風雲電影院

0.5ミリ

2015年6月30日
新文芸坐

 今の高齢者たちは、そこそこ老後の資金を貯めて隠居生活をしている人も多いらしい。若い時にちゃんと年金を払い続けていれば、わずかながらも年金も貰えるから、それも合わせれば、そこそこの生活が続けて行かれる。なかにはたんまり貯めこんでいる人もいて、そういう人は、なんとかその金をいただこうという悪い奴から詐欺に合ったりしている。その一方で計画が狂い、年金だけを当てにして、なんとか過ごしている人も存在するのだが。

 この映画主人公サワ(安西さくら)は、介護士の仕事をやっていたが、ある事件が元で介護士の仕事ができなくなってしまう。それで始まったのが、街で見かけたジイさんの家に上がり込み、そこに居ついてしまうということを繰り返している。しかしこのサワという女性、ジイさんの財産が目当てというわけではないらしい。ただ住める家があって生活できればそれで満足。家事は何でもこなすし、料理は得意。しかも介護士の経験があるから、家に要介護な人がいれば、プロの腕で介護もOK。どうみても理想の奥さんという感じなのだが、誰かつりあった年齢の男性と知り合って結婚しようという気はなさそう。この理由は最後の方で一応明らかになるのだが、別にそのことで結婚できないということは、今の時代、ないような気がする。

 軽い認知症が始まってしまっている独り暮らしを続けているジイさん、坂田利夫の場合、サワは食生活を改善させ、怪しげな投資話を持ち掛けてくるヤクザのような男を撃退し、ジイさんが盗んできた自転車をすべて戻させる。初期の認知症老人に対する完璧な扱いだ。これはできそうでいて、なかなか難しいこと。

 次に居ついてしまうのは津川雅彦の家。この津川雅彦自体認知症が始まっているという設定だが、寝たきりになっている妻(草笛光子)は認知症がかなり進行していて、夜中に突然大声で歌いだしたりしてしまう。津川雅彦は、うるさいからと妻の口を塞ごうとすることしかできない。しかしサワは一緒になって歌ってあげる。これぞプロの介護だ。

 私も、両親ともに最終的には要介護状態になってしまった経験がある。介護の問題なんて実際、そんな状況になってしまうまで考えたこともなかったから、最初のうちは途方に暮れてしまった。そんなとき、介護士の人が週に何回か来てくれたときはホッとしたし、こんな専門的な介護は私なんかにはできないと感心したものだった。介護士の人たちは本当に辛抱強いし、認知症の人にも優しく対処する。身内ということもあるのだろうが、私など、ついつい怒り出してしまったりして、今から思うと両親に悪い事をしたなと、つくづく思う。

 津川雅彦の家庭に入り込んだサワは、通いの介護士よりも有能。これは、それこそ『幕末太陽傳』にも出てくる、居残り佐平次だ。やがて廓の若い衆ならぬ、通いの介護士が面白くない気持ちになってくる。それで、サワのやっていることは財産目当てじゃないかと勘ぐり、親戚筋に告げ口をしてしまう。

 しかしサワという女性、実は観音様のような女性。最後のエピソードは柄本明。彼はニートになってしまっている息子と二人暮らし。貧乏生活をしていて、収入源は空き缶拾いなどのわずかな収入。夜になると帰ってきて大酒を飲んで寝てしまう。ニートになってしまっている息子には辛く当たる。サワという女は、どんな人間とでもそこに家庭を築こうとする。ジイさんの家に居座っては、部屋を片付け洗濯をし、食事を作る。彼女が望むのは秩序。ところがこの男に限っては、常に秩序を破ってばかりいる。自分のベッドで寝ないで、いつも酔いつぶれてその場で寝てしまう。ニートの息子には暴力を振るう。そしてついにサワの堪忍袋が切れてしまう。

 ニートの男と優しく接するサワ。彼の伸び放題だった髪を切ってあげるサワは、もう母親そのもの。この人は床屋もできる。完璧な主婦であり母としか言いようがない。

 認知症の老人と根気よく付き合うなんていうことは、そうそう簡単にできることではない。人間、相手の側に少しで、たとえ0.5ミリ分だけでも相手に寄り添って考えることができたら。そうしたら、この世の中、どれだけいい人間関係を築くことができることか。

 私の両親は、もうこの世にいない。もし今度は自分が介護される立場に回ったとするならば、介護してくれる人の気持ちになって、なるべく迷惑をかけないようにしたい。認知症になってわけがわからなくなったら何を始めるか不安だが、今のうちから、傲慢な態度をすることだけはするまい。そういう態度を取っているときっと認知症になってからも、介護士さんを困らせる人間になってしまうに違いないから。

7月1日記

静かなお喋り 6月30日

静かなお喋り

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