記事タイトル:Good Days, Bad Days 


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お名前: 管理人   
申し訳ありません。
CAGE’S TAVERN封鎖のために、このページもロックさせていただきます。
Othumさん、どうもありがとうございます。
[2005年12月3日 8時39分50秒]

お名前: Othum   
CAGE'S CAFEの方でベルリンさんがお書きになっている言葉に共感してしまいました。

>しかも私は凄い作品だけを凄いと思わず、ひどくくだらない作品も好きなのです。

そうなんですよね。
私のいつものブルース日記も、毎回、素晴らしい名演奏や名曲だけを採り上げているワケではなく、駄作や迷演
奏であっても、なぜか心惹かれる、というものが相当混じっています。

誰にでも胸を張って紹介出来るような「素晴らしい作品」ばかりが構成している「銀河」ではないところに面白
みがあるのではないでしょうか。
特に「好き嫌い」は本人にも説明のつかないような、複雑に入り組んだ「嗜好」のグリッドが重層する特殊な「
篩」みたいなものですから、
[2005年7月20日 9時52分13秒]

お名前: Othum   
やはり CMのディレクターとなっているあたりが、ちょうどそういった年代なのかもしれませんね。
CMの場合、その製品のターゲットとなっている層を狙って、というのもあるでしょうが、案外、当時を知らない
年代層にも新鮮に受け取られている部分もあるのでしょうか。

椎名恵は TVドラマのテーマもかなり歌っていますから、たぶん耳にしておられると思います。
とても耳に快い声ではあるのですが、あまり「情感」みたいなものには向かない声なのかもしれません。
[2005年4月5日 12時21分46秒]

お名前: Utam   
Othumさん、 大瀧詠一は ナイアガラとかYMO再評価の並にのって、レココレも特集くむ
し、おまけつきCD Boxでるし、いろいろ露出してますね。 CMもそうです。
昔のサイダーとか、聞きやすかった。  あのCM 椎名さんなんですか? 私そういうの余
りきにしてなかったんで。 これから注意してみましょう。
[2005年4月4日 13時31分46秒]

お名前: Othum   
SONYの家庭用 DVハンディ・カムの TVCMで随分久しぶりに大瀧詠一の声を聴きました。
日本の男性ヴォーカリストでも、CM向きの声としては南佳孝とともに最右翼かもしれませんね。
やや距離感のある南佳孝に比べると、この Speech Baloonの「無警戒」とも言えるオープンさが、まさにホーム
ユースのハンディ・カムの「世界」にはぴったりな気がします。

でも、CM向きの声、と言われることってアーティストとしちゃどうなんでしょね?
女性では椎名恵あたりがそうでしょうか。
ENEOSになる前の日石の CMソング、Heart on Fireなど、この人ならではの「真綿」のような柔らかな声で、そ
の声だけで椎名恵、と判るほどのプレゼンスがあるのですが、ではアーティストとしてはどうか、と言うと、一
部にコアなファンはいるかもしれませんが、どのアルバムもさしたるセールスは残していないようです。

あまりに「特化」しすぎた声(?)なのでしょうか?
[2005年3月30日 12時25分32秒]

お名前: Othum   
ありがとうございます!
Utamさんも誕生日が近いんですか?

二人のシーズン、やはり、オリジナルがベストのようですね。
ま、そこらが「ロック」じゃなく「ポップス」って証し(?)でしょうか。
ここで紹介したライヴ映像のテイクとも違うんでしょうね?
[2005年3月1日 15時51分38秒]

お名前: Utam   
ゾンビーズのReunion Liveが2枚組で発売されておりますが、Time Of The Seasonは
かなりテンポアップでして、イマイチでした。 一枚目の最後の Key, ハーモニーが凄い
Hold Your Head Up(アージェントの曲ですが、Key同じ人なんで)は
めちゃめちゃいい感じの音になっておりました。

そうそう本日 講談社より 日本のGolden Age of R&Rの年代別 雑誌が発売ですね。
時代性もちゃんと取り入れ、背景まで見れるという点は評価します。 さてでは 64年の
Beatles特集 記念特価でかってみましょう。

Othumさん 遅ればせながら、 お誕生日おめでとう。 私ももうすぐですが、うお座でした
ね。
[2005年3月1日 10時3分4秒]

お名前: Othum   
おやおや、虫の知らせだったのでしょうか?
↓で名前の出た Jimmy Smithが Arizona州 Phoenixの自宅で 2/8に死亡されたんですね。
どうやら老衰による自然死だったようです。
久しぶりに the Catを聴いて彼を送るといたしましょう。
[2005年2月10日 10時53分57秒]

お名前: Utam   
Golden Cups One More timeは昔の映像もあるようですね。
Mustang Sally は鬼ころし はよくやってますが、スパイダースやってたん
ですか?Voはいつもの二人でしょうか?それともかまやつさんとか?
バンバンバンが入った夕焼け楽団の曲はLiveでもきいてましたが、あとLive盤に入って
ました。あのノリはよかったなー。ギター3人で、ひとりSlideよかったですね。
Voもうまかったし。 最近ではMustangSallyはCommitmentsで
ききなおして、やっぱいい曲だと感心しました。
ジャガースの キサナデu-の伝説なんか デイブディーGroupのをうまく変えてよかったと
思いますが。。。 あと映画みたことあります。進めジャガース敵前上陸 だっけ?
なにしろタイガースもみてますが。。。(映画館が昔隣だったんで。。)
[2005年2月8日 14時14分16秒]

お名前: Othum   
Golden Cups One More Timeですか?
こんな映画があったんですね。
再結成のドキュメントとのことですが、昔の映像も入ってるんでしょうか。
昔の GSで観てみたい、と思うのって、このカップスと、Mustang Sallyなどをやってるスパイダーズくらい
です。やはり当時の「オリジナル曲」って懐かしいと言えばまあ、そうなんですが、いささか「恥ずかしい」
ものがあります。聴いてるこっちが。
スパイダーズの「バンバンバン」は後に久保田麻琴の夕焼け楽団で「夕焼けブルース」に採り入れられて、な
かなか良かったですが。
[2005年2月8日 11時58分45秒]

お名前: Utam   
パッチギも注目してるんですが、おもしろそうですね。 ハービーマンですが、最初に意識し
たのは68年に日本でもはやったメンフィスアンダーグランド、かっこいい曲でした。 これを
寮の演芸会(Partyといえばかっこいいけど そういうものでは?)でやった同期が
おりましてTrioでギターはいなかったけど、感激した記憶があります。あのハービーマンデルの
ギターも切り込み系でかっこよかった。CD買おうと思ってんですが、あの曲は長いんですが
CDとして短いんで。。。 そうそうスキー場いって 今いえば自動演奏機にお金いれて
シングル聞いたこともありました。この曲はシングルでもけっこうはやったはずです。
 70年代半ばとなるとハービーマンはRollingStonesを辞めたMickTaylorをゲストにBitchなんて
いう曲もやってるんですが、聴いたことはありません。

Golden Cupsの映画 今やってるんですが、みたいんですが、まさか見られてますか?
[2005年2月3日 11時32分58秒]

お名前: Othum   
>GSのオックスのポスターを観て・・・
オックス!懐かしい!!
ところでハービー・マンっていうと Comin' Home Babyしか知りません。
で、Comin' Home Babyっていうとメル・トーメ(?)

すみません、なんの参考にもならなくて。
[2005年2月1日 20時35分48秒]

お名前: ケイジ   
『パッチギ!』って映画、なかなか面白い。
1968年の京都が舞台なんですが
最初は、女の子にもてたいと思っている高校生がGSのオックスのポスターを観て
自分もマッシュルームカットにするところが話の始まり。
やがてギターを始める。
在日韓国人の女子校生を好きになってしまうのですが
彼女はブラスバンド部でフルートを吹いている。
『イムジン河』をバンドで演っているのを聴き、
フォーク・クルセイダースも歌っていたことから
この曲を一生懸命練習するんです。
懐かしいなあと思って観ていると
この彼女、クラシック志向かと思っていたら
夜の河原で練習しているシーンがあって
それは、ハービーマンでした。
趣味いいじゃん。
あの曲、何だっけなあ。
[2005年2月1日 7時15分45秒]

お名前: Othum   
Pop-Gearってのは、今で言う MTVの映画版みたいな作りで、演奏だけが集められてましたが、
当時(と言ってもだいぶ前のことゆえ、実際には Pop Gearとかなり時差があったのかもしれ
ません)なにやら冬のスキー場のホテルを舞台にして、ドラマ仕立て(?)みたいな感じでス
トーリィ(ゼンゼン記憶してませんが)もあり、でそれなのになぜか Jimmy Smithが The 
Catを演奏してた、って映画を観た記憶があります。
あれ、いったいなんて映画だったんでしょ?
[2005年1月30日 12時14分59秒]

お名前: Othum    URL
Doobie Bros.の Listen to the Musicを Quicktimeで見ることが出来ました。
ところどころライヴのシーンも混じってて、そこは音に合っているみたいですが、聞こえてくる
音そのものは、オリジナルに「ダブ風」の(ある意味トランスっぽいかも?)デジタルなリズム
を重ねているような感じです。
でも、ギターが P.R.S.を使っているあたりが「いま」風ですね。
↑の URLでどうぞ。
[2005年1月13日 0時28分27秒]

お名前: Othum    URL
ベルリンさんも、もう新年を迎えておられますね?
まだお忙しいようですが、余裕がおありの時にでも気楽に書き込んでください。
よろしくお願いいたします。
[2005年1月1日 18時42分59秒]

お名前: ベルリン   
まるで自分のためにあるような楽しい話題のページですね。このページには参加したい
ところですが、まだちょっと我慢。でも読ませてもらいます。私も井上さんと同じ世代
なので、古い話は大歓迎です。

間もなくそちらは年が明けますね。こちら8時間遅れで後を追います。
来年が良い年になること、このHPに参加している人全員の健康を祈っています。
[2004年12月31日 21時15分27秒]

お名前: Othum    URL
今年はケイジさんとお会いすることが出来、また世界が広がりました。
そして、Utamさんや水のさんとも知り合うことが出来て楽しみも増えています。

心残りと言えば「ねぎせいろ」が持ち越しとなったことでございますが、それは
2005年の課題(大げさな・・・)とさせていただきます。

またこの場を(勝手に)お借りしてスレッドを立ち上げさせていただき、本当に
ありがとうございます。
日記のほうでは出来ない、もっと柔らかい枠で音楽を語ることが出来て、くつろ
ぐことが出来ました。
このスレッドにお書き込みいただいたみなさまに感謝いたします。
そして来年がみなさまにとって良いお年となられますよう、祈っております。
[2004年12月31日 12時7分19秒]

お名前: Othum   
Amazon.UK.ではどうやら DVDがあるような記載に出逢ったのですが、リージョン・コードの関係で、それを取
り寄せても日本では見られないようです。
ま、もしかするとそのうち日本版も出るかもしれないので気長に待つといたしましょう。
[2004年12月29日 21時13分46秒]

お名前: Utam   
Othumさん、 情報ありがとうございました。 生嶋先生にききましたが、CATV等では
Pop Gearの画が流れているようですが、DVD化はされていないようです。

社長、 海賊盤で、Stones, Beatlesの ReadySteadyGoとか ポールウイナーズ等の
画を集めたものがありますが、Officialはまだでてません。 12x5だっけ25x5
だっけ、90年にでた R Stonesの傑作もまだDVDになってない。なんであれがDVDに
ならないんだろう? 海賊がもうけるだけではないでしょうかね・
[2004年12月16日 10時27分23秒]

お名前: Othum   
やはり Pop Gear、まだ(というか、これからも?)DVD化されてないんですね。
Digital Audioですが、メーカーは ADTECというらしく、mpio FY300というモデルです。
秋葉原の LLAOXで表示価格 14,800でしたが、ナゼかお会計したら 12,800になっておりました。
安くなるぶんには文句ありませんので、さからわずに(?)その額で払いましたよ。
他のアナログ・オーディオ機器のミニ・ヘッドフォン端子からの信号を専用ケーブルでつなぐと、
アナログ信号をディジタル化してくれます。
サンプリングの粗さなどで、もっと長時間も出来ますが、ワタシはハイ・レゾの二時間録音を選ん
でいます。ただし、あとからマーキングは打てないので、面倒でも一曲ごとに止めてインデックス
とする必要はあります。
曲名などの情報は USBで PCにつなぐと PCで打てます。
そして他の製品と決定的に違ったのが、その電源で、他は単三や単四などを一本、というのが多く
その消耗と頻繁な交換がイヤだったのですが、これは内蔵リチウム電池を USB でPCから充電!
大きさは i-Podの 1/3くらいでしょうか。↓もどうぞ。
http://www.adtec.co.jp/products/AD-FY300/index.html
[2004年12月15日 22時8分44秒]

お名前: 馬鹿社長   
現在、捜索中なのが、「レディ、ステディ、ゴー」
R.ストーンズ、ビートルズを始め当時のポップアイドル番組。
DVDで売ってないかな?
「ユァ ポール ウィナース感謝コンサート」も観たいよ。
[2004年12月15日 10時55分10秒]

お名前: Utam   
ナシュビルTeensとかでましたね。 Pop Gearって昔はVHSででてましたが、廃盤になってしま
った記憶があります。(確か好きなGroupでてたんです。)DVDはまだでてないとおもいます、
宣伝みたことないので。 友人の生嶋先生に効いて見ましょう。    そのアナログを
Digital化する簡単なプレーヤーでありますが、詳細をお教えいただけますか? 興味があります。
ちなみに R Stones の 昔のロイヤルアルバートホールLiveと呼ばれたものは当初のCDと現在のCDが
完全(Satisfactionが終わりの部分か異なる、Openinigが異なる、今はMonoMixですが、
昔のはStereoでVoと演奏がわかれる。)でもないですが異なるんで。。。。 こういうのも
あるんです、 ですから。。。。 宜しく御願い致します。
[2004年12月15日 9時54分24秒]

お名前: Othum   
先日、秋葉原で仕入れて来たポータブル・タイプのディジタル・オーディオがなかなかベンリで、これまで
PCに取り込みようがなかった古いアナログ・ディスクをコイツでエンコードすると、MP3に変換してくれる
ので、後は USB経由で ibookに移し、以降は PC上で扱えます。
これで古い音源も CD-Rに「焼ける」ようになりました。
ま、StonesあたりはすべてCD化され(どころかボーナス・トラックなんてのがあるとアナログ・ディスクは
分が悪いし)てますから買い直せば済むのですが、マイナーな(ってのが昔から好きでしたから) Musician
のアルバムは現在では入手できないのもあります。

ところで、イギリスのロック&ポップスのバンド( Nashville Teensなど)が出演した、今で言うMTVみたい
な映画で Pop Gear ってのがあった、と記憶しているのですが、どなたか記憶されている方おられますでしょ
うか?
[2004年12月13日 12時28分48秒]

お名前: Othum   
三週間にわたる Sly & the Family Stoneの連載(?)も終りを迎え、やっとアタマが現代に戻りました。
たしか 1970年、国立(くにたち)でやってたバンドでシングルで出たばかりの Thank Youをさっそくレ
パートリーに入れて以来の「付き合い」です。
もう 1/3世紀以上も前のことですが、自分でも演奏してた曲というのは記憶が鮮明で、細部まで蘇ってきま
すが、同じ時期の他のヒットってあまり覚えていません。

にしても、どうやら Slyってのは他の Funk系バンドとは、まったく違う、Rockの系列だったんだな、と改
めて認識いたしました。
[2004年12月2日 14時44分53秒]

お名前: Othum   
自分から始めといて、このところご無沙汰していて申し訳ありません。
次第に話題が(私にとっての)「現代」に移って来てしまったため、BLUES日記で採り上げる時代とバッティングしています。
ま、考えてみれば、みなさまとは生まれた時期がかなり違いますもので、初めての洋楽ってのもズレがあって当然でしょう。
でも、みなさんの思い出の曲などを伺っていると、時代の流れが判ってとても楽しいです。
記憶の彼方にあるよな曲名に出会うと、しばらく忘れてた預金通帳が出てきたよな「得をした」気分になります。
[2004年11月22日 23時9分7秒]

お名前: 馬鹿社長   
バンコックのGOGOバーで水着のお姉ちゃんが
カウンターで踊ってるんですが、なぜか
CCRのスージーQが似合うんだよね。
シンハービールを喇叭飲みすると、気分は
「地獄の黙示録」?!
[2004年11月19日 7時32分30秒]

お名前: Utam   
おととい記入したら、できてなかったんで、再度かきます。  Zombiesは 78年にSantana
がHitさせた She's not thereも彼らのです。 特にKeyのロッドアージェントは解散後
73年くらいだったか、アージェントで Hold Your Head UpというHitを出しました。
これはFENでもよくかかってた曲で、Keyと途中の裏返し声のコーラスが印象的ですね。
 70年台って 歌詞カードの間違いは(ついていた日本盤が世界的には偉かったんですけど)
よくあったことで、映画館でみた WoodStockのSly&Family Stoneの字幕は
Dance To The Musicの時に何故か Hondaがどうのこうのとでてて、こりゃ絶対間違いだ
とおもったけど、後からみたら、この字幕がなかった、(たしか Driveはホンダとかでてた
んだと。。。?)、R Stonesなんか、聞き取れません って書いてあるのけっこうあったし、
今でも疑問なのは Gimmie shelterの途中のとこで Rape Muder と最近は歌ってるの
がきこえるんですが、歌詞ではRain Rain onで、GFRが歌ってるのでも、こうきこえるし、
Originalもそうきこえる。どっちなんでしょうか?  −−>というとこで 日本で
生まれました私では カタカナ憶えが普通でしたので、きこえるように採るのが普通でしたから、
いいんではないでしょうか? Rockははっきり歌わないんでいいんだと、たしかいっていた
60sのR&Roolerさんがいらっしゃいましたし。 外人でも歌詞を間違えてるのはけっこう
多いというのは 昔みた 歌詞の間違いのサイトで爆笑編がいっぱいあったので、
どこでもおなじじゃ。と思いました。
 Jefferson Airplane は 今でも Somebody To Loveは Live盤できくのが
好きであります。(フィルモアのですよ) これもStrip劇場でしようしてるのを聞いたこと
があります。 一次 アンジーなんかも使ってましたね(あれよりゃ、Merry Janeの方が
いいですね着物で踊っても)ーー>何をかいとんじゃ。 これくらいにしよう。
 あと一つ 映画ででてくる海外の 大人用BarでオネエチャンがBarカウンターの上で踊ってる
シーンはたいていHard Rockときたもんだ。 そうなんですか? 社長教えてください。
[2004年11月18日 10時39分51秒]

お名前: ケイジ   
♪ドンチャーオッサンバジツラー
って、ジェファーソン・エアプレインの『貴方だけを』だっけ?

学祭のステージで、女子学生が、この曲に合わせて踊りを踊っていたのを思い出しました。

踊りついでに
不謹慎ですが、またストリップの話題。
初めてストリップを観に入った浅草のロック座。
てっきり『ハーレム・ノックターン』で踊っているのかと思っていたら
若い踊り子さんたちは、ロック・ミュージックで踊っていましたね。
当時、もうロックに夢中だったボクはショックを受けました。
ロックがこんなことに使われているとは!!
ちなみに最初に入ったときに印象深かったのは
つのだ☆ひろの『メリー・ジェーン』で踊っていた踊り子さん。
凄くキレイだったの!!
以来、この曲が耳に入ってくると
あのときの記憶が戻ってきて・・・・・あああっ、ごめんなさい!!
[2004年11月17日 7時51分49秒]

お名前: Othum    URL
Zombiesのライヴが観られます。↑の URLをクリックしてみてください。
おそらく最近の演奏でしょうが(ベースがヘッドレスを使ってますので) N自動車の CMで使った
Time of the seasonが楽しめます。
[2004年11月16日 3時25分47秒]

お名前: 江戸半太   
映画音楽は別にして、私が結構初期に覚えた洋楽は、GSやフォークバンドが歌っていた
ものかなあ。エバリーブラザーズとか、キングストントリオ、ジョーン・バエズは
もちろんという感じですね。おっと、ブラザーズフォーやPPMも忘れてはいけませんね。

あと、GSが歌っていた曲で、英語がまったく分からないままに空耳アワー状態で
口ずさんでいたのが、「ドンチューオッサンバジツラー」というさびの部分。
Don't you want somebody to love なんだけどね。

サークルゲームというのも中学ぐらいに、フォークバンドのLPに入っていたので覚えました。私は関西なので、ミュージックシーンそのものが少し違っていたということは
ありえると思います。

社長が言っている様に、明らかに今のCMの音楽を選んでいるのは同世代だと思います。

又、いろいろと思い出したら書きます。
[2004年11月15日 23時47分20秒]

お名前: 馬鹿社長   
私たちが懐かしく思える曲を流している
CMは、結局 私たちと同年代の方が造っているのかな?
ゾンビーズの「二人のシーズン」ってこんな曲でしたっけ?
言葉は悪いけど「一発ヒット屋」なのかな。
三枚目のジンクスは事実ですよね。
三枚目のアルバムが正しいと思うけど。
[2004年11月15日 23時8分46秒]

お名前: ケイジ   
OthumさんがScreamin'を好きなことは
Othumさんのページを見ていて知っていました。
ボクも90年の来日のときは観に行きました。
ビデオで残っている九段会館のものは
平日だったので観に行かれず
土曜にライヴがあった名古屋の[ボトムライン]まで
泊りがけで出かけたのを憶えています。
なにしろ九段会館と違ってライヴハウスですから
酒の入った客で、場内は大騒ぎでした。
今から思うと、わざわざ名古屋まで行って観ておいた良かったと思います。

Sam Taylorですが
すぐに頭に浮かぶのが、もちろんかの『ハーレム・ノックターン』
ドラマなどで、安易にストリップ・ショウのシーンになると
これが使われるのはなぜなんでしょう?
私は、一時、サックスを練習していた時期がありまして
(あまりモノになりませんでしたが)
ひとりで、この曲を吹いていると
とても気持ちがよかった。
臭く吹こうと思えば、いくらでも臭くなるんです(笑)

Screamin'は以前、日本のクラブなどに出稼ぎに来ていたこともあるそうで
『君恋し』とか歌えると書かれていますが
そのころ、Sam Taylorも日本のムード歌謡などを吹き込んでいますし
そのあたりで、ふたりの接点があるんでしょうかねえ。
[2004年11月13日 9時35分57秒]

お名前: Othum    URL
Sam "The Man" Taylorは、日本では「むせび泣く」よなムーディなサックスとして知られておりますが、アメリカでは
リッパな(?)スタジオ・ミュージシャンとして数々のセッションに参加しております。
私の大好きな Screamin' Jay Hawkinsのバッキングでも「常連(?)」と言ってよいでしょう。
詳しくは上の↑ URLでどうぞ。
[2004年11月12日 23時10分4秒]

お名前: Utam   
Othumさんにもきいてみよう。 SAM TaylorというSax Player憶えてますか?
よく新聞でやってるなつかしの。。。シリーズで日本の歌謡曲とかSaxでやってた黒人の方
なんですが、(最近みないなー。引退したかな?) 昔 社長とかケイジさんとの会話の中で
この人だーれ?と 皆しってるのに、実は知らないなぞの人というのがでたことがありました。
 昭和30年台なんかけっこうこの方宣伝でてましたし、40年代もみてました。

田園コロシアム ね。昔あそこLiveみれたんだよね。電車でとおると音きこえたりして。。。
でも Live Under The Skyよくみにいきました。 小さくてよい会場だった。
雨には負けたけど。   タイガースは TVでStreet Fighting Manとかもやってたり
して R Stones 好みでしたね。 オックスは一度TVでみて Tell meで VoとKey
が倒れて、幕がおりて 上がると 立ち上がって手を振ってるのをみたんですが、今考えれば
あれはJames Brown 御大をみた人の演出かな? あれ以降失神というのは
王 なんとかさんだっけ、女優しかきいたことがない。(失礼しました 話題がAfter
Hoursです。) ジャガーズのキサナドーの伝説 って良い曲で、あとでデーブディーGroup
のOriginalもかったけど、なんで ザナドーが キサナドー (すみませんドーは本当はDoなんで
すが打てないんで、文字をだせない。)になったんでしょうか?
[2004年11月12日 19時54分31秒]

お名前: 馬鹿社長   
日本だけの「外国ミュージシャン」や「外国大物俳優」って
当時はいましたよね。
グループサウンズだけど、ライブはなぜかストーンズのコピー
が多いですよね。タイガースの田園コロシアム・コンサートの
「タイム イズ」は振り付けまで完全コピー。社会問題にも
なったオックスのお約束失神は「テルミー」だったっけ?
[2004年11月12日 8時11分12秒]

お名前: Utam   
社長がいってるの Three Degreesかな? でもあのGroup、フィラデルフィア系でやってた
みたいな話きいたけどね。Soul Trainでてたとか。。。。 とにかく TBSの音楽祭で
やった 天使のなんとか は日本Hitねらって業界タイアップだったらしいという話はきいた
ことがあります。 10年前くらいだったか、名古屋のお池だっけ、あそこら歩いてたら
このGroupのLiveの告知がありまして、顔みたけど こんな人いたかなー?でした。

 私はWalker Broは全然おぼえてないんです。ダンス天国くらいで。。。それくらいでした
ね。 あとはあの頃はGSがはやってましたから、タイガース、スパイダースにテンプターズ
と。彼らからも洋楽入ってきましたよね。 Golden Cupsなんか、長い髪の少女しかしらん
もの。彼らが本牧でやってたという話はしってたけど、レコードなんかきいてなかったから
(GSのレコードもってるなんて?という雰囲気ありましたよ。当時)Blues系で最近彼らが
昔凄かったと評価されても、へー80点としかいえないんです。
 いまでも思い出すのが、ダイナマイツが 黛の題名のない音楽界にでて、トンネル天国
やったんです。 司会の彼が凄い顔してたの覚えてます。 当時は映画も一杯あって
GSでてたもんなー。 タイガースのが東宝のなんかで一緒にみさせられて記憶がありますが、
耐えられなかったですね。恥ずかしくて。
[2004年11月11日 13時9分1秒]

お名前: ケイジ   
ウォーカー・ブラザースって、私はダメでしたね。
『孤独の太陽』(In My Room)ってやつ、大ヒットしましたが
あの仰々しいアレンジと歌は、どうも受け入れられなかった。

私には、「たかが歌じゃん」という気分がありまして
日本の歌でも、例えば狩人の『あずさ2号』が聞こえて来ると
耳を塞いじゃいます。
♪8時ちょうどの〜 あずさ2号でぇ〜
 私は私は私は あなたから〜
 た・び・だ・ち〜 ます〜

知るか! 勝手にしろ!
なにも、たかだか男女の別れを
こんなにドラマチックに歌ってどうするの?
「私は私は私は」と畳み込むように繰り返すのも
自意識過剰で嫌だ!
それをだ! ふたりの男が絶叫して歌うのが
もう耐えられなく嫌だ!
最後の「旅立ちます」という歌詞をなんでそんなに
力いっぱい歌わなきゃいけないの。
なんか〜、聴いてて恥ずかしくなってくるのは、私だけ?  
[2004年11月11日 7時45分23秒]

お名前: 馬鹿社長   
私は黒人音楽というものをストーンズを通して
知りましたからね。彼らなくしてはM・ゲイも知らなかったでしょうね。
それが後年、知人と共同とはいえ、某所でR&Bバーを所有してしまって....
日本で大人気だった女性ボーカルグループは実は日本のみという話は知ってますか?
「ダーティ オールドマン」だったっけ?
[2004年11月10日 21時59分24秒]

お名前: Utam   
Walker Brothers はイケメンの初めでしたね。かっこもヒラヒラついたブラウスかなんかきちゃ
って凄く女性うけしたんでしょう。 日本で、評価受けたバンドとしてはベンチャーズと同様
ですね。USではそうでもないらしいですが、UKでは良い評価をうけたらしく。 海賊盤
専門のBeatlegで 彼らを書いていた人がいて 読んだことがありました。
 昔は日本公演のLiveもあったらしく。 彼らLive 武道館ではあったんですが、実は
その時点ではすでに解散していて日本のためにやったという話もあったらしいです。
 この後ですね Animalsとか Holliesとか来日するのは。
[2004年11月10日 17時57分42秒]

お名前: Othum   
Walker Brothersって、今にして思えばヴィジュアル系のハシリだったような気がしますね。
まわりでも、むしろ女性が騒いでいた記憶があります。
日本では有名だったと思いますが世界的にはどうだったんでしょう?
[2004年11月10日 15時59分13秒]

お名前: Utam   
社長が前のとこでいってますが、5thDimensionのアクエリアス・Let the sunshine inはヘアー
なんで、69〜70年だと思います。 ダンス天国って ウィルソンピケットが66のオリジナルなんですが、
私の記憶ではこっちの元祖の凄い方ではなくて、アメリカ人がUKいってHitしたウオカーBROTHERS
ではやったと思うんですが、記憶ではBeatlesのPosterか、ウオカーか、タイガースかという選択を
明治かフジヤでやってたと思います。
 R Stonesのおかげで 古いカバーを聞いてて、そういう意味ではよい勉強でした。
Little Red Roosterから、Hitch Hike(誰の曲だっけ?)、カントリーのI'm Moving On
(こんなのハンクウリリアムスなんかしらんかったもの)、You’d better move on、
That's How Strong My love Is に、Mercy Mercy, いい時代でした。HopとR&B
が混在してました。
 60年代というのがどうも終わりは別として、よく思い出せないんです。 前に書いた以外。
Dock Of The Bayはえらくはやったし、曲も良かったので永遠のFavoriteですね。
[2004年11月10日 13時6分23秒]

お名前: 馬鹿社長   
私たちの年代でソウル音楽との出会いは、
オーティス・レディング「ドックオブザベイ」、ウィルソン・ピケット
「ダンス天国」、意外と忘れているのが、5thディメンション「輝く星座」。
サム・クック、マーヴン・ゲイ、チャック・ベリーはストーンズのカバー
からが私の体験でした。
[2004年11月10日 9時6分3秒]

お名前: ベルリン   
懐かしい話題がどんどん出ていて、私もぜひ参加したいところですが、目下取り込み中。
課題を抱えている時はそちらに集中というわけで、ここ暫く身を入れて話に参加する余裕
がありません。残念ですが、そういう時もあるでしょう。で、ちょっとだけの参加。

>ライチャス・ブラザーズの『アンチェインド・メロディ』がかかっていました。・・・
ボクらはリアルタイムで60年代に聴いていたよね。このコーラス・デュオってこの曲
しか知らない(笑)。レコードは買わなかったけど、この曲は好きでした。黒人だとばか
り思っていたけど、白人だったんですよね。

いくしまさんの尽力でライチャス・ブラザーズの動く姿見ることができました。白人だ
というのは当初から知っていたのですが、それで特に驚きました。本当にソウル歌って
いるんだもの。その記事書いているのですが、まだ仕上がっていません。井上さん、 
You've lost that lovin' feelin' とか、引き潮(エブ・タイド)なんて覚えてないか
なあ。あれもこの2人だったんです。ユア・ヒット・パレードにも出ていたような気が
します。私大ファンで、CDも買ってしまいました。いくしまさんには足を向けて寝られ
ません。いい時代だったなあ。(・・・と私も年)
[2004年11月9日 14時26分20秒]

お名前: utam   
社長が登場されました。  彼からかりたRoyalアルバートHallのBob Dylanは今ではようやく
Officialででましたが、昔はそんなのなかった。 彼は友人の中で一番先に海賊盤を買った
人間でして、Great White Wonder (Bob Dylan)と Liver Than You’ll ever
be(R Stones)を渋谷のヤマハへいって(ヤマハで売ってるとは思わなかった)買ってきて
聞かせてくれた開拓者でありました。 おかげで いまでもDylanは アルクーパーと
マイクブルムフィールドが入った、Highway61 revisitedが一番好きな私であります。
 先日 つのだヒロさんがいってましたが、50〜60年台はMelodyの宝庫でおいしいのが
たくさんあった。でも今はもう 出尽くしてて 難しい。これも本当なんでしょうね。
昔ほど、メロディーで覚えてる曲というのがなくなった。 ケイジさんがいってるアンチェインドとか
ふられた気持ちとか、良い曲ですよね。 あと、昭和20〜30年台にはやってた
Big Band Jazzでも いい曲というのはあったわけで。 これからどうなるんでしょう?
[2004年11月9日 13時3分55秒]

お名前: ケイジ   
今朝、ラジオを聴きながら仕込みをしていたら
ライチャス・ブラザーズの『アンチェインド・メロディ』がかかっていました。
「ああ、『ゴースト〜ニューヨークの幻』のテーマね」と言う人は新世代人類。
ボクらはリアルタイムで60年代に聴いていたよね。
このコーラス・デュオって
この曲しか知らない(笑)。
レコードは買わなかったけど、この曲は好きでした。
黒人だとばかり思っていたけど、白人だったんですよね。
[2004年11月9日 7時38分52秒]

お名前: 馬鹿社長   
Utamさんとは中学時代からの友人なんで、ほとんど
音楽体験がかぶりますよね。
ただ、私は途中から歌詞重視に変更していって、
B.ディランに嵌っていたのが中学3年から。
その当時は全然理解出来なかったけどね。
でも、エレキは不良説の元祖みたいなエピソードなど
やはり、「ロックはカッコ良さ」ですよ。
アコースティック バージョンの「I Don`t belive you」は
ザ バントをバックの66年ヨーロッパ公演も凄いけど、オリジナルは
もっとロックしてます。
その後の「見張り塔からずっと」(ジミヘン版、U2版は有名ですよね)の
イントロはRストーンズのJJFと同じくらい稲妻物です。
[2004年11月8日 20時40分42秒]

お名前: Utam   
みんなラジオ聞いてるんですよね。私はAMは中学、高校、洋楽はやっぱFENですね。早かったし
日本のチャートより。ウルフマンジャックが20時〜21時でやってて これはよくきいてたので、
アメリカングラフィティーであの人伝説なんだと知ってびっくり。宣伝が入らないだけ、途中にHit曲の
部分がかかってBreakというのが好きだった。America Woman, Spinning Wheel,
Make Me Smile そういう曲の最初をBreakに使うんですよ。なかなかでした。
 TV番組って 小学校って 土曜日の午後のCombatなんですよ。あとは日曜日の
スーパーマン、Batmanに土曜日の宇宙家族ロビンソン。魔法使いジニー。 ギリガン君漂流す だっけ?
(ギリガン'S Island)日曜なんてNHKとかちあうから 77sunsetブルバード とかは
ほとんどみれず、でも曲は印象的でかっこよかったですね。 Route66はみた記憶がない。
あとFBIものでアンタッチャブル、あの曲もかっこよかったでしょう。日本流にナレーション入って
たと思うけど。 サンダーバードは人気あったし、シービュー号等も含め、UKものの音楽って
よかったですね。 プリズナーNo.9って 寮のおかげで全然みれず、従って あのテーマ曲が
有名な骨の歌とは知ったのは最近でした。 TVでみてると歌も当然入ってたりして、
影響強いですよね。
[2004年11月8日 13時26分46秒]

お名前: Othum   
ケイジさん、文化放送に関わっていたんですね。
確かに時代の流れは「映画音楽」の隔離(?)に向かっていたのかもしれません。
いまでこそ、TVCMやドラマのタイトル・チューンなど、媒体べったりのセールスが当たり前ですが、かっての
ミュージシャンは「そんな」売り方はしてませんでした(誰も気付かなかったのか、気付いててもプライドが許
さなかったのか、あるいは媒体間のコネクションが弱かったのか?)よね。

私の中でも、やはり映画音楽はちょっと違ったところにあり、ま、パヴィリオン風(?)に言えば「ノスタルジ
ー館」に収容されております。
よりセンチメンタルな要素が強いんでしょうね、たぶん。

ところで、映画と同様に、アメリカから輸入されたテレビ・ドラマってのがありますよね?それで記憶に残って
いるもの、ってなんでしょうか?
私だと「パパはなんでも知っている」や「ビーバー君」(ともにモノクロ時代)や、ハワイを舞台にした私立探
偵事務所のドラマで、やはり白黒の(と記憶している)「 Follow The Sun」ってのがあります。
特に最後のは、ジジ・ペローとかいうとってもキュートな娘が出ててお気に入りでしたねえ(あ、音楽にいっこ
も関係ない話になってる!)。
そして「Route 66」。
これはもう、あの曲も印象的でした。たしかジョージ・マハリスとか言いませんでした?歌ってるひと。
あの三番目の出演者(?)シヴォレー・コルヴェットも印象的でしたが。
[2004年11月7日 22時27分15秒]

お名前: ケイジ   
文化放送に『ユア・ヒット・パレード』という番組がありました。
洋楽のリクエスト・ランキング番組で50年代から続く長寿番組でありました。
私は中学のころからの愛聴者で
勉強をしているフリをしては、
この番組を聴いていて
毎週のランキングをノートに書き取ったりしていました。

高校生になると、今度は映画に夢中になっていました。
どうしも観たい映画はロードショウへ。
他は安い二本立て、三本立ての名画座通いという生活です。

『ユア・ヒット・パレード』は
1時間番組で
途中に映画紹介のコーナーがあって
そちらも楽しみでした。

そのうちに、この番組は自然と聴かなくなっていたのですが、
「『ユア・ヒット・パレード』に来るハガキの整理を手伝ってくれないか」
という話が人づてに届きました。
一応、お金も払ってくれるというのですが
当時のアルバイトに時給としても
雀の涙といった金額でした。
しかし放送局で働けるという興味と
試写会に潜り込めるという特典があったので
喜んで引き受けました。

仕事は週一回
番組に寄せられたハガキを郵便室のようなところからピックアップしてきて
リクエスト曲ごとに仕分けして
ランキングを集計すること。
それと、聴取者へのプレゼントを抽選して発送すること。

私たちが担当していたころは70年代の中ごろ。
毎週クイーンの『キラー・クイーン』が1位といった感じでした。

最盛期はゴールデンだった『ユア・ヒット・パレード』は
このころには聴取率が落ち、深夜枠になってしまっていました。
やがてスポンサーが下りてしまい
それでもしばらくスポンサー無しで続けていたのですが
ついに打ち切りとなってしまいました。

『ユア・ヒット・パレード』が
他のリクエスト・トップ10番組と大きく違ったところは
中に映画音楽が混じっていたこと。
『ゴッド・ファザーのテーマ』やら
『ジョーズのテーマ』やら
が、クイーンやベイ・シティ・ローラーズに混じって
ランキングしていました。
そのへんが落ち込みの一因なんではないかと思っていましたが
よく考えると、
長年続いたこの番組の始まった当初というのは
洋楽といえば
洋画と切っても切れない関係にあったんだということ。
ボクが小学生時代に
『史上最大の作戦』やら『大脱走』のソノシートを集めていたのが洋楽事始なら
50年代から60年代中ごろまでは
そういう時代だったんだろうということです。

やがて映画音楽とポップスは完全に離れ
70年代中ごろまで続いていた『ユア・ヒット・パレード』は
自分が関わっていながら、こういうのもナンですが
よくぞそこまで続いていたものだ思います。
[2004年11月6日 8時28分25秒]

お名前: Othum   
ケイジさんの書いておられることで、そうか!と思わず膝を打つところがありました。
それは
>なぜ私がローリング・ストーンズを
>リアル・タイムであまり買わなかったというと・・・
>歌えないんです!!

というところ!
そうなんですよ!まさに、これがロックとポップスの分かれ目だったのかもしれません。
確かにサーチャーズやクリフ・リチャードなんて一緒に歌えたんですよね。
でも、 Rolling Stonesで真っ先に思ったことは、あっ、こりゃ楽器が出来なきゃダメなんだ!って
ことでした。

Utamさんは水原 弘で歌謡曲嫌いになったんですね。
たしかに暗いし粘りッ気があります。
Pink Pantherのテーマでは別に「暗闇でドッキリ」ってのが好きでしたねえ。
お馴染みピーター・セラーズと、エルケ・ゾマーっていう姐ぇちゃんの。

ところで、今日の BLUES日記は、ここでも話題にした Twilight Timeになっちゃいました。
ま、タマにはプラターズもいいでしょう。
[2004年11月5日 22時41分26秒]

お名前: Utam   
エスニックで Othumさんが ウシュクダラとおっしゃってましたが、知らないんですよ。
でも小学校の時に坂本九さんがやってる舞台中継で、ムスターファを歌ってて、いい曲だと
思ってたんですが、曲名がわかったのは78年、イランはテヘランでラジオから流れてて
これなんていうんだ?ときいたら、アラブの曲じゃんといわれて。。。。。
 映画で洋楽といっても ケイジさんがいってた ミッチミラーの史上最大の作戦マーチとか
大脱走のテーマとかですかね。あとPink Puntherのテーマに、West Sideは妹さ好きで、LP
あったかな?やっぱ Cool!と Tonightでしょう。洋物を見始めたのは中学くらいから
ですから。80日間世界一周は 兼高かおる世界の旅で聞いてました。
 歌謡曲では悪い思い出があります。たしか第一回のレコード大賞が小学校の時からだと
思いますが、水原弘さんの 黒いハナビラが大賞で、年末、年始と歌番組といえば
この曲ばっかで、暗いじゃないですか、そのおかげで 歌謡曲嫌いになった感じがします。
[2004年11月5日 13時21分0秒]

お名前: ケイジ   
加山雄三の優等生的健全エレキのおかげで
エレキを演る若者は少しは救われていたような気がします。

今では、若い人たちはカラオケ屋へ行くんでしょうが
ボクらの時代は、そんなものは無い。
中にはギターが弾ける奴というのが何人かいて
そんな奴の家に集まって一緒に歌っていましたね。
簡単に歌えるのはPPMやブラザース・フォーといったフォーク。
だから、そんなのを歌うのが多かった。
ガット・ギター、フォーク・ギターなら安く手に入りましたし
親もエレキでなければいいだろうという雰囲気がありましたしね。
しかし、エレキでなければ満足いかないって連中ってのもいて。

私の洋楽シングル・レコード・コレクションの多くは
ビートルズ、ビーチボーイズ、クリフ・リチャード、ベンチャーズ、モンキーズ
あたり。
よく、ひとりでレコードを聴きながら、
歌詞カードを見て一緒に歌うのが楽しかった。
なぜ私がローリング・ストーンズを
リアル・タイムであまり買わなかったというと・・・
歌えないんです!!
ミック・ジャガーの歌声に合わせて歌おうとしても・・・難物なんです。
一緒に歌えるといったものじゃあない!
思うに、ストーンズあたりから
ロックというものは、ポップスとは別者になりはじめたのかもしれません。

以前にも書いたのですが
私はGSに関しては、当事かなり個人的にバカにしていまして
ちゃんと聴こうとしなかった。
もちろんレコードを買う事はなかったんです。
洋楽に夢中になっているものには、
な〜にがタイガースだ、な〜にがスパイダースだという感じでしたね。
このへんをバカにしていたツケが後から来るのですが・・・。
[2004年11月5日 7時23分35秒]

お名前: Othum   
いえいえ、ストーンズは「ゴール」みたいなもんでして、むしろ、それ以前の音楽世界
について語っていただく方が面白いです。
加山雄三は今もそうですが「健全ムード」みたいなのが前面に出ていて、それが GSブ
ームの時に、一気に置いてかれた原因じゃないか?って気がしますね。
GSって、どっかデカダンなアヤしいとこもあったんじゃないでしょか。
ゼッタイ PTAがいい顔しない、みたいな・・・

加山雄三とランチャーズ(でしたっけ?)、加瀬邦彦とワイルド・ワンズあたりはどっ
か「健康的」でしたでしょ?
ただ寺内タケシはちょっとベクトルが違うよな気もしますね。なんたって「エレキ」で
「運命」やら「津軽三味線」までやっちゃうんですから。どっちかってえと、別な人種
(?)に人気があったように思います。

 Utamさんがお書きになっておられますが、ヴェンチャーズはモズライトだったんです
が、当時は「全音モラレス」っていうニセもんが随分と出回ってましたねえ。
同じように重いギターでしたが音はかなり違ったそうです(ワタシは一度もヴェンチャ
ーズやったことがないし、モラレスもモズライトも引いた事が無いんで判らないんですが)。

タイトルまでは覚えていないのですが(確か Pop Gearとかいう題名だったような気が
しますが)、ムカシは MTVならぬ、映画でそんなのがありましたよね。
それと、クリフ・リチャードとシャドウズが出てくる半分ドラマみたいな映画 Young
Onesや Summer Holidayなんてのもありましたっけ。
[2004年11月4日 23時24分3秒]

お名前: Utam   
国営放送でアンディーウイリアムズShowをやってましたね。時間が悪かったのか、余みたことが
なかったんですが、This is Tom Jonesは 民放でしたっけ? あれはRock系がたまに
でるので見てまして、Whoがピンボールの魔術師、Moody BluesがRide My Seesawを
やってました。(口ぱくが悲しかったけど。。。) あとパートリッジFamilyなんかあった
でしょう。あれも家族みんなうたっちゃうパターンでしたね。 

 TVの初期って、昔のNews Filmの紹介みたいな番組が多くて、そのBackには
Big Bandの音楽がかかってることが多かったような気がします。グレンミラーとかそういうの、
そのおかげで ムーンライトセレナーデとか違和感なくきいてたような思い出あるんです。

 Rock系だと Junのサウンズイン で ヴァニラファッジのKeep Me Hanging Onを
中学2年の時にみたのはドッカーンでした。ありゃサイケの典型でした。これってMTVの
始まりですよね。 でも多くは 音楽にあわせてUSのお姉さんが踊ってるのが多くて閉口
しました。

 加山雄三は小学校の時には怪獣映画と一緒でして、かなりみてたんで、弟が買ったのは
早かったですね。エレキとか ハワイとかみてますが、モズライトもっちゃって。。。。
トレモロアーム ギュイーンってやるのはかっこよかったけど、あとからモズライト持った日には
こんな重いのありか!でした。 あれでインストやってた記憶はありますね。 ベンチャーズ
とか北欧系インストは当時 はやりすぎてましたから、普通の音としてきいてた感じも
するんですが。。。。

 
[2004年11月4日 19時36分22秒]

お名前: ケイジ   
OthumさんもUtamさんも、早くローリング・ストーンズへ持っていきたいようなので
それじゃ、私も。

当時、クラスの友人のお父さんが東芝に勤めていて
東芝のレコードをよく家に持って返ってきました。
ダブリがあると、友人はそれを私にくれました。
私の買うのは、ほとんどシングル盤。
LPレコードを貰ったときは本当にうれしかった。

あのころ、東芝といったら
ビートルズがいて、ベンチャーズがいて、
加山雄三もそうだったかな?
なにしろ当事の売れ筋はほとんど東芝が握っていたという印象があります。
イメージもキレイで
エレキというとヒンシュクを買っていた中にも
どこか健全な感じがしました。
日本の映画会社でいえば、
健全で明るいイメージの東宝映画。
日活や大映、東映とは違うって感じ。
私の持っていたレコードは、ほとんど東芝レコードでした。

ローリング・ストーンズのレコードは、ロンドンでしたっけ?
ジャケットも暗い表情を浮かべたメンバーの写真で
明るく健全な東芝から
買ってはいけないのではないかという、ちょっとした後ろめたさを持って
レコード屋さんのレジに持って行った記憶があります。
おそらく、Othumさんや、Utamさんほどはリアルタイムでレコードを買っていない。
高校生になってからLPで集めるようになっていました。

記憶があるのは
中学2年の夏休みに
生まれて初めてアルバイトをしたこと。
給料を貰って、その足でレコード屋さんに飛び込み
『黒くぬれ』のシングル盤を買い
父親に無理を言って買ってもらったステレオで何回も何回も聴きました。
それまでは電蓄といわれる
小型のレコード・プレイヤーしか持っていなかったんです。
イントロのベースのうなりにシビレました。
このころは、母親たちも
ビートルズの音には慣れていましたが
ストーンズの音には、あまりいい顔をしなかったようでした。
[2004年11月4日 7時45分58秒]

お名前: Othum   
そうです!ワタシも日本の歌謡曲は苦手でしたねえ。
でも、ケイジさんと同様、なぜか三橋美智也だけは小学校時代に歌っていた記憶があります。
あの「トンビがくるりと輪を描いた」ってやつですけどね。今でもちゃんと歌詞が出て来ます!

シャドウズから、初期のリヴァプール・サウンドなんて言われる「ザ・サーチャーズ」に行ってたもので、あまり
ビートルズには「新鮮さ」がなかったんですよ。
まわりでもそれに夢中になっている人ってのが、それまで音楽の話題には、「ついてこれなかった」よな連中ばか
りだった(ま、失礼ながら、そんな「感度の悪い」?ひとたちにも受け入れられたからこそ「大ヒット」となった
ワケなんでしょうが)のが印象に残っています。
プレスリーについては「ブルー・ハワイ」なんて映画で見たせいか、やたら甘ったるい感じがして、どこがいいの
か、まったく判りませんでしたねえ(もっとも、生まれて初めて買ったシングルってのが、プレスリーの You're
the Devil in Disguiseってヤツだったんですが・・・理由は、レコード・プレイヤーを手に入れて、早速お店に行った
のですが、その田舎のレコード屋さんにはビリー・ヴォーン楽団とか、ペレス・プラードみたいのばっかりで、そ
うじゃないのはこれしか無かったのです)。

テレビではケイジさんもお書きのアンディ・ウィリアムス。これにチャドとジェレミーがでて、It was a very
good year.を歌ったり、ジ・アソシエーションの Cherishなんてのも良かったですね。
ただ、それ以前のペリー・コモ・ショウも良かった記憶があるのですが、50年近くも前の話なので、さすがに記憶
が怪しくなっています。そこでペギィ・リーの Feverにノックアウトされたように記憶してますが果たして・・・

ストーンズには「悪(わる)」の匂いがあったのが新鮮だったんでしょうね。Tell Meは「衝撃」でした。
[2004年11月4日 0時53分41秒]

お名前: ケイジ   
小学生時代は日本語で歌われるポップスが大好きでした。
私はどこか、日本のいわゆる歌謡曲をあまり好きではなく
(とかなんとか言いながらも、今思うと結構好きだったのかもしれません。
三橋美智也なんて、尊敬に値しますね)
そんな番組ばかり観ていました。

あとはやはり映画音楽。
ミッチミラー合唱団が主題歌を歌った『史上最大の作戦』
スティヴ・マックイーン主演の『大脱走』のサントラ
そんなのをソノシートのレコードで聞いていましたね。

親戚のおにいさん、おねえさんは
もうプレスリーに夢中。
遊びに行くと、もうプレスリーのレコードだらけ。
でもボクはあまり興味を感じないでいました。

ビートルズが出てきたのは
私が小学校高学年になったころ。
クラスでひとり夢中になっいる男がいたのですが
私にはどこが面白いものかわからなかった。

中学に入って
最初の年の冬のことでした。
学校のスキー教室があったんです。
これに参加したのが決定的な事件になりました。

昼間のスキー教室が終わると、夕食。
そのあとは消灯時間まで自由になります。
ロビーにはジューク・ボックスが一台置いてあって
同じ中学の仲間が、
このジュークボックスの周りに集まっている。
順番に硬貨を入れて
流れてくる音楽に聴き入っている。
女の子は圧倒的にビートルズでした。
それまで興味のなかったビートルズでしたが
みんなと聴いていると、とても楽しいものに思えてきた。
ちょうど映画『HELP!』が公開されていたころです。
『HELP!』 『涙の乗車券』のジャケットには
雪の中で遊ぶ4人の姿が写っていました。
それも、スキー教室でスキーをやっている最中の自分の気持ちにフィットしたのでしょう。

ちなみに『Ticket To Ride』の訳が『涙の乗車券』ですからね。
乗車券なんて言葉、もう今や、あまり使わないでしょ。
後に、小林信彦と松村雄策との論争で
ビートルズのコンサートの[チケット]と書いた小林に
あの当時はコンサートの[キップ]と言ったと泥仕合の様相になりましたが
確かに、あのときはキップと言ってました。

閑話休題。
男の子もビートルズをかけてましたが
ベンチャーズ、加山雄三、ビーチボーイズ、そしてローリング・ストーンズ。

また一方の波として
フォークがありました。
PPM、ブラザース・フォー、ジョーン・バエズ

さらには、
フランク・シナトラ&ナンシー・シナトラだとか
そうそうテレビで『アンディ・ウイリアムス・ショウ』を観るというのも楽しみでした。

東京に帰って
近所の三本立て映画館に行き
『ビートルズがやってくる ヤアヤアヤア』 『HELP!』
そしてなぜか同時上映だった
『ウエストサイド物語』 『サウンド・オブ・ミュージック』にまではまり
洋楽への興味は増す一方。
お小遣いは、シングル盤を買うのに向けられて行きました。
[2004年11月3日 10時15分33秒]

お名前: Othum   
『シャボン玉ホリデー』の存在は大きかったですね。
ただ、あの番組では、音楽よりもギャグやコントのほうが印象に残っています。
音楽では NHKの『夢で逢いましょう』かな?
そして、ひところ、日本人の歌手が洋楽を歌ったものがどんどん増えて、もしかすると、それ
が、その後に来るWest Side Storyの爆発的なヒットの下地を作ったのかもしれませんね。

アメリカン・ポップスの伊東ゆかり、イタリア系(?)の森山加代子なんてシンガーが採り上
げてくれたおかげで、そのソースの方も入ってくるようになったのかもしれません。

Utamさんは自宅からだと、ここに書けないんでしたね。マンボ No.5も覚えています。
そう言えばディズニーランドかプロレスって枠があって、プロレスだとガッカリした覚えがあ
ります。この番組の「星に願いを」はとても好きな曲でした。

こうして思い返してみると、どうも「あきらかに」旋律が美しい曲が好きだったようですね。
エレキにしても、ヴェンチャーズよりシャドウズでしたし。
それが「こんなふう」になったのは、やはり Rolling Stonesの影響かもしれません。
[2004年11月3日 1時43分35秒]

お名前: Utam   
や、やっと書き込める。家からかけないんで。。。。。 
幼稚園はラジオのアンプがついたプレーヤーで、マンボNo.5と英語のショショジの狸囃子を聞いたのが
洋楽事始ですね。TVは小学校低学年の時にきて、早かったけど、プロレスにディズニーランド
ですから、あとお笑い三人組。あと、ケイジさんがいってたシャボン玉ホリデーですね。それと
フジのヒットパレード(いまでも思い出すスマイリー小原)が洋楽の元ですね。ピーナッツとか
うまく日本語にして歌ってた。そのうちベンチャーズがでてきたけど、テケテケがどうしたでした
が、66,7年ころにモンキーズがTVでヒットして、BeatlesのLiveもあったけど、
それよりこっちの方が凄く受けてた。曲も聴きやすかった。 弟が最初にかった洋楽は
モンキーズでそれからBeatlesのHello Goodbyeとなります。私はまだ洋楽は買ってません。
中学にはいって、69年に寮の居室でFENできかされた Rolling StonesのJumpin' Jack
Flashで 一気にRockいきましたね。それでサタニックマジェスティーズリクエストを英国版
のを先輩から譲ってもらい 他のStonesものも、かって。 R&Rの時代がはじまりました。
あとはまた。
[2004年11月2日 13時26分29秒]

お名前: ケイジ   
おそらく、ボクらの世代で最初に耳に入ってきたのは
日本の歌手による日本語の歌詞に変えられたものだったような気がします。
『シャボン玉ホリデー』とか、
あとは日曜日の昼間に
洋楽を日本人が歌っている番組があったような記憶があるんですが
記憶違いかな・・・・・。
[2004年11月2日 8時0分22秒]

お名前: Othum   
そうそう、『太陽がいっぱい』、あれは本当にいい曲でしたね。
ヴォーカルの入っていない曲で覚えているの、って映画音楽が圧倒的に多いです。
『第三の男』や『日曜はだめよ』、『太陽はひとりぼっち』なんてのもありました。
歌ものでは『菩提樹』ってのに、ウィーン少年合唱団が出てましたっけ。
Smoke Gets In Your Eyes、こればっかりはタバコ嫌いでも「いい曲」です。
中学に入ってから「気象部」ってのに入り、ラジオからの気象情報を気象図に起こしていくため
部室には大きなラジオがあり、その作業が終わった後はニール・セダカ(悲しきクラウン)やデ
ル・シャノン(悲しき街角)、リッキー・ネルソン(ヤング・ワールド)なんていうアメリカン
・ポップスに合わせて楽しんでいたものです。
[2004年11月1日 14時45分28秒]

お名前: ケイジ    URL
ボクの場合の初めての洋楽体験って何だろう。
店で働いていたオネーちゃんに
映画に連れて行ってもらって
その映画が『太陽がいっぱい』
幼稚園児には、フランス語、字幕映画なんてわかりゃしない。
「つまんないよー」とロビーのソファーで寝っころがっていました。
ただ、あの音楽だけは印象に残っていて、
今でも、あの音楽がラジオから聴こえてくると
あのときのことを思い出します。

『煙が目にしみる』というと
アメリカのテレビ番組『ゴング・ショウ』を思い出しますね。
大小いくつもの蝋燭を並べて火をつけ
その上に手をかざして
悲鳴をあげながら歌うという、あのバカバカしいアイデアは面白かった。
ゴング鳴っちゃいましたけどね。

『煙が目にしみる』の歌詞の意味がわかったのは
それよりもずっとあと。
男との別れ話が決まったあと、
「涙が出るのは悲しいからじゃなくて
ただ、タバコの煙が目にしみただけなの」
なんて、いいですねえ。
タバコ嫌いなOthumさんや私ですが
この歌詞にはグッと来るものがありますよね。
[2004年11月1日 8時6分51秒]

お名前: Othum    URL

「ショージョージ」のアーサー・キットも黒人でしたが、小学校高学年のあたりに印象に
残ったのが「ザ・プラターズ」です。
最初に「いい」と思ったのが煙が目にしみるでしたが、後に生涯のお気に入りとなったの
はそれではなく、トワイライト・タイムでした。

Heavenly shades of night are falling it's twilight time.

で始まるこの曲ですが、でも好きになったのは高校生になってからです。やはり、ある程
度の英語力が無いと、この歌詞の美しさは判りませんからね。
まだ小学生では、歌詞の持つニュアンスなどは判るワケもないのですが、それでも、メロ
ディの美しさというのは、心に残るもので、煙が目にしみるのおかげで、ザ・プラタ
ーズはある意味、初めて意識にのぼった「黒人音楽」だった、と言えるかもしれません。

[2004年10月31日 19時17分47秒]

お名前: Othum(   
読みづらいので「改行」を修正してもいちど・・・

およそ日本に生まれて、特別な英才教育なども受けてないとすれば、いつ頃から
日本以外の、いわゆる「洋楽」なんてものを意識して聴き始めるものなんで
しょうか?
最近でこそ、団塊の世代を親にもつ若い世代が、もう小学生のころから家で
はビートルズを聴いてた、なんてことを言っているようですが、その親たる
ワタシくらいの年代ではどうだったんでしょうね?
遥かに記憶を遡ってゆくと、アーサー・キットのタヌキ囃子を居間にあった
ラジオで聴いたのが最初だった(意識に残ったものとしては)ような気がし
ます。
次が、たぶん美空ひばり・江利ちえみ・雪村いずみの三人娘(!)などとい
う言葉があった時代だと思うのですが「ウシュクダラ」とかいう曲です。
もしかするとトルコ人によるオリジナルではなく、日本人歌手による「カタ
カナ的トルコ語」で歌われたものかもしれませんが、当時の流行歌だったよ
うに思います。
(調べるのは「別なとこ」でイヤというほどやってますので、ここでは「敢
えて」それをせずに、あやふやな記憶のままで書いてます)

もちろん、ひとりの日本人が最初に聴いた「洋楽」なんて、それこそ親の証
言でも無ければ判るはずもありませんが、最初に「意識した」洋楽、という
ことなら本人でも、いえ、本人でなきゃ判りません。
その系譜が、そのひとの個性を別な各度から照らし出してくれるかもしれま
せんね。
[2004年10月30日 20時37分55秒]

お名前: Othum    URL
およそ日本に生まれて、特別な英才教育なども受けてないとすれば、いつ頃から日本以外の、いわゆる「洋楽」なんてものを意識して聴き始めるものなんでしょうか?
最近でこそ、団塊の世代を親にもつ若い世代が、もう小学生のころから家ではビートルズを聴いてた、なんてことを言っているようですが、その親たるワタシくらいの年代ではどうだったんでしょうね?
遥かに記憶を遡ってゆくと、アーサー・キットのタヌキ囃子を居間にあったラジオで聴いたのが最初だった(意識に残ったものとしては)ような気がします。
次が、たぶん美空ひばり・江利ちえみ・雪村いずみの三人娘(!)などという言葉があった時代だと思うのですが「ウシュクダラ」とかいう曲です。
もしかするとトルコ人によるオリジナルではなく、日本人歌手による「カタカナ的トルコ語」で歌われたものかもしれませんが、当時の流行歌だったように思います。
(調べるのは「別なとこ」でイヤというほどやってますので、ここでは「敢えて」それをせずに、あやふやな記憶のままで書いてます)

もちろん、ひとりの日本人が最初に聴いた「洋楽」なんて、それこそ親の証言でも無ければ判るはずもありませんが、最初に「意識した」洋楽、ということなら本人でも、いえ、本人でなきゃ判りません。
その系譜が、そのひとの個性を別な各度から照らし出してくれるかもしれませんね。
[2004年10月30日 20時32分54秒]

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