January.27,2001 『伝説のチャンピオン』で思い出すのは

        ユニバーサル・ミュージック・グループの『NOW』シリーズというのにはさっぱり興味がなかったのだが、年末に出た『ミュージック・オブ・ザ・ミレニアム』という2枚組はさすがに欲しくなって買ってしまった。主に70年代以降のロック・ミュージシャンの代表曲39曲(約160分)を入れて、税込3400円は安い!

        レーベルやら著作権やらの問題もあるのだろうし、CD2枚組に抑えるという前提で考えるとこんな形になってしまったのだろうから別に不満はないのだが、自分が任されたらもっと違うミュージシャンと選曲になっていただろうなと思う。ビートルズは無しで、ジョン・レノンの『イマジン』とポール・マッカートニーの『バンド・オン・ザ・ラン』を入れたというのは納得するし、エリック・クラプトンはデレク・アンド・ドミノス時代で『いとしのレイラ』も順当。しかしなあ、ローリング・ストーンズが『スタート・ミー・アップ』とはねえ。ストーンズといえば『サティスファクション』あたりがくるというのがスジっていう気がしますがねえ。90年代のストーンズで選曲したいなら『ロック・アンド・ア・ハード・プレイス』だと思うのだけれど・・・、あっ、やっぱり私の趣味でしかないのかなあ。ごめんなさい。

        壮観ともいえるミュージシャンが並んでいるが、最近のミュージャンに疎い私にとってオアシス、ブラー、ビョークといったところまで入っているのもうれしい。これを買わなければ知らないで終わってしまっただろう。

        さて本題なのだが、この『ミュージック・オブ・ザ・ミレニアム』の一枚目の1曲目はクイーンの『伝説のチャンピオン』なのだ。ええっ! クイーンといえば『ボヘミアン・ラプソディ』でしょう、当然! うーん、あれは長いから外されたのかなあ。しかし、この2枚組のトップがクイーンとはねえ。となると、『伝説のチャンピオン』がアタマなのは分かる気がする。

        私がクイーン関係の仕事に関わり出したのは、5枚目のアルバム『華麗なるレース』発売直後だった。『ボヘミアン・ラプソディ』が収録されている4枚目のアルバム『オペラ座の夜』が大成功だったこともあって、この5枚目は前作の延長線のようなコンセプトだった。ジャケットも同じようなデザインだったし、収められている曲も、3作目『シアー・ハート・アタック』(私はこれが一番好き)でみせたワイルドさがすっかり影をひそめた、静かなものが多かった。評論家の受けはよくなかった。4枚目の焼き直しだなどといわれた。日本では女子中学生や女子高校生の熱狂的なファンが付きだし、すっかりミーハーに見られ出していた。雑誌でも、クイーンはベイ・シティ・ローラーズと一緒の扱いだった。あっ! くれぐれも申し上げておくが、私はベイ・シティ・ローラーズをバカにしているわけではない。あのバンドくらいポップでいい曲を次々と出したバンドはそういない。

        当時クイーンが次に何を演ってくるのか、私は心待ちにしてウズウズしていた。約一年後、レコード会社のディレクターから一本のカセット・テープを渡されたときは、ドキドキした。新曲『We Are the Champions / We Will Rock You』という手書きのラベルが貼られたそのカセットを聴くことが、こんなに胸の震えることなのか。私は今だかつて、あの時ほど切実に一刻も早く曲を聴きたいと思ったことはなかった。事務所に戻ると、さっそくラジカセにテープを入れ、スピーカーを食い入るように見つめながら、一音でも聞き逃すまいと神経を集中させていた。

        イントロなしでフレディのヴォーカルがピアノの音色と共に聞えてくる。正直にいって、私はまたクイーンが4枚目や5枚目の方向を続けるなら、クイーンの音楽性はロックから離れていってしまうのでないかと心配していた。それが、静かなピアノの立ちあがりとフレディのヴォーカル。こ、これはマズイ。ジョン・ディーコンのセンスのいいベースが入る。フレディのヴォーカルが盛りあがりをみせたところで、ロジャー・テイラーのぶっ叩きドラム。そして、お馴染みのきれいなコーラス。やっぱり、クイーンは同じ路線でいくつもりなのか? いや待て! この曲の今までにない熱く込み上げてくるものは何だ!? ブライアン・メイのギターも最近になく歌っているではないか!

        つづく『We Will Rock You』 おお! 何だこの手拍子は! ジョン・レノンの『平和を我等に』を思い出させる興奮。それに続くブライアン・メイのやりたい放題のソロ。やった、やった! ブライアンが帰って来た! クイーンが大きくなって帰って来た! そしてこの熱さは何だ! 私はそのあと飽きずにこの2曲をいつまでも、うっとりと聴き続けていた。目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

        数日後、今度はアルバム『News of the World』のテープが渡された。それと同時にアルバムのジャケット写真も見せてくれた。それは今までのクイーンのジャケットのイメージを根底から覆すものだった。

        ディレクター氏、さらにいわく、「アルバムの日本版タイトルは『世界に捧ぐ』になったからね」。元のアルバムタイトルはイギリスにある新聞の名前らしいのだが、日本のレコードのタイトルとなるとこうなってしまうのかと思ったものだった。これは今でも悪くないタイトルだと思う。

        「それとね、『We Are the Champions』は『伝説のチャンピオン』になったから」そうして、こんなことを付け加えた「『We Are the Champions』は史上初の黒人ヘビー級ボクサー、ジャック・ジョンソンのことを歌ったものらしいんだ」 ジャック・ジョンソンなら、マーティン・リットが映画にした『ボクサー』という映画を見たことがある。なあるほど、それで『伝説のチャンピオン』。ところが数日後同じディレクターから「ジャック・ジョンソンの話は誤報だった。あれは忘れてくれ」と言われてしまった。しかし、日本語タイトルはそのまま『伝説のチャンピオン』。歌詞からいってもこのタイトルはそぐわないような気がするのだが、フレディ亡き後、このタイトルは妙に感慨深いものになるから不思議だ。おそらく、ジャケットの絵のロボットがツルツル頭のジャック・ジョンソンを表していると思われて、誤報が駆け巡ってしまったのだろう。

        『伝説のチャンピオン』は「俺たちはチャンピオンだ」と暗にクイーン達自身のことを歌っていると捕らえられがちだ。カップリングの『ウィー・ウィル・ロック・ユー』との兼ね合いから特にそう思われるようなのだが、メンバー達のコメントによるとそんな気はさらさらなく、あなたも私も世界中の人達がみんなチャンピオンなのだという意味で、自分をチャンピオンにしようと日々闘っている人への応援歌であり、メッセージなのだという。

        『ミュージック・オブ・ザ・ミレニアム』の話から、ついつい長くなってしまった。昔のことを書き始めるとつい熱がこもってしまうのは老化現象でしょうか? ご退屈さまでした。


January.17,2001 最近のキング・クリムゾンですが

        ロバート・フリップは、いったいどうしちゃったんだろうという位、昨年は精力的でした。キング・クリムゾンの新作『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』を出した以外にも、別プロジェクトもの、『ザ・コレクターズ・キング・クリムゾン』のセットものVol.2とVol.3。年末には早々と、この年の5月から7月のヨーロッパ・ツアーのライヴ盤『ヘヴィ・コンストラクション』(パソコンだとライヴ映像が見られる)まで出しちゃうし、止せばいいと思うのだけど、ついつい買っちゃいました。こういう話を書いていると、ついつい従弟の書き方が移ってしまう。

        で、『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』なんですが、私は結構気に入ってしまったのだけれども、渋谷公会堂のライヴを見に行ったら、何だか興醒めしてきてしまった。もちろん初期のクリムゾンは大好きだし、そのあともクリムゾンをつまらないと思ったことはなくて、何回か聴いてつまらないと思っていたアルバムでも、ある日取り出して聴いているうちに好きになるという繰り返しで来ているのですが、一番好きなのが、この前のクリムゾンなのです。ダブル・トリオ(ツイン・ギター、ツイン・ベース、ツイン・ドラムス)のやつ。あのときは、横浜で宇多村さんと見たのだけれど、興奮してあの夜は眠れなくなり、朝までクリムゾンのCDを聴いていましたっけ。ビデオが出て、LDで買って、DVDになったらこれも買ってしまった。

        昨年のクリムゾンのライヴは、なんだか「えっ!? これで終り? というくらい拍子抜けしてしまった。隣に座っていた人なんて、ほとんど眠っていましたもんね。私は寝ることはなかったけど、何だかつまらなかった。相変わらずロバート・フリップの同じフレーズの気が遠くなる程の早弾くなんて健在なんですが、この4人編成だと、ツイン・トリオのときのようなスリルがない。なんだか小さくまとまってしまった感じ。

        『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』の1曲目は、『プロザック・ブルース』。ブルースというだけあって、これブルースなんですが、なにせクリムゾンだけあって一筋縄ではない。変拍子のブルースなんて聞いたことない。とはいえ、歌詞が頭から「I woke up this morning」なんだもの、これはブルースの黄金のパターン。ところがあとの歌詞ときたら、もうクリムゾンの世界。鬱病の人の歌なんだものね。はて、[プロザック]って何だろうと思ったら、新世代坑鬱剤のことだって。なかなかヘビーな曲だよなあ。なあんて思いながら、こうやって『ザ・コンストラクション・オブ・ライト』を聴きながら、これを打っていると、やっぱりこのCD私は好きなんだという気になるから収拾つかなくなってくる。


January.7,2001 [しなやかに]

        田中康夫が長野県知事になって初登庁したときに、さかんに[しなやか]という言葉を使って、「抽象的でわからん」とお役人さん達から意見が出たのは記憶に新しいところ。いまだに田中康夫は苦笑まじりで[しなやかに]を使っているが、おそらくこの言葉を最初に意識的に使ったのは、山口百恵の『しなやかに歌って』だろう。

        『しなやかに歌って』は、山口百恵としてはかなり後期の歌で、引退が決まったあたりだったと思う。阿木・宇崎コンビとしては異色の曲。なにしろ曲がロックしていない。ツッパリもない。およそ[らしくない]曲だ。私が山口百恵を好きだったのは、あくまで宇崎竜童の曲に惹かれたからだったのに違いない。だって、さだまさしの『秋桜(コスモス)』も谷村新司の『いい日旅立ち』も大嫌いだったもの。山口百恵といえば、やはり『横須賀ストーリー』であり、『イミテーション・ゴールド』であり、『プレイバックPart2』であり、『絶対絶命』であり、『愛の嵐』であり、そして『ロックン・ロール・ウィドウ』であった。私は山口百恵を介して宇崎竜童を聴いていたのだと思う。宇崎がときどきこれらの曲をソロで歌うことがあって、それを聴くとモロにデモテープの歌い方を百恵はそのまま真似したんだなと思う。

        『しなやかに歌って』は曲としては、どうも面白くない。当時、作曲が宇崎竜童だとは信じられなかったくらいだ。それでも新鮮だったのは、[しなやかに]という言葉の使い方だった。

しなやかに歌って 淋しい時は
しなやかに歌って この歌を

        [しなやかに歌う]というフレーズが当時、今一つ分からなかったが、上手い使い方だなあと思ったのを覚えている。

        [しなやか]って何だ?明解さんに訊いて見ると、こう出ていた。「弾力が有って、そのものの・状態(動作)がなめらかな様子。曲げてもすぐ元にもどる様子」

        要するに、[しなやか]というのは、政治家言葉でいうならば、[柔軟な姿勢でもって対処する]という意味だったに違いない。ただ、この言葉は今や政治の世界においては[何もやらない]という意味になってしまう。そこで田中康夫は、[しなやかに]という言葉を持ってきたのだろうが、山口百恵すら知らないジイ様達には理解できなかったのだろう。あるいは、[何もやらない]ということが出来なくなってしまうことを恐れたのだろうか?

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