February.20,2009 第22週『聞かぬは一生の箸』

        いよいよ話もクライマックスというところで、師弟関係は親子関係なのだという凄いテーマを持ってきた。これは感動もの。実際にある師弟関係が全て親子関係、つまり師弟関係になるということは家族になることだとは思えないのだが、こりゃあひとつの見方ですね。師匠及びそのおかみさんが弟子を息子、娘のようにみるなんて、そんなことあるのだろうかと思えてしまうのだが、う〜ん。そうありたいという感想は持ちましたね。

        この週で出てくる落語は『はてなの茶碗』。これは東京でも耳にするネタ。東京では通常『茶金』。話にうまくこの噺を溶け込ましている工夫に感心してしまった。中で小草若が草原に『はてなの茶碗』を稽古してくれと頼むと、「無理」と言われるシーンがある。前座噺のようなものしか演ってこなかった小草若には確かに難しいかもなあ。


February.6,2009 第21週『嘘つきは辛抱の始まり』

        草々が弟子を取ることになる。噺家が弟子を取るということは、おかみさんまで巻き込んだことになるので、俄然、喜代美も大変なことになる。しかもこの弟子たるや、大学の落研出身で、喜代美などよりよっぽど噺を知っている。さらには十八番が『鉄砲勇助』。自分の名前も勇助で、それが気に入って十八番にしているらしいのだが、噺のとおり本人も嘘つきだという設定がこれまた面白い。

        『鉄砲勇助』の前半は東京では『弥次郎』。後半は『嘘つき村』。『嘘つき村』はあまり演り手がいないらしく、私も聴いた事がない。

        嘘つきというよりも、ほら吹きの噺。童話の『ほら吹き男爵の冒険』にも通じる噺だろう。だから、「嘘だろう」と聴き手も端からホラだとわかって付き合っている。いわば楽しい話。

        ところが、ドラマの中でも語られるが、この弟子は嘘をついて、それがバレるかバレないかのギリギリを楽しんでいるという嫌な性格の持ち主。ホラと嘘を勘違いしているらしい。ホラは周りを楽しませるが、嘘はいけません。


January.22,2009 第20週『立つ鳥あとを笑わす』

        いよいよ草若師匠の病状が悪くなる。当初、若狭(喜代美)との親子会で『地獄八景亡者戯』を演る予定だったのだが、自分で無理だと判断して、4人の弟子にリレー落語で『地獄八景亡者戯』を演るように指示する。

        草若師匠の様態を心配しながら会場へ向う弟子たち。一方師匠は病院のベットで死を向かえる。草若師匠の病名が最後までわからないのが私には気になって気になって仕方ないのだが、こんなこと思うの私だけだろうか? 誰かが死ぬと病名はなんだったのか気にして普通聞くでしょ。そのへんをはっきりして欲しかったという不満は残るものの、喜代美の母やおじさん(京本政樹)の看病に笑いながら死んでいく。この週のタイトルがぴったりとはまった、この脚本の見事さといったらどうだ。

        悲しい週なのだが、地獄をも笑い飛ばす落語のパワーもあって、いいなあと思う。落語がモチーフでないとこうは書けないだろう。


January.13,2009 第19週『地獄の沙汰もネタ次第』

        草若倒れる。死を目前にして死ぬ前にやっておきたいことがあると、昔からの悲願、落語の常打ち小屋建設に動きまわる。喜代美はといえば、草若から創作落語を演れと言われ悩んでしまう。やはり女が男の噺を演ることに無理があるからかと思って観ていると、喜代美という存在そのものが草若には面白いと思えたようなのだ。「おかしな人間が一生懸命になっている姿が面白いんだ」と言う草若の台詞が物語っているように、喜代美にはいわゆるフラというものがあって、それが創作落語に向いているということなのだろうか。

        この週では『地獄八景亡者戯』が出てくる。草若が自分でも近く演ろうとして稽古したり、草原に稽古をつけたりする。死期が近づいて、死を思うとこういう噺を演って笑い飛ばすしかないと思う草若の心情がしみじみと伝わってくる。

        『地獄八景亡者戯』を初めて聴いたのは、友人に借りたレコード。東京ではまず演り手がいないが、古今亭寿輔が『地獄巡り』というタイトルで抜粋で演るのを得意にしている。

        また『七段目』がチラッと出てくる。これは東京でも演り手が多い。


January.7,2009 第18週『思えば遠くにすったもんだ』

        草若が地方公演に出ている。旅先で喜代美の実家に顔を出した草若、どうやら死期が近づいていることが視聴者には知らされる。草若は喜代美の母親に弟子たちひとりひとりの事について語っていく。

        一方で喜代美=若狭は、自分の落語が受けなくなっていることに悩んでいて、兄弟子たちに相談して回るという、二つの立場から草若の弟子が語られると同時に、喜代美のスランプ表立っていくという上手い構成の脚本だ。

        この週の冒頭で『饅頭こわい』を演じている喜代美が映し出される。マクラではそこそこ受けているのだが、噺に入った途端、客席では居眠りを始めるものも出てくる。

        なぜ受けないのかという理由を、草々は「それはお前が女だからだ」と言い出す。落語というものは男が演るものとして受け継がれてきたわけだから、どうしてもそのままやろうとすると無理があるのだ。東京の女流落語家の噺を聴いていても大きく違和感を感じることがあるが、彼女たちはそれぞれ工夫をこらしている。

        『饅頭こわい』は落語のネタとしてもかなり有名だから、何回も聴かされることになる。そのうちに聴かされる方でも飽きてくるわけで、それでもこの噺を聴かせようとすれば、相当なテクニックや斬新なアイデアが必要だろう。

        それにしてもこの『饅頭こわい』、女がひとりも出てこない上に、町内の男の寄り合いの噺。女流は苦戦するわけだよなあ。物真似を演る芸人さんを見ても、男の芸人さんは女性でもこなせるけれど、女の芸人さんは男性まで出来る人はほとんどいない。女が男を演じると宝塚みたいになってしまうんだなあ。そういうことからも女流落語家は辛い。今まで喜代美が演った『ちりとてちん』にしろ、『天災』にしろ女性がひとりも出てこない。ネタの選択が間違っていたような気がしてならないのだが・・・。


December.22,2008 第17週『子はタフガイ』

        この週のタイトルから、これは劇中で『子別れ(下)子は鎹』が出てくるなと思わせるのだが、噺としてはでてこずに別の噺『たちきれ線香』を持ってきた。これは故郷に帰っている草々と喜代美が実家で落語会をやることになり、草々が選んだ噺が『たちきれ線香』というわけ。

        東京では、普通『立ち切り』と呼んでいる。これは結構難しいネタだろう。これといって笑いどころはなく聴く者を引っ張っていかなくてはならないから、実力が必要だ。また、クライマックスで、はめものが必要で、これは東京でも入れる人がいる。さすがに三味線の音がないと成立しにくいし、三味線の音は噺を盛り上げてくれる。以前は三味線が出来なかった喜代美だが、ここでは見事に歌と三味線を披露している。悲しい噺ではあるが、私は正直言ってあまり好きな噺ではない。あまりにひ弱でしょ、小糸ちゃん。

        この落語会の目的は、家出してしまっている喜代美のおかあさんと、おとうさんの仲を元どおりにしようという目的で企画されたものだが、草々は両親の結婚前のエピソードは知らないままに『たちきれ線香』を演ったのだが、この噺とかなりダブった馴れ初めがあったのだ。やや強引という気がしないでもないが、おかあさんは強かったから小糸ちゃんみたいに死にはしなかったのだよ。

        ただではおかあさんが落語会を聴きに戻ってこないからと、突然に再会した五木ひろしに歌を歌ってもらうことに。ところが渋滞に巻き込まれたらしくて五木ひろしは現れない。若狭(喜代美)の『天災』が終わってしまっても、五木ひろしは現れない。それで若狭は『天災』のサゲのあとに、さらに噺を加えていく。

        五木ひろしの使い方が上手い脚本だ。五木ひろしとしてもおいしい役回りといえる。

        そして驚いたのは、これがきっかけで両親は仲直りする。まさに『子は鎹』になっているのだから、落語好きの人間はみんな「あっ!」と息を飲んだろう。


December.15,2008 第16週『人のふり見て我が塗り直せ』

        『胴乱の幸助』が頭で出てくる。喧嘩の仲裁好きな男の噺で、これも上方落語。東京ではまず演じ手がいないが、幸助というキャラクターは江戸っ子風で、東京でやってもいけると思うのだがいかがだろうか。

        喜代美と草々が新婚早々に夫婦喧嘩状態で、草々は喜代美の実家に行ってしまう。妻が実家に帰るのではなく、夫が妻の実家に行くというのが面白い。その実家では喜代美のおかあさんが旦那と喧嘩して家出している。おかあさんの行った先が喜代美の幼なじみの順子の家、魚屋食堂。順子のおとうさんが幸助というわけで、『胴乱の幸助』がここでも絡んでくる。ところが喧嘩の仲裁どころか、娘の順子が妊娠していることを知るや、相手の友春を巡ってややこしいことになってくる。

        全体的に暗い印象の週だが、最終日に五木ひろしが自身の役でまたまた登場するあたりから、一気に明るくなる。ここでも脚本の上手さが感じられる。半年の長丁場をどこまで緻密に計算していたのだろうかと感心しきりだ。


December.6,2008 第15週『出る杭は浮かれる』

        結婚はしたものの、先行き不安なふたり。そんなときもとき、喜代美はテレビタレントとしてデビュー。あっという間に人気者になる。収入もぐっと増えるのだが、落語一本でやっていこうとする草々といきなり亀裂が生じることになる。

        上手いのは、ここで『二人ぐせ』を持ってくるところ。草々が草若ではなくて別の師匠から『二人ぐせ』を習ってくる。草若は以前自分も『二人ぐせ』を演っていたときもあったが、ある理由から封印してしまったというエピソードがあとでわかるのもいい。

        『二人ぐせ』は東京では『のめる』という演題でやられている。。「つまらねえ」というのが口癖の男と「のめる」というのが口癖の男が、お互いこの口癖を言ったら罰金を出し合うという賭けをする噺。若いときに聴いたときは「つまらねえ」という口癖の人間はいるだろうが、「のめる」を口癖に言う人間はいないだろうと思っていたが、酒を嗜むようになってから、ああ、やっぱり言う人間はいそうだなと思うようになった。

        喜代美の口癖が「やっていけるんやろか」。草々の口癖が「勝手にせい」。これを言ったら罰金という賭けをしたふたり。当初貧乏だったふたりは、この言葉を頻繁に使ってしまうが、喜代美がタレントとして売れてくると使わなくなってしまう。それがあるキッカケでふたりがこの台詞を吐いてしまうシーンは見事というしかない。

        気になったのは、テレビの落語番組のシーン。『二人ぐせ』を演り終えた草々が司会者のインタビューに答えるところ。この司会者役が桂文珍。着物姿でどう見ても文珍自身としか見えない。それが、「ほう、落語家さんは、自分の師匠じゃなくて他の師匠に噺を教わることもあるのですか」と感心してみせる。あんたも、落語家だろ! そんなこと知ってるだろと突っ込みを入れてしまいたくなる。あれはミスキャストでしょ。


November.18,2008 第14週『瀬戸際の花嫁』

        正月第一週に放送されたもので、2日分しかない。若狭と草々が結婚するという突然の展開。しかも大晦日の夜にプロポーズして、元旦に師匠に報告すると、善は急げとばかり翌々日の3日には結婚式をあげることになる。若狭の家族や仲間が一同に集る。祖母の小梅(江波杏子)もスペインから帰国している。舞台の仕事が終わったらしい。正月らしい賑やかな寄席の正月興行のような楽しさに溢れる週だが、落語の話題はなし。実際、東京の初席寄席興行も噺家の顔見世で、人数ばかり多く、まともに落語ができない状態なんだけど。


October.18,2008 第13週『時は鐘なり』

        草若一門会。若狭は『ちりとてちん』。この一門会が終われば内弟子修業が明ける。このドラマが始まってから若狭は『ちりとてちん』しかやっていない。内弟子修業終了時に一席しかできないということはないだろうから、もう何席はできるのだろうが、結局はこの日も『ちりとてちん』。まっ、タイトルがそうなのだから、これでもいいんだろうけど。小草若はいつまでも『寿限無』だったから、ひとつしかネタを持っていなくてもいいんだろうけど。いつでもこれしか演らないという落語家も現実にはいるしね。

        四草『崇徳院』。どうもこの人に合った噺とは思えないのだけど、師匠は向いているといっているわけがわからない。
        小草若『鴻池の犬』。果敢に挑戦したがうまくいかなかったらしい。
        草々『辻占茶屋』。第4週で草々が演ろうとして、若狭が三味線を弾いて失敗(?)してしまった噺。リベンジなったか?
        草原『蛸芝居』。これも上方ネタで東京ではまずお目にかかれない。ナンセンスな噺で面白いのだが歌舞伎を知っているともっと面白いのだろうなあ。
        草若『愛宕山』。こちらもリベンジ。まっ、十八番という設定ですから、さぞかし会場を沸かしたでしょう。

        内弟子修業が終わると、草若のところに住み込んでいるわけにいかなくなってしまう。東京でいえば二ツ目になるわけで独立しなくちゃいけない。師匠のところに住み込んでいれば、宿泊費もタダだし三度の食事にもありつける。それが出て行くとなると、自分で部屋を借りなくちゃいけないし、食事代などもどうにかして自分で稼がなくてはならない。喜代美はそれが不安でしかたない。

        ここで草々への恋心がまたメラメラと・・・というわけで草々と喜代美が結ばれるわけだが、ドラマとしてはそれでいいんだろうけど、喜代美=若狭が独立してひとりで貧乏落語家生活をしていく様子が見たかったという思いがある。女性でひとり暮らしをしている二ツ目の落語家は東京にも現実にたくさんいるわけで、彼女たち頑張っているよ。男とくっついちゃうという展開はどんなもんでしょ。まあ、ヒモになっちゃう男の落語家も多いけど。


October.4,2008 第12週『一難去ってまた一男』

        週が明けると、どうやら話が二年くらい月日が経っている。大阪の演芸界のドン鞍馬太郎(竜雷太)から、年末に徒然亭草若一門会を天狗座開かないかと持ちかけられる。そんな折、酔っ払っていたとはいえ、父であり師匠でもある草若の悪口を噺家仲間の土佐屋尊建(浪岡一喜)に言われたことに腹を立て、小草若は尊建を殴ってしまう。相手が酔っ払っていて誰が殴ったかわからなかったことを幸いに、草々は自分が殴ったと小草若の罪を被ってしまう。というのも、尊建の師匠は、近く尊建と親子会を天狗座で演ることが決まっていたのだが、尊建が怪我をしたことにより、この会を中止しなければならなくなったと怒り出したからだ。草若は草々を破門にする。

        どうやら顔を殴ったらしいのだが、たいした怪我ではなかったという台詞もあるように、その程度の怪我で落語ができなくなるなんてことはないだろうと、思わず突っ込みを入れたくなる。これが、足を骨折したということなら話は別。正座が出来なければ落語はできないだろう。もっとも上方には見台、ひざかくしという便利なものがあるので、足の骨折でも不可能でもない。もっとも、大きなギブスをしていたら無理かもしれないが。尊建の師匠がこの件で怒り出すというのも、なんだか大人気ないというか、ありえないだろうという気がする。尊建の師匠は弟子との会を「ふたり会」と称していたが、東京の感覚でいくと、これは親子会。二人会としても、東京では「ににん会」と呼ぶのが普通。

        草々が中学生のころに、地方の小さな落語会で草若の落語を聴いて、草若の元にやってくるというエピソードが語られる。てっきり弟子入り志願だろうと思った草若だが、草々は草若が使っていた座布団が亡くなった父が作ったもので、それが懐かしくてやってきたのだと判明する。その場で一度だけしか聴いた事のない『鴻池の犬』を完璧に演ってみせたところから、草若は草々に「弟子になってくれ」と言う。これも、ありえない、ありえない。相撲界じゃないんだから。

        『鴻池の犬』は東京では『大店(おおだな)の犬』として高座にかけられているが、これもあまり耳にできない。上方ではよくかけられる噺らしいのだが。草々が中学時代に草若の噺を聴く場面では、草若は『つる』を演っている。前座噺だが、これが好きな大御所も多く、東京でもけっこう出番の深いところで聴けたりする。


September.20,2008 第11週『天災は忘れた恋にやって来る』

        第五回目の[寝床寄席]用に若狭は『天災』を稽古してもらう。しかし、心ここにあらずといった稽古の態度に、今回は出るなと言われてしまう。それも草々と清海の仲が急接近してしまうからで、稽古がおろそかになってしまうから。そんなばかなと思うのだが、そういうヒロインなのだなあ、このドラマは。

        『天災』という噺は説教くさく、なるほどなあと思わせるところがあるが、よく考えると、ちょっと待てよと思わせる噺だ。世の中の人全てが、何事も天災であると悟りきっていれば世の中に災い事なくなる道理なのだが、そうはいかない。台風で土砂が崩れた。これは天災である。しかし危険だと思われる崖を放置しておいたのは自治体の責任だということになる。これは天災ではなく人災だという議論になるのである。小僧さんが撒いた水をかぶるのは、やっぱり人災なのである。

        草々と清海が恋愛関係になるのは、天災といえるのか。う〜ん難しいところである。相手は人間なのだから話してみればいいだろうというアドバイスを受ける喜代美。清海の存在自体が昔から天災だったと思い込む喜代美は、ここで一歩踏み込んでいく。喜代美は『天災』という落語になぜか違和感を感じていたのではないだろうか。かといって深刻な演技にならずに、喜代美の気持ちを表現できる貫地谷しほりという女優さんはたいしたもの。朝から、あんまり深刻な話を観たくはないもの。なんだか観ていてとてもなごむんだなあ、この人。


August.30,2008 第10週『瓢箪から困った』

        一門の[寝床寄席]。二回目は4月に行われる。全員のネタ出しがしてあって、『ちりとてちん』若狭、『崇徳院』四草、『寿限無』小草若、『宿替え』草々、『寝床』草原、『愛宕山』草若。草々が『寿限無』から『宿替え』に変わったくらいで第一回と同じネタが並ぶというのはどんなもんかなあ(笑)。聴かされる方はたまったもんじゃないでしょ。若狭の初高座は惨憺たる結果になってしまう。来ないでくれと断ったのに、故郷から母親が見に来ていて、失敗した原因を「おかあちゃんが見に来たから悪いんや」と他人の責任に転化してしまう喜代美。ダメなヒロイン像というのは、朝ドラでは珍しいものに違いない。こういうところを見せられると、嫌なヒロインだなあという気になるはずなのだが、貫地谷しほりの凄いところは、そう感じさせないからで、つくづく上手い役者だなあと思わせる。

        三回目6月の[寝床寄席]には、若狭が外れる。この日もネタ出しがしてある。『延陽伯』四草、『寿限無』小草若、『景清』草々、『鷺とり』草原、『千両みかん』草若。小草若以外はネタが変わった。『延陽伯』は東京では『たらちね』。『鷺とり』は東京だと『雁つり』。あまりかけられることが少ない噺だが上方ではポピュラーなネタなんだろう。『千両みかん』は難しい噺だと思う。何が何でも真夏にみかんが食べたいと寝込んでしまう若旦那は、今ではあまりにリアリティに乏しいし、一個千両の値段をつけるみかん問屋、息子のためならばと千両払う親といのもリアリティがない。それでも強引にこの噺をリアリティあるものだと持っていく力が要求されるから。さて、この会で一番注目なのは草々の『景清』だろう。『景清』とえば八代目桂文楽。私は中学生のときに紀伊國屋ホールで初めて聴いた。人間の業のありようが、まさに押し寄せるがごとき熱演に圧倒されたことを憶えている。これは『千両みかん』よりさらに難しい噺に違いない。草々くらいのキャリアでは持て余すに違いない。しかも、このあと『鷺とり』、『千両みかん』と続く並びでは、この噺はいささか重過ぎないだろうか?

        四回目8月の[寝床寄席]には、草々は欠席。その理由が『景清』を得意とする噺家が落語会でこのネタを演るので観に行きたいとのこと。これはありえないでしょ。いかに勉強に行きたいからと自分の一門の落語会に欠席するなんてことは絶対といってない。しかも上方では問題ないのかもしれないが、東京に関して言えば、プロの噺家が演者の許可なく客席に回って落語を聴くという事は禁じられているからだ。この落語会に草々は清海を誘う。いわばデートをかねて。しかし『景清』なんて落語を聴きにいくデートは盛り上がらないだろうなあ(笑)。まあどんな噺なのかはCDで聴いてほしい。[盲]という言葉が重要なキーワードになっていて、まずテレビやラジオで放送されることはないだろうから。『ちりとてちん』若狭、『七度狐』四草、『寿限無』小草若、『饅頭こわい』草原、『高津の冨』。若狭は『ちりとてちん』に再挑戦。故郷での事件(第2週)をマクラに持ってきて、今回はうまくいったようだ。

        もともとは東京の『酢豆腐』を上方に移したのが『ちりとてちん』。これを東京でも逆輸入して演るようになったのだが、これで東京の噺家の大多数が『ちりとてちん』に行ってしまった。今や『酢豆腐』を演る噺家は少数派だ。私はずっと『酢豆腐』を聴いてきたので、いつのまにか『ちりとてちん』ばかりが幅を利かすようになってしまって残念な気がする。今、『酢豆腐』の方を演ってくれるのは古今亭一門あたりか。キザな若旦那が腐った豆腐を食べるところが私は大好きなのだが。今でもときどき古今亭志ん朝の『酢豆腐』をCDで聴いたりしている。これが可笑しいんだなあ。

        『七度狐』は東京ではほとんど聴けない。東京で上方落語を演っていた桂小南で聴いたのが最初だったろうか。面白い噺だなあと思ったが、東京では受けないのだろうか。やっぱり東京では狐より狸の方が好まれるからなのか?

        『饅頭こわい』は演り手が多い、落語の代表的なネタ。私はどちらかというと甘いものにはあまり興味がないので、こんなに饅頭をありがたがって食べるというのがわからない。肉まんを入れる演者がいるとほっとする(笑)。酒だっらどうだろうと思うこともある。「わーっ! ビールだあ、こわいよう。わーっ日本酒、うわ〜ん、しかも越の寒梅じゃないか、こわいよう。チューハイだ、こわいよう。ワインにウイスキー、ブランデー。あああっ、ジンじゃないか。こういうこわいものはトニックで割って・・・」って、ダメだろうなあ。

        『高津の富』は、東京では『宿屋の富』。これも演じ手が多い。一文無しの男が大ぼらを吹く。その吹きようが大げさなほどいい。落語というのは同じ噺を演者を代えて何回も聴くものだから、この噺家はどんなほらを吹いてくれるだろうと期待が高まる。草若師匠のも聴いてみたかったかなあ。


August.23,2008 第9週『ここはどこ? 私はだめ?』

        いよいよ喜代美の入門が叶う。喜代美がどんな名前になるか兄弟子たちが想像するシーンがある。草若の草を取って、[草じき] [草しき] [草せーじ] [草かりがま]なんて変な名前が出てきたりするが、東京だと平気でそんな名前をつけられそう。前座のうちは虫けら同様。名前なんて記号くらいにしか思われていないところがある。ちゃんとした名前をもらえるのは二ツ目になってからなんていう一門もある。前座時代はそれに耐えて早く二ツ目になりたいと努力しているわけだ。上方ではいくらか事情が違い、東京のようなきっちりした身分制度がないから、最初からあまり変な名前はつけられないようだ。

        最初に教わる噺は何だろうかと、やはり兄弟子たちは想像する。『時うどん』ではないかとか、『寿限無』ではないかとか、『つる』ではないかとか、『東の旅発端』ではないかとか。初心者にはやっぱり『寿限無』か『つる』だろう。

        ここで意表を突かれるのは、最初に教わるのが『ちりとてちん』だということ。この噺から教わるというのはまず、普通有りえないだろう。それだけ初心者にしては難しい噺だと思う。感情の起伏が激しすぎる噺だし。草若のカミシモの説明があるが、おそらく喜代美(若狭という高座名をもらう)だけでなく、今の若い人には解りにくいものに違いない。日本の芝居のカミシモというのは、何回か芝居を観ていないと何のことか解らないだろうから。最初、やたらと身体が動いてしまうのも初心者が落語を始める様子を上手く描いている。

        小梅(江波杏子)がスペインに旅立つというエピソードが挟まるが、これはひょっとして江波杏子が一ヶ月くらい芝居に出ている期間があったのではないかと想像してしまう。その間収録に参加できないから、小梅がいないというのは不自然だろうから、って考えすぎかなあ。


August.19,2008 第8週『袖振り合うも師匠の縁』

        喜代美が草若に弟子入りしたくて入門を願い出るが断られてしまう。ようやく話が貫地谷しほりの喜代美に戻ってきた感がある。

        喜代美が天狗座で落語を耳にするのは『掛け取り』。この噺は年末限定ネタ。他の季節てはまず絶対といっていいほど耳に出来ない。ということは、この時点で12月ってことだよね。この直前に清海がテレビのお天気ねえさんとなって、天気予報をやっているシーンがあって、クリスマス・イヴの日だということがわかる。この辺がこの脚本のしっかりしているところ。『掛け取り』という噺は好きなのだけど、12月って何かと忙しい時期でもあって、なかなか寄席に行けないので、なかなか耳に出来ない。あと『睨み返し』とか『尻餅』も好きなのだけど、これも年末限定ネタ。あっ、そうだ大ネタでは『芝浜』に『文七元結』。この時期に気楽に寄席に行ける人ってうらやましい。


August.14,2008 第7週『意地の上にも3年』

        話が貫地谷しほりの喜代美から、ますます徒然亭一門に向っていってしまう。再び落語を続けようと一門が再結集。草若の家の向いにある居酒屋[寝床]で落語会を開く事になる。店主(木村祐一)の交換条件は、自分がトリで落語ではなくフォークソングを歌わせること。そういえば前の週のラストでは吉田拓郎の『人間なんて』が流れていたし、この週はやたらとバックでフォークソングが流れている。

        寝床という店名なんだから、店主はちょっとは遠慮してもいいようなものなのだが、この道は体験してしまうとやっぱり辞められないらしい。『寝床』という噺は、現在真打の落語家ならほとんどの人が持ちネタにしているのではないかと思う。それくらいポピュラーで笑いが取れる噺なのだろう。だから寄席に行くとやたらと『寝床』を聴かされることになる。それこそ、下手な落語家に聴かされる『寝床』はまさに寝床なのだが。しかしサゲにも繋がるこの寝床というのも現代ではわかりにくいものになっているに違いない。大店に奉公したものは、自分の部屋なども持たしてもらえない。店の中に布団を敷いて寝ていた。ちょうどいつも小僧さんが寝ている位置が旦那が義太夫を語っていた場所だったというサゲなのだが、こういうのを実際に知っていないと実感が湧かないだろう。

        [寝床]での落語会、草々は『寿限無』、四草は『崇徳院』、草原は長いマクラを振ったらしいが演目はわからない。小草若は『愛宕山』の予定だったが、泣きながら『寿限無』。そこへ草若が上がり『愛宕山』。小草若が泣きながら『寿限無』を演ったのは、父草若が自分に小草若という名前を付けてくれたという思いから、つい感極まって泣いてしまうのだが、これはいいシーンだ。出囃子は一門で演るのだが、これが適度の下手さ加減でいい。草々の出はおそらく[石段]だと思うのだが、テンポを落とし、しかも下手な三味線。思わず笑ってしまうシーンだった。


August.9,2008 第6週『蛙の子は帰る』

        この週は凄い。草若の四人の弟子が出揃う。ドラマの中心は喜代美から離れて、この四人の弟子を描き出して行く。喜代美はどちらかというと狂言回し的な役割になっている。この四人の弟子というのが、それぞれ喜代美と同じようにダメな自分という存在を背負っているのが面白い。総領弟子の草原は、噺は上手いのだが高座に上がると言葉を噛んでしまう癖がある。演じるのは本物の落語家桂吉弥。この人の落語を本当に上手いのだが、他の出演者とのバランスもあるらしく、落語を演るシーンではわざとヘタに演じているような感じがする。二番弟子が草々。三番弟子が草若の実の息子、小草若(茂山宗彦)。マスコミでは売れているが落語はヘタ。四番弟子が四草(加藤虎ノ介)。落語が好きというよりも、草若の『算段の平兵衛』ょを聴いて、その噺の平兵衛の生き方に感動して落語家になったという変り種。

        『算段の平兵衛』という噺は完全に上方落語ネタだ。東京では演り手がいないのではないか。よく考えると算段の平兵衛は嫌な奴なのである。この噺を東京で江戸弁で演っても、受けないのであろう。それがなぜか大阪弁で演ると妙に面白いのだから不思議。

        紆余曲折あって草若の弟子が、師匠のところに戻ろうということになり師匠宅前まで来るが、総領弟子の草原が、「あっ、こんなところに居酒屋が出来たのか」と師匠宅前の居酒屋[寝床]に入ってしまう。おそらく以前から[寝床]はあったのだろうが。酔ううちに草原は『一人酒盛り』を演りだす。ほんのさわりだけだが、こんな場所で演る噺じゃないやね。でもまた落語ができるといううれしさが現れているんだろう。私にとって『一人酒盛り』はやっぱり先代小さんかなあ。

        この週のメインになるのは落語はなんといっても『崇徳院』。この噺も寄席に行くとよくかけられているネタで、聴き飽きた感があるのだが、この週の『ちりとてちん』を聴いて新たな感動を覚え、これからこの噺を聴くたびにきっとこの『ちりとてちん』のエピソードを思い出してしまうに違いない。「割れても末に逢わむとぞ思うふ」という言葉が、別れてもいつかもう一度逢おうという意志を示したものとして、別れ別れになった弟子たちがまた集ってくるという意味になって物語が展開する。もう落語なんて興味ないという態度をとっていた四草が、実は落語の稽古を続けていたというのが、九官鳥の声でバレてしまうというエピソードは上手いなあと感心してしまった。


August.6,2008 第5週『兄弟もと暗し』

        この週はなんだか暗い。前の週のラストシーンで草々と清海が出会ってしまい、清海に草々が一目ぼれ。清海に草々を取られたと思い込んだ喜代美は小浜に里帰りする。一時雑誌に取り上げられた実家の箸屋は、その後不況に曝されている。草若から草々の初恋相手が『次の御用日』に登場するお嬢さん、とうやんだと聞かされ、ちょうどそのときにまた草々『次の御用日』の稽古を始めた事も影響して、失恋したのだと思い込むわけなのだが。

        この『次の御用日』という落語、完全に上方落語。東京では『くしゃみ政談』としてやられることもあるが、やっぱりこのばかばかしさは上方落語でないと伝わらないような気がする。東京でそのまま『次の御用日』を演って面白いと思うのは快楽亭ブラックくらいか。ブラックは実に楽しそうにこの噺を演っている。それにしても、この噺に出てくる、とうやんはなんと純情な人物なことか。見知らぬ男に脅かされただけで記憶喪失に陥るなんて、今どきだったら考えられないですやね。


August.3,2008 第4週『小さな鯉のメロディ』

        この週の脚本はほんとによく出来ていると思う。出てくる落語は『辻占茶屋』。東京では『辰巳の辻占』だが、上方落語では下座のお囃子をまく使った、はめものが入る噺で、賑やかな演出がなされている。徒然亭草若の弟子草々は3年前の一門会で師匠が空けた穴を埋めようとこの噺をやるが、まだ稽古中の噺だったので失敗してしまう。床屋の磯七(松尾貴史)が寄り合いで落語会をやろうと思いつき、草々に一席やってくれるように相談を持ちかける。やるからには『辻占茶屋』のリベンジをしたいと思う草々だが下座のやり手がいない。そこを喜代美が買って出る。しかし下座の三味線といったら相当なレベルの腕前が必要。高校時代にちょっと齧ったからといって弾けるものではない。しかも途中で挫折している。それでも毎日練習したという設定だから、そこそこのものにはなったのだろう。

        この落語会が開かれる座敷は何なんだろう? やたらと細長い座敷なのだ。そこにお客さんがみっしりと入っている。しかも前にテーブルが置かれている。こんな落語会ってあり? ちょっとありえない会場のような気がするのだが、まっ、いいか。さていよいよ出番。草々が喜代美に早く出囃子を弾けと囁く。「えっ? 出囃子って」 「弾けるのは一曲しかなだろ」 というわけで『ふるさと』を弾くわけだが、出囃子の打ち合わせくらいしてるだろ、普通という突っ込みを入れてしまいたくなる。はめものの部分も何曲も稽古している時間がないので、『ゆかりの月』のみ。ところが本番で緊張のあまり『ゆかりの月』が出てこず、ここでもまた『ふるさと』を弾いてしまう。びっくりしたのは草々だが、とっさの機転で、それを逆に利用して噺を作り、この部分だけまったく違ったものにしてみせる。

        この『辻占茶屋』のストーリーのいくつかの部分も、この週の話の中に生かしてある、ほんとに上手い脚本だ。下座であたまがの中が真っ白になってしまう貫地谷しほりの演技も光っている。


July.28,2008 第3週『エビチリも積もれば山となる』

        いよいよ大阪に出て落語家が登場する。徒然亭草若のところに転がり込む喜代美。草若は今は落語をやめてしまっている上に何もしないから借金まみれ。借金取りがやたらとやってくる。それでも借金の取立てが出来ないとなると、金融業者は凄腕だという取立人を草若のところに使わせてくる。落語には借金取りの噺がいくつかあるが、それとかけているわけではなさそう。この凄腕の取立人、[あわれの田中]という。あわれを誘い思わず相手に同情させ借金を返させるというわけだが、これは無理があるでしょ(笑)。この部分の脚本は役者としても演出家としても難しいところだったと思われる。それをうまく処理できたのは、[あわれの田中]を演じた徳井優の演技力に尽きるが、貫地谷しほりにも目を見張った! 不自然な場面なのだが、それをうまく演技でそんなに不自然に感じさせていない。観ていて自然に笑いが生まれてくる。コメディエンヌとして最近これ以上のことが出来る若い人はいないだろう。若くて可愛くてそれでいてコメディができる。凄い人が出てきたものだ。

        落語は、水を被せられた喜代美が風邪をひいてくしゃみが止まらなくなるシーンで、草若が「『くっしゃみ講釈』だな」と言うが、あまり筋自体に影響はない。上方落語のネタだが、東京でも『くしゃみ講釈』として演られている。この噺は私は好きだが、今の時代には無理があるのが何といってもそのサゲ。「あなた方だけどうして故障を入れるのですか?」 「胡椒(故障)がねえから唐辛子で間に合わせた」 今、故障という言葉は「機械が故障する」といった意味でしかあまり使われなくなっているからだ。例えば新明解国語辞典を引くと「そのものの内部の機能が不調になったり、外部からの事情に左右されたりして、進行が止まったり、正常な働きを失ったりすること」とある。邪魔されるという意味も本来はあるのだが、いまはこちらの方は死語に近いのではないか。また、途中で覗きカラクリが出てくるが、覗きカラクリを知っている人の数も減ってきている上、噺の中で胡椒を買って来いというのに、何を買ってくるのかすぐ忘れる男に、『八百屋お七』のお七の相手、小姓(胡椒)の吉三で思い出させようというのがまた無理なのだ。小姓という言葉自体が思い浮かばない人がほとんどだろう。

        この週の最後で『粗忽の釘』が出てくる。上方では『宿替え』。この噺、寄席でもよく演じられるので、すっかり飽きてしまった感がある。「また粗忽の釘かあ」と聴き流してしまったりする。この噺を初めて聴く人には笑いの多い噺なのだが、何回も聴いていると同じ笑いで笑えなくなってしまう。ところが先日、柳家小三治のDVDでこの噺を聴いたら抜群に面白かった。寄席では時間の関係でカットされてしまう前半部も面白かったが、お馴染みの後半部も思わず声を出して笑ってしまった。やっぱりそれなりの人が演ると面白いのだ、この噺。


July.26,2008 第2週『身から出た鯖』

        ヒロインの高校生時代の話。学園祭で三味線を弾こうと思い立った喜代美(貫地谷しほり)が、祖母(江波杏子)に三味線を教えてくれと頼む。彼女は幼少時代にちょっとだけ三味線をかじったことがあるが、うまく弾けなくて挫折してしまった経験を持つ。そこへヒロインのライバル的存在和田清海(佐藤めぐみ)やら同級生までやってきて、一緒に学園祭に出ようと6人になって三味線の稽古が始まる。当初は少しだけ経験のある喜代美が教える立場にあるが、どんどんみんなに追い抜かれていく。学園祭で何の曲を演奏しようかと相談しているところへ、母(和久井映見)が五木ひろしの『ふるさと』がいいと一方的に主張。それでこれが採用されてしまう。なんで『ふるさと』なの? と思っていると、これがこの週の最後の感動的なシーンに繋がる。のど自慢大会に出て優勝してハワイ旅行に行くのだと言い出す母。公園で開かれたのど自慢大会で、気持良さそうに歌うのは『ふるさと』。それがお世辞にも上手いとは言えない。一方、三味線に挫折してしまって学園祭に出られなかった喜代美は、地元の大学に行くのを断念して、自分を変えようと大阪に向う。その電車の中で母が公園で歌っている姿が見える。思わずジーンとしてしまった。

        この週では落語は出てこない。いや、『ちりとてちん』をアイデアとして使った部分もあるが、その後もこのドラマの中で出てくるというので、ここでは触れないでおこう。

        いよいよ貫地谷しほり登場である。コメディエンヌとして絶品だというのがわかる。細かい演技が凄いのだ。演出も、貫地谷の、誰に向っての台詞?やら、やたら妄想に走るシーンの挿入などコメディの要素を取り入れている。それに和久井映見のキャラクターがいい。天然ボケのような役回りで、貫地谷しほりのキャラからすると、この親にしてこの子ありという気になってくる。


July.20,2008 第1週『笑う門には福井来る』

        ヒロイン和田喜代美の少女時代の話とあって、貫地谷しほりはこの週最後のラストシーンに高校生役として出てくるだけ。しかしこの少女時代を演じる子役、よくこんな子を探し出してきたものだと感心してしまった。貫地谷しほりの少女時代役としてはうってつけ。よく似ているし、表情なども、特別に演技をつけたのかどうなのか貫地谷によく似ているのだ。

        この週に出てくる落語は『愛宕山』。喜代美のおじいさん正太郎(米倉斉加年)がラジカセで聴いているテープが『愛宕山』。塗箸職人のおじいさんは落語のテープを聴きながら仕事をしている。隣で喜代美もこの落語を一緒に聴いて笑っている。はて、小学生が聴いて『愛宕山』を面白がるものだろうかという疑問が頭に浮かんだ。というのも、私が『愛宕山』を初めて聴いたのは中学生のとき、八代目桂文楽だった。噺が荒唐無稽になってしまうのが気にいらなかった。

        幇間の一八が谷底まで傘を開いて飛び降りるのだが、そうとうの高さなのだ。今回改めて古今亭志ん朝のDVDを観てみたのだが、高さが90尋(ひろ)と言っている。1尋は大人が手を広げた長さ。約1.8181mなんだそうだ。仮に1.8mで計算してみても162m。傘なんて何の役に立つこともなく落下して確実に死亡してしまうだろう。さらに一八が竹のしなりを利用して谷底から飛び上がるというのも、「それはムリムリ」という感じ。しかし周りの観客は大笑いしているのだ。ひとり醒めてこの噺を聴いていた中学生の私だったが、最近になってようやくこの噺を自然体で楽しめるようになってきた。と考えると、逆に小学生の喜代美にはこんな荒唐無稽な噺が素直に面白いと感じていたのかもしれないと思えてくる。

        おじいさんは4回目の放送で倒れ入院する。意識不明のおじいさんに喜代美はおじいさん愛用のラジカセを、枕元に持ってきて『愛宕山』のテープを流す。するとおじいさんが意識を回復する。ここで、「そんなバカなあ」と思わず突っ込みを入れたくなってしまう。だって重体のおじいさんの病室にラジカセ持ち込むかあ。しかし、そんなことを言ったらドラマとしての盛り上げがなくなってしまう。まっ、いいか。荒唐無稽の『愛宕山』を許すなら、これもありだろう。

        週の終わりには、喜代美と母(和久井映見)がかわらけ投げをやるシーンで締めくくられる。それが『愛宕山』のサゲと、うまく関わっていて『愛宕山』を知っている人にはたまらなくうれしい気持になる。


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