風雲電影院

ガルシアの首(Bring Me The Head Of Alfredo Garcia)

2013年1月28日
三日月座BaseKOMシネマ倶楽部

 三日月座の壁にずいぶん前から『ガルシアの首』のポスターが貼ってあったので、これは柏原さんお好きなんだなろろうと思っていた。「ぜひ今度お願いしますよ」と言っておいた願いがついに叶った。

 1974年作品。
 最初に観たのは試写会だった。サム・ペキンパーの新作だしウォーレン・オーツ主演ということで、観に行くこっちもリキが入っていたことを思い出す。その後、名画座で二回観直している。そのうち一回は、かの[新宿ローヤル]。活劇専門一本立て。お客さんはほとんど男ばかり。女性は入りにくい雰囲気があった。そこへ女性をデートに誘い観に行った。もちろんドン引きされたっけ。

 それもそのはず、何しろこの映画、ほとんど最低のやつらしか出てこない。ベニー(ウォーレン・オーツ)は場末の安酒場のピアノ弾き。それでも誇り高いかと思えば一万ドルに目が眩んで知り合いの男ガルシアの墓を掘り起こして首を持ち出そうとする。一緒に行動する女エリータ(イセラ・ベガ)もガルシアの元の女で娼婦。汚い部屋に住んでいてベニーと寝ると毛じらみを移される。ベニーでなくとも「シーツくらい洗濯しろ」と言いたくなる。

 騒動の元になったガルシアときたらメキシコの大地主の娘をたらしこんで妊娠させて逃げちゃう。怒ったのがこの父親。ガルシアを呼んで責任を取らせて結婚させようなんてんじゃない。原題どおりの台詞を吐くところで映画が始まる。「アルフレッド・ガルシアの首を持って来い」。まさに賞金首だ。

 アメリカでその仕事を請け負ったやつらがまた最低。ガルシアの行方を捜して百万ドルの賞金と知りながら、捜し出したやつには一万ドル出すと言って歩く。ぼったくりじゃん!

 ベニーのところに話を持ってくる二人組の行動がまた最低。この二人組を演じるのがロバート・ウェバーとギグ・ヤング。言い寄ってくる娼婦を殴り倒しちゃう。ひょっとしてこのふたりはホモという設定なのかもしれないが、殴り倒すこたぁないだろ。

 ベニーとエリータが、ガルシアの墓に行く途中現れるのが、二人組のライダー。ひとりはクリス・クリストファーソン。女とやらせろと拳銃をちらつかせる。この前のシーンでベニーとエリータは一緒に暮らす決心をしている。洗濯も碌にしない、しょーもない女と一緒になっても仕方ないと思うのだが、彼にはエリータが恋しく思えるのだろう。エリータは「慣れてるから」と男と寝る。ベニー、怒り爆発。男らを撃ち殺す。殺すこたぁないだろ。

 その後いろいろあって、エリータも死に、何もかも失った気になったベニーは、この仕事を請け負った男のところに乗り込み、さらには大元のメキシコの富豪のところへオトシマエを付けに行く。こいつのおかげで何人もの人間が死んだんだ。というベニーも決して褒められたことをやったわけでもないのだが。

 妊娠していた娘は父(てて)無し子を産み、それでも孫が出来たと満面の笑みの富豪。おいおい、ガルシアの首に懸賞金をかけた件はいいのか。そこに娘が「(父を)殺して」と叫ぶ。自分の娘を孕ませた男を許せないと思う父親。そしてそんな男を殺せと命じた父親を許せない娘。もう、最後の最後まで最低なやつらしか出てこない。

 『デリンジャー』の項にもちょっと書いたが、『ガルシアの首』でのウォーレン・オーツの衣装、麻の白の上下にサングラスというスタイルは、のちにパイオニアのカーステレオ、ロンサムンーボーイのCMでウォーレン・オーツが着ていたものと同じコーディネイト。『ガルシアの首』に痺れた私は伝手を頼ってこのロンサムカーボーイの特大ポスターを手に入れ、長い間ボロボロになるまで部屋に貼っていた。もちろん、麻の白の上下を買った。その恰好でサングラスをして友人に会ったら、「おっ、ウォーレン・オーツじゃん」と言われた。みんな知っていたのだ。柏原さんに言わせると、当時かなりの数の好き者がこの恰好をしたものだそうで、やっぱり私だけじゃなかったんだなぁ。

 また、柏原さんの意見としては、『ガルシアの首』はサム・ペキンパーとしては『ゲッタ・ウェイ』と表裏一体の作品だという。スティーブ・マックイーンというスターで撮ったことにより、あまりペキンパーの意図したように撮れなかったとの不満から作られたのが『ガルシアの首』。だから黒の上下のスーツに対してこちらは白の上下。

 なるほど、映画の『ゲッタウェイ』は、スティーブ・マツクイーン、アリ・マッグローの逃避行がメキシコに逃げ延びるところで、いわばハッピーエンドの形で終わっていた。しかしジム・トンプスンが原作で書いている、メキシコに入ってからの後味の悪い部分を、実はペキンパーは描きたかったんじゃないかと思う。だから『ガルシアの首』はメキシコで始まり、最後はまたメキシコで終わる。

 内容的にスティーブ・マックイーンやジェームス・コバーンのような容姿のいいスターを使えず、ウォーレン・オーツのようなスターではない役者を使ったことからアメリカでもコケたようだが、作品としてはペキンパーは満足しているらしい。今回の上映会でも上映後、役者が地味だとの声が若い人から上がったが、そうかなぁ、ウォーレン・オーツがひたすらカッコいいと思ったのは私と、あのとき夢中になっていた世代の人間だけなのだろうか?

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