July.28,2000 すげー人物が出てきたものだ

        私のホームページを見に来てくれている人は、英語を喋れる人が多い。ざっと顔を思い浮かべても、半数以上の人が流暢に英語を操ってみせる。ところが私ときたら、英語はからっきし駄目。中学、高校、大学と英語を学んだはずなにのに喋れない。私だけじゃないだろう、英語を喋れない日本人は。

        もっともこれは日本だけのことではなかったようなのだ。『クレイジー・イングリッシュ』という中国のドキュメンタリー映画を見ると、中国でも同じ問題を抱えているようなのだ。しかし、中国は広いんですね。とんでもない人が現れる。リー・ヤン(李陽)というおそろしく型破りな人間だ。この春に来日し、マス・メディアに随分と露出していたから、知っている人も多いかもしれない。まったく画期的な英語学習法を提唱している人物だ。

        この人の主張は、恥を恐れるなということ。英語でもっと恥をかけと言う。そして、三つの基本原則で話せということ。
(1)できるだけ早口で、
(2)大きな声で、
(3)はっきりと英語を口に出す。
とくに母音は正確にはっきりと発音しないと相手に伝わらないと、独特のジェスチャーを編み出し、このジェスチャーを交えながら英語を教える。中国人は長年中国語を話してきて、口の中の筋肉が中国語を喋るための筋肉になっている。英語を喋るための筋肉は中国語を喋るための筋肉と根本的に違うから、これを直さなければいけないという主張だ。

        これをテレビで番組を持ってやるわけではなく、中国中を歩き回り、学校の校庭、体育館、公会堂、寺の前の広場、公園、果ては万里の長城の上などでやる。ほんとうに10人くらい人を相手にやるときもあるし、数千人が相手のときもある。これをもう5〜6年前からやっているのだ。

        この人が面白いのは、ときどき挟む、アジ演説ともとれる話にある。「英語を喋れるようになる目的は何か。それはずばり金を儲けるためだ」「英語を喋れるようになって、世界の三大マーケット、アメリカ、ヨーロッパ、日本に出て行き、金を儲けるのだ!」「私は中国に3億人の英語を喋れる中国人を作ってみせる。そして、その3億人が世界に出ていって3億人の中国語を喋れる外国人を作るんだ!」

        映画を見ていると、この人のパワーに圧倒される。それほどのカリスマ性を持った凄い人物だ。私らは中学のときから、文法中心に教え込まれ、学校を出ても実際には喋れない。英会話をマスターしなければ、英語は喋れないということは、よく言われていることだ。だから、卒業後もノバなどに行く事になる。それでも流暢に喋れる人は少ない。はたして、リー・ヤンの学習法で英語が喋れるようになるのかは、何年か後の中国を見てみたいところだが、この人とこの映画は抜群に面白い。

        ただ、リー・ヤンの演説に、観衆が熱狂していく様が、文化大革命などの国民一丸となって一方向に突入していく中国人の国民性を現しているようで、ちょっと怖い気もした。「英語を喋れるようになる目的は、金を儲けるためだが、私は金儲けのためにこれをやっているんじゃない」と言いながらも、会社組織にして教材を売ったりしているところをみると、案外クワセモノなんじゃないかと勘ぐりたくもなる。「自分は優秀な人間だと言うよりも、劣等性だったと言っておいた方が、効果がある」なんていう舞台裏での発言も、なんだかシタタカだなあという気がするし。

        東京では[BOX東中野]という小さな映画館で公開中。少なくとも、妙に元気が出てくる映画です。


July.24,2000 SQUARE

        5年前ベルリンに滞在していたとき、ヘルマンが野外映画に誘ってくれた。ベルリンでは夏になると毎晩のように野外で映画を上映している。野外映画とは珍しいので、一緒に行くことにした。その日の上映作品は、クエンティン・タランティーノの『パルプ・フィクション』。ドイツでは外国映画は全てドイツ語に吹き替えてしまうのだが、『パルプ・フィクション』なら日本でも既に見ている。内容はわかるだろうと思った。

        開映は夜の10時。そう、10時にならないと辺りは暗くならないのですよ。全席自由席だから早目に行って前の方に席を確保する。会場は、そうですねえ、日比谷の野音を大きくしたものだと思えばいいでしょう。ビールとソーセージを買い開映を待つ。野外という開放感からでしょうか、『ブルースブラザース』などを上映すると、みんなで歌いだして、お祭り騒ぎになるという。ほとんどの人が、すでに何回も見ているのにもかかわらず、また見に来るという。だから毎年上映されている映画も多いそうだ。

        開映は10時だったはずだが、なんと9時半ごろから上映が始まってしまった。とたんにブーイング。これは主催者側の手落ちなのだが、なんと『パルプ・フィクション』は上映時間が2時間35分もあるのだった。これでは、終映時点で終電がなくなってしまう。それで新聞などに告知をして、上映を30分早めることにしたらしいのだが、それを知らなかった連中が怒りだしてしまった。映写技師に詰め寄り、抗議を始めた。中には映写機の前に立ちふさがって、スクリーンに映らないようにする者までいて混乱したが、上映は続行。このアクシデントは傍から見ていると面白かった。

        ジョン・トラボルタとユマ・サーマンが[ジャック・ラビット・スリム]に車で乗り付けるシーンだった。この後、このそっくりさんばかりいるレストランでの有名なツイストコンテストのシーンになるのだが、そこへ乗りつけたときのこと。ユマ・サーマンが「エルビスっぽくていいところよ」というようなことを言うと、トラボルタが「俺は普通のステーキ屋がいい」と答える。「ステーキもあるわよ」と言ったあと、「ひょっとしてあんたコレでしょ」と言って、手で四角を書いてみせる。

        タランティーノはこれにわざわざ点線を付け足してみせるという手の込んだことをしているのだが、さらに英語字幕では[Square]と出た。日本語も話せるヘルマン、それを見て私に「日本では何て訳していましたか?」と訊いてきた。はて、何だったろうと想いだそうとしたのだが、浮かばなかった。先日DVDで見なおして、この答えははっきりした。[四角四面]ときた。ちなみに日本語音声では、「四角ばっちゃって」という声が加えられている。

        もっとも、帰国直後に鈴木英雄に聞いたら、それは「お堅い奴」って訳したんじゃないかって言っていた。こっちの方が分かりやすいかもしれない。


July.20,2000 まあ、いろいろ不満はありますが

        「混んでいるだろうな」と思って入った『M:i−2』。拍子抜けするくらい空いていた。

        トム・クルーズという男、私は実は嫌いなのだ。理由その1、日本ではあまり知られていないことだが、彼は[サイエントロジー]というオウムまがいの新興宗教に入っていること。

        理由その2、私がオーストラリア映画『デッド・カーム』で一目惚れしてしまったニコール・キッドマンを、ハリウッド入りした第1作『デイズ・オブ・サンダー』で相手役に選んだと思うと、あっという間にたぶらかし結婚してしまい、あまつさえ彼女も[サイエントロジー]に入信させてしまったこと。ちなみに『デッド・カーム』ならびにニコール・キッドマンについては、別の機会に書く。

        理由その3、とんでもなく色男だということ。

        上の四つの理由は、ほとんど逆恨みのようなものであるが、1番言いたいのは、この男、みんながそれぞれ思い入れのあるテレビシリーズ『スパイ大作戦』をプロデューサーとして乗りだして映画化して、めちゃくちゃにしてしまったこと。前作『ミッション:インポッシブル』を見て、私は腹が立ってきた。ブライアン・パルマまで担ぎ出してきて、こりゃ何だ?

        実のところ私は、テレビシリーズの『スパイ大作戦』の忠実なファンという訳でもなかった。しかしそれでも、けっこう見ている方だと思う。このシリーズはテレビという制約があるために、人が死ぬことはほとんどなかった。そこが逆に魅力で、不可能と思われる任務を受けて、相手に気づかれることなく、どうやって任務を遂行するかが面白かった。それが『ミッション・インポッシブル』ときたら、最初から人が敵も味方もバタバタと死んでいく。「おいおい、これは違うんじゃないの」と思ったものだった。

        『M:i−2』、もうテレビシリーズのことは言うまい。もうまったくの別物だと割り切って見に行った。何せジョン・ウーである。今回の脚本は前作に続いてベテランのロバート・タウンだが、トム・クルーズとジョン・ウーがアイデアを出して、最終的な骨格はジョン・ウーが作り上げたものだそうだ。今回、いくらかテレビシリーズに戻ったのは、仲間はほとんど殺されずに終わること。逆に相手をほとんど殺してしまうのは、少々不満。それでは不可能任務ではない。シュワルツネッガーでも雇えば、ひとりで皆殺しにしてくれる。

        そういった、人によってはどうでもいいようなことを抜かせば、今回のはよく出来ている。ジョン・ウーは、ハリウッド入りしてから、ウェットな作風を返上して、いかにもハリウッド的なカラッとした作り方をしてきたが、ここにきて香港でのウェットな作りを復活させつつある。話にヒロイン(タンディ・ニュートン)とのラヴストーリーを盛りこみ(おいおい、『スパイ大作戦』に私情を持ちこむなよ。あくまでプロ集団の話だろうが―――という突っ込みは脇に置いておく)、彼女を救出に向かうトム・クルーズの姿はカッコイイ。炎の中を鳩と一緒にスローモーションで現れるシーンは、香港時代からジョン・ウーを見つづけてきた人ならニヤッとするに違いない。

        格闘シーンなど、今までのアメリカ映画になかった演出方法だから、アメリカ人もびっくりしただろうなあ。ジョン・ウーに言わせると彼のアクション・シーンはダンスなんだそうだが、そういえば、前半に出てくるカー・アクションと、クライマックスに出てくるオートバイのアクションは、クルクルとよく回る。そう、まさにダンスみたい。かといって、ダンスを愉しんでいるわけでもない迫力ある対決なのだから、ジョン・ウーさすが。そうか、サム・ペキンパーが始めたスローモーションの暴力の美学は、単に動きを絵として強調することにあったのに、ジョン・ウーは舞踏にまでしてしまったんだ。ふたりのスローモーションの使い方は同じようでいて実は違うんだ。

        生嶋も言うように、確かにラスト20分の、たたみかけるようなアクションまでは、少々たるい。しかしあのオートバイのアクションの迫力は、今までになかったのではないだろうか。大型バイク同士の闘いというのは、意外と少ない。大抵は悪路でのオフロードバイク同士の闘いにしてしまうのだが、これは凄い。唸りを上げる大型バイクの迫力をこれほどカッコよく描いた映画は他にない。かつてオートバイに夢中だった私は興奮してしまった。またオートバイ始めようかな。


July.16,2000 「俺の胃袋は、宇宙だ」

        生きのいい香港映画を見ていると、日本映画は引き離されてしまったなあと感じてしまう。別に今の日本映画が香港映画に劣るというわけでもないのだが、妙に小さくまとまってしまっていて残念に思うのだ。日本映画がさっぱりと刺身定食だったりすると、あちらさんは、こってりとした中華料理フルコースだ。フカヒレあり、北京ダックあり、上海蟹あり、マーボー豆腐あり、餃子あり、春巻あり、何でもありのゴッタ煮状態。お腹一杯にさせてくれる。

        そんな日本映画界ではあるが、日本のテレビドラマというのは、香港や台湾で絶大な人気があるそうだ。日本で放映された2日後には海賊版のビデオが出回るという。そう思ってテレビドラマを見ていると、今や日本ではテレビの方が、やりたいことをやっているような気がしてくる。今月から始まった日本テレビ土曜午後9時からの『フードファイト』を見ていると、これって発想が香港映画みたいっていう気がしてくる。

        主人公(SMAPのクサナギくん)は、孤児院出身で、ある食品会社の清掃係。ところが、この会社は裏で[フードファイト]という闇賭博をやっている。一対一でやる大食い選手権だ。クサナギくんは、これのチャンピオンでもある。この闘いでの賞金は、匿名で彼の育った孤児院にそっくり寄付している。こう書いていくと、なんだか『タイガーマスク』のような話なのだが、話の膨らませ方が、あれよりも数段うまい。

        物語のメインはフードファイトにあるのだが、対戦相手がそれぞれに心に傷を持っていたりするから面白くなってくる。一方で孤児院の生徒達の中にも、トラウマを背負ってしまっている子供が何人もいる。それらの傷ついた人達をクサナギくんが、癒していく。いわば癒し系のドラマ。

        今のところ、3話目まで放映されているが、どの回も見終わった後、こちらの心まで癒された気になってくる。会社付きの医師役で筧俊夫が出ているが、1話目で八百長で負ける約束をして試合を投げている主人公に投げかけるセリフが、カッコよかった。「おまえ前に言ったよな。全てのスポーツ、格闘技は、八百長などたやすい。陸上競技ですらドーピングがあるって。だがフードファイトだけは違う。食わなきゃ減らない。魔球も必殺技もなし。俺はその言葉がお前のプライドだと思ってた」

        香港では、役者が歌手もやっていたりするのが一般的だが、日本でもSMAPの連中というのは、香港的展開をしている面白い存在だと思う。妙に飄々としたクサナギくんの演技が、このドラマに合っている。フードファイトで勝った時に言うセリフ、「俺の胃袋は、宇宙だ」は、このところ私のお気に入りのフレーズになっている。


July.11,2000 トナカイが引っ張る話の結末は・・・

        アーレン・クルーガーなる脚本家は、1972年生まれというから、まだ20代だ。一作目が『隣人は静かに笑う』という、えらく後味の悪い、アメリカ映画らしからぬ作品。「へんな本を書く人だなあ」と思ったと同時に、よくこのまま映画化したもんだと思ったものだった。

        次が、ケビン・ウィリアムソンの代わりに書いた『スクリーム3』。これ、面白かったという人いますか? 私はダメでしたね。プロデューサーは、やけに気に入ってたらしいけれど、これって、そんなによく出来た脚本ですかねえ? 人物関係が煩雑だし、物語が一直線に進んでいかなくて、なんだかモタモタしているように感じましたけれどね。犯人だって、動機だって、なんだか取ってつけたような感じで、見終わって脱力感を覚えてしまった。

        さて、3作目『レインディア・ゲーム』です。このところ低調のジョン・フランケンハイマー。前作『RONIN』の時も、新人脚本化の脚本を気に入り映画化しようとしたものの、やはりそのままでは無理だったようで、デビッド・マメットまで呼んできて脚本を手直し。さすがの才人マメットにしても、これは手に余ったようで、出来あがった作品は凡作。今度も、アーレン・クルーガーという若者の脚本をベタ褒めにして映画化。フランケンハイマー老いたのか!?

        ベン・アフレックが刑務所で2年の刑期を終えようとしている。同室の男も同じ日に出所する予定だ。この男は文通欄で知り合った女性と文通をしている。写真を見ると、凄い美人。出所の日には迎えにくることになっているという。ところが出所の前日、刑務所内のいざこざで、この男、刺されて死んでしまう。出所当日、ベン・アフレックが刑務所の外に出ると、その女性(シャリーズ・セロン)が男を待っている。彼女に惚れてしまったベン・アフレックは、彼女が同室の男の顔を知らない事をいいことに、彼女に文通相手だと騙り接近する。

        いい雰囲気になって、ベッド・イン。これは何か起こるなと思っていると、シャリーズ・セロンの兄だという強暴な男と、これまた目つきのよくない男達数人。これは罠だったと知ったときは遅かった。同室の男が以前カジノに勤めていたと知った兄が、ベン・アフレックに手引きさせて、カジノ強盗をしようとしている。実は自分は別人なのだと主張しても聞き入れてもらえない。このへんまでの展開は、かなり良く出来ていて、「おおっ! これはなかなか面白そうではないか」と思わせる。

        実際、終盤近くまでは面白い。カジノ強盗を決行するまでは、夢中になって見ていた。しかし、この後がいけない。話が二転三転し始めると、なんだか、コジツケのような脚本になっていってしまう。こんなどんでん返しは不自然ではないか。あっと驚く結末のどんでん返しに持って行くには、自然でなければいけない。ちゃんと伏線を張っておいて、「ああ、あのときの出来事は、このための伏線だったんだ」と思わせなければいけない。こんな唐突な、どんでん返しでは見ていて納得できない。


July.7,2000 メガネ

        あのさあ、なんでメガネかけた女の子が、はずした途端に美人になっちゃうわけ? このパターンの映画って多いよね。古くは『ピクニック』(1955)からの手垢のついた手口。あの『ロッキー』での変身ぶりは、私もちょっとびっくりしたけれどね。メガネをかけた女の子って、けっこう魅力的だと思いますけれどね。なんか知的な感じするでしょ。シンメトリーな男が、「ほら、メガネをはずしてごらん。そして鏡を見てみろよ。君はこんなにキレイなんだぜ」なんか言っちゃって、恐る恐る鏡を見てみれば、そこにはカワイイ女の子が映っていて、「あら、私、キレイだったのね」なんて、白々しいよね。メガネをはずせば実は美人なんだと、本人が気が付かないなんて、そんな女の子いるわけ無いじゃない。

        『シーズ・オール・ザット』に出てくるレイチェル・リー・クック。化粧品のCMにまで出ている、スーパー・アイドル。これがクラスメイトが誰も振り向かないメガネ少女役って、かなり無理がありません?

        ねっ! まだメガネをかけている時点で、相当にカワイイ。根暗のアート少女という設定なので、ヘンテコな帽子を被らせてみたり、野暮ったい服を着せたりしているのだが、まるで不細工に見えない。天然美少女は、どんな服も着こなしてしまうようだ。

        ストーリーの方はというと、学園一の美女(ただし性格悪し)にふられた、これまた学園一の秀才にしてスポーツマンの男が、仲間と賭けをする。学園一冴えない女の子を6週間で口説いて、プロムに誘い、クイーンにしてみせるというゲーム。ところが、彼、レイチェル・リー・クックの魅力に気が付き、本気で好きになってしまう。そしてプラムの夜、彼女を誘ってパーティーへ。ところが、これが賭けの対象になっていたと知ったレイチェルは・・・・・・って、これって『キャリー』じゃないの? ホラーの要素がない『キャリー』。

        『キャリー2』を見たばかりということもあって、私の頭の中では話がゴッチャになってきてしまっている。先日、レイチェル・リー・クックが豚の血を浴びて、プロムの会場で殺戮の限りをつくしている夢を見てしまった。

        ちなみに、この映画、封切り2日目の日曜日最終回に見たのだが、お客さん20人。それにしても、この日本でのタイトル何とかならなかったのか? 意味はブラック系のスラング「You`re not all that!」(お前、そんなに大したタマじゃねえよ)が、肯定形として使われるようになり「She`s all that」というと、[彼女は最高]という意味になるらしい。こんな英語知っている人、日本にはどれだけいるのか。原題そのままカタカナにするよりもいいタイトルが思いつかなかったのかなあ。


July.3,2000 何で今更『キャリー』の続編か?

        我ながら、何でこんな映画見に行くかなあと思うのだが、ついフラフラと行ってしまったのだよ。『キャリー2』。ブライアン・デ・パルマが監督しているわけでもなく、見始めたらタイトルに、スティーヴン・キングの名前すらない。ようするに、あの24年前の『キャリー』のプロデューサーが、ネタに困ったのか、続編を強引に作っちゃったことらしい。

        権利がプロデューサーにあるのか、『キャリー』の映像が、ところどころ流れる。なにせ、キャリーは死んでしまっているのだ。どうするのだろうと思っていたら、キャリーとは腹違いの妹が登場する。『キャリー』から20年後の話である。おいおい、キャリーの父親って何だ? 1作目では登場しなかったけど、キャリーの父親ってどうなんだったけ? 離婚した男? 忘れているなあ。その男が、『キャリー』事件の後、また行きずりの女性と女の子をこしらえたって訳? 強引な話だよなあ。

        『キャリー』の唯一の生き残りのキャラクター、ラスト・シーンで墓の中から手を掴まれる悪夢を見たスー役のエイミー・アーヴィングが、そのままの役で出ている。彼女、20年の歳月を経て、悪夢から立ち直り、高校のカウンセラーになっている。そこで、キャリーと同じ能力を持っている少女の存在に気が付くというわけ。

        あとはもう、1作目とほとんど同じ展開。高校で1番のモテモテ男が、嫌な性格の彼女を振って、この超能力少女に鞍替えしたことから、面白くない元彼女がイジワルして、超能力少女が逆ギレして炎のクライマックス

        パルマの映像美は無いし、ホラーとしても、演出がヘタクソでちっとも怖くない。最新のSFXで前作以上の効果を考えんだろうが、どうってことない。要はセンスの問題ってことなんだろうな。

このコーナーの表紙に戻る

ふりだしに戻る