提出済みレポート。
(多少オリジナルとは変えています)

法解釈


 日本のように法律が明文化されている場合、その法の文面に二義性・抽象性が生じたり、また、法と法の隙間(欠缺)部分が生じたりする事があり得る。刑法の場合は罪刑法定主義に基づいているため、拡大解釈や縮小解釈の入り込む余地はないが、民法等の場合はしばしばこの「解釈」という手法が必要となってくる。
 さて、この「解釈」という作業は一体何を目的としているのであろうか。大村敦志教授の言葉を借りれば、「解釈」とは「一見すると明らかでない、あることがらの意味を明らかにすること(岩波書店『民法総論』p.69)」である。この明らかにする対象(=『あることがら』)とは何かということが問題になってくるわけだが、ここで二通りの考え方ができる。一つは「解釈の対象を法律のテキストに限定する」という考え方である。いま仮にこれをAとする。もう一つの考え方は「解釈の対象をテキストに限定せず、その他の要素も斟酌する」というものである。ここではこれをBとする。
 Aの考え方に基づく「解釈」としては、文理解釈や論理解釈が挙げられる。Aの考え方のもとで、ある条文のみに注目して解釈を行った場合は文理解釈となるし、関連条文を広く考慮に入れて解釈をした場合は論理解釈や体系的解釈となる。
 それに対して、Bの考え方に基づく解釈としては目的論的解釈がある。これは法が何を目的としているのかを考慮して解釈を施すという点で、法律のテキストから一歩外に出ていると言えよう。この目的論的解釈の中にも大まかにいって二通りの考え方がある。一つは立法者の考え方を示すサブ・テキストを考慮した立法者意志説、もう一つは現社会でのコンテクストを斟酌した上で、現代に於けるその法の持つ意味を解釈に取り入れる法律意志説である。Aの考え方における法解釈が表面的かつ一義的なものであるのに対して、こちらで述べているBの考え方での解釈は一義的とは言い難く、事例ごとに保護利益を考えてゆく必要がある。当事者間の利害関係を把握した上で当該法の持つ社会的意味を勘案して解釈を行う、という作業が日本ではよく行われているが、これは法律意志説に基づくものであると言える。
 さて次に法解釈の技法についてであるが、二つの両立しない規範があった場合に対するテクニック(縮小解釈)、もう一つは欠缺に対するテクニック(拡大解釈・類推)などがある。いずれにせよ共通するのは、どれもこれらの技法を用いることによって、法律全体としての無矛盾性を維持するために使用されているということである。
 まとめると、日本のような成文法の国では、法律だけではカバーしきれない部分がどうしても生まれてしまう。そこで、法解釈という手法は、法律をスムースに運用するうえで、欠くことのできない手段になっていると言える。



おわり


B A C K