風雲電影院

グランド・マスター(The Grandmaster 一代宗師)

2013年6月7日
TOHOシネマズ日劇

 香港映画はどんなものでも、なるべく観るようにしているのだが、ウォン・カーウァイに関しては鬼門だなぁ。やはり『欲望の翼』と『恋する惑星』が飛び抜けていて、他はつまんない。この二本は、いくつかのエピソードを別々の撮っていて、それを一緒にして組み立てるという手法がズバリ当たっただけで、あとのは何が何だか、いったい何をやりたいのだかわかんない。青春を描いたあの二本がたまたま上手くいっただけの事なんじゃないかと思えてくる。

 話しに聞くとウォン・カーウァイはストーリーを出演者にも教えずに撮ることが多いようだが、それは香港の伝統的な撮り方で、別に特別なことではない。ただ、ウォン・カーウァイの場合、ストーリーよりも、こんなシーンが撮りたいという点の部分だけあって、あとから繋げようとするとストーリーになっていかないのではないだろうか? これがエンターテイメントに徹した映画を撮るジョニー・トーなんかの場合は、設定だけしか決まってなくてもストーリーを考えながら撮っていくから、最終的にわかりやすくて誰が見ても面白いと思えるものになっていくが、ウォン・カーウァイは最初っからストーリーなんてどうでもいいと思っているとしか思えない。

 柏原寛司さんが、よく「実にもって呆れかえった映画」という表現を使うが、それには多分に褒め言葉も含まれている。ところがこの『グランド・マスター』に関して私が言うとすれば、本当の意味での呆れかえった映画だとしか言いようがない。なにしろウォン・カーウァイだから、イップ・マン(葉問)を主人公にした映画だといえどもカンフー・アクションを期待して観に行ったわけではない。イップ・マンに関しては先に大ヒットした三部作もあることだし、ウォン・カーウァイはまた別の角度から撮るんだろうということは予想がついていた事。しかし、これだけしっちゃかめっちゃっかだと、何をやりたかったのか理解に苦しむ。いや、いろんなエピソードがあって、それはそれでいいのだけれど、まるで投げっぱなしのような感じ。イップ・マン(トニー・レオン)とゴン・ルオメイ(チャン・ツィイー)の儚い恋のようなものとか、マーサン(マック・チャン)とゴン・ルオメイの列車が通り過ぎるプラットホームでの闘いとか、カミソリ(チョン・チャン)のエピソードとか、それなりに面白いのだが、それがお互いに結びついて行かない。

 ひょっとしてウォン・カーウァイは、この映画に出てくる人物の顔を撮りたかっただけなのではないか。とにかく人物のアップばっかり。背景がほとんど映らない。しかも画面が終始やたらと暗い。アクションシーンもこの調子で、とにかくアップばっかり。時々水が撥ねるスローモーションが意味も無くやたらと入って来る。目が疲れるし、何がどうで、どっちが勝っているのかもわからない。一方が蹴りを入れるアップのあとは、蹴られた相手がすっ飛ぶといったシーンばかりが続く。そして顔のアップ。こんなに顔のアップばかりのアクションシーンは疲れる。

 エピソードだけの話が淡々と歴史の順に語られ、何をやりたかったのか、なんとなく思わせぶりな台詞が続いていくだけで終ってしまった。

 いかに香港映画好きな私としてもウォン・カーウァイはもう観るのを止めようかなぁ。

6月8日記

静かなお喋り 6月7日

静かなお喋り

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