風雲電影院

生きているものはいないのか

2013年4月4日
新文芸坐

 岸田國士戯曲賞を取った芝居の映画化。
 ということもあって、不条理演劇に免疫がない人には、「なんじゃこりゃ」ということになりそう。

 病院が併設されている医学系大学のキャンパス。学生たちが、それぞれのグループに分かれて、いろいろな会話をしている。都市伝説研究サークルの会話だったり、中には学生同士の三角関係のもつれからの清算話だったりする。それが、実にどうってことのない話ながら、聴いていると、妙に面白かったりする。これらの雑多な登場人物たちが、どう繋がっていくんだろうと思っていると、これがまたまったく繋がっていく気配がない。

 30分ほど進んだところで、登場人物のひとりが突然苦しみだして、そのまま死んでしまう。そのうちに、少しずつみんなが死んで行き始める。救急車を呼ぼうとか助けを呼ぼうとかの行動はほとんど無いし、誰も助けに来ない。どうやら秘密の実験室で研究されていたウイルスが散らばってしまったらしいとの憶測がなされるが、それとて確かではない。

 死んでいく者のほとんどは、まるで達観したように、それぞれの死を受け入れているように思える。

 これは極端に言ってしまうと、それだけの映画。それ以上には話は発展していかない。これを面白いと思うかどうかは、かなり極端に分かれてしまうのではないか。

 ひとりの人間の台詞ごとにカットが変わる。会話を交わしているというより、それぞれが自分勝手な事を言っているような感じさえしてくる。冷たく冷めた演出。人間所詮死ぬときはひとりという感じがしてくる。中に、死にそうになって、「どうか自分を看取ってくれ」と頼む人間もいる。死を前にして先に死んでしまった恋人に寄り添う人間もいる。映画はそれらの人さえもあざ笑うように、観客にも最後まで何が起こったかの説明も無く終わってしまう。

 113分の映画だが、私にはみんなが死んでいくほとんどのシーンよりも、生きていた30分ほどのシーンの方が面白かった。人間が死んでいくところを描きたかったのだろうが、やはり人間、生きていた方が面白い。たとえどんな生活であったとしても。

4月5日記

静かなお喋り 4月4日

静かなお喋り

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