Q 福島フットボールクラブとは

A 福島FCは1997年に解散したプロサッカークラブです。

 「福島FC」。サッカーが好きという日本人の何パーセントがわかるだろうか。という疑問を持ち、私はこのホームページをたちあげることにした。
 日本中がワールドカップの日本代表初出場にウカレ狂う中、ひっそりと解散していく福島FC。全国紙ではほとんど取り上げられていない。サッカー専門誌でも多くを語られずクラブは消滅した。
 Jリーグブームも一段落して再び下降気味だった「日本サッカー」にとって奇跡の「W杯初出場」は願ってもない救世主だった。
 その中で「解散」というサッカー界のマイナスイメージとなる言葉は伏せられたままだった。それもしょうがない、いわゆる「ジョホールバル」の次の日はスポーツ紙が売り切れ、それまで低迷気味だったサッカー雑誌も書店からあっという間に消えた。日本中がお祭りムードだったのだから。
 確かに当時でもJFLはそれほど世間に認知されていなかった。札幌や仙台などの準会員は昇格争いという点から少しはスポットライトが当たっていた。しかし「福島FC」というクラブはよほどのサッカーマニアではないと出てこない名前。そんなクラブの解散はもしかしたら、あの時じゃなくても知られていなかったかもしれない。
 しかし、日本ではじめて消滅したプロサッカークラブ「福島FC」が誰にも語られずにひっそりと幕を閉じてしまうことがどうしても許せないのである。
 

 

福島FCのあゆみ

1951 前身の「福島教員団」設立。
1982 国体教員の部廃止に伴い、福島フットボールクラブに名称変更。
1993 Jリーグ開幕。福島県にもJクラブを作ろうとする動きがみられる。
1994 東北リーグ2位で全国地域リーグ決勝大会の出場権を得る。
1995 全国地域リーグ決勝大会で2位になりJFL昇格。
JFL開幕。(監督 住吉 哲也)
福島国体、成年1部で優勝。
11 JFL閉幕。11勝19敗13位で終了。
1996 永井良和新監督を迎え、本格的にプロ化してJFL2年目開幕。
10 JFL閉幕。7勝23敗14位で終了。クラブ、縮小発表。
11 天皇杯3回戦、磐田スタジアムでジュビロ磐田を2−1で破る。(4回戦敗退)
1997 荒孝一新監督でJFL開幕。
Jリーグ2部加盟申請
福島県にJヴィレッジオープン。(こけら落としのゲームで札幌に2−5で敗れる。)
選手への給料未払いが始まる。
11.2 JFL閉幕。13勝17敗10位で終了。
11.22 斎藤代表が東京のJFL事務局へ撤退届けを提出。
11.25 福島FCのリーグ撤退がJFL評議委員会で承認される。
11.26 選手たちの猛反発により白紙撤回を求める。存続のための署名スタート。
天皇杯1回戦(前橋商業)、2回戦(福井教員)を勝ちぬく。
12.9 福島県サッカー協会が新会社設立断念。JFL撤退決定。
12.11 日本サッカー協会の理事会で福島FCのJFL撤退と同クラブの解散が正式に決まる。
12.14 天皇杯3回戦、対清水エスパルス戦(日本平)。0−3で敗れ、これが最後の公式戦となる。
12.23 サポーター主催で「ありがとう福島FC!お別れサッカー大会」を開催。