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マンハッタンラブストーリー

副題 ABC恋愛事件

土井裕泰、片山修、坪井敏雄

2003年10月-12月放映 J テレビ・ドラマ、木曜22時

出演者

小泉今日子
(A 赤羽伸子/虻野辺加奈子 - JAPONタクシー運転手)

岡田真澄
(鈴木大吉 - 赤羽信子の不倫の相手)

及川光博
(B 別所秀樹 - ダンサー、振り付け師)

森下愛子
(C 千倉真紀 - 脚本家)

松尾スズキ
(D 土井垣智 - ベテラン声優)

YOU
(春子 - 土井垣の妻、ベテラン声優)

森本ゆうこ
(あやめ - 土井垣の娘、俳優の卵)

酒井若菜
(E 江本しおり - 方言の出るアナウンサー)

きたろう
(誠 - 江本しおりの父親)

船越英一郎
(F 船越英一郎 - 俳優)

塚本高史
(G 蒲生忍 - マンハッタンのバイト)

松岡昌宏
(H 純喫茶マンハッタン店長)

尾美としのり
(I 井掘 - JAPONタクシー運転手)

山口智充
(ロベルト近藤 - ボイストレーナー)

見た時期:2003年12月-2004年1月


元々 JLo のメイド・イン・マンハッタンが時たまマンハッタンラブストーリーと呼ばれたため、行き違いから起き、それが友人動員という話にエスカレートし、何とこの地の果て(注1)でも見ることができたのです。裏で密かに暗躍して私も楽しめるようにしてくださった方々、私もようやくみなさんの話に顔を出すことができるようになりました・・・。

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あれっ、なぜ・・・(テンテンテン)なの?

顎っと来ました。ガクっと、いや顎でよかったか・・・。額ではない、学か、いや、顎に来てしまった。顎がはずれるほど笑ってしまいました。井上さんも言っているように、ああいうものは波長が合わないと全然乗れない、ちっともおかしくない。・・・乗りました。最近ずっと陰りがちだった私から一挙に笑いが出ました。やはり人は笑わないとだめですね。笑わないといい知恵も浮かばないし、前に進むことができない。

ガクっと来たのは自分が世の中からずれているというのが改めて分かったからです。外国に長く住んでいると仕方のないことではありますが、それでも諦めず、できる範囲で日本語を使い、日本の話にも耳を傾けていたのです。ですが、やはりねえ・・・。ま、長期滞在組に日本語が使えなくなってしまう人が出るという厳しい現実を考えると(注2)、私には友人のサポートがあり日本語喪失症はそれなりに押さえてありますが、さすがに流行語には参った。

時々ベルリンでも日本語の映画をやっているので、見に行きます。しかし北野武の映画では新しい日本語は覚えられないのです。マンハッタンラブストーリーを見て初めて気付いたのですが、北野武の脚本は標準的な、かなりきれいな日本語だったのです。そのため作品は時代を超えて生き残るだろうと思いますが、逆に現在の日本は分からない。「・・・ジャーン」という元は関東地方の方言だった言い方すら、北野武の映画にはあまり登場しません。なぜ北野武かというと、私の周辺で日本の映画というと北野の作品が多いからです。ファンタの作品を見ても、「こういう言葉を今の東京の若者がしゃべっている」というような台詞は少なく、5年ぐらい経って見てもあまり違和感を抱かないようにできています。監督も時代を超えて生き残りたいから当然でしょう。

その点、テレビは違います。テレビは現時点が命。今の事を伝えるのでなければテレビを見る意味がないわけです。最近はインターネットがあるので、遠い所からその「現在」に追いつく手段が1つ増えたのですが、それでもマンハッタンラブストーリーを見て「インターネットは静かだなあ」と思いました。ほとんど目で字を追うだけですからね。

流行語ということでなくても、皆が常識として知っているような言葉の意味が分からなかったりします。私はこちらの流行に乗っているのだからそちらのことはどうでもいいんだと割り切ってしまってもいいのでしょうが、やはりみなさんが人形町界隈で楽しそうに話しているのを見ると、私も入れて・・・と思ってしまうのです。マスターが時々「忍君はエスパーか」と言っているのが分からず、今も悩んでいます。文脈からすると、人の心を見抜くことのできる人、異星人、ロボットか何かだろうと思うのですが、こんな所で引っかかって悩んでしまうというのがもう時代に遅れている証拠。ね、誰か教えて。

最近はインターネットで提供するストリーミングのビデオも見るのですが、それと文字でもかなり違います。「埼玉県 xxx 市の事件現場では・・・」などと言いながら道路や家が出たりするので日本の雰囲気を思い出したり、天皇陛下が新年の挨拶をするのを見て「白髪が増えたなあ」などと、やはり写真や文字とは違うなあと思っていたところです。しかしテレビのない生活を選んだ私には衛星中継を見るという手段もないので、知らず知 らずのうちに浦島太郎になっていたのです。そこへマンハッタンラブストーリーが飛び込んで来たので、新鮮な驚きがありました。映画も大好きなのですが、映画とはまた違う雰囲気です。見慣れていると気付かないような東京の町の様子などが改めて目に入って来ました。

詳しいストーリーは長くなりますし、専用のサイトもあるので割愛します。

第 A 話

愉快な話が始まるより前に喫茶店の雰囲気がうれしかったです。ああいう場所はドイツにはないのです。あの代わりになるのがドイツ語で Kneipe (クナイペ) と呼ばれる場所なのでしょうが、雰囲気が全然違います(注3)。私は以前神戸によく行っていたのですが、神戸にはああいう感じの喫茶店がたくさんありました。某有名喫茶店もそうです。むろんあんなに常連客は入り乱れていませんでしたが、うちでは祖母から従姉まで女性軍がよく行っていました。珈琲に対するこだわりは、あのマスターだけでなく、東京でも神戸でも時々見かけました。ラーメンにこだわる店主、イタ飯にこだわるコックさん、刺身にこだわる板前さん、お蕎麦にこだわる井上さん、と日本ではこのこだわりが高く評価されます。ドイツにもこだわり店はあるにはありますが、ちょっと違う。こだわると値段が高くなってしまうのです。それに日本ほど口コミの威力はないような様子。神戸では仲間内で「あそこの珈琲はおいしい」となると、みなでゾロゾロ行っていました。同じ事は中華街でも、洋食屋でも、ケーキ屋でも。戦後すぐからそういう感じでした。値段は特に高くない店が大半。

日本ではまだ驚きを持って見られる女性タクシー運転手。ドイツでは80年代から普通でした(注4)。そのタクシーごと主人公の女性Aが紹介され、やがて客Bとのゴタゴタで偶然知った喫茶店M。展開が早く、すぐストーリーに入って行けました。手際が良かったです。

ちなみにドイツの女性タクシー・ドライバーは大柄で強そうな女性ばかりではありません。普通の人や小柄な人もいます。市電や地下鉄の運転手にも女性がいます。地下鉄の運転手にはどういうわけか美人が多くて、知り合いの男は「何であんな美人を闇の中に隠すのか」とぶつくさ言っていました。

第 B 話以降

さて、マンハッタンラブストーリーには誉める個所が多かったのですが、まず何よりも伏線がちゃんと張ってあるのでスッキリして良かったです。伏線がいいかげんだと後で腹が立ちます。後になってからでないと分からない事ですが、あのベッシーという男、なんであんなに女々しいんだろうと思っていたら、始終女の子に追いかけられて育っていたのです。男性とはあまり関わっていない人だったんですね。ゲイではないけれど女々しいタイプというのを上手く出してありました。自分からはあまり何もせずとも上手く行ってしまう男、そういうのありますよね。上手く言い当てています。始めの方で確かに「(踊りの)バレーとスポーツが得意だった」と言っているので、後半チンピラを蹴散らす話もうそ臭くならない。

マスター。本当は「変な男」なのでしょうが、彼の主観で話が進むので、観客にはそこは見えない。しかし彼の行動を冷静になって考えて見ると絶対におかしい(不審)!!!そこがおかしくて(愉快)で私は大笑いしました。半分は共感するのです。マスターの頭に浮かぶ疑問はおおむね理にかなっています。しかし彼が毎回変な賭けをやり、連続負け続けているのはどう考えてもおかしい。数回負けたら止めればいいのに・・・。そして負けるたびに店の前には「・・・始めました」とチラシが張りつけられる・・・。あれほどたくさんモノローグでは語るのに、実際にはほとんど言葉を発しない、失語症ではない男。そして毎回なぜか発作を起こして突然ハルクになってしまうのです。ハルク・シーン、カフェの前の貼り紙、道路に立つ土井垣はランニング・ギャグ。

マスターを中心にして、店にはいいかげんな男が2人出入り。これがベテラン声優Dとダンスの振り付け師B。加えてこの男たちに振りまわされる女2人。これがタクシーの運転手Aと脚本家C。店の外には予備軍がいて、タクシーの運転手A嬢に何かあると親衛隊が振り付け師Bを徹底マーク。人物設定はちょっと極端にしてありますが、まあ部分的には世間にはいくらでもある話でしょう。そういったありそうな話が上手く料理されています。

私はマスターのように無口ではありませんが、以前仕事の性質上知らなくてもいい人間関係の話をたくさん知ってしまう立場にいました。ですから「Aと Bがくっついているのに実はCも・・・」などというような話はいくらでもありました。こちらはそれを本人に言うわけにはいかない。・・・しかし私は知っている・・・と、マスターのように黒板を買って来て事務室で悩んだりはしませんでした。私の解決法は、仕事が終わった時点でそういう話に鍵をかけてしまい、次の日仕事に出向いてから改めて思い出すというもの。でないとこういう仕事は20年も続きません。この手の痴話話は驚くほど頻繁にあるのです。マスターも店を閉める時に忘れ、翌朝出勤して来てから思い出せばいいのにと思ったのですが、このマスター、一体家はあるんだろうか。店に寝泊まりしているのか、あるいは24時間眠らずに喫茶店の世話をしているのか、後半「家はない!」というような台詞を聞いたような気がします。やはり変な人だ。

話は変わりますが、あちらこちらにどこかの映画で見たようなシーンがちりばめてありました。日本のテレビ・ドラマなのに、ハリウッドの映画から取って来たようなシーンが突然飛び出すのです。その意外性が良かったです。日本ではこういう事しょっちゅうやっているんでしょうか、それともこのドラマ特有の演出なんでしょうか。浦島にはそういう事は分からない。

最近はハリウッドでもただの俳優だと思っていた人が急にミュージカルに進出したり、うれしい驚きの連続ですが、マンハッタンラブストーリーのキャストも結構歌がいけるようで、最後は合唱。ベッシー役の俳優は踊りもいけるようです。キャストはほとんど全員が世代交代していて私の知らない人ばかり。森下愛子と小泉今日子という名前は聞いたことがあります。それに船越英一郎という名前にも聞き覚えがあるのです。しかしどこで見たのかよく思い出せない。時代にすっかり乗り遅れていますが、全員が役者なんでしょうか、それとも歌手やダンサーも参加しているんでしょうか。

物語は、好き勝手にジコチューでくっついたり離れたりしている数人の男女にすっかり降りまわされ、人生をあやまりかける純喫茶の店長という風にまとめることができるでしょう。その心は、ミッドライフ・クライシスか?これまで自分で正しいと信じて珈琲に命をかけて生きていた店長の人生が毎回崩れ、テレビで妥協、スパゲッティーで妥協、マンガで妥協、徐々に不本意な方向へ。そして憧れの人は自分の珈琲 を飲んでくれない。徐々に反感を募らせそれが毎回爆発し、ハルクになってしまうのです。これは悲劇なのか、喜劇なのか。・・・脚本家だけが知っている、千倉さん、教えて。

最終回

最後の回はやや無理があり、慌し過ぎました。九州訛りの実業家に岡田真澄を連れて来るというアイディアには賛成。あのダンディー男が「ごわす」とのたまう旦那様になるという図は24年前に日本を離れた私には想像もできませんでした。あのプレーボーイがマジで身を固めたと聞いただけでびっくりしたのですから。しかしその役を、ナークに出演したレイ・リオッタのごとく軽くこなした岡田真澄。彼と赤羽さんとのいきさつにもう少し時間をあげたかったです。最後巻きがかかっていたんでしょうか。ほぼ全員が最初予定されていた人とは違う相手と結ばれたというのも意外性があって良かったですが、それをたったの1回に押し込んでしまったのはちょっときつい。最後の回は2つぐらいに分ければ良かったかと思います。

第A回のままの人生で最終回を迎える人はおらず、みな人生観がガラっと変わってしまいます。みなそれまでいいと思っていた生き方がだめになり、違う方法を探し始めます。そういうまじめな話を、全くまじめに取るわけに行かないランニング・ギャグの連続で見せられたものですから、笑った、笑った。

俳優はみな役に合っていて文句はありませんでしたが、特に愉快だったのが店長。やはり主役ですから実力が無いと行けませんが、とぼけた顔でマジな事を語れる人はあまり多くありません。以前田村正和がクールな二枚目からコメディー路線に乗り出し、似たような雰囲気を出していました。それにドリフターズの髭ダンスの雰囲気を加え、松岡昌宏はそれをさらに究めようと試みたのでしょうか。

日本で知っていたテレビドラマは一過性のものが多く、2度見てみようなどと思うものはほとんど無かったのですが、マンハッタンラブストーリーは、続きが届く前にもう2回目、3回目、と繰り返して見てしまいました。次に来るジョークはもう分かっているのに同じ場所で笑う私は馬鹿だねえ。

ゲイか芸か

Bが女々しいタイプだというのは上手に決まっていました。職業柄そういう振る舞いが仕事の一部になっているという点もうまく出ていました。その反対にかなり無理があって、止めておけば良かったと思ったのが忍君。マスターの心をいとも簡単に見抜き、あっけらかんと物を言うシーンはどれも良かったです。ウエファースの事などきれいにばれていて、松岡昌宏とぴったり息が合っていました。しかし後半忍君が実は女だったという話になり、塚本高史に女装をさせるのは無理で、俳優が気の毒でした。母親役の男優はベテランらしく、取り敢えずその場を収めていましたが、見ていて楽しくありませんでした。ベルリンはゲイの多い町で慣れているせいか、ああいう風ではないと思ってしまうからかも知れません。塚本高史はヘテロ(注5)の男で、男の役の方が合っているというのが見え見えなのです。本人にも現在は女形を究める意志はないようですし。ここは下手に話を複雑にしない方が良かったかも知れません。あるいは別な俳優を連れて来てやらせるか。しかしマスターのことがばれて いるシーンは塚本高史で絶妙に決まっていたから、それを投げ出すのも惜しい。キャスティングは難しい仕事ですね。

なぜこれがラブストーリーなの

見終わって、なぜこれがラブストーリーなの・・・という疑問がぽっかり浮かんで来ました。確かにABCDEFGH入り乱れてくっついた、別れたとあれこれやっていましたが、恋をしている人はいなかったのではないか。この変な考えのきっかけを作ったのは忍君。彼が実は女の子だったとはまだ想像もつかない始めの頃のシーンですが、「店長は恋に悩んだことがあるのか」との批判的御発言。この時はそのシーンに合う程度の事しか考えなかったのです。

しかし見終わってみると、いったい井掘、鈴木も入れてこの10人ほどの人物、本当に恋をしたのか・・・とかんぐってしまいましたねえ。例えばベッシー。彼は本当は千倉が好きだったために赤羽の好意を受け入れられないということになっていました。しかしベッシーはなぜ千倉を好きになったのか・・・。あれは単に千倉が自分より人生を知っているような女だから、彼女に水先案内人をやらせておけば楽でいいということではなかったのか。結局最後ベッシーは別な女性と結ばれますが、その方が見ていても納得が行きます。千倉と一緒になってみても彼女から習うべき事を習ってしまったらそれで終わりになるでしょう。そういうのでも恋と呼びますか。

シーンが短かったせいかも知れませんが赤羽は鈴木を愛していたとは見えず、鈴木の方は自分の所有欲を満足させるためにああいう田舎っぽい世間知らずの女の子を囲っておきたかったのではないかとかんぐってしまいます。それでも恋か。

忍君がマスターに恋をしているとなっていましたが、全然それらしくない。ウマが合っただけではないのか。ウマは恋か。

千倉と土井垣はかつてはどうだったか知りませんが、現在では惰性。1人きりになるのが嫌な千倉は土井垣がいてくれると話相手ができて便利。土井垣は釣った魚には餌をやらない男だから、結婚はするもののよそでしょっちゅうつまみ食い。しかし、妻が出て行くのは望んでいない。あの年で1人というのは土井垣には耐えられないでしょう。妻に三行半をつきつけられたらすぐ次を。そこでできちゃった婚に乗り換え。しかしこの人はまた次の獲物を狙うでしょう。ですから最終回の最後でチラッと出た結論は江本にとってはベターな落着。

Fは誰だっけ。ああ、船越さん。調子の良い事をヘラヘラそつなく言っているので、裏もいいかげんなのだろうと思っていたら違いました。彼はおもしろかったです。テレビ界では二枚目で通っているのに実は愛妻家で変な誘いは上手に断るという、予想を裏切るキャラクターになっているのです。恋より誠実さで勝負の人ですね。全然そう見えないところが良かった。

誠実さと言えば井掘。同僚を思いやるのか自分のエゴなのか、どうもよう分かりませんでしたが、大学の運動部の応援団風に赤羽の親衛隊を引き受けていました。このキャラクターもおもしろかったですが、彼は赤羽に恋をしていたのか、それともアイドルとして褒め称える対象が必要だったのか。西洋の騎士道を思わせる設定ですが、あくまでも三枚目に徹していました。

店長は赤羽に恋をしていたのか。彼は恋の話をする前に社会生活をスムーズに行う練習をしなければ行けない。それを卒業してからでないと恋は分からないでしょう。しかし彼の翻弄された時の表情が1番おもしろかった。

赤羽さん。あなたは誰かに恋をしましたか。鈴木はまだ右も左も分からない時の話だから数に入れず、ベッシーには腹を立てただけ。あちらがくっつき虫でついて来たから受け入れただけでしょう。ベッシーの言う「お友達主義」に腹を立てるなどあなたの主体性には大いに賛成しました。店長にも気を使っていましたが、あれが恋なんだろうか。違うなあ・・・。

恋とは何ぞや。答は・・・タランティーノ。

いや、あれも西洋の騎士道かな・・・。

小姑みたいにうるさい事を書きましたが、そういう話は全部横へやってもう1度見て笑えるというところがマンハッタンラブストーリーの良いところです。いやあ、とにかくよく笑った

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