ではない。嫌でも周囲からの視線を感じた。 「あれ?言わなかったっけ?」 マサオはきょとんとした表情になった。 「もうすぐあいちゃんと、監督さんが来るんだよ。しんちゃんと風間くんとボーちゃんも、後で来るって言ってた。あいちゃんのお祝いだよ。」 「ふーん。」 ネネはあいにとっては自分のためのお祝いなんて別に珍しくもないだろうと意地悪なことを考えている自分に気づいて、ますます惨めな気分になった。 「あ、来たよ。」 マサオが喫茶店の入り口に向かって手を振った。ネネはそこからあいと、すらりとした女性が入ってくるのを目にした。 ネネはその女の人に目が釘づけになった。マサオだって同じだったに違いない。何しろその女性は、ものすごい美人だったのである。 ただ美しいだけではない。いわゆる「内面からにじみ出る美しさ」と言われるような美貌に、完璧なスタイル。そういえば、テレビでも何度か見たことがある。映画監督よりも、女優の方が通用しそうだ。 あいとその女性は、ネネとマサオを見つけると、すぐにこちらへ歩いてきた。 「あら、こんにちは。あんたたち、あいのお友達だね?」 思ったよりもハスキーではきはきした口調で、美女は尋ねた。マサオは真っ赤っ赤になって何も言えないようだったので、ネネが「はい。」と返事した。 「そう。じゃ、出ましょうか。」 と、まだ座りもしていないのに出て行こうとするので、ネネとマサオは慌てて呼び止めた。 「あ、あの、お祝いをするんじゃなかったんですか?」 「するわよ。でもこんなとこじゃできないでしょ。人目もあるし。」 それはそうだ。現にお客が何人か、女性の顔を不審そうに見ている。 「でも・・・まだ、友達が・・・」 「あ、大丈夫大丈夫。あいから聞いて、ちゃんとこれから迎えに行くから。」 さばさばと言うと、女はもう歩き出そうとしたが、不意に足を止めて振り返った。 「そういや名前、言ってなかったわね。知ってるかもしれないけど、あたしは流道(るどう)ほなみ。よろしくね。」 その時ふとネネは、あいがどこか不機嫌そうな表情を浮かべてほなみを見つめていることに気がついた。しかしどうしたのか聞く間もなく、ネネたちは店の外に出て、車に乗せられてしまった。 しんのすけとは、シロの散歩をしている所で落ち合った。というわけで、シロも一緒について行くことになってしまったが、ほなみは全く気にしていないらしい。当然しんのすけはほなみにメロメロになり、あいの言葉を聞いてもいなかった。 異変が起こったのは、トオルを迎えに行った時だった。 それをいち早く察したのはシロだった。あと数分でトオルのいる塾に着くとほなみが言った途端、くんくんと鼻を動かしたかと思うと、不安げに吠え始めたのだ。 「こらっ、シロ!」 しんのすけが静かにさせようとしたが、まるでダメだった。 |