March.20,2004 緻密に計算されたアラン・マックの脚本
輸入DVD屋で『インファナル・アフェアV』(無間道V終極無間 INFERNAL AFFFAIRS V)を手に入れたときは、胸が躍ってしまった。あの大傑作だった一作目はもちろん、二作目も好きな私が、この三作目をいかに早く観たかったことか!
二作目が話題的に弱かったのは、肝心のアンディー・ラウとトニー・レオンが出ていないことにあった。一作目よりも前の話になるので、一作目でもふたりの若い時代として登場させたエディソン・チャンとショーン・ユーを使って撮ったのだが、やはりこのふたりでは弱い。実際に話はこのふたりのことというよりも、それぞれの上司、ウォン警部(アンソニー・ウォン)とサム(エリック・ツァン)に関わるストーリー。このふたりの演技が見所になっていた。
三作目は、アンディー・ラウとトニー・レオンが復活。話としては、一作目の前の時代があったり、一作目のあとの時代があったりする。それが、時系列をバラバラにして前に飛んだり、後に戻ったりするものだから、最初はちょっと混乱した。しかし、この語り方は十分に計算されたものなのだということがわかってくる。このへんが一作目から脚本を担当しているアラン・マックの非凡なところで、これまでの香港映画にありがちな、行き当たりばったり脚本とは一線を画す緻密な出来だと言っていいだろう。
ヤン(トニー・レオン)は一作目で死んでいるのだから、当然、過去にしか出てこない。ここでのヤンは潜入捜査官としてサムの組織に潜り込んでいるのは一作目同様。一作目では警察側にサムの動きを通報する姿が描かれていたが、今回は自分が警察官だというのに、暴力行為を犯さざるを得ないという苦しさが描かれているのが特徴。そこへ絡んでくるのが一作目でも出てきた精神科の女医ドクター・リー(ケリー・チャン)。一作目では描かれなかったふたりの出会いと、親密な関係になっていく過程を見せていく。ここは、やや単調にも思えるが、一作目からのファンとしてはうれしい見せ場になっている。
ミン(アンディ・ラウ)の方はどうかというと、一作目のラスト以降、あのエレベーターの件で査問にかけられ事務職に飛ばされている。ここでやっぱりと思うのは、ミンがサムの放ったスパイだったということは警察側にわからないまま、彼は警察官を続けているということ。また、何があったのか妻と離婚調停に入っているという設定。ミンにさらなる苦しみが襲い掛かっている感じがしているのが、この三作目の特徴で、このへんもアラン・マックの上手さだろう。
今回はアンソニー・ウォンとエリック・ツァンの見せ場はあまり無い。このふたりは二作目であれだけ見せ場を貰ったから、今回はもういいだろうということかな? 二作目では、新たな登場人物ン・ジャンユーを中心にして物語が組み立てられていたが、三作目にも新たな登場人物がふたり出てくる。警察側にウィン警部(レオン・ライ)、それと組織側に、大陸からやってきたというシェン(チェン・ダオミン)。
ミンは、このウィン警部の動きに不信感を感じる。ひょっとして組織側のスパイなのではないかと疑い出す。自分がかつてスパイだったことを棚にあげてなのだが、ミンは真人間になり、本当の意味での警察官になろうとしているのだ。
また一方で、精神科医のドクター・リーがヤンの睡眠療法を施したカルテに興味を持ち、彼女に接近する。ここで、アドリュー・ラウ監督は、見る者をハッとさせるような映像を見せてくれるのだが、それは観てのお楽しみ。
シェンの存在もミステリアスで、いったい何者なんだろうという気にさせる。そして、それらのバラバラに散りばめられていた駒が、ラストで一気にまとまりをみせる面白さといったらない! アラン・マックの脚本を評価せずにはおられない。伏線はちゃんと張られているのだから。何気ない台詞が重要な意味を持っていたりする。
台詞といえば、一作目から引き続いて使われる台詞が憎い効果をあげている。「ごめん、私は警察官だ」 「気をつけろよ」 これらの台詞がこまで深い意味を持つものだとは想像できなかった。
『無間道』 『終極無間』というタイトルが示すように、今回もまさにそのとおりの結末が待っている。「ああっ、何たることだ」と観客を絶望させたあとに、オマケが付く。一作目でヤンがなぜ手にギブスをしていたのかがわかる仕組みになっている。そして、そのさらにあと、一作目の始まりに繋げる憎いシーン。
一作目を観たあと、続編を二本も作るというニュースが入ってきたときには、「そりゃあ、蛇足だろう。『インファナル・アフェア』はこれで完結させるべきだ」と思っていた。しかし、これだけの作品を二本も続けて観せられると、考えは撤回せざるを得ない。アラン・マック、アンドリュー・ラウの腕前を評価すると共に、役者陣の頑張りに嫉妬すら覚えた。日本映画でなぜ出来ない!?