六成就                       2007.6.23
 
如是我聞 一時仏 在舎衛国 祇樹給孤独園 与(よ)大比丘衆 千二百五十人倶(く) 
 
かくのごとく、われ、聞く。ある時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園にましまして、大比丘衆、千二百五十人と倶(とも)なりき。
 
わたしは、ブッタ世尊の教えを、このように聞き、このように信じています。
それは、世尊が、サーヴァッティ(舎衛国)の郊外の祇園精舎におられたときのことです。そこには、千二百五十人のお弟子の方と共におられました。
 
六成就 聞・信・時・主・処・衆
「如是」釈尊の教説を聞いて少しも聞き誤りなしと信ずることを証明した語
聞くこと、聞いて信ずること、説きたもう時と、説きたもう主と、説きたもう処と、聴聞した人々との六条件が完全に備わらなくては経典は成立しない。
 
三分科経 序文・正宗分・流通分    道安
序文は、その経が説かれた由来動機を述べている。序文は、更に二つに分けられる。
@証信序(通序)とは、その経の教説の信ずべきことを証する部分とA発起(ほっき)序(別序)その経の説かれる至った特別な由来動機を示すもの。
 
阿弥陀経の序文 釈尊が舎衛国の祇樹給孤独園に、舎利弗・目蓮・大迦葉等多くの弟子たちと共にいたもうた時、その舎利弗を対告衆(たいごうしゅう) として念仏の法を説くたもう。
しかし、阿弥陀経には、人々の問いを待たずに語り出しますので、発起(ほっき)序(別序)は、ありません。
 
(ぶつ) めざめた人、さとれるものという意味。覚者、お釈迦様。仏を「ほとけ」というのは、中国で浮図(ふと)と訳したことに関係がある。「人間を苦しめ悩ませる絆のほどけた人」束縛から解放された人。
舎衛国 コーサラ国の首都、サーヴァッティ(舎衛城)といったので、その都の名をとって国の名にしました。今のサーヘット・マーヘットの池
祇樹給孤独園 祇園精舎のこと。舎衛城の郊外のジェータ(祇陀)林にアナータピンディカ(給孤独)という名の長者によって建てられた精舎(お寺)
比丘 ビクシュ。生産生活を離れて出家し、仏教教団の戒律に従って修行する男子のこと。女子は、比丘尼ビクシューニといます。