November.30,2007 厳しすぎるカメラ・チェックのあとに
で、もう1本。『エクスクロス』にがっかりして、次の『ウォーター・ホース』に期待することに。『エクスクロス』が公開一週間前の上映だったのに対し、『ウォーター・ホース』はまだアメリカでも公開していないという、うれしいシロモノ。もっとも日本でも来年2月にはロードショーだというから、これも関係者試写会程度のもでしかないんだけど。
とにかく入場前のカメラ・チェックが厳しかった。まずは携帯電話の電源を切って、主催者側が用意した封筒に入れろと言われる。封をされて、上映終了まで使ってはならないと厳しく言われる。これは、逆に良かった。おかげて上映中にどこからも携帯電話の呼び出し音は鳴らず、メールチェックらしい待ち受け画面の光も目に入ってこない。あれやられると、うっとうしいのだ。映画館で映画観るときくらい現実は忘れて、映画に没頭すればいいのに。次に鞄の中を開けてカメラが入っていないかのチェックがあった。私はカメラは持っていかなかったが、外出のときは鞄の中に必ずオペラグラスを入れている。「これ、デシタル・カメラではありませんか?」 「いや、それはオペラ・グラスです」と主張するも、しっかりとケースから出されてチェックがある。最後は金属探知機を身体の上から下まで当てられてのチェック。セキュリティ・チェックかよと思うくらいの念の入れ方だ。
さて映画だが、第二次世界大戦中のスコットランド。ドイツ軍が迫ってきているというネス湖の湖畔。少年が何かの卵を見つけたところから物語が始まる。孵化して出てきたのはウォーターホースという伝説上の生き物。最初は部屋のバスタブでこっそりと飼っていたが、あまりに成長の速度が早くて大きすぎて飼えなくなる。ネス湖に放すとこれが巨大化。ネス湖のネッシー伝説の元になるというわけ。少年を親と思いこんだウォーターホースは、少年との交流を続けるが、駐屯している軍隊がウォーターホースをドイツ軍の潜水艦と間違えて砲撃を加える。怒りに燃えるウォーターホース。そしてウォーターホースを逃がそうとする少年の運命は、といった話。
突っ込みを入れようとすると、いくらでも出てくる。ウォーターホースと一緒に湖に潜った少年が長時間潜っていても窒息しないとか、あんなに姿を曝して誰もウォーターホースの存在に気がつかないとか、それはもう不自然きわまりないのだが、ファンタジーと言われてしまうと、何も返せなくなる。都合がいい言葉があるようで。CGをたくさん使って大がかりなのはわかるのだが、所詮小品といった印象が残ってしまうのが惜しい。
November.28,2007 金払って試写会かよ
東京国際シネシティフェスティバルというのは、以前東京国際ファンタスティック・フェスティバルといっていたものを、去年からタイトルを変更して行われているもの。以前は一週間昼夜、さらにはオールナイトまで使って行われていた映画祭だが3日間に縮小されている。ベルリン・ファンタの様子を読むたびに、あれに較べて東京のはなんて規模が小さくなってしまったのだろうとガッカリくるのだが、内容的にも不満が残る。この『エクスクロス
魔境伝説』なんていうのも、一週間後には一般公開される映画である。なんだか入場料を払って試写会を見せられているようなもの。なんだか釈然としない。もっと公開未定作品とかをラインナップできないものだろうか?
しかも、これ、出演者やら監督やら、はては主題歌を歌っているという外国人の姉妹ユニットまで舞台挨拶にあげて盛り上げておきながら、内容的に「なんじゃ、これ」というガッカリした出来映え。仲良しふたりの女性が山奥の秘湯にクルマでやってくるところから始まり、ふたりが謎の人物から襲われるというホラー構成の映画なのだが、その村が「ありえねえー」という、今更ながらの風習に振り回されている村だという設定自体が「?」だし、第一、そんなところで携帯電話が通じるのかという疑問も。小沢真珠のゴスロリ、鋏チョッキンチョッキン女の登場も「なにこれ?」だし、とにかくヘンテコリンな映画としかいいようがなかった。
これはもう、存在自体がカルトみたいな映画。上映時間が1時間半ほどで、昔のプログラム・ピクチャー二本立ての1本とみれば腹も立たないかもしれないのだが、1300円払って、なんだかヘンなもの観せられちゃったなあという印象。東映に乗せられただけの映画祭という印象だけが残ってしまった。
November.23,2007 『放・逐』を観直して
4月に書いたジョニー・トー監督の『放・逐』(Exsiled)が東京フィルメックスで上映された。もうあまり書くことはないのだが、ちょっと思いついたことを書き留めておこう。
有楽町の朝日ホール、満員。以前、東京フィルメックスといったら、全席自由でガラガラという有り様だったが、今回は全席指定。会の人気が上がったのか、それともジョニー・トー人気のなせる業なのか。私の買ったチケットは前の方の上手側。このホールは多目的ホールなのでスクリーンの位置が奥の方になるから、前の方の席でも見苦しくない。だが、これまた多目的ホールの悲しさで実をいうと映画の上映にはあまり適していない。全席自由ガラガラ状態だったころは、上映が始まると観やすい位置の椅子を求めて移動していたのだが、もうそれは出来ない。なにより困るのは、スクリーンが奥ということはスクリーンの位置が低いということになる。これだと、前の座席の人の頭がスクリーンに被ってしまい、一部欠けてしまうことになる。しかも今回の『放・逐』は字幕が右端縦書きではなく、下方横書き。これでは肝心の日本語字幕が前の人の頭で読めない。私は輸入DVDの英語字幕で観ているのでストーリーを追いかけるのにあまり苦労はなかったが、初めての人は苦労したに違いない。
当然、映画館でないということは、映写状態も万全というわけにはいかなかった。DVDで観たときよりも、なんとなくスクリーンがボワッとした印象を受けた。まあ、もっとも街の映画館でも画像の鮮明でない館が多いのだけど。ただ、音響はよかった。いや、こんなことを書くと、お前の旧式ブラウン管テレビの音が悪すぎるんだと言われそうなのだが。ニック・チョンの家に昔の仲間4人が集結してきて、最初の銃撃シーン。ニック・チョンがタンスの引き出しを開けリボルバー拳銃を取り出す。なぜか銃弾がバラバラに放り込まれていて、拳銃に弾を込めだす。するとアンソニー・ウォンはオートマチック拳銃のカートリッジを引き抜き弾をひとつひとつ床に落としだす。その、ゴト、ゴト、という音が重量感があっていい。アンソニー・ウォンとニック・チョンの弾の数が合わさったところで、フランシス・ンも続いて弾を床に落としだす。これは何を意味しているシーンなのか。どうも3人の弾の数を合わせようとしているとしか思えないのだが(笑)。そして始まる銃撃戦。とんでもない至近距離での闘い。これは怖いよ。アンソニー・ウォンは当然、ボスに言われているからニック・チョンを撃つ。フランシス・ンは仲間を庇おうとアンソニー・ウォンを撃つ。そして、ニック・チョンも当然アンソニー・ウォンを撃つ。2対1の闘いで至近距離。これはどう考えてもアンソニー・ウォンが死ぬでしょ。当初は三すくみの形での銃撃戦だったのかと思ったが、画面が暗くてわかりにくいシーンなのだが、アンソニー・ウォンはふたりに狙われていたと考える方が自然な気がする。
この銃撃戦、3人の気が高まっていくところに、台所で土鍋が沸き立っているシーンが挿入される。これがいかにも気の高まりを意味しているようで、効果的なのだが、このあとの食事のシーン。男達が実に楽しそうに食事を作っている。『ブレイキング・ニュース』でアパートに立てこもったリッチー・レン達が食事を作り、食卓を囲むシーンがあったが、あれを彷彿させるシーンだ。アンソニー・ウォンが食事中おかしな顔をして、土鍋を見る。銃弾で穴の開いた個所を見つけ、口から銃弾を吐き出す。ここで客席からドッと笑いが起こった。やっぱりなあ。
客席から笑いが起こったといえば、レストランでの銃撃戦で重症を負ったニック・チョンを闇医者に連れて行って手術をしていると、あとから、これまた傷を負ったサイモン・ヤムがやってくるシーン。戸を開けると扉の外の人物がサイモン・ヤムだとわかったところで客席は爆笑に包まれた。やっぱりなあ、ここは笑いが起こるところだ。
金塊強奪のあとで、夜、焚き火をしながらくつろぐ4人と警察官のリッチー・レン。ここはアドリブのような感じがするが、リッチー・レンが吹いているハーモニカもアドリブだろう。マイナー・チューニングの10穴ブルースハープらしいのだが、はっきり言ってヘタすぎ。聴いていて恥ずかしくなるくらい(笑)。
今回の重要な小道具は、ふたつあると思う。ひとつは缶カラ。最初の銃撃戦のところを通りかかったホイ・シウホンの刑事。慌てて車から出ると、ロイ・チェンが道に転がっている缶を拳銃で撃ち、ホイ・シウホンに当てる。そしてクライマックスの銃撃戦はレッドブルの空き缶サッカーから始まるわけですね。
もうひとつの小道具は、ウイスキー。ニック・チョンの妻、ジョシー・ホーが不安のあまりウイスキーを小さなウイスキー・グラスに注いでは、グイ、グイっと飲む。そしてクライマックス、リッチー・レンに貰ったウイスキーだけでは足らずにホテルのバー・カウンターからウイスキーのボトルをいただいて、瓶ごとあおる。そういえば、このところ私もウイスキーとはとんと飲まなくなっていた。東京フイルメックスで『放・逐』を観た夜、久しぶりでウイスキーを買ってきた。ストレートで飲んでみたが、やっぱりキツイわあ。