風雲電影院

コントラクト・キラー(I Hired a Contract Killer)

2014年12月15日
三日月座BaseKOMシネマ倶楽部

 ロンドンの風景。そこにリトル・ウィリー・ジョンの Need Your Love So Bad が流れる。もうそれだけで、この映画に引き込まれてしまった。アキ・カウリスマキ、1990年の作品。何で私はこの人の作品を今まで食わず嫌いしていたんだろう。『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』、『真夜中の虹』と観てきて、この『コントラクト・キラー』ですっかりファンになってしまった。

 イギリスの水道局。そこで働くアンリ(ジャン=ピエール・レオ)は、15年間働いたのちに、民営化のために、外国人だという理由だけでリストラされる。

 ジャン=ピエール・レオ。あのトリュフォーの『大人は判ってくれない』の少年。そのあともたくさんの映画に出ているが、私はほとんど憶えていない。なにしろ私にとっては退屈極まりないゴダールなんかの作品が多かったからなぁ。退屈だといいながら観に行っていたのは映画青年のツッパリだったんでしょうね(笑)。

 『大人は判ってくれない』の少年は四十代になっても可哀そうなことになってる。フランスで何もいい事が無くてイギリスに渡り就職。同僚とも打ち解けた感じでは無くて、なんとなく仲間外れ。未婚な上、彼女もいないどころか、どうやら友達もいないよう。職も失って自殺しようとするが臆病で自殺できない。そこで全財産を銀行から引き出し、殺し屋を雇って自分を殺してもらおうとする。

 殺し屋に自分を殺させるというパターンは別に珍しくは無くて、今までにも多くの映画や小説が存在している。しかし、アキ・カウリスマキにかかると、この使い古されたプロットも、その独特な映画作法によって、それほど陳腐にはならない。殺しを依頼した直後に、好きな女性が出来て、死にたくなくなるというのもお決まり。この相手の女性が、街でバラの花を売って歩く花売り娘なんていうのも、「いつの時代よ」とツッコミを入れたくなるくらいなのだが、それも意図的にやっているのだろう。アキ・カウリスマキの映画は無声映画、あるいはチャップリンの映画のような感じもする。台詞はごく少ないのが無声映画のような気がするのかもしれない。そしてチャップリンのユーモア感覚とも共通しているのかもしれない。ただ、あんなふうにペーソスの押し売りをしないところが心地いい。

 殺しの依頼をキャンセルしてもらおうと、元締めのところを訪ねると、何があったのかアジトは消え失せている。その上、ひょんなことから宝石強盗兼殺人者の濡れ衣まで被せられて警察からも逃げる身になってしまう。どこまでついてないんだ。

 それでも最後はハッピーエンドで終わるあたりは後味が悪くない。役者に抑えた演技を要求するアキ・カウリスマキだから、どんなに暗い状況になっても観ていて苦にならないし。

 アキ・カウリスマキが音楽に造詣が深くて、世界中のあらゆる音楽をよく知っているのは『レニングラード・カウボーイ・ゴー・アメリカ』を観れば納得のいくところ。『真夜中の虹』も音楽の使い方が抜群だった。最初に書いたように、この映画の冒頭はリトル・ウィリー・ジョンの Need Your Love So Bad が流れるわけだが、誰も友達がいないアンリの心境、そして花売りの女性に恋してしまった心境をズバリこの一曲で表現しているかのよう。しかもリトル・ウィリー・ジョンの曲は、これ一曲だけでなく何曲か挿入されている。そうかと思うとビリー・ホリデイの Body And Soul がかかってみたり。そして何と言ってもハイライトは、クラッシュのジョー・ストラマーが出ているという事だろう。アンリが濡れ衣を着せられてしまう直前の重要なシーン。アンリがパプに入って行くと、そこであの有名な塗装の剥げたテレキャスターを弾きながら、パーカッションのバックだけでジョー・ストラマーが歌っている。2002年50歳の時に先天性心臓疾患で死去。この映画の時はまだ三十代だったんだなぁ。

 さてさて、この映画で一番強く心に残ったアンリの台詞は、「労働者階級には国なんてないんだ」。私も昔若かった頃、そう痛感していた。この台詞は、その思いをズバリ言い当てている気がする。

12月16日記

静かなお喋り 12月15日

静かなお喋り

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