May.5,2001 1979年の日記から

        実を言うと金沢に行ったのは、これで2回目である。前に行ったのは、1979年のクイーンのツアー・クルーとして回ったとき。金沢の実践倫理記念会館という体育館のようなところで公演した。雨ノ森さんに訊いたが、そんな施設は知らないとのこと。どうも今から考えると、土壇場で急遽決定した金沢公演で、空いている会場がみつからず、慌てて確保できたのが、この実践倫理記念会館だったのだと思う。文中、「会場の前は墓地」とあるから、ひょっとすると宗教関係の施設だったのかもしれない。

        私には日記を書く習慣がないのだが、このツアーの様子はわけあって、後に日記のようにして書き記していた。その中で金沢の部分だけ(カットさせていただいたところもあるが)、公開しよう。

1979年4月20日(金)
大阪2日目の公演。大阪のファンは日本一エキサイティングだ。沸きに沸いた2日間だが、BCR(ベイ・シティ・ローラーズ)などに較べると、遥かに年齢層が上だったせいか、割とジェントルな感じで、事故もなく終了。これから大変なのがクルー。機材の撤去。そして搬出。トラックに積みこみ終わったのが深夜1時。これから明日(正確には、もう今日)の演奏地である金沢へ向けて大移動。この大部隊、照明、音響などを積み込んだ大型トラック8台、電源車2台。そしてクルーを乗せた大型バス2台。これだけのトラック部隊は、まず前代未聞。これは、照明、音響機材をほとんどイギリスとアメリカから持ってきて、日本の機材を一切使わなかった為。おかげで日本中、常にこの大量の機材を持って移動して回っていたというわけ。

もっとも、それだけの効果はあった。何といっても、あのビッシリと頭上を覆った約300個のスポットライト。このライトの“ヌケ”のよさは、とても日本にあるライトでは出せるものじゃない。もっともこの天井ビッシリのライト、実は一列足りない。これは外人クルーが船に積み忘れた為とのこと。だから本来なら、もう50個近く増えていたはず。それに正面とサイドからスポットが計8本。ロジャーのうしろと、ドラム台に付いているライトなどを、つぶさに数えると確かにライトの総数は約500個。これだけの数になると50やそこらは、無くてもどうってことない。

閑話休題。さて、これらの大部隊、トラックの荷台には自転車に乗ったヌードのポスターを貼って、深夜の北陸自動車道を大移動。深夜のバス移動など、よっぽど神経の図太い奴でないかぎり眠れるものではない。寝不足の目を擦りながら、早朝の金沢に到着。

        ・ご存知とは思うが、このツアーは前年発売されたアルバム『ジャズ』(1978年11月)をベースにしたツアーだった。このアルバムの中に『バイシクル・レース』という曲があって、そのプロモーションとしてヌードの女性が自転車に乗っているポスターがLPにはオマケとして入っていた。このポスターを元にして、日本のツアーのポスターも作られたのだが、当時としてはかなりショッキングなものだった。

4月21日(土)
メンバーは、ゆっくり電車で金沢入り。クルーの方は早朝にバスで到着すると、ホテルに荷物だけ入れて、またバスに乗って会場入り。ホテルでシャワーを浴びる時間すら無い。寝心地の良さそうなベッドが恨めしい。

会場の[金沢実践倫理記念会館]というのは、市内からちょっと離れた丘の上にある。会場の手前は墓地という、不思議な場所だ。金沢はこころなしか、ちょっと寒い感じがする。午後からは雨もパラついて寒さもひとしお。楽屋には急遽ストーブを入れたりで大騒動。

楽屋はストーブを入れることで済んだが、問題は場内に暖房を入れるかどうするかで協議する。なんと暖房を入れると1時間につき8万円使用料を取られるという。お客さんには寒い思いをさせるわけにはいかない。開場時間の2時間前から暖房を入れてもらう。ところが演奏が始まったら観客の熱気で暖房なんて必要ないことが分った。しかもステージの上は、びっしり取り付けられたライトの熱で暑いのなんの。しばらくステージの上にいるだけで、クイーンの4人は汗びっしょりになってしまう。さぞかし暑かったろうなあ。

ツアーが始まる前、スタッフがまず買ったのが扇風機。これは、楽屋で汗だくになったメンバーが涼むためのもの。ところが、ブライアンは個人的に電気ストーブを購入した。彼は常にこのストーブを楽屋に持ちこんでいた。どうもブライアンは寒がりであるらしい。

この寒さのせいだったのだろうか、フレディが風邪をひいてしまう。この金沢公演のあとしばらくは声の調子が悪く、ところどころオクターブ下げて歌ったりで苦しそうだった。

4月22日(日)
せっかく金沢に来たのだから[兼六園]くらい見ておこうと、朝早く起きて散歩がてら兼六園へ。土曜、日曜かけて金沢へクイーンを見に来た人も多かったせいか、朝の兼六園は昨夜会場でみかけたお客さんもチラホラ。日本美術なら何にでも興味あるフレディも10時ごろ来園。フレディと気付く人も少なくて、きれいに晴れあがった金沢の空の下、のんびりと庭園を散歩していた。

午後の飛行機で小松空港から東京へ。小松空港には30人くらいのファンが集まっている。また例によってファンにモミクチャにされる中、メンバーはガードマンに護られて空港内へ。メンバーが建物の中に消えたあと、ガードマンの伊丹さんにファンが近づいてきて「伊丹さんのサインをください」と言う。伊丹さんも今やすっかり有名人。大テレの伊丹さんサインは勘弁してくれと言って、記念写真に収まって落着。

東京へ着くとクルーはまた武道館公演で、明日からの東京公演第二弾にそなえて徹夜仕事。やっぱり東京は金沢より暑い。

        以上が金沢公演の前後の日記の一部だ。あの金沢での公演は確か赤字だったと記憶している。当時大人気だったクイーンだったが、まだまだ地方都市での公演は厳しいものがあった。

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