June.20,2002 ふりかけ

        こんなコーナーを作っているくらいだから、嫌いな食べ物というのはほとんどない。嫌いなものって何だろうと考えてみるのだが、どうも思い浮かばない。ゲテもの以外は何でも食べる。それが、今では考えられないのだが、小さな頃は偏食がひどかった。

        肉は、鶏肉なら、まあ食べた。ハムやソーセージなどの加工肉もOK。挽肉も食べられた。しかし、豚肉のカタマリがダメだった。カレーライスに入ってくるゴロゴロした豚肉のカタマリ、トンカツ、ポークソテー、これらは食べられなかった。おそらく、あの臭いが苦手だったのだろう。ちなみに当時、我が家の食卓に牛肉が上る事は無かった。当時、牛肉は贅沢品で庶民が口に出来るものではなかった。すき焼きなどというものを食べたのは、ずっと後年。それと焼肉屋に行ったのも、ずっと後のことだった。もっとも、すき焼き代わりに桜鍋屋(馬肉)にはよく連れて行ってくれ、これは美味しいと思った。魚は、サンマやシャケ、マグロの刺身といったもの以外は大嫌いだった。野菜にいたっては、キャベツ以外のものには手をつけようとしなかった。

        いったい当時、何を食べて生活していたのだろうと不思議に思う。小学校に上がる前は、店が忙しいので、幼稚園ではなく保育園に入れられた。幼稚園は午前中で終わりだが、保育園だと午後3時ごろまで面倒を見てくれる。昼食は保育園が用意してくれる給食だった。ひどい偏食児童だった私は、ここで出される食事のほとんどが食べられなかった。何も食べられるオカズが無いときは、ご飯の入った容器を持って給食室へ行く。すると給食係の人が、ご飯の上に、ふりかけをかけてくれた。私はこれが大好きだった。

        ふりかけといえば丸美屋。[是はうまい]という商品しか私は知らなかった。保育園でかけてくれたのも、[是はうまい]。家庭でもいつも食卓には、このふりかけがあった。小学校に上がっても偏食は治らなかった。小学校の給食では、ふりかけなどというものも無かった。保育園では食べられないものは食べられないで済んだのだが、小学校ではそうはいかなかった。食べられないと食べるまで教室に残された。泣きながら豚肉を食べると、今まで食べたものを全て吐いてしまった。心配した両親と担任の先生の話し合いで、私はこのあと全寮制の施設に預けられ、そこで今度は何でも食べるようになるのだが、それはまた別の話。

        同じ丸美屋の[のりたま]を知ったのは、この全寮制の施設でのこと。[是はうまい]よりも遥かに旨いと思った。子供向けの味付けでもあったのだろう。ときたまメニューに出される[のりたま]は、私の大好物だった。やがてテレビアニメ『8マン』の放映が始まり、提供スポンサーが丸美屋になった。と同時に、[のりたま]の中に、8マンのシールが入るようになった。これが施設の児童たちの取り合いになったことは当然。その後、丸美屋は[すきやきふりかけ]というものも出した。すき焼きを食べたこと無い私は、すき焼きとは、こういう味のものかと思ったが、初めてすき焼きを食べた時に、「うわー、すき焼きって、ふりかけよりも遥かに美味しい」と感激したものだった。[のりたま]も[すきやきふりかけ]もまだ売っている。しかし、当時丸美屋が[チズハム]というふりかけを出したのを憶えているだろうか? まさに名前の通り、チーズとハムの味のふりかけだった。そのうちに姿を消してしまったから売れなかったのだろうが、その洋風の味が私にはちっょと憧れでもあり、大好きだった。


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