April.23,2001 三波春夫

        三波春夫が亡くなった。三波春夫に関しては、私はまったくの門外漢ではあるものの、『チャンチキおけさ』とか『船形さんヨ』なんかは頭にこびりついている。ラジオで盛んに追悼を込めて流されているせいもあって、毎日頭の中を三波春夫が鳴っていて、どうもロックやブルースという状態でない。

        特に頭の中で鳴っているのが、『東京五輪音頭』と『世界の国からこんにちは』だ。まいったなあ。これ嫌いなのだよ! 東京オリンピックのあった1964年、私は小学生。オリンピックを盛り上げようということもあったのだろう、この曲は当時やたらにかかっていた。そしてだ! 何と私の小学校の運動会の途中で全校生徒による『東京五輪音頭』踊りなるものをやらされたのだ。私はこの踊りが大嫌いだった。

        運動会が終り、本物のオリンピックが始まった。私は毎日食い入るようにオリンピックのテレビ中継を見ていたのを憶えている。スポーツってこんなに感動を与えるものなのか! 苦しそうな表情を浮かべて走るマラソンの円谷幸吉。男子体操チームの活躍。バレーボール東洋の魔女たちの宿敵ソ連撃破。そして、柔道無差別級でオランダのヘーシンクに負けた神永。勝っても負けても、その感動はテレビ画面を通じて私に伝わってきた。閉会式のアメリカ選手たちの陽気なこと。そして、私は三波春夫の『東京五輪音頭』を思い出すたびに脱力感にかられていた。

        築地に買い出しに行ったら、本願寺で三波春夫の葬式が行われていた。

        築地のラーメン屋に入ったら、客と店主の会話が聞えてきた。

「三波春夫の葬式、本院でやるんじゃないんだってね。横っちょの別院なんだって」
「うん、本院でやると二千万円だってさ。もっとも別院でも数百万するそうだけれど」
「ほら、なんたらロック・バンドのメンバーが死んだときには本院でやったっけな」
「ああ、Xジャパンとかいうののメンバーね」
「あのときは、すごい格好の女の子が築地に一杯になっちゃって、えらい騒ぎだったよね・・・」

        Xジャパンを聴いていた子たちは、三波春夫を知っているだろうか?


April.5,2001 おかえりなさい、ゲイリー・ムーア

        シン・リジィというバンドにはあまり興味がなかった。どうも私好みの音ではなく、ほとんど聴くことがないままに解散してしまった。だからそこのギタリストが、解散直前にソロ・アルバムを出そうと、まったく関心がなかったのは当然。そのゲイリー・ムーアの『バック・オン・ザ・ストリート』の存在を知ったのは、発売された1979年から遠く離れた80年代後半に差し掛かってからだったろう。ラジオでたまたま『パリの散歩道』がかっているのを耳にして、「こ、これは名曲ではないか!」とびっくりして、慌ててCDを買いに行ったのを憶えている。もう毎日毎日、『パリの散歩道』ばかり聴いて、うっとりしていた。この曲はサンタナの『哀愁のヨーロッパ』にも負けないと今でも思っている。

        それから87年の『ワイルド・フロンティア』、89年の『アフター・ザ・ウォー』という2枚の傑作で私はすっかりゲイリー・ムーアのファンになっていた。この2枚はいわゆるハード・ロックのいい意味での生き残りだったと思う。

        89年、『アフター・ザ・ウォー』発売直後の5月、ゲイリー・ムーアは来日した。勇んで渋谷公会堂まで見に行った。確か記憶では『ワイルド・フロンティア』からの曲が多かったと思う。ほとんどがハード・ロックで、ラストはもちろん『パリの散歩道』でピシャリと締めた。大満足して家路についたのだが、翌90年、ゲイリー・ムーアは驚天動地なアルバムをリリースしてハード・ロック・ファンを、そして私をびっくりさせることになる。『スティル・ガット・ザ・ブルース』。

        ハード・ロック・ファンは、おそらくがっかりしただろう。ここには、今までのハード・ロックは息を潜め、全編これブルースのアルバムになってしまっていたからだ。そして私は狂喜した。な、なにぃ、ゲイリー・ムーアがブルースだってえ! 何回も聴くうちに、私はこのアルバムにすっかりハマってしまっていた。特に、ゲイリー・ムーア自身よっぽど自信があったんだろう表題作にも持ってきた『スティル・ガット・ザ・ブルース』には心底いかれてしまった。たまたまその時、私の人生の中でもちょっとした事件が起こっていた時期でもあって、毎晩このCDを聴きながらボンヤリしていた記憶がある。

        92年『アフター・アワーズ』、93年『ブルース・アライブ』、95年『ブルース・フォー・グリーニー』とブルース・アルバムが続き、それまでのゲイリー・ムーア・ファンは離れ、どうやらアルバムの売上は下がる一方だったらしい。私の方はというと大喜び。早くまた来日公演が実現しないかと心待ちにしていた。ところが89年に私が見たとき以来、いまだに来日無し。

        『ブルース・フォー・グリーニー』発売後、ゲイリー・ムーアはブルース・シリーズ発売を打ち切る方針を発表した。へへえ、今度は何をやるのだろうと思っていたら、そのあとに出され続けたアルバムは全て、?????というようなものばかりで、2、3回聴いてホコリを被ってしまっている。

        そして、そして、ついにゲイリー・ムーアは、今年になってブルースに帰ってきた。タイトルもずばり『バック・ツー・ザ・ブルース』。ブルースの定番中の定番、『ストーミー・マンディ』やら『エイント・ガット・ユー』を演っているのもうれしいが、なんといってもゲイリー・ムーアらしさが戻ってきたのがいい。ノリのいいブルースもあるし、そして、そして、スローで心に染み入るような曲があるのだ。筆頭は『ピクチャー・オブ・ザ・ムーン』。これはもう、第2の『スティル・ガット・ザ・ブルース』を意識しているな、絶対! 一方、『プロフィット』は『パリの散歩道』狙いのインスト。泣いちゃうよ、これ。ラスト・ナンバー『ドラウニング・イン・ティアーズ』。♪彼女は他の誰かに心を誓い 俺は涙に溺れそう と歌うゲイリー・ムーア。そしてむせび泣くようなギターが流れ続けていく。いいぞ、いいぞ。

        ゲイリー・ムーア、お帰りなさい!!!

このコーナーの表紙に戻る

ふりだしに戻る