October.16,2004 アミューズメントパーク[お好み焼き屋]

        今年知り合ったOthumさんのホームページの10月13日付けのブルース日記を読んでいたら、お好み焼きのことを書いていて、それが面白かったので、触発されて私も書きたくなった。


        Othumさんも書いているように、ときどき、お客さんには絶対に焼かせないというお好み焼き屋が存在する。広島焼きのように、どう見たって素人には無理という焼き方をするところは、お店の人のコテ捌きを感心して眺めるしかないのだが、東京や大阪方式のフツーのお好み焼きの場合、「店の者にしか焼かせません。お客さんは焼いている途中のお好み焼きには指一本、コテ一本触らせません」という店というのは、何だというのだろう。

        私も去年、一度だけ、そういう店に入ったことがあった。行列が出来ているその店の前で並ぶ事30分ほど。ようやく店内に入れてもらえた。店内は鉄板を前に四人掛けのコーナーのようなものが、ズラリと並んでいて、それぞれが小さな個室のようになっている。注文をすると、店員さんが小麦粉を溶いたものと具材の入ったカップを持ってやってくる。ここから先は、お客さんは焼きかけのお好み焼きに手を触れてはならないというシステム。店員さんはいくつもの個室を掛け持ちしているから、ここがひっくり返し時という時にやってきて、お好み焼きをひっくり返して、また別の個室に行ってしまう。その間、ちょっとでもお好み焼きの位置がズレていると、「動かしちゃダメって言ったでしょ」と怒られるらしい。

        そりゃあ、その店の、「これだ!」という焼き方があるんでしょう。で、「焼きあがったから食べていい」と言われて食べ始めた。あっ、この店は箸を出さないのね。小さめのコテを使って食べろって言うのよ。それまで客にはひっくりかえしちゃいけないと言っておきながら、どう見たってひっくり返す目的に使うコテでお好み焼きを食べろというのが理不尽な気がするんですよ。ボクはお好み焼きは箸で食べたいの! さて、そのこだわりのお好み焼きの味なんですが・・・・・なーんか、フツーなんですよ。私に言わせれば。いや、不味いとは言いません。レベルから言えば、これは美味しいと思います。でもねえー、小さい時から、お好み焼きならぬ、東京下町のどんどん焼き(こちらの方が、お好み焼きの元祖だと思う)を母から食べさせられて育った私としては、いささか物足りない。

        なにしろ私の母というのは、無類のお好み焼き好きで、河童橋へ行って、お好み焼き屋さん用のプロ用鉄板焼き座卓を買い込んで来てしまった人なのだ。我家では月に一度くらいのペースで夕食はお好み焼きだった。鉄板座卓の下はガスコンロが仕込まれていて、これで鉄板を加熱する。私と妹は、小麦粉を溶いたものを渡され、好きな具材を入れて自分で焼かされた。どんどん焼き方式だから、普通のお好み焼き以外にも、パンかつ、カツレツ、イモ天なんていうメニューもある。〆は焼きそば。家族が鉄板を囲んで腹いっぱい食べるこのひとときは今でも思い出す。家にお客さんが訪ねてくるときも、たいがいこの鉄板座卓を持ち出して、みんなで食べたものだった。

        お好み焼きの楽しさというのは、集まった者がワイワイ言いながら自分たちで焼くというところにあるのだ。少々イビツに出来上がろうが、少々生焼けだろうが、それはそれで話題になって楽しく過ごせる。鍋奉行ならぬ鉄板奉行というのも、たいてい一人はいて、その場を仕切ったりする。お好み焼き屋には、そういうアミューズメントの要素もあるんですよ。自分で焼きたい人には自由に焼かせる。こだわりのある焼き方で店の人に焼いてもらいたい人には、焼いてさしあげる。それでいいのではないか。

        では、私がよく普通のお好み焼き屋に行くかというと、これが生まれてから数えるほどしか行っていないんですね。我家ではもうあのプロ用のお好み焼き座卓は処分してしまったものの、天ぷら用に溶いた小麦粉のコロモが残っていたりすると、あり合わせの具材を入れてフライパンでお好み焼きを作ったりする。でも余所の店にはほとんど行った事がない。なぜかと言うと、まず、お好み焼き屋に一人で行っても面白くない→いきおい気の合った仲間と数人で行く事になる→するとどうして「ビールを飲もうじゃないか」となってビールを頼む→目の前は熱い鉄板→冷たいビールがどんどんぬるくなっていく気がする。とまあ、強いて理由を付けるとなればそうなるのですが・・・・・。


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