January.26,2000 うわぁーっ、で、出たあーっ!

        あっ、あの逃げないでいいですからね。逃げるなら、ひとりで逃げないで私も連れてって。別にプロレスラーの話をしようという訳じゃない。ここは、音楽のコーナーなんだから。上の写真、パパ・チャビーという、れっきとしたブルースマン。ギターを弾き、歌を歌う。これは日本でのみ出た、初期の3枚のアルバムから編集されたベスト盤のジャケット。

       英語のスペルは、POPA CHUBBYだから、てっきりポパ・チャビーだと思ったていたのだが、パパと読ませるらしい。チャビーは、辞書をひいてみたら、「丸々と太った、丸ぽちゃの」という意味だそうで、ようするに、デブ親父。なんとストレートなリング・ネームを付けてしまったしまったことか! 違う違う、プロレスじゃないんだから、リング・ネームじゃないよね。ステージ・ネームか。

       それにしてもインパクトあるでしょ、この人。宇多村一雄氏は、「ブルースって顔で聴かせるって部分あるでしょ」と言ったことがあるが、それからすると、この人なんか、あっさり落選。黒人のブルース・マンって大抵太っているからいいとしても、う〜ん、スキンヘッド。私もハゲ始めてからスキンヘッドで通しているから、人のことは言えないけれど、顔が怖いー。

       ジャケット写真でしか見ていないのだけれど、どれを見ても衣装はノースリーブ。丸々とした腕を見せつけている。その腕には、刺青がいっぱい。右腕の漢字はなんて彫ってあるんだろう。一番上の文字が解らない。近い文字だと[妥協愛]なんだろうけど、凄い言葉だねえ。

       1960年生れというから、40前だよ、この写真。で、肝腎の音の方なのだが、まともにブルース演っている。ギターの切れもいいし、歌もぶっとい声で迫力ある。特に初期は、もろブルース。オリジナルがほとんどだが、カヴァーもいい。ブルースの定番的名作、『Nobody Knows You When You're Down And Out』なんか、うまいものだ。もう一枚、日本盤がでているライヴCDでは、トム・ウェイツやボブ・ディランまでカヴァーしている。きわめつけは、レッド・ツェッペリンの『ロックン・ロール』。けっこう、カッコいい。これが、このライヴでのラスト・ナンバーのだったらしく、「ロックン・ロール・ネバー・ダイ!」と叫んで終わっている。それでわかるように最近は、ややブルースから離れ、ロック色が強くなっているようだ。

       是非ライヴを見てみたいのだが、呼んでくれるプロモーターいないだろうなあ。それでは最後にこのCDの裏ジャケットをどうぞ。

     うわぁー!!!

       訂正―――宇多村さんのからのご指摘で、去年来日していました。打ち終わったあと、なんとなく去年来ていたかもなあと思ったのだったけど、確かめずに送ってしまった。ごめんなさい。でも、見たかったなあ。今年は、ブルース・カーニバルちゃんと見に行こう。ただなあ、日比谷野音、雨降ると悲惨だしなあ。


January.18,2000 そうか、ポイントはストーリー性だ

        英語に堪能な人には、何を今更と言われそうなのだが、英語の歌の歌詞の意味を知らないでいて突然解ったりすると、妙に感動してしまうことがある。先日、ラジオでパティ・ペイジの『涙のワルツ』が流れてきて、蕎麦を打ちながら聴いていたら、何故かスーッと歌詞が頭に入ってきた。ああ、いい曲だなあと思い、さっそくCDを買ってきた。

        パティ・ペイジって知ってますよね。『テネシー・ワルツ』で有名なワルツの女王と言われる人。その『テネシー・ワルツ』も、歌詞の内容はしんみりとしたもの。ある夜、彼氏とテネシー・ワルツを踊っていたら、私の旧友とばったり出くわした。彼に彼女を紹介したらば、二人は一緒に踊りだした。やがていつしか彼女は私から彼を盗んでいった。テネシー・ワルツとあの夜のことを思い出すって歌詞。このことも今回、CDを買ってみて初めて知った。

        『涙のワルツ』の原題は、I WENT TO YOUR WEDDING という。ほうら、だいたい見当ついたでしょう。愛していた人が、他の人と結婚してしまう。その結婚式に参列する内容。愛した人が、教会の廊下に現れる。私は合図を送り、さよならと囁く。さよなら私の幸せ。サビの部分は、簡単な英語だから、訳すまでもないだろう。中学一年生の英語力で、十分に理解できちゃう。中学英語もこういうところから教わっていたら、もっと英語に興味が持てたろうに。

        Your mother was crying
        Your father was crying
        And I was crying too
        The tear drops were falling
        Because we were losing you

        シュガーの『ウエディング・ベル』の元ネタじゃないかと勘ぐりたくなるが、まあ少なくとも、発想は同じだろう。私、こういう歌に弱いのだ。なんだか、映画の1シーンのように、情景が浮かんでくるじゃありませんか。

        私、今これを書いていて、突然に理解した事がある。私の好きな歌の多くは、ストーリー性を持っているということ。抽象的な歌詞だったり、メッセージを伝えようとしている歌詞だったりするよりも、ストーリー性のあるものの方が心の中に、すんなり入り込んでくる。あの人のあの曲も、あのバンドのあの曲も。次々と浮かんできてしまった。それらのことは、これまた追々、書いていこう。まだ、ホームページ始めたばかり。のんびり行こう。


January.10,2000 たまにはライヴ行かなきゃ

        長いこと、日本のブルース・バンドのライヴを見ていなかったのだが、このところ、また見たくなってきた。私が、よく見ていたのは、80年代の後半。その5年間は、なんだか取りつかれたように、週末になるとライヴ・ハウスのスケジュールを確かめて、通っていた。

        中でも、好きだったのが、吾妻光良。このギタリスト、エレキでも一切ピックを使わない。ゲイトマス・ブラウン、アルバート・コリンズに傾倒していると自認する、彼の奏法はダイナミックだ。暴走するとみせて、すんでの所で抑制を利かせてみせるセンスは、聞いていて興奮を生み出す。

        吾妻は、本職は会社員。片手間のようにして、ライヴをこなしてしまうのだから、天才と言えるだろう。さらに、雑誌に書いている文章が、飛びぬけて面白いときている。もう、才気走った人だ。飄々とした格好でステージに乗ると、独特の個性のトークで笑いをとる。この人にはカリスマを感じる。

        そんな吾妻が、一貫して続けているバンドが、スウィンギン・バッパーズという、ジャンプ・バンド。久しぶりに見に行った。吾妻を見たのは、5年振りくらい。スウィンギン・バッパーズとしては、10年近く見ていなかった。びっくりしました。渋谷クワトロ、満員。いつから、こんなに人気が出たんだろう。客の乗りも、10年前はこんなに良くはなかった。みんな、身体を揺すって楽しんでいる。

        インスト一曲のあと、吾妻登場。割れんばかりの拍手だ。ギターをかき鳴らし、即興で歌い出す。「みんな元気そうじゃないかーい。Y2Kなんて言われたけれど、何もなかったじゃないかーい。めでたーいな、めでたーいな、めでたいーな。みんな生きているじゃなーいか。かえるだーって、あめんぼだーって、おけらだーって。おけら見た事あるかーい。マイクロ・ソフトはイカサマだ!!」。大受けのところを『歳には勝てないぜ』に突入。タイトルどおりの曲なのだが、10年前でも現実感があったが、今聴くと、ますます同感を覚えてしまう。

        その後は、うれしいことに知らない曲が続く。もう長いことCDを出してないから、新曲がないのかと思っていたが、コツコツと創っていたようだ。中でも『嫁の里帰り』という曲が気に入った。奥さんが久しぶりに里帰りして、独身に戻った気分の男の心情を歌ったもの。布団なんか畳まない、新聞読んだら放り出せ、パンツ一丁で部屋を歩こう。コンビニ行って食事を買おう。サラダなんて買わない。身体に思いっきり悪いものばかり買って、テーブルに並べよう。といった歌詞が続く。

        45分程演って、第1セット終了。第2セットの1曲目は、12弦ギターを持ち出してキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』。これ、なんかのオムニバスCDに入っていた曲で、買ったのだけれど他のバンドのが、ひとつも面白くなくて、こればかり聴いていたのを憶えている。だって、あのプログレですよ。あれを、スイング調にしちゃうんだから。これをライヴで聴いたのは初めて。CD版とは、ちょっと変えてあって、スイング調のワンコーラスを終えると、突如、ブルースをギターで弾き語り。元に戻ると狂的な世界に突入してしまうという、かなり興奮の一曲。

        そこでゲスト登場。出たー、藤井康一だ。知ってます? かつてのウシャコダのヴォーカルでありサックス・プレイヤー。一応説明しておくと、ウシャコダは78年の[イーストウエスト]でグランプリをとり、翌年、『土一揆』というアルバムでデビューしたバンド。当時私は、このバンドの音を聞いたことがなくて、そのデビュー版のジャケットを見ただけで、購買意欲をなくしてしまった。だって、お百姓さんの格好をしたメンバーが、畑の中で松明を振りまわしている写真なんだもの。後にウシャコダはブルース・バンドだと知ってたまげたものだった。気がついたときには、すでにウシャコダは解散していた。

        その片鱗に触れられたのは、88年にダブル・ダイナマイトというバンド名で、[高円寺JIROKICHI]に出ていたのを見たことくらいか。このバンドは、藤井と、やはりウシャコダのギタリストだった菅野ケンジを中心にした5人組。かなり危険な雰囲気を感じさせるバンドで、客席のテーブルには飛び乗るは、椅子は蹴飛ばすは、客の飲み物を飲むはで、ムチャクチャ。でもすげーバンドだった。今またウシャコダは再結成したらしい。是非見たいのだが、何処にでるのか不明。藤井康一、相変わらず、危険な雰囲気を漂わせている。『ジャスト・ア・ジゴロ』、ウシャコダのファーストでも演っていた『ウー・シュビ・ドゥビ』などを演って、客を大いに沸せて退場。

        ラストは名曲『秋葉原』『ほんじゃね』で終了。アンコール二曲含めて2時間半近く演ってくれた。楽しかったなあ。また見に行こうっと。


January.4,2000 パンクで水を得た忌野清志郎

        昨年、レコード会社がぶるちゃって発売中止。インディーズから出した、忌野清志郎の『冬の十字架』を買った。通信販売でしか買えないのかと思ったら、なんのなんの、根性入っているCD屋なら、ちゃんと置いてある。七曲入り34分。

        忌野清志郎って、今、パンク演ってるんですね。いやあ、よく似合っている。いままで、なんでRCサクセションなんてやってなのか不思議なほど。もう、あの歌い方はパンクが一番合っていたのに、なぜ気が着かなかったのだろう。声もルックスもパンクにぴったりじゃないですか。問題の『君が代』は二曲目に入っていた。凄いです、本当に。パンクの縦揺れリズムに乗って『君が代』を2コーラス。これは新解釈の歌い方だなあと思っていると、ギターがメロディーをなぞる。これがもう、ほとんどチンドン屋。3コーラス目を歌って、清志郎が「君が代―――!」と怒鳴っている中、『さくらさくら』やら『富士山』のメロディーがギターで突発的に流れて、終わり。ヤバイといえばヤバイ。

        一番強烈なのが、『人間のクズ』。「クズクズクズクズ人間のクズ」というリフレインが続く曲で、このあと「俺の事さ」と続く。かなり自虐的な曲に聞こえるのだが、「今日も元気だ」とクズであることを楽しんでいるようにも思える。凄いのが、この「クズクズクス゛クズ人間のクズ」のリフレインが、子供達のコーラスつきであるという点。これは、かなり強烈。自己嫌悪に陥ったとき、この曲が、子供のコーラスつきで頭の中で鳴ってくるだろうな、これからは。

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