風雲電影院

秋深き

2016年9月5日
三日月座BaseKOMシネマ倶楽部

 2008年作品。監督はこの映画の二年後に自殺した池田敏春。
原作は戦前・戦中の作家、織田作之助。

 これ、ほとんどの男にはグッとくる映画。とくに私みたいに、さっぱり女性にモテなかった男には堪らないものがあると思う。

 中学で科学を教えている寺田(八嶋智人)は冴えない男。酒も飲めないカラオケは苦手というのに、ひとりで高級クラブに通いつめ、おっぱいが大きい美人ホステスの一代(佐藤江梨子)が好きになってしまう。猛アタックの上にプロポーズ。二人は同棲生活を始める。

 このサトエリがいいんだなぁ。もう、彼女をこの役に持ってきた時点で、この映画は成功だっんじゃないだろうか。

 寺田の両親は、このことに大反対。どうせホステスに騙されているんたとしか思っていない。一方の寺田は有頂天になっている。一代はホステスを辞め、寺田の給料だけで生活することにする。寺田の両親の心配とは逆に、一代は家事もちゃんとこなす。いやもうねぇ、男たるもの、こんな女と一緒になれたら、どんなに幸せか。寺田ならずともそりゃ舞い上がっちゃうでしょ。

 ところが、なにしろ一代はこれだけの美人だし、しかも以前はホステス。詳しいことは映画のなかでは語られないが、過去にたくさん男もいたらしい。一緒に住むからには独占したい。もう過去の男への嫉妬心でいっぱいになってしまう。これもわかるよなぁ。それまで女性に縁のなかった男ほど気になるんだろう。

 この先話は、一代は寺田に物足りなさを感じて過去の男とヨリを戻してしまうんだろうかとか、寺ダの嫉妬心があまりに強いので、一代は嫌気を差して出て行ってしまうのだろうかと思いながら観ていると、まったく違う方向に行ってしまう。一代は寺田にじぶんが乳癌だと告白する。

 ゲゲッ、ここまで来て難病もの? 途端にいや〜な気持ちになる。私は難病ものって嫌いなのだ。難病で観客を無理にでも泣かせようという映画では私はまったく泣けず、たいてい白々とした気持ちになってしまうから。

 ここに昔の小説を現代に持ってきた無理が祟ってしまう。戦前・戦中ともなると、乳癌になったら放射線治療や抗癌剤治療はなかっただろうし、手術も今の技術ほどではなかったはず。ところが現在はこれらの治療で、よっぽどステージが進んでしまっていない限り助かる。実際、この映画のなかでも、担当医は手術を薦める、しかし一代はこれを拒否してしまう。その理由を、寺田が大好きなおっぱいを切除されるのを一代が嫌がるというふうにしている。一代は自分の姿が美しさが損なわれてしまうことより、死を選んだの? こんなことって、あるんだろうか?

 男はみんな、おっぱいが大好き。それはわかる。しかし、男はそれだけが目的で女を愛するわけじゃない。寺田だって、最初に一代を好きになったのは、そのおっぱいかもしれないが、一緒に暮らすすようになって、しっかりものの女性との楽しい生活こそ、一緒になってよかったと感じているはすだ。それをなぜ一代を説得して手術を受けさせないんだ。

 民間療法に救いを求めた寺田が、ガソリンを飲ませようとしたり、怪しげな壺を買うのに競馬に手を出したりという、やや滑稽なシーンが続くことになる。映画の盛り上げとしてはいいかもしれないが、科学を教えている教師が、そんなことをやるか? という疑問も頭をよぎる。

 病院のベッドであっけなく息を引き取ってしまう一代。絶望して河原で焼身自殺を図ろうとする寺田。河原まで降りて行くとき口ずさんでいるのは、『曾根崎心中』。それでも死ねないドジでみっともない寺田。

 一代は死の直前のベッドで、寺田に「いままであなたに、たくさんウソをついてきた」という謎の言葉を残す。一代にどんな過去があったのか、ひょっとして一緒になってから浮気でもしていたのか。そんなこともわからないまま、映画は終わってしまう。真っ青に晴れた空のシーンを最後に。寺田はこのあとも何もわからないまま生きて行くんだろう。なんか、矛盾点はあっても、いい話だったなぁと感じてしまう。ずるいよね、こんな映画。

9月6日記

静かなお喋り 9月5日

静かなお喋り

このコーナーの表紙に戻る

トップ アイコンふりだしに戻る
直線上に配置