January.29,2000 面白かったかどうかと言うと
韓国映画『シュリ』が、ばかに評判がいい。香港映画を超えて、ハリウッド映画にかなり近いなどと、マスコミは大絶賛している。当然、この手の映画が大好きな私は、大きな期待を持って見に行った。
社会主義国家の女スパイと資本主義国家の情報機関員との、仕事の確執を超えた恋なんていうテーマは、ベルリンの壁崩壊で、もう小説でも映画でもなくなったと思っていたのだが、今の韓国では、まだ十分に通用するという事実に今更ながら気がついた。映画としても良く出来ている。肉体アクションのキレは、アメリカ映画、香港映画以上かもしれない。SFXの取り込み方も節度をわきまえていて、いい。ラブ・ドラマのシーンだって切なくて、うまく撮れていると思う。
しかし、なぜなんだろう。期待が大きすぎたのだろうか。なぜか物足りなさを感じてしまう。あまり「面白かった!」という気になれない。映画館に見に行ってから、1週間。いろいろ考えているのだが、結論が出ない。韓国映画をほとんど見ていない私には、違和感のようなものがある。ちょっと、アクション映画にしては、生真面目にすぎる気がするのだ。それは、韓国人の国民性から来るものなのかもしれない。
January.24,2000 迫力満点の海洋映画?
サメと闘う映画って好きなんです。どうせくだらねーだろうなと思っても見てしまう。そうとうにマイナーなのまで見てしまっている。『キネマ旬報』のビデオ紹介欄に、『ジョーズ・アタック』という未公開映画のビデオが出ていて、「面白そうだなあ」と思ってしまった。最近入会したレンタル・ビデオ屋に置いてあったので、ついフラフラと借りてしまった。性懲りも無くなんですがね、パッケージは巨大なサメが大きな口をあけて、こっちに向かってくるところの絵。その手前でグラマーな美女が必死に泳いで逃げている。もう、これは借りるっきゃないと思ってしまったんですよ。はっきり言ってバカでした、私。
主人公の男は、メキシコの海岸に住んでいるシャーク・ハンター。ところがどうしても倒せない伝説の人食いザメがいる。やがて、遠く離れた弟から、CD−ROMが一枚送られてくる。それには、ある犯罪組織の秘密が記録されていた。案の定の展開で、弟は殺されてしまう。主人公は、このCD−ROMを馬肉に包み、伝説の人食いザメに飲み込ませる。犯罪組織が、メキシコに乗り込んでくる。さあ、闘いが始まる。主人公の持っている武器ときたら、火炎瓶くらいしかない。火炎瓶というのは、コンクリートなどの硬いものにぶつかって瓶が割れて、初めて炎が広がる。火炎瓶を砂浜の海岸で使うんじゃねー! 砂にボソッと埋まって終わりじゃねえかー!
絵に描いたように、主人公の元妻が捕まってしまう。サメを捕まえてCD−ROMを取り戻さなければならない。このあと、グラマーな元妻がサメに襲われるシーン。さあ、伝説の獰猛きわまりない人食いザメの登場ー! んっ! ちっちぇーっ! 人間と同じ位しか無えー! おいおいおい、あのパッケージの巨大なサメはどーしたー! 貧弱なサメがヨタヨタと近づいてくる。どう見ても人間に慣れきっちゃってるサメだ。当然元妻は、サメに食べられちゃうのだが、食べている風に見えない。スリスリと甘えているだけ。むりやりやらされて、サメさん迷惑そうじゃないかー!
はたして、どうやってこの伝説の獰猛な人食いザメを倒す事ができるのか。書いている方が嫌になるが、一応書きます。ねえねえ、興味あります?(あるかー! あってたまるかー!) 小さな手こぎボートに毛が生えたようなモーターボートに乗って海に出て行く。いよいよタンクしょって、海底へ。相変わらずの貧弱なサメがまたヨタヨタと寄ってくる。やる気あんのかー! 敵意をもったサメには見えねえー! 主人公の武器ときたら、小さなモリが三本。「えいっ」と、そのうちの一本をサメに投げつける。おおーい、海中でモリを投げつけて、どーするー! 水圧で届きゃしないだろうがー! 人懐こそうに寄ってくるサメにモリを浅く当てる。次のカットでモリをサメにくっつける。残った一本のモリでサメをメッタ刺し、なんだけど、血にみたてた塗料が広がって煙幕のようになってしまって、さっぱり見えなーい!
そんな伝説の人食いザメだったのが、どうして、こうも簡単に倒せるんだ―! 『キネマ旬報』になんて書いてあったか、教えようか。「巨大ザメの恐怖と、犯罪組織との戦いをうまこと絡めた脚本が素晴らしい海洋活劇。SFXなしというアクション・シーンは迫力満点」だと! 巨大ザメなんてどこに出てきたー! このくだらない脚本がいいだとー! どこがいいんじゃー! SFXなしは、予算が無いからだろー! アクション・シーンのどこが迫力満点だー! ほんもののサメとの格闘シーンなんて期待した方が悪かったが、腹立ったぞー! ばかーっ!
January.20,2000 久しぶりに強い相手だったけど
昨年11月に、『エンド・オブ・デイズ』のチラシを初めて目にしたとき、まさか主演がアーノルド・シュワルツェネッガーとはは思わなかった。だって、そのチラシには彼の写真がなくて、違う男がひとり、コートを着て拳銃を手にして立っている姿だったんだもの。この男がガブリエル・バーンという『ユージュアル・サスペクツ』などに出ていた役者だと知ったのは、ずっと後のこと。
アーノルド・シュワルツェネッガーという俳優は、『ターミネーター』という出世作で大ヒットしたことによって、ある意味で損をしてもいる。何たって、あれ悪役だものね。しかも人間ですらない。そのあと、元軍人役の『コマンドー』でテロ組織に対してひとりで戦争をしかけて、全滅させちゃう。こうなると、彼がでてくれば勝てない相手なんていなくなっちゃう。続く『プレデター』の敵は、なんと強暴な宇宙人だ。このころだ、噂であとは『ターミネーターV.S.エイリアン』を作るしかないなんて言われたのは。そこに最強の敵が現れた。『ターミネーター2』の液体金属製サイボーグT−1000。こいつは強かった。
しかし以後、彼の敵は皆無だったといっていい。だって後はみんな生身の人間。彼が負けるわけがない。見る前から、勝負はついている。そこへ、『エンド・オブ・デイズ』のサタン登場だ。こいつは久しぶりに強敵。人間以上のものが、ついに出てきた。久しぶりに大苦戦のシュワルツェネッガー。何しろ相手が強すぎるから、逃げてばかり。ようやく盛り上がってくるのは、地下鉄を使った対決あたりから。
この地下鉄と、その後の教会でのクライマックスに到るまでが、結構ダレる。教皇側は20年もの時間があったのに、それまで何をやっていたのか。人類滅亡の危機なんだから、必死になればクリスティーンを探し出すことなんて出来たはずだ。それと何だって、警備会社のガードマンが、こんなことに首を突っ込んでいくのか、よく解らない。
やっぱりここは、ジェームズ・キャメロンで『ターミネーター3』を作ってもらうのを待つしかないか。『ターミネーター2』は91年だったから、もう10年経ってしまったんだなあ。
January.16,2000 懺悔の値打ちありますか?
神父様、懺悔させてください。『ジャンヌ・ダルク』冒頭で、ジャンヌ・ダルクは盛んに告解室に現れる少女として登場し、映画の後半も何度も懺悔を求めます。私もそれにならって懺悔させてください。
ミラ・ジョヴォビィッチ主演女優神父様、懺悔させてください。私『フィフス・エレメント』での、セクシーなコスチュームを纏った、あなた様の細身のお姿に夢中になり、内心、今回もあらぬ期待をしてしまいました。しかし今回、当然とはいえ、ヌードになられるのは処女であることを確認されるシーンで、チラッと一回のみ。がっかりしてしまった私の罪をお許しください。
アンドリュー・バーキン脚本神父様、懺悔させてください。私、異教の徒でありまして、キリスト教のことは、正直言って知りませんし、知りたいとも思いません。実は何の宗教をも信じぬ者ではありますが。欧米のキリスト教国の作家が、キリストとは何かというテーマに取り組みたくなる気持ちも解らないではありませんが、正直言って退屈でした。私にはどーでもいいテーマでした。こんな不真面目な私の罪をお許しください。
リュック・ベッソン監督神父様、懺悔させてください。私、あなた様の監督作品は総て拝見させていただいております。しかし、好きな作品となると、『ニキータ』と『レオン』のみ。評価の高い、『グレート・ブルー』もあまり好きになれませんでした。そして、今回の『ジャンヌ・ダルク』、長すぎます。2時間40分、ひたすら早く終わらないかと思っていました。ところどころで睡魔に襲われ、何回気絶したことか。どうか私の睡眠の罪をお許しください。
January.12,2000 ビデオで見た方が恐いよ、きっと
世界中で大ヒットした、超低予算ホラー『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、また各国で賛否両論を巻き起こした映画でもあったようだ。日本でも、評価が割れている。満員の映画館で、私も見た。
ビスタ・サイズの画面に、スタンダード・サイズの画面。何の事だろうと思っているうちに、何をやりたがっているのか、だんだん解ってくる。これは、面白いことを考えついたものだと思っていたのは、最初のうち。やがて、飽きてきてしまった。異変が起こるまで、ちょっと長すぎるのだ。最近のホラー映画って、早々と化け物だすでしょ。こんなに、前ぶりが長いのは珍しい。性質上、音楽なし、これといった効果音なし。途中で眠くなってしまった。森の中で迷った3人が喧嘩を始めるシーンが長く続いたら、うんざりしてきた。
圧巻なのは、コマーシャルでも流している上のシーンでしょ。「ママ、私が悪かった、謝ります。目を閉じるのが恐い。目を開けているのも恐い」ってやつ。もう涙ぼろぼろ、よくこんなに涙出せたよなあ。どアップで鼻の中まで見えちゃう。それとこの後に続く、小屋のシーン。これ以上書くと、見ていない人に悪いから書かないけれど、見終わって、この映画何だったのかなあって感じがした。きっと、夜中に電気を消して、ビデオで見たら、凄く恐かったのではないだろうか。大劇場の大きなスクリーン、満員の観客の中で見る映画でないことは確かだった。
もう、3作目まで制作する予定だそうだけれど、この映画の性質上、1作目の手はもう使えないわけだし、はたしてどうするのだろう。続編って、つまんないのが多いけれど、ホラー映画の中には、とんでもない続編が出来たりするからなあ。『エイリアン』を、大アクション映画にしちゃった『エイリアン2』とか、『ナイト・オブ・リビング・デッド』を、スーパー・マーケットでのゾンビと人間との攻防戦として描いた『ゾンビ』とか。視点を大きく変えて創ると案外、面白いかもしれない。
January.9,2000 凄く、風変わりな映画を見た
年末年始のテレビは、映画ラッシュ。どうして今まで隠していたんだというような、いい映画をズラリと揃えていてくれて、どれを見ようか迷ってしまうほど。その中で、『運命からの逃走』という作品が放映されたのをご存知だろうか? 夜遅い時間帯、NHK教育テレビ(3チャンネル)、タイ映画。およそ地味な要素ばかりが重なっている。しかしこれが、すこぶる面白い映画なのだ。昨年の6月に放映されたものの、再放送。
これは、まさにタイという国でしか生み出せなかった、思想背景による娯楽映画だ。結婚をまじかに控えたカップルがいる。男の名前は、チアップ。女の名前はワーン。ワーンは、大変に信仰心が厚く、定期的にお寺に行く事を欠かさない。一方チアップの方は、まったく信仰心を持たず、フィアンセが宗教に夢中になっているのを快く思っていない。
ある日、いつものように2人はお寺にお参りに行く。その帰り道、ワーンは車に跳ねられ重症を負う。病院に担ぎ込まれるが、脳と内臓に大きなダメージを受けていて、命は絶望的。どうしたらいいか解らなくなったチアップは、フィアンセが通っていたお寺に行き、熱心に祈る。「ワーンは、熱心な信徒でした。なんとか、彼女を助けてください」
すると、ひとりの和尚が現れる。「彼女は必ず死ぬ。これは運命なのだ」「何様のつもりですか。運命だなんて。お医者さんだって全力を尽くしてくれているのだ。あなたは、全知全能の神だとでも言うのですか?」「人は自分の気持ちばかり考えるものだが、現在の出来事は過去の反映であり、今積んでいる功徳の結果は未来に現れてくるものだ」
「前世の行いの影響が、今出てきているのだ。彼女は前世で、強盗をし、一家皆殺しの罪を犯した。罪を犯したものは、身を持って償わなければならない。が、例外がある。まだ命が残っている間に、5人の人間の命を救えばいい。前世で殺した5人の命を取り戻すという意味だ」「ワーンは重態で、死にそうなんです。人助けなんて無理です」「もうひとり、代わりに人助け出来る者がいる。それは君だ。君達は同じ運命の船に乗っている。さあ、早く行きなさい」
人の命を救うなんて、何処でどうやったらいいのかと考えあぐねて道を歩いていると、風に乗って新聞紙大の紙が飛んでくる。見ると、それは二日後の新聞で、一部分だけが印刷されている。その記事は、「警察官が自殺。この警察官は30万バーツの公金を横領。二日前の競馬で一番人気の競走馬の単勝に総て賭けたものの、一番人気馬は3着。発覚を苦に自殺したもの」。チアップは競馬場に行き、今まさに、窓口に賭け金を入れようとしている警察官を実力で阻止する。警察官は公金を賭けることなく無事に済み、自殺を免れた。すると、新聞記事が消えていく。すると、他の記事が浮かび上がってくる。
次に、入試に失敗して飛び降り自殺することになる青年を救い、恋人に冷たくされて自殺することになる女性を救い、宝石店に強盗に入った男に射殺されることになる警察官を救う。さて、これで4人の人間の命を救ったことになる。当然、もうひとりの命を救って、フィアンセの命が助かるという話になると思うでしょ。ところが、そうはならないのだ。最後のひとりの命を、もう少しのところで救うことができない。
ワーンは死の境をさまようことになる。絶望したチアップは、もう一度お寺に向かい、和尚に会う。「因果応報ということだ。人の運命は決まっているのだ」「何が『運命』だ! もし初めから死ぬ運命なら、俺は何のために人の命を救ったんだ! 何人も助けたじゃないか! あと1人救えなかったからって、なぜワーンが死ぬのだ!」
「犯した罪が恐ろしいものだったからだ。落ち着きなさい」「言われなくたって落ち着いているさ! もし、ワーンが罪を犯したなら、わざわざ生れ変わらせなきゃいいじゃないか! 生まれ変わらせておいて、なぜ償うチャンスを与えない! 彼女は本当にいい人で、信心深かったのに、なぜこんな仕打ちを!」「これは彼女の業なのだ」「たわ言はよせ! 4人の命を救った俺が、なんでこんな報いを受ける! あの4人は見ず知らずの人だったけれど、俺は助けたんだ! なのになぜ自分の恋人を殺されなくてはいけないのだ!」。
叫び続けるチアップに、ひとりの僧侶が近づいてきて言う。「寺の中では、静かにしてください。何をひとりで喋っているのですか?」「俺は、この和尚と話しているんだ」「えっ、和尚なんていませんよ」。振り返ってみると、そこには誰もいない。
この後、さらに話は、前半にうまい伏線が張ってあり、チアップのある行動から、「あっ」という展開になっていくのだが、それは書かないでおくことにする。何よりも、この映画がいいのは、全体としては、娯楽映画としてよく出来ていることで、次の人の命をタイムリミットまでに、どうやって助けるのかというサスペンスが盛り込んでいて、飽きさせないのだ。その上、映像も凝っていて、一見の価値あり。仏教の教えを説いて聞かせる形をとっていながら、仏教に対する疑問も挟み込んでみせる。傑作だと思うのだが、なぜかあまり評判にならない。もし、また放映されたら、ぜひチェックして欲しい一本。
January.3,2000 香港の人ってギャンブル映画好きだね
チャウ・シンチー(周星馳)の、昨年の夏に香港で封切られた『千王之王2000』がDVDで出ていたのをみつけた。その前の『喜劇之王』は、中国語英語字幕のビデオCD。苦労して見て、9月に書いたら、その後で、生嶋猛が「DVD版は、日本語字幕入りだったよー」とDVDを見せびらかせに来た。くやしかったなあ。それで期待したのだが、『千王之王2000』のDVDには、日本語字幕はなし。中国語、英語以外は、マレーシア語くらいしか入ってない。観念して英語字幕で見た。
今回、またチャウ・シンチーは主役じゃない。どうなっているんだ? 主役はニック・チャン(張家輝)、役どころは刑事。香港企業界の黒幕で、名うてのギャンブラー、バリー・ウォン(王晶)の悪事を追っている。それに絡むのが、イカサマ師のチャウ・シンチーというわけ。DVDに入っている予告編を見ても、チャウ・シンチーばかり映しているから、彼が主役だと勘違いしてしまうだろう。正直言って、チャウ・シンチーが画面に出ているシーンに較べ、出てないシーンでは笑いのテンションが落ちる。出演もしている、香港一のエンターテイメント監督のバリー・ウォン作品であるから、面白くなくはないのだが、やはりチャウ・シンチーの笑いの質は飛びぬけている。
香港のギャンブル物は、ほとんど、ハズレがない。20年くらい前にマレーシアを旅行しているときに入った映画館でやっていた香港のギャンブルものだって、タイトルも内容も、もうすっかり忘れてしまったが、ばかに面白かったのを憶えている。アイデアなんて出尽くしたと思うのだが、どっこい、次から次と新しい手を考えてくる。今回もクライマックスにボーカー・ゲームの大勝負がある。チャウ・シンチーがバリー・ウォンに捕まってしまって、会場に来られなくなる。仕方なく、ニック・チャンが席に着くことになる。バリー・ウォンは策略をめぐらせている。ニック・チャンの後ろに、手下を配備して、彼のカードをビデオで盗み撮りさせる。ビデオカメラと、バリー・ウォンのメガネは連動していて、相手の手は丸見えという仕掛け。これにどうやって勝つかは書かないが、香港映画、よくぞ、いろいろなことを考えつくものですな。
なにやら、テレビCMのパロディらしきギャグがあって、これがわからないのが悔しい。映画ファンが喜ぶのが、『マトリックス』のパロディ。安っぽくって、大笑い。そして何と『リング』のパロディがあるのだよ。香港でも『リング』大ヒットだったから、これ受けたろうな。