August.30,2006 シンプルなゴースト・ストーリーですが

        スパニッシュ・ホラー・プロジェクト3本目『エル・タロット』。これはかなりシンプルなホラー。歳を取った男が生まれ故郷に帰ってくる。昔の仲間などにも会うが、彼らはどうも彼にいい顔をしない。ホテルに宿泊すると幽霊が現れる。映画は、彼の少年時代と現在を行ったり来たりしながら進行する。少年時代、この村には美貌の女性が丘の上にある家に一人で住んでいた。村の女性たちは、この女が毎晩違う男を連れ込んでいるという噂をたてて、あげくはあの女は魔女だと言い出す始末。男たちは、この独身女性に興味を示す。思春期の少年たちも同様、この女性に興味津々だ。主人公の少年もこの女性のことが好きになり、彼女に近づき、やがて彼女と肉体関係を結ぶ事になる。ところが、そうなると人の噂が気になる。彼女は淫乱で、自分以外にもたくさんの男がいると聞き、夜になってまた彼女の家に行き、そのことを問いただすのだが・・・・・。

        観ているうちに、結末が予想できてしまうような、ホラーとしてはオーソドックスなストーリーなのだが、それでもけっこう引っ張っていく力を持っている。結局、過去の事件がきっかけで故郷を逃げるようにして去ったらしい主人公。何十年もたって幽霊に祟られるわけだが、これも自業自得。よくわからないのは、何十年もなぜ幽霊が放っておいたのか。また、都市化が進む故郷で、なんで昔のあの女性が住んでいた家が、あのまま放置されていたのか。そのへんが説明不足のような気もするのだが、まっ、いいか。


August.25,2006 これもお国柄?

        スパニッシュ・ホラー・プロジェクト2本目は『クリスマス・テイル』。いきなりおそらくスペインのものであろう古いゾンビ映画の一部が映し出される。しばらくして場面は一転、タイトル・バックと共に、この映画の主役たち5人の小学生が画面に登場してくる。自転車に乗った3人の男の子。それに自転車を持っていないデブでメガネをかけた運動神経の悪そうな男の子。さらに女の子がひとり。彼らは森の中の古い井戸にサンタクロースの格好をした女性が落ちているのを発見する。うちふたりの男の子が警察に通報に向うが、たったひとりの警察官は電話に出ている最中で、とりあってくれない。そこへファックスが入ってくる。狂暴な女性銀行強盗が逃げているという内容で、犯人の写真も添えられてある。それがさっきの井戸に落ちたサンタクロース姿の女性だと知った男の子ふたりは現場に引返す。

        ここからが、アンファン・テリブルの様相を呈してくる。強盗犯は足を骨折していて井戸から出られない。ロープを下ろしてくれと頼む強盗犯に、「盗んだ金を渡せば助けてやる」と脅しをかける。一度は拒否した強盗だが、命には代えられないと盗んだ金を全額子供たちに渡す。金を数えてくると立ち去る子供たち。大金を数え終えた子供たちが戻ってくると、強盗は弱ってぐったりとしている。死んでしまったのかと思った子供たちは警察に正直に言うことにする。ところが警察官を連れて戻ってくると、強盗の姿は影も形も無くなっている。

        この映画のミソは冒頭に出てきたゾンビ映画と、メガネのデブ少年が夢中になって観ている『ベスト・キッド』。『ベスト・キッド』の一シーンが後半のアクション・シーンの伏線にもなっている。さて、ゾンビ映画の方なのだが、死んだと思っていた女性強盗犯が穴から抜け出し、子供たちを追っかけてくる。つまり子供たちは強盗犯が一度死んでゾンビとして甦ったと思い込んでしまうというわけだ。強盗犯は斧を引き摺りながら子供たちを追いかけてくる。足を骨折していてズルズルと足を引き摺りながらだから子供の足で全速力で走って逃げてしまえば追いつきっこないと思うのだが(笑)。なぜか子供たちは遊園地へ逃げ込む。ここはどうやら夏場だけの営業で、今のシーズンは閉鎖されている。強盗犯に見つかって逃げ出したときは真昼間だったのが、ここ遊園地に辿り着いたときはもう夜になっている。どれだけ遠かったんだろう(笑)。子供たちは変電室の鍵を持っていて(なぜだ?)、遊園地の明かりをつけると強盗犯と闘い始める。

        女性の強盗犯がどうみても狂暴には見えないのと、ほんとに弱いのが笑える。お子様向けのホラーだなあと思っていると、結構スプラッターなシーンがあるし、結末も子供に見せるにしては少々怖い。これもスペインという国のお国柄なんだろうかと思うと面白いものです。


August.22,2006 スパニッシュ・ホラー・プロジェクト1本目はまあ合格

        WOWOWでスパニッシュ・ホラー・プロジェクトというのが始まった。スペインの6人の監督がテレビ用に1本ずつホラーを撮ったというもの。日本ではなかなかスペインの映画なんか観られないから、こういう企画はうれしい。

        で、1本目は『ベビー・ルーム』。古い屋敷に引っ越してきた若夫婦には赤ん坊がひとりいる。子供部屋として使うことにした部屋にベビー・ベッドを置き、赤ちゃんをそこに寝かせる。夫婦にはお姉さんがいて、いろいろと、お下がりを貰う。そんな中に別の部屋の物音が聞けるマイクと受信機がある。マイクを赤ちゃんのいる部屋に仕掛け、自分たちは寝室のベッドの横に受信機を置いて寝ることにする。すると、赤ちゃんの寝ている部屋から誰かの声が聞こえてくる。あわてて赤ちゃんの部屋に駆けつけてみると、誰もいない。このあと、夫婦喧嘩になってしまい、ふたりはこの機械を壊してしまう。

        夫は、新しい機械を買いなおすことにする。すると、マイク以外にカメラ付きのもが売り出されている。受信機はモニター映像も見られるというわけ。さっそく設置して、また夜を迎える。そうすると今度は声だけではなく、赤ちゃんの横に人の影が・・・・・。

        面白いなと思うのは、こういうパターンの映画だと、幽霊の姿が目視できてもカメラを通すと見えないというのが普通。『ベビー・ルーム』は、これが逆なわけなんですね。狂気に囚われた父親が、このカメラと受像機のセットを大量に買い込み家中にセットし始めるシーンは圧巻。

        ラストのオチは、「きっとこうなるんだろうな」と言う想像通りになってしっまたけれど、まあ、そこそこ楽しめる佳作といったところでしょうか。


August.12,2006 ありうるんだよねえ、こういう話

        30代のころ、突然、スキュバ・ダイビングをやってみうかなと思ったことがあって合宿に参加した。ダイビングのライセンスはまず初心者クラスのオープンウォーターから始まる。東京のダイビング・ショップで学科の授業を受けて筆記テストがあった。それから海での三泊四日の合宿で実際に海に潜った。スポーツの合宿をするなんて高校生時代に戻ったようで、楽しくはあった。海中の世界も魅力的だったし、本格的にダイビングを続けようかなと、チラッとは思ったのだが、私のダイビング経験はこれが最後になってしまった。理由はいろいろある。いずれは沖縄や海外に潜りに行きたいとは思ったのだが、おそらくこの先の人生で長期休暇を取ることは無理っぽいこと。ダイビングの機材購入にはかなりの費用がかかること。いや、購入する資金が無いことは無いのだが、それらを置いておくスペースが私の狭い部屋には無いこと。そして、それらの重くて大きな荷物を持って海に出かけるなどという事を考えただけでも億劫になってしまったのだ。まあ、要するに言い訳はあるけれど、そんなにダイビングに夢中にはならなかったということですね。

        というわけで、私はダイビング・ボートに乗って沖合いまで出かけて潜ったなんていう経験は無い。そんな私なのだが、『オープン・ウォーター』という映画のビデオを観たのは、これが実話に基づいているからと言う事。観終わってこれってありうるよなと思えた。夫婦共稼ぎのカップルが休暇を取って南の島へやってくる。仕事のことを忘れてのんびりと過ごすのが目的。ふたりは海岸の砂浜に寝そべったりして浮世を忘れて休暇を楽しんでいる。こういう欧米人の人生の過ごし方ってうらやましく思える。かくいうこの私、只今日本でもお盆休み中で多くの会社員が遊びに出かけているというのに、どこへも出かけず仕事だもんなあ。さて、このカップル、ダイビング・ボートでのダイビング・ツアーに参加する。ダイビング・ツアーのスタッフは、ボートの船長とその奥さんのふたりだけ。そこに20名以上のツアー客が乗り込んでいる。

        いい加減だなあと思うのは、この船長さん、乗り込んできたお客さんの数を目視で数えている。その日に何人の申し込みがあって、実際に何人が乗り込んだのかを確認していない。常識的に考えれば船を動かすのだから乗員名簿くらいあるはずで、それでひとりひとり確認をしなきゃあおかしい・・・・・と思うでしょ。南の島でダイビングをした人に聞くと口をそろえて、「そんなことあったっておかしくない。かなりいい加減なところもあると思って間違いない」と言うのだ。

        船長さんの数えた乗客数は偶数。沖合いのダイビング・スポットでいざ潜ろうとすると、乗客のひとりがマスクを持ってくるのを忘れたのに気がつく。誰も予備のマスクを持っておらず、この乗客は潜るのを諦める。スキュバ・ダイビングはバディ・システムを取っており、常にふたりが一緒に行動しなければならない。つまり主人公のカップルを含めてバディはできあがっていて潜ったのに、ひとりで参加したこの男は船の上だということは、乗船したお客さんは奇数だったということではないか。それに気がつかないなんてとツッコミを入れたくなるところだが、これまた南の島でダイビングを経験した人にいわせると、口をそろえて「ありうる。あいつら、絶対にいい加減だから」と言うのだ。ダイビングを終えて次々とダイバーが船に上がってくる。船長は船に上がった人数を数えて揃ったなと船を出してしまう。だからあ、偶数じゃないでしょ、現時点で奇数じゃないのと思うのだが、これまた南の島でダイビングをした人にいわせると、「ありうる、ありうる。あいつら絶対にいい加減だから」という事になる。

        主人公のカップルは時間に遅れて浮上するが、ダイビング・ボートは行ってしまったあと。実はこういう置き去り、かなりの数のダイバーが実際に経験していることなんだそうだ。南の島でダイビングを経験した人は口をそろえて「私もあった」あるいは「そういう人の話を聞いた」と言うのだ。

        映画はこのまま置き去りにされた夫婦を描いていく。これはきっと何かが起こってふたりは助かるのだろうと思って観ていると、ふたりは結局助からないまま終わってしまう。後味が極めて悪いのだが実話だからしょーがない。陸に帰ったボートは点検整備をするだろうにと思うのだが、どうもそのままだったらしい。翌朝になって船長がボートのベンチの下から主人公夫婦のダイビング・バッグを見つけて、どうやらダイバーを置き去りしてしまったらしいとようやく気がつく。「そんなばかなあ」と思うのだが、これまた南の島でダイビングを経験した人に言わせれば、口をそろえて・・・もう書かなくてもわかりますよね。


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