June.23,2007 『レコードコレクターズ』2007年5月号
            60年代ロック・アルバム・ベスト100
            第3位 ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』(1968)
           The Band『Music From Big Pink』

        『イージー・ライダー』が公開されたとき、私は高校生だった。当時、クラスではこの映画の話題でもちきりだった。と言っても映画好きの連中が話題にしたのではなく、オートバイ好きの連中たちが夢中になっていたのたである。私の記憶では、『イージー・ライダー』は銀座スバル座で公開されていた。オートバイ好きの連中というのはどちらかというと不良タイプのやつらで、学校が終わると部活などにも参加しないで帰ってしまう。そんな奴らが放課後に何回となくスバル座に通っては、いかにこの映画がかっこいいのかを話題にしていた。

        そして、彼らは一応に中で使われていたステッペン・ウルフ(Steppenwolf)の『ワイルドで行こう』(Born To Be Wild)のイントロ部分を口ずさんでいた。当時の私といえばモータリゼーションにはまったく興味がなく、オートバイどころか自動車を運転したいとも思わなかった。

        私も当時『イージー・ライダー』を観に行っている。もちろんオートバイへの興味ではなく、当時の私といったら映画青年の駆け出し時期だったから。日曜日になると3本立ての映画館に入り浸りだった。『イージー・ライダー』は奮発してロードショウで観た。アメリカン・ニュー・シネマなんてことが言われていた時期でもあり、もちろん『ワイルドで行こう』が聴きたかったこともある。ピーター・フォンダとデニス・ホッパーがひたすらかっこよく、唐突で衝撃のラスト・シーンに胸が熱くなった。多感だった映画青年の私は「だから大人はいけない」なんて青臭いことを考えていたものだった。『ワイルドで行こう』の使われ方も想像以上にかっこよくて、「ああ、オートバイもいいかもしれない」なんて、少しだけ思った。ニュー・シネマ、そしてニュー・ロック。時代は大きく変わろうとしている。そんなさせられていた時期だったのである。

        ロックが変わっていく。『ワイルドで行こう』は、私にとっていわばハードロックとの出会いだったのかも知れない。このドライブ感のあるサウンドは私を魅了して止まなかった。映画の中でもう1曲私を捉えたのが『ザ・ウェイト』(The Weight)。疾走感のある『ワイルドで行こう』に対して、重いリズムのドラムが印象的な『ザ・ウェイト』は、いささか地味に思えたが、『イージー・ライダー』にふさわしい選曲だった。

Take a load off fanny
Take a load for free
Take a load off fanny
And,and,and you put the load right on me

荷物を下ろせよ
荷物から自由になれ
荷物を下ろせ
そして、そして、そして、俺がその荷物を背負ってやる

        『イージー・ライダー』の最初のシーンで、ピーター・フォンダが腕時計を砂漠に投げ捨てるシーンがある。なにもかもから自由になる。時間さえからも自由になる。そんなことを象徴したシーンだった。

        後年、私は30歳を迎えた日に突然オートバイに目覚めることになる。教習所に通い、10代の若者達と一緒に自動二輪中型免許の講習を受けた。教官たちからは、「なんで今頃、オートバイに乗りたいと思ったの?」と言われながら、暑い夏を2ヶ月かけて免許を取った。免許を取得した日、近所のオートバイ・ショップから400ccのオートバイが届いた。『イージー・ライダー』に夢中だった私はあのデニス・ホッパーが乗っていたようなアメリカン・スタイルのバイクが欲しかったのだが、周囲はレーサー・タイプが主流だった。「オートバイといったらカワサキだよ。ホンダ、スズキ、ヤマハは自動車も作っているけど、カワサキはオートバイ一筋なんだ」と言う、当時暴走族予備軍だった従弟の息子に感化されて購入したのは、KAWASAKI GPZ400 というオートバイだった。さっそく次ぎの日曜日に、このオートバイで近所を走り回った。なにより快感だったのは風を感じるということだった。暑いヘルメットの中でも、走り出すと、そんなに暑さは感じない。風が心地よかった。そして、

        オートバイという乗り物に乗ってみて思い知らされたのは、オートバイというのは、物をあまり積載できないという事実だった。タンクの上にバッグを置く事は出来るが、それほど多くの荷物は置けない。後部座席にも物は置けるが、こちらもあまり多くは乗せられない。そう、オートバイに乗るということは、身軽に旅をするということ。物から自由になることなんだと知らされることになる。「荷物をおろせ」 もっと身軽に自由になれ。それがオートバイというものであり、物質文化からの離脱であったのだ。

        オートバイに乗るようになって、ハイウェイを突っ走るとき、私の頭の中では、よく『ワイルドで行こう』が鳴っていた。それとディープ・パープル(Deep Purple)の『ハイウェイ・スター』(Highway Star)。やがて、峠越えなんてものに夢中になり、関東近郊の山に毎週のように出かけていくことになる。うまくコーナーを抜けての帰り道、田舎道をのんびりと走っているときなんかには、『ザ・ウェイト』が私の頭の中で鳴っているようになった。

        『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』は、当時ザ・バンドとボブ・ディランが好きだった友人からカセット・テープに録音してもらったものを、ときどき聴いていた。それでも、そんなに夢中で聴いていた記憶はない。アルバムを買ったのはCDになってから。そのときはもう、オートバイは売り払っていた。


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