F-1ミニカーコレクション!

その3

    

・1981年マクラーレンMP4(アンドレア・デ・チェザリス)

1981年、低迷していたマクラーレンは同チームのメカニックだったロン・デニスが率いる「プロジェクト4」と合併、デザイナーのジョン・バーナードが今や常識の軽量で丈夫なカーボンファイバーモノコックを初めて採用した。が、”壊し屋”チェザリスは20台以上壊したという・・・。

成績はジョン・ワトソンが1勝を含む4回表彰台に登り、チェザリスは6位1回。ここからマクラーレンの復活が始まった。

ちなみに車名頭の”MP4”は”マクラーレン”と”プロジェクト4”の頭文字である。

   

・1980年ルノーRE22(ジャン・ピエール・ジャブイユ)

1977年ルノーはF1に初めてターボエンジンを持ち込んだ。レギュレーション上、ターボは不利で当初はターボラグがひどく、信頼性もなく、周りからは無謀だと思われていたが1979年、地元フランスGPでとうとう初優勝!F1はターボ全盛の時代へ突入していく。

   

 

・1979年アロウズA2(リカルド・パトレーゼ)

ウィングカー(ベンチュリーカー)夢、前後ウィング無しを目指し、ボディ全体をウイングと化したが、他チーム同様前後ウィング無しでは車の挙動が安定しなかった。また、ボディを覆ったカウルはすべて取り外すには数十分もかかるといわれ、セッティング等にも苦労したようだ。

静岡のレーシングパレスというレーシングカーの博物館に行けば実物があります!

   

 

・1979年ウィリアムズFW07(アラン・ジョーンズ)

小さいのにカウルが開いてエンジン等中身を見ることができます!ウィリアムズに初優勝をもたらしたマシン。

    

 

・1978年ブラバムBT46B”ファンカー”(ニキ・ラウダ)

F-1史上に残る問題作!!

1977年ロータスが導入した”ウィングカー”はそれ無しでは太刀打ちできないほどの画期的な物だった。しかしモノコック、エンジンの都合でウィングカーにできないブラバムのデザイナー、ゴードン・マーレイがあみ出した奇策は、マシン後部にでかいファンを付け、そこからマシン底の空気を吸い出し、マシンを地面に吸い付けてグリップを得るという物だった!!(エンジンを吹かすと車体が沈んだという!)

このマシンがデビューしたスウェーデンGPはなんと優勝!!しかし他チームの猛抗議にあい、以後このマシンは出場禁止となった。

       

・1977年ウルフWR1(ジョディ・シェクター)

1977年大富豪ウォルター・ウルフがウィリアムズを買収し参戦。デビュー戦アルゼンチンGP優勝!またモナコGPとカナダGPも優勝!しかし翌年成績は振るわず79年にはフィッティパルディチームに買収された。

  

 

・左:1977年ロータス78 右:1978年ロータス79(ともにマリオ・アンドレッティ)

1977年、ベンチュリー効果を利用した画期的な通称”ウィングカー”ロータス78を開発した。

抵抗となるウィングでマシンを押さえつけるのではなく、ベンチュリー効果で車体自体でダウンフォースを得る”ウィングカー”は後にF1になくてはならいない技術となり、開発の最重点の一つとなる。

1977年はチャンピオン争いまでは至らなかったが、熟成を進めたロータス79を1978年第6戦ベルギーGPより投入。78年は16戦中、優勝8回、2位6回、3位1回(内ロータス79で優勝6回、2位5回、3位1回)圧倒的な強さでチャンピオンを獲得した。

漆黒のボディに金色のスポンサーロゴ。”ブラックビューティ”と呼ばれた。

セカンドドライバーのロニー・ピーターソンの徹底的なサポートもあり、ドライバーズチャンピオンはマリオ・アンドレッティが獲得(優勝6回)!

しかし、ロニー・ピーターソンは第14戦イタリアGPでスタート直後の多重クラッシュに巻き込まれ、しかも、その後の処置に誤りがあり死亡してしまった(!)来年からはサポートから脱してチャンピオン争いもできると言われている矢先だった。

   

 

・上左1976年ティレルP34(ジョディ・シェクター)、

・上右1977年ティレルP34(ロニー・ピーターソン)、

・下1977年ティレルP34フルカウルバージョン(パトリック・デュパイエ)

何と6輪車です!空気抵抗を減らし、タイヤの設置面積を増やすため通常のタイヤ(13インチ)より小さい特注タイヤ(10インチ)を前輪に4輪使用!1976年はそこそこ良かったものの、1977年は特注タイヤのため開発が進まず、フルカウル化やワイドトレッド化等も行ったが、他のチームの進化の方が進んだため成績振るわず。

実は他チームも開発を進めていたが、83年に6輪車は禁止された。

   

 

・1976年マクラーレンM23(ジェームス・ハント)

こちらも小さいのにカウルが開いてエンジン等中身を見ることができます!

最終戦、雨の日本GPでタイトル争いをしていたフェラーリのニキ・ラウダが雨のレースが危険だとして途中棄権し、3位に入ったハントがチャンピオンを逆転獲得!

     

・1975年フェラーリ312T(ニキ・ラウダ)

フェラーリ水平対向12気筒エンジンは当時のF-1では最もパワフルで、1975年ニキ・ラウダは5勝あげてチャンピオンを獲得した。

翌76年ドイツGPで原因不明のクラッシュ・炎上でラウダは瀕死の大火傷を負ったが、なんと3戦欠場しただけで、ケロイドも痛々しい姿で復活!チャンピオン争いを続けたが、最終戦の日本GPの雨のレースが危険だとして1周のみで棄権し、チャンピオン争いをしていたマクラーレンのジェームス・ハントがチャンピオンとなった。このことがエンツォ・フェラーリには敵前逃亡と取られ、フェラーリとラウダの関係は冷えていく。

   

・1973年ティレル006(フランソワ・セヴェール)

ロータスとティレルの戦いとなった1973年、しかしロータスはフィッティパルディとピーターソンの2人のドライバーがチーム内で互角の戦いをして勝利を分けたのに対し、ティレルはジャッキー・スチュワートをセカンド・ドライバーのセヴェールがよくサポートし、その年限りで引退を決意していたスチュワートがチャンピオンを獲得した。

翌年からはNO.1ドライバーになることが決まっていたセヴェールだが1973年最終戦のアメリカGP予選で壮絶な事故死を遂げてしまい、スチュワートはアメリカGPを棄権しそのまま引退する。

   

・1972年ロータス72D(エマーソン・フィッティパルディ)

1970年にデビューしたロータス72シリーズ。1975年まで72シリーズを改良しながら戦い続けた。

1970年、リントの死によりシーズン終盤にエマーソン・フィッティパルディがデビュー。その年デビュー4戦目にして初優勝を遂げる。その後着実に経験を積んだエマーソンは遂に1972年当時史上最年少の25才9ヶ月でワールドチャンピオンを獲得した!

   

 

・1970年ロータス72C(ヨッヘン・リント)

マシン形状は平たく、真横から見るとくさび型をしたウェッジシェイプ。ウィングだけでなく車体でもダウンフォースを稼ぐ発想。それまでのマシンはマシン先端にラジエーターを備えた葉巻型が主流だったが、以後他チームもウェッジシェイプに追従していく。 

当時とっくにウィングは一般的になっていたが、このロータス72Cは高速サーキットイタリアGP仕様で、スピードを稼ぐために抵抗となるウィングを取り外している。

しかし、それが災いしてか(?)最終予選で大クラッシュ、帰らぬ人となる。リントはそれまでチャンピオンシップでトップの座に着いており、イタリアGP以後もライバルに抜かれることなく、死後チャンピオンが確定した。

   

・1965年ホンダRA272E(リッチー・ギンサー)

1988年にはシーズン16戦中15戦優勝という大記録を打ち立てたホンダの初優勝マシン!

1964年ホンダはF1に初参戦した。参戦以来大した成績は残せなかったが、とうとう65年の最終戦メキシコGPでリッチー・ギンサーによって初優勝を成し遂げた。

    

   

・ブリヂストンF1テストカー(ブリヂストンサイクル・オリジナルトミカ&チョロQ)

  

続々コレクション追加の予定!(お金があれば)

   

番外編F1以外のミニカー

・ブリヂストンサイクル・オリジナルトミカJr

(ステップワゴン、S2000、MR-S、WRX)

通常のトミカよりやや小さいトミカJr(約1/70〜80)、レアものです!

   

・ポルシェ カレラGT

2000年パリオートサロンで突如発表されたもので、完全新設計のオールアルミV10エンジンは558psを発生し、カーボン製シャシーへミッドシップされている。(芳賀さんから頂きました。ありがとうございました!)

   

・ランチア ストラトス タイプ1

1971年トリノモーターショー(森さんから頂きました。ありがとうございました!)