風雲電影院

『エレキの若大将』

 三日月座 Base KOM シネマ倶楽部にて。

 若大将シリーズを最初に観たのは、1963年夏公開のシリーズ第4作『ハワイの若大将』だった。というのも、併映が『マタンゴ』だったから、よく憶えている。もっとも『マタンゴ』の印象があまりに強烈で、『ハワイの若大将』のことは、その内容をほとんど憶えていないのだが。なにしろ、まだガキで、若大将を観るには早かったのだろう。東宝の怪獣映画を観に行ったら、抱き合わせで若大将を観せられたという感じだった。

 次の1965年夏公開のシリーズ第5作『海の若大将』も併映が『フランケンシュタイン対地底怪獣』。これも観ている。このときも、怪獣映画が目当てで、若大将はどうでもよかったのだが、映画館を出るときは若大将も面白いなと思っていた。そろそろ自分の中で怪獣映画は飽きてきた瞬間だったのかもしれない。

 そしてシリーズ第6作『エレキの若大将』だ。1965年年末公開。併映が『怪獣大戦争』。このときもまだ怪獣映画目当てだった。それが、このときは映画館を出るときには怪獣映画はどうでもよくなっていた。ついに、ただのガキから、少々マセたガキになっていた。

 だから一番気合いが入って観に行ったのが、次のシリーズ第7作『アルプスの若大将』で、このときは初めて併映がクレージー・キャッツになった。『クレージーだよ奇想天外』。怪獣映画じゃなくてホッとしたのを憶えている。

 マセたガキになっていた私や、クラスメートの男どもは、みんな若大将に夢中だった。加山雄三の田沼雄一こと若大将は、いわばスーパーマンだった。頭が良くて、スポーツマンで、女性にモテる。それでいて朴訥な好青年。マセかけていたガキには理想とする自分の未来像だった。  それはそうだろう。それまで興味の対象だったのは、強さの象徴である怪獣。それにスーパーマンに代表される正義の味方のマンガやテレビドラマの主人公たち。しかし、少年期も終わりに近づくに連れ、虚構の世界に住むスーパーマンには自分はどうしたってなれない事に気が付く。そこへ、若大将である。スーパーマンにはなれないけれど、若大将にはなれるのではないか。そう思ってしまうわけだ。もっとも若大将は浅草の老舗のすき焼き屋のお坊ちゃんという恵まれたハンデが付くが、そのくらいどうってことないと思っていた。

 そこへ『エレキの若大将』だ。今度はさらに、ギターが弾けて、曲を作れて、歌が上手いという、さらに憧れの要素が加わる。日曜に若大将を観て映画館を出てきたボクらは、若大将になろうと決めていた。ところがやがて現実というのは、そんなに甘くないというのに気付かされる事になる。いくら勉強しても若大将のように頭はよくならないし、スポーツもダメ、ギターが上手くなるには、相当に練習しなければならない。そして鏡を見れば、そこにはニキビだらけのパッとしない顔が映っている。どう考えても女の子にモテるわけがない。

 やがて青年期になり、若大将はやはりあくまで虚像だったと気がつくことになるのだが。

 さて、『エレキの若大将』である。今から観るとツッコミどころはたくさんあるが、おそらく加山雄三や寺内タケシが出ている事もあって、なるべく音楽シーンにウソがないようにした形跡がある。しかし、エレキ合戦で相手バンドになるジェリー藤尾がリーダーのビートルズ被れのバンド。四人編成なのだが、キーボード奏者がいないのに、あきらかにオルガンの音が入っている。まっ、いいのかな。そう言う映画なんだもの。

 内田裕也がエレキ合戦の司会者役を、まじめーに演じているのが、今から観るとかえって可笑しい。

 ラストは、なにもかも強引にハッピーエンドに持って行ってる。いかにもあのころの世相を反映したような、あるいは、昔のアメリカ映画みたいな華やかさを狙った終わり方。あのころ、若大将を観た後、意気揚々と映画館を出た私の姿が目に浮かぶ。

2012年2月28日記

静かなお喋り 2月27日

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