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サタデー・ナイト・フィーバー /
Saturday Night Fever

アクセル・ホッパーではない

John Badham

1977 USA 118 Min. 劇映画

出演者

John Travolta
(Tony Manero - ペンキ、大工道具屋店員)

Martin Shakar
(Frank Manero Jr. - トニーの兄、元牧師)

Val Bisoglio
(Frank Manero Sr. - トニーとフランクの父親)

Julie Bovasso
(Flo Manero - トニーの母親)

Nina Hansen
(トニーの祖母)

Karen Lynn Gorney
(Stephanie - オフィス・レディー)

Barry Miller
(Bobby C. - トニーの友達)

Joseph Cali
(Joey - トニーの友達)

Paul Pape
(Double J. - トニーの友達)

Donna Pescow
(Annette - トニーのガールフレンド)

Bruce Ornstein (Gus)

Sam Coppola (Fusco)

Helen Travolta (ペンキ屋の客)

見た時期:日本公開当時、2006年9月

ニック・コーンの小説の映画化(・・・だなんて知らなかった)。

ストーリーの説明あり

ジョン・バダムという監督を良く知っているとはお世辞にも言えませんが、サタデー・ナイト・フィーバーは彼のキャリアのほぼ真中に作られています。それまでほとんどテレビ畑の人でしたが、これを機に映画の方に乗り出すことが増えています。私が注目しているのは、ジョニー・デップのニック・オブ・タイム。あまり有名ではありませんが、ニック・オブ・タイムはデップの作品の中で注目に値すると考えています。2000年頃からはまたテレビ畑に戻っているようです。

公開当時世界中がフィーバーしてしまい、ストーリーに目をやる人がほとんどいなかったように記憶しています。私は当時まで好きでなかったビージーズが突然おもしろい音楽を引っさげてカンバックして来たので、そちらの方に目でなく耳を奪われていました。

トラボルタの踊りにも魅了されたものです。何年も経ってからサタデー・ナイト・フィーバーの事を考えると、当時のファッションは《ださい》という印象で、あまり《もう1度》という気になりませんが、トラボルタの踊りは《やっぱり凄い》と思います。今でこそブレーク・ダンスだ、ストリート・ダンスだ、サルサだなどとおもしろいダンスが流行りますが、当時トラボルタがあれを踊って見せるまでは、《ダンスなんて》という感じで、目を奪われるなどということはありませんでした。

サタデー・ナイト・フィーバーの功績は、毎日普通に仕事をしている若者がああいう風にして週末ダンスを楽しむといった事が世界中に広がるきっかけを作ったことかも知れません。当時はニューヨークの一地域だけの流行りだったディスコ、ディスコ・ミュージック、ディスコ・ダンスが、トラボルタと共にあっという間に世界的な流行になってしまったのですから。その時のビージーズの功績もトラボルタと同じぐらい大きいです。

というわけで当時は踊りと音楽で世界中を圧倒した映画ということになっていましたが、私がサタデー・ナイト・フィーバーをあまり軽々しく扱わなかったのは、1人の若者の人生の転機も木目細かく表現していたからです。私はこの監督の作品は2本しか見ておらず、ニック・オブ・タイムを見た時には、すぐこれがサタデー・ナイト・フィーバーの監督だとは思い当たらなかったのですが、改めて見てみると、人を木目細かく表現する人だと感じます。

内容的にサタデー・ナイト・フィーバーに似た作品はと言うと、実はマーロン・ブランドやジェームズ・ディーンが主演して世界中から問題作だともてはやされた作品。しかし私はあまりにも有名になり過ぎ、高く評価され過ぎた2人より、サタデー・ナイト・フィーバーの方に軍配を上げたいです。まだ人生をちゃんと分かっていない若者がいくつかの体験をし、成長して行くという過程を、アメリカ特有の車を繰り出す若者、その周囲に群がる女の子などで表現しているのですが、サタデー・ナイト・フィーバーはとっつきやすく、共感しやすいのです。妙に《問題作》と肩をいからせていないところに却って好感を持ちます。

明かな転機にさしかかったトラボルタとビージーズを世界の大きな渦に巻き込み、 両者には良い事ばかり起きたのではありませんが、この作品ができた時は元気いっぱい、人生に飛び出して行く若者でした。1度ブームを経験し、暫く忘れられていたシンガー・ソングライターの復活戦という側面もあります。

トラボルタのサタデー・ナイト・フィーバーでの仕事ぶりを作品だけで見ると、キャリーでチラッと目立った若者が、次の段階に進み、大躍進ということになります。意気揚揚、大喜びで頑張ったと言いたいところなのですが、実はちょうどサタデー・ナイト・フィーバーの撮影中に恋人を癌で失うということになります。テレビのペイトン・プレイス物語などに出ていた1児の母親で、ちょうどシングル・マザーになったところでトラボルタと知り合い、トラボルタの方はマジで付き合っていた様子です。撮影中に彼女が危篤という連絡が入り、ニューヨークからカリフォルニアへ飛び、彼女を見取ってまた撮影に戻るということだったそうです。ですから、顔の写っていないシーンは一部トニーの仲間を演じた俳優がスタンドインで撮っていたそうです。

ストーリーの重要部分はトニーの生き方。家庭環境などをたっぷり見せてくれます。イタリア語が頻繁に飛び出す祖母、英語中心の両親、兄、妹。カソリックの家で、神を冒涜するような事を言うとビンタが飛んで来ます。普段は叩いたりしないようですが。

この家ではカソリックの神父になった兄が一家の希望で、ペンキ屋で時給で働いているトニーは家族にしてみれば落ちこぼれ。よく比べられるので、トニーは家では楽しくありません。

憂さ晴らしは土曜の夜のディスコで。本当に休める日は土曜の午後と日曜日だけ。無け無しのお金はディスコで使い果たすようなのです。ディスコに行くと彼はちょっとした顔。皆が寄って来て挨拶をして行きます。それは彼のダンスがカッコイイから。

数人の同じような少年たちが友達としていつも周囲にいて、その他に追っかけの女の子もいます。現在のガールフレンドはアネッテと言いますが、まだセックスには発展していない様子。トニーの頭の中ではダンスの方が女の子と寝るより重大事。70年代のニューヨークはまだ今ほどではなく、車をその辺に止めておいても大丈夫だったようです。ドラッグ、セックスもまだ現在ほどではなかったのか、あるいは映画なので少し少なめに表現したのか、その辺は今となっては分かりません。

トニーたちが集まるディスコはスタンリー・カブリックの映画にちなんだような名前で、現在は無くなっているようです。トニーたちが生活しているのはブルックリン。当時のブルックリンはマンハッタンに比べ、ガラが悪いということになっていました。

トニーはディスコのダンス・コンテストに出場することにしていて、ガールフレンドのアネッテと一緒に出るつもりにしていました。ところがある日、ステファニーという女の子のダンスが上手いことに気づき、パートナーを交代します。ステファニーはブルックリンの女性ですが、ここから出て外の世界に羽ばたこうと努力中。

トラボルタはドイツではスタローンの次ぐらいにマッチョだということで嫌われています。彼から女性を特別尊重しているような発言はありませんし、奥さんが仕事をすると言い出した時止めたという話も伝わっています。 しかし今サタデー・ナイト・フィーバーを改めて見ると、70年代には2通りの女性がいて、それがこの作品にも描かれているように思えます。1人はアネッテに代表されるようなスタンス。自分がどうのということではなく、自分が付き合う男のステータスに相乗りしてしまう人。トニーの女だということで受ける恩恵を人生の目的にしてしまいます。もう1つはステファニーのタイプ。まだ現代的な女性の自立という形が具体的にできていませんが、現在の自分の状況に満足せず、職を持ち、現在より上の層に行こうとする女性。実はアネッテよりましに見えるステファニーにもアネッテと似た面があるのですが、困難にぶつかった後、起き上がって1人でやって行こうという姿勢を持っています。ですからトニーとこれからも付き合うと言う時、トニーの女ではなく、トニーの友達となります。

日本で公開当時サタデー・ナイト・フィーバーを見た時は自分も若かったし、まだ外国生活というのを直接は知らなかったので、ブルックリンだ、マンハッタンだ、階級だと言われてもピンと来ませんでした。そういう事を理解し始めたのはドイツに来てからです。来て早々、ある人たちから、貧民街に住まず、もっと高級な住宅街に住むように薦められたからです。考えた挙句、貧民街に決め、現在もそこに住んでいますが、ドイツはそういう事も気にしなければ行けないのかと初めてこの国の別な顔を見た瞬間でした。その後、ドイツでは学歴が日本ほど自由な選択ではないと分かり、先進国へ来たつもりだったのに、こういう考え方は日本ほどリベラルでないと徐々に分かって行きました。

アメリカから来たサタデー・ナイト・フィーバーの社会的な面を当時私が理解できなかったのは、日本の状況が当たり前だ、先進国はもっと進んでいると思い込んでいたからでしょう。実はこんな若者向きの映画でもしっかり社会の矛盾点を表現していたのですが、私が無知だったわけです。こと階級、学歴に関しては、アメリカ=ドイツというわけでもなく、アメリカと日本の方が似ているところもあります。お金、成績、あるいは両方があれば、乗っていたレールを取り替えることが可能だという点と、自分の世代でに急上昇しても周囲はあまりひどい軋轢を用意して待ち構えていないという点です。日本がもう1歩進んでいるのは、高学歴を得た後、学歴があまり関係のない業種の職業を選択しても大きなトラブルにならない、周囲がその選択を認めるという点でしょう。自分の国と違う環境に身を置いてみて初めて分かった話です。

さて、トニーに袖にされてしまったアネッテの人生は空回りを始めます。彼女はそれまでトニーの側にガールフレンドとしていられて、それなりに他の女の子よりは良い地位にいたわけですが、早い話がトニーに差す後光の恩恵を受けていたわけです。なるべく早くトニーと寝てしまって、自分の地位を確固たる物にするというのが次の戦術。

これは60年代前半の話ではなく、70年代後半の物語なので、男女関係に関してはトニーはいささか清廉潔白過ぎる感があります。映画の主演を《セックスに自堕落な》という設定は青春映画ではまだ難しかったのかとも思いますが、原作も映画とほぼ同時期で、当時の事を考えてもやや古風な印象を受けます。その言い訳、というか理由付けになっているのは、トニーは女なんかに興味がない、ダンス一筋だという路線。ま、ここは深く突っ込まないことにしましょう。

いずれにしろそういう目論みのアネッテにとってはパートナーをはずされるというのはショックで、トニーを取り戻すためにセックスの安売りを始めます。トニーと車のバックシートでという段取りになった時に、避妊しているかと聞かれて、「そんな事気にしてないわ」の一言。

その一言でパッと目が覚めてしまったトニーは「お前、アホか」との一言。アネッテができちゃった婚に持ち込みたかったのか、あるいはその点はボーっとしていたのかは不明。それほど陰険に計画を立てるようなキャラクターには描かれていません。

トニーの方では仲間の少年の1人がガールフレンドを妊娠させたため、堕胎を勧めるか結婚すべきかでマジに悩んでいるところでした。友人が巻き込まれているトラブルを教科書として、トニーはアネッテにはお引取り願います。

彼の目下の関心事はステファニー。スノッブでダンスの上手なちょっと年上の女性です。ちょうどトラボルタ自身が18歳年上の女性と付き合っていたためなのか、ステファニーとのやり取りは自然な感じです(エデンの東とかぶりそう。この線を狙ったのか?)。この実在した18歳年上の女性というのは重要な人。トラボルタにトニーの役を引き受けるように強く薦めた人です。映画の完成を待たず他界。トラボルタは非常にショックだったようなのですが、撮影は無事終了。

ディスコで見かけたステファニーがトニーが練習するつもりだったダンス・スクールで部屋を借りていたため、話をするようになります。早速コンテストの話を持ち出し、強引に彼女のOKを取ります。トニーをダンスに浮かれているいい加減な男と思っていたステファニーですが、彼女が遅刻して来ると、「遅い!」と怒ったりするので、トニーにもいい加減でない面がある事がステファニーにも伝わって来ます。で、練習をしたり、後でお茶を飲んだり。しかしそれ以上の関係は双方とも望んでいない様子。

そうこうする間に家では一悶着。自分も尊敬していた兄が神父を辞めて来たのです。これからは一般人になると宣言し、取り敢えずは家に住み始めます。これまでトニーは両親からいつも兄と比べられ、兄が良い例、トニーが悪い例とされていたので、この展開はトニーに取ってより両親に取ってこの世の終わりのような出来事です。

兄は世間の矛盾に耐えられず信仰を捨てた様子。しかしトニーに取っていい兄であることに変わりなく、ディスコで踊るトニーを励ましてくれます。トニーに取っては兄が身近になって来ました。

こんな事をやっている間、仲間の1人は妊娠してしまったガールフレンドの事で深く悩み、友達に相談に乗ってもらおうとします。ところが誰も真剣に話に乗らず、皆「そのうち何とかなるだろう」と考えています。トニーの兄も相談を持ちかけられますが、彼は還俗した身なので、権限も守秘義務もなくなっており、自分を神父と呼ぶな、(神父として)頼ってくれるなということを強調します。

この後2つの出来事が起き、トニーは決定的に人生を変えようと考え始めます。1つはアネッテ。彼女は2度目のアプローチではコンドームを用意して来ますが、トニーに「お前、アホちゃうか」と言われ、またストライク。あろう事か彼女はトニーの友人と走る車の中で始めてしまいます。最初ふざけていたのが、遊びではなくなり、彼女は真っ青。同じ車に乗っていて、レイプとも合意とも言いかねる妙な事が起きているのを側で見ているトニーも複雑な顔。「お前、こんな事が望みだったのか」ときつーい一言が彼女をぐさっと刺します。

そのすぐ後に、今度はガールフレンドを妊娠させてしまった少年が完全に切れてしまいます。自暴自棄で60メートル以上ある橋の欄干の上を歩き始めます。以前に転落の真似をしてアネッテを驚かせた少年たちも、今度は冗談ではないと気づき、トニーが彼を車に戻すべく説得を始めます。しかし彼は転落死。最後に「何度も相談しようとしたのに、誰も聞いてくれなかった」の一言がトニーをグサリ。

サタデー・ナイト・フィーバーはドイツでは女性を蔑視した作品だ、マッチョ推進映画だということで散々な目に遭っています。トラボルタがドイツでは嫌われているサイエントロジーの広告塔的会員だということも手伝って、トラボルタは評判が良くありません。私も長い間そういう印象を持っていました。今改めてサタデー・ナイト・フィーバーを見直してみると、そういう批判が出た理由は納得が行きます。描かれている女性から受けるイメージは馬鹿か高慢。家庭のシーンでも信仰にしがみつくお母さんという感じです。まだこれで通った時代だったのかも知れません。

さて、いよいよダンス・コンテストの当日。アフリカ系カップル、プエリト・リコ系カップルなどのが出場し、トニーとステファニーのカップルも踊ります。この映画の最高のダンスの見せ場はここではなく、その前。トニーが1人で踊るシーンです。また、前半のストーリーでは振られてしまうアネッテと踊るシーンも見ごたえがあります。コンテストではプエルト・リコ系のカップルの方がプロフェッショナルなダンスを見せ、トニーもそう感じます。仲間はトニーが優勝したのを喜び、誰もが「あいつ等よりトニーの方がいい」と言いますが、トニーにはこれが一種の人種差別だと感じます。それでせっかく新しい人生をスタートさせるのに使うはずだった賞金500ドルとトロフィーを2位のカップルに押し付けてディスコを出てしまいます。

自分に鼻も引っ掛けない女性(ステファニー)の登場、友達の死、兄の還俗などが何時の間にかこれでいいと思っていたトニーの人生に大きなインパクトを与え、彼は別な人生に乗り出す決心をします。

この後ビージーズの話に移りますが、このまま続けると長くなるので次のページに書きます。

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