夕陽のガンマン(For a Few Dollars More) 2014年5月5日 三日月座BaseKOMシネマ倶楽部 1965年作品。日本公開は1967年。クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーク主演、セルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタン。 私より少し上の世代の人たちには評判が良くないマカロニ・ウエスタン。それは、アメリカの正統派ウエスタンにどっぷり浸った人にとっては、許せないと感じるほどらしい。私はマカロニ・ウエスタン世代。アメリカ正統派ウエスタンは、あまり観てなかったこともあるし、マカロニ・ウエスタンが登場したときにはドップリとハマっていた。このころになると、どちらかというとアメリカでは下火になりつつあり、日本で公開される正統派ウエスタンよりも、私にはマカロニ・ウエスタンの方が面白く感じられた。なにしろ撃ち合いのシーンがたっぷりあるのがいい。正統派ウエスタンは、マカロニ・ウエスタンを観てしまうと、まだるっこしく感じられた。 『夕陽のガンマン』は、おそらく三本立ての映画館で観たはず。そのあとテレビ放映でも観た記憶がある。 何と言っても、これはもうエンニオ・モリコーネの音楽でしょ。モリコーネがいなかったら、マカロニ・ウエスタンはあんなにブームにはならなかった気がする。これは『荒野の用心棒』に続く、イーストウッド、レオーネ、モリコーネのトリオによる第2弾。『荒野の用心棒』は歌入り(正確には口笛入り)たったが、こちらは音楽のみ。こういう情熱的な音楽がウエスタンに付くなんてことは、アメリカ製では考えられなかったものだろう。もう、映画を観た後でも、口笛はいつまでも頭に残る。 『荒野の用心棒』のイメージそのままのクリント・イーストウッド。ひげ面でポンチョ姿。あんな恰好でウエスタンのヒーローが出てきたなんて、それまでアメリカでは考えられなかった。『荒野の用心棒』のヒットで、製作費も上がったってこともあるのだろうが、もうひとりのヒーローとして、リー・ヴァン・クリーフを登場させた。汚い恰好のイーストウッドに対して、きちんとした身なりの紳士というイメージ。それでいて冷酷そう。同じ賞金稼ぎながらも、銃も最新式のものを何丁も持っている。こんな銃が、その時代に実際にあったのかどうかはわからないが、映画的面白さからすると、「いいじゃん」と思えてくる。 マカロニ・ウエスタンのスターといえば、女性に人気があったのはジュリアーノ・ジェンマ。ハンサムな顔立ちで、厳つい男というイメージではなかったからだろう。あとはフランコ・ネロなんかも人気だったが、この『夕陽のガンマン』のようにアメリカから俳優を呼んで来てというのは、いかにも大作という感じがする。 モリコーネの音楽も情熱的だが、話自体も演出も、アメリカと違って、こってりしている。このへんも正統派ウエスタン好きの人からは嫌われるのだろう。イーストウッドの役は『荒野の用心棒』の延長という気もするが、リー・ヴァン・クリーフの役は、実は復讐の話だということが途中からわかる。最後の決闘もクリーフが持っていくが、この演出のねちっこいこと! テーマ曲とは別の、もうひとつのねちっこい音楽をバックに、引っ張りに引っ張る。嫌われるわけだ(笑)。 あと嫌われるのは、「ありえねぇー」というガン捌き。3人の敵を一瞬で、ろくろく狙いも着けずに倒してしまう。ぜーんぜんリアリズムじゃない。でもそこが、私らには、かっこいいとこだったんだよねえ〜。 結局、なんだかんだ言われながらも、マカロニ・ウエスタンはアメリカにも影響を与えて、それ以降のアメリカのウエスタンも変わって行った。イーストウッドは、これがキッカケでアメリカでも人気を取戻し、マカロニ・ウエスタンをうまく取り入れた映画を撮ったし、ペキンパーは『ワイルド・バンチ』を作ったし。いい方に作用したんじゃないかな。 5月6日記 静かなお喋り 5月5日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |