風雲電影院

中学生円山

2013年6月9日
スバル座

 宮藤官九郎、作・演出の、中学生を主人公にした妄想喜劇。テレビ用に書く脚本とも芝居用に書く脚本とも違う。アバンギャルドな芝居の脚本でもなく、かといってわかりやすいテレビ用のものでもない。その中間みたいなところにある作品。

 子供って、なにか妄想の中で生きているところがあって、高校に入るころからそういった妄想世界とはほとんど縁が切れるのだけど、中学生ってその中間地点。現実を受け入れながらも、まだ妄想を引きずっている。芝居でもテレビでもない中間地点といった意味もあるのかもしれない。

 この中学生男子の妄想世界っていうのも、私も通過してきたわけだからよくわかる。勉強なんかそっちのけで、つまんないことに夢中になっていたもんなぁ。この映画自体が中学生の妄想の産物として捉えれば、多少の解り難さ、ストーリー性の希薄さも納得がいく。草g剛のベビーカーか突如重火器に変わるなんていうのも、妄想としては中学生の考えそうな事。初恋のようなものも、それほど発展していかいのも正に中学生。

 私が観に行ったのは、遠藤賢司が出ているという事だけだったのかも知れない。そうでなければロードショウに行こうとは思わなかったろう。エンケンは認知症の徘徊老人の役。ストリート・ミュージシャンのバンドがなまっちょろい音楽をやっているところへに乱入してギターを奪うや『ド・素人はスッコンデロォ!』を歌う。ギターを弾きながらドラムスの前に座りドラムスを叩きながらギターを鳴らすというのも、自分のステージでやっていること。ギターもエンケン所有の“白鷹”だしストラップも“吸血譜”。演奏終えるとギターを担いで歌舞伎役者のように帰っていくのもそのまま。でも、エンケンを見たことが無い人は、認知症の頭のいかれた老人にしか見えないだろうなぁ。

 ある意味、認知症の老人というのも妄想世界に入っているんだろうし、韓国流ドラマにハマっていて、出入りの電気屋の店員を韓流スターだと思い込むっていうのも主婦(坂井真紀)の妄想なのかも知れない。

 まっ、人間、妄想の中で生きられるのが一番幸せなのかも知れないな。

6月10日記

静かなお喋り 6月9日

静かなお喋り

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