「PRIDE of FUKUSHIMA」は福島FCゴール裏のサポーターによってスタジアムで配付していた新聞です。
作った理由は「言いたいこと」を「言い合える」場所を作りたかったからです。
それと同様に気持ちを素直に表現するためにこのホームページを立ち上げました。

Pre.26 事実上最後の「PRIDE of FUKUSHIMA
より私の文章を抜粋。
(読みづらいですが、読んで頂ければ幸いです。)


 今回この新聞がどのような方法で配られ、誰が読むか分からないが『PRIDE of FUKUSHIMA』はいつも何かを訴える新聞であり、特に僕の文は辛口なのでそれを最後まで突き通したい。

 まず、クラブが潰れて福島サポーターは被害者面をしている。確かに悲しいのは分かるが潰れた理由がどうであれ、もし僕達がサポーターだったならむしろ加害者側である。いままで福島サポーターって名乗っていた奴は総てだ。県議会議員も郡山商工会議所もサポーターだったというなら少しはクラブを潰したことに責任を感じるべきだ。

 『福島FCの試合が県内各地に分散してしまい、どこの地域でもおらが街のチームという位置付けにはならなかった』これって解散の理由になるのか。確かにホームスタジアムが定まっていないのは不利な部分もあっただろう。他の地域の住民は郡山に事務所を置くクラブを純粋に応援できなかったかもしれない。でも全県をホームとすることでプラスの面もあったはず。年数試合しかホームゲームを開催できない郡山以外の地域の地区のサッカー協会は努力すべきだったのではないか。郡山の開成山より客を入れよう、街を盛り上げようとはしなかったのか。それが翌年のその地域での試合数増加につながったのではないか。努力したかもしれないが僕には見えていない。その結果郡山でも平均千数百名である。毎年クラブが観客数に応じて各地域のホームゲームの開催配分を変える可能性はあったにもかかわらずだ。

 また、表現しづらかったのかも知れないが、とにかく『福島FCを愛してます。誇りです。』というのが僕には全くと言って良いほど街からは伝わってこなかった。郡山市には3年通ったが最後まで駅前でサッカーの匂いを嗅ぐことは出来なかった。これについては他の地域は郡山に勝つチャンスだったんではないか。それに最後までサッカーをとても愛しているはずの協会の人間が『福島にはサッカーが根づかない』だとか『ここではサッカーより野球。』と言っていたのも悔しい。なんで『俺達がが根づかせよう。』、『福島FCの試合を満員にしよう。』ってならないのかな。とにかく各地域を切磋琢磨させずに『ホームは全県』としたクラブにも問題はあるが、こんなに愛されていないクラブチームはつぶれて当然である。もっとクラブを愛せ。もしクラブを再建したいと思うなら早急に何か行動を起こせ。それがクラブを潰した加害者側であるサポーターの責任の取り方だ。僕はやってみようと思う。

 最後に福島県民と福島サポーターに言いたい『福島FCを潰した罪は大きいよ』 五十嵐大志

 「PRIDE of FUKUSHIMA Pre.26」は福島FC.サポーター会報F.F.Cプレスと共に共同発行し、オフィシャルサポーターと選手に送付されました。(98年1月) それまでのPre.1−25がワープロ打ちの即席のビラだったので、皮肉にも最後の26号目が一番のできになってしまいました。
 私は今現在、このホームページを福島FC解散の原因追及の場にしようとは考えていません。ですが、私の気が変わったり、意見や反響によっては大幅に内容が変化する可能性はあります。