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クイズ・ショウ /
Quiz Show /
Quiz Show - der Skandal

Robert Redford

1994 USA 133 Min. 劇映画

出演者

John Turturro
(Herbie Stempel -
クイズ・ショー21で勝ち抜いている出場者、普通の人)
Johann Carlo
(Toby Stempel)
Joda Blaire
(Lester Stempel)

Ralph Fiennes
(Charles Van Doren -
ステンペルを抜く出場者、コロンビア大学の文学講師、名門の出)
Paul Scofield
(Mark Van Doren -
チャールズの父親、大学教授)
Elizabeth Wilson
(Dorothy Van Doren)
Jeffrey Nordling
(John Van Doren)
Gina Rice
(Mrs. John Van Doren)

Christopher McDonald
(Jack Barry - 21の司会者)

Rob Morrow
(Dick Goodwin -
立法管理委員会の調査官)
Mira Sorvino
(Sandra Goodwin - 夫人)

Allan Rich
(Robert Kintner - NBC社長)
Debra Monk (秘書)

David Paymer
(Dan Enright -
クイズ・ショー制作者、責任を1人でかぶる)
Harriet Sansom Harris (秘書)

Hank Azaria
(Albert Freedman -
クイズ・ショー制作者)
Mary Shultz (秘書)

Martin Scorsese
(Martin Rittenhome -
スポンサー)

Ethan Hawke (学生)
Katherine Turturro
Calista Flockhart
Illeana Douglas
(パーティーの客)
Barry Levinson
(Dave Garroway)

見た時期:2003年5月

ストーリーの説明あり

長い間見たいと思っていた作品です。ゴージャスで分かりにくいというのが見終わっての感想です。

ゴージャスというのは見ていただければお分かりと思います。50年代後半のアメリカの生活様式を細部にこだわって再現しています。当時の車、当時のファッション、当時の調度品など。ノスタルジーと決めつけてしまうような再現ではなく、当時らしい人物が当時らしい姿で生き生きと描かれています。マルチン・スコシージ、バリー・レビンソンも俳優として登場。そして出演者もゴージャスです。

分かりにくいというのは、この映画の焦点。いくつかの問題に重点を置いてはいるのですが、何がレッドフォード自身の焦点なのかが分かりませんでした。50年代の世相を描写しただけのノスタルジー映画ではありません。それははっきり言えます。しかし彼が問題と考えているのが何なのかがはっきり見えて来ないのです。

★ 登場人物の枠組み

テレビ放送されるクイズ番組が大きな枠。その中で2人の主人公がトップ争いをします。他を引き離してどんどん勝ち進む、ユダヤ人で下層階級の既婚、子持ちのあまり見てくれのパッとしない男対、颯爽と登場した上流階級の名門、インテリ教授の独身でハンサムな子息という、お定まりのイメージで最初の半時間ぐらい進みます。

ヒットしたクイズ番組「21」がやらせではないかと疑問を抱き、調査を始める調査官もユダヤ系のアメリカ人で、こちらはハーバード法学部を首席で卒業した前途洋々、美人の奥さんをもらっている男。最初アメリカ人がユダヤ人に持っている偏見を図式的に出しておいて、それを別なタイプのユダヤ人に捜査させるので、話が複雑になります。ちなみにステンペルというのは特別にユダヤ的な名前ではなく、どちらかと言えばドイツ人のような名前です。ドイツ語ではシュテンペルと発音し、スタンプのことです。ヴァン・ドーランは欧州では恐らくファン・ドーレンで、オランダか、ベルギー辺り、あるいは南アフリカ辺りの名前ではないかと思われます。グッドウィンというのは元の名前を英語に翻訳したように見えます。例えば典型的なドイツ語の名前で欧州にいるとシューマッハーなどという人でもアメリカに移住して世代がかわるとシューメーカーなどと英語風に改名する人がいます。

★ 俳優の仕上がり

イメージの悪い方のユダヤ人を演じるタトゥーロはなかなかの出来です。この人は個性のある作品で重要な助演に欠かせない人ですが主演は珍しく、クイズ・ショーでは前半の主演を取っています。彼はすらっと痩せているというイメージを持っていたのですが、クイズ・ショーでは太目の大男。ごつい眼鏡をかけて、およそ美男とは言えない、パッとしない姿で出て来ます。いつものことながら個性たっぷりです。存在感もファインズとモロー2人分ぐらいの重みがあります。

イメージの良い方の役はロブ・モローというあまり聞かない俳優ですが、この役には上手にはまっていました。そこそこいい男で、夫人の役はミラ・ソルビーノ。恵まれた環境で、裕福そうな家に住み、キャリアも立派。頭(記憶)の良さはハービー、ディック、チャーリーとも互角で、テレビでクイズを見ている最中にも答を簡単に当ててしまいます。ポーカー・フェースも上手で、この作品ではポーカー・フェースが何度も必要になります。

クリーンなイメージで登場するレイフ・ファインズの作品はは何本か見ましたが、巷で美男と言われている割に私にはハンサムとは思えませんでした。クイズ・ショーではなるほど確かに美男だと思わせるシーンが多いです。クイズ・ショーのできた年にはシンドラーのリストで、1997年にはイングリッシュ・ペイシェントでオスカーにノミネートされていますが、イングリッシュ・ペイシェントよりはクイズ・ショーの方が出来が良いように思います。

クイズ・ショーの前半のファインズは内面・外見ともクリーンな男で放送局から白羽の矢を立てられます。ハービー・ステンペルの後継者で、八百長を持ちかけられた時も断わります。しかし局から説得を受け、意外と簡単に話に乗り、ちょっと気が咎めたのか、最初は問と答を丸ごと受け取っていたのを、問だけ受け取り、答は自分で探すようになります。美男で、ちょっとモラルもありそうな、若い女性の共感を得そうな役です。

★ 起承転結の転

しかし後半になると事情が変わり始めます。八百長を嗅ぎつけたディックが1人1人関係者をしらみつぶしに調べて行くうちに、チャールズは自分にも火の粉がかかると判断し、クイズ番組を降りる決心。それでわざと知っているのに「答が分からない」とし、挑戦者のナタリー・ウッドを思い出させるような美人にチャンピオンの座を譲ります。お金に困っているわけでもないので、ステンペルほど恐慌に陥りません。局はしかしチャールズを止めさせたくないので、クイズを降りると同時に別な番組の出演をオファー。是が非でもチャールズの颯爽とした姿と名門の家柄で視聴率をキープしようと強引です。表で笑顔を見せるファインズと裏で汚い商売を進める制作者を対照的に見せています。

後記: クイズ・ショーが作られたのは1994年。見たのは2003年ですが、その時までは思いもよらなかったことが作品に表現されていました。その点では先見の明があったと言うか、内部の事情を見抜いていたというか、立派だと思います。

今思うと1990年代から少しずつ世界が変わり始め、2000年代に入るとがらっと変わったわけですが、その間の様子を思い出すと、どこかの誰かが誰かに白羽の矢を立て、中央に引っ張り出し、スター的な扱いをする例が多くなったように思えます。ある程度それに見合った実力のある人もいれば、そうでない人もいます。どこをどういう風にどがちゃかやるのか分かりませんが、その人はその地位にいてある程度機能します。周囲の黒子がサポートしているのかも知れません。これだけでももし本人に実力が無いのなら問題ですが、ある程度、または非凡な才能を持っている人もおり、暫くは疑いを持つ人もおらずやって行けます。

私の目を引き不思議だなという気持ちを起こさせたのはその後。一定の地位を築き、たっぷりお金も入り、良いイメージを振りまいた中心人物が適度な時期に引退をしてからです。日本人は引き際の美しさを追及する国民なので、有名人がある程度のところで引退を発表したり、発表せずとも徐々に第一線から退いていくのは当然のように受け止めます。本人もそれがいいと思っている場合もありました。

ところがその後暫くしてなぜかカムバックが企画され、再登場するのです。中には本人はあまり乗り気でないような場合もあります。芸能人ならちょっとトレーニングし直し、化粧直しをして、今までとちょっと違うスタイルで仕事を継続ということは可能です。しかしスポーツ選手にはちょっときつい。そして政治の世界になるともっと複雑。クイズ・ショーはその抜擢、利用、引退、再利用の図式が骨になっていたと気づいたのはかなり後・・・私は鈍いですねえ。

★ やらせの了解

一見真剣勝負に見え、実はやらせだったということが大きな問題になったのは、時代が50年代で、まだ世間はナイーブに「聖なるテレビはいんちきをしない」と信じていたからです。それで調査委員会などが作られ調査が始まったのです。「テレビは単なるエンターテイメントをお茶の間に持ち込む機械だ」とテレビのアイデンティティーがはっきりしてからはあまり世の中も騒がなくなりました。知り合いにもクイズ番組に登場した後、ヤング向けの司会者の席をオファーされその後テレビ界に入った人がいますが、クイズ番組出演は単に彼のテレビ写りをテストするためだったようです。その日彼が勝つのは打ち合わせ通りらしく、それを見え見えにやっていましたが、そんな事で腹を立てる人はいない時代に入っています。50年代にはそういうコンセンサスが無く、「エンターテイメントはこの程度やる」、「報道番組は強引ないんちきはやらない」などという暗黙の規則が局と一般の人の間に出来ていませんでした。

ファインズは全体の半分ぐらい明るい清潔な顔を見せ、その後お尻に火がつきそうなのでクイズを止めようとし、局がさらにやれと言うので、嫌な顔もせず新しいオファーを引き受けるのですが、最後の方では「甘やかされたボンボンが事の重大さになかなか気付かない」というニュアンスを上手に出しています。背骨がぴしっとしている父親とは別な世代に入っているのでしょう。イージーゴーイング世代の草分けなのかも知れません。

これはやらせ番組告発のドラマかというと全然そうではないので、話は分かりにくくなります。裁判に似た公聴会では事前に問と答が準備されていて、尋問を受ける人は出席前に徹底的に練習をしています。これがやらせでなくて何と呼ぶのか・・・と考えてしまいます。その上傷をつけたくない人は上手に隠してしまい、公聴会に来なくてもいいように手配までする。それをやるのが調査に当たったディックで、彼に守られるのが上流階級出身のチャーリー。外で凍えながら見ていてどうなっちゃってるのと思いました。今年初めて見た野外映画です。せっかくディックが誤魔化そうとしているネタをステンペルがばらしてしまうので、結局調査委員会はチャーリーにも公開質問をせざるを得なくなります。

チャーリーは正直に「自分はいんちきの片棒を担いだ、ごめんなさい」と証言し、責任は全て、(本当は数人の責任者がおり、1人は NBC の社長なのに)現場で制作を担当した(たった)1人の人間だということになります(デキレース)。そしてその人はあっけらかんと「なんで怒るの?エンターテイメントだもの、いいじゃん」と居直ります。

この場で貧乏籤を引いたのはチャーリー1人。ステンペルはお金の面では思ったほど貰えず口惜しがっていますが、公聴会で自分の発言を聞いてもらったという点ではまあまあ満足。ディックは実生活ではこの後ケネディー大統領の協力者として仕事を貰っているので、損はしていない。NBC はショー・マスト・ゴー・オン。 レイフ・ファインズは図々しくも本物のチャーリーにこの映画で協力してもらおうと考え、近づきましたが断わられます。それでこっそりチャーリーの自宅に近寄り、ちゃっかり映画の事は秘して話をしたのだそうです。

概ね実話に基づいているのだそうで、いろいろなエピソードは実名で描かれています。90年代に入って私も知らなかった NBC の旧悪をばらしてしまったことになりますが、制作スタッフやスポンサーが裏で電話をし、勝手にどんどん決めてしまうあたりはおもしろかったです。レッドフォードは一体何を言いたかったのでしょうか(後記を参照してください)。

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