風雲電影院

ジャッジメント・ナイト(Jadgement Night)

 三日月座BaseKOMシネマ倶楽部にて。

 1993年作品。主演・エミリオ・エステベス。4人の男がボクシングの試合を見に出かけたが、渋滞に巻き込まれて、道を外れて走るうちにスラム街のようなところに迷い込んでしまう。そこで殺人事件を目撃。それに気づいたストリート・ギャングたちに追いかけられることになるという話。

 柏原さんは、この映画のような一晩の出来事といった、短い時間内で起こる話の設定がお好きらしい。『アメリカン・グラフィティ』のときも、そんなことをおっしゃっていた。

 こういう、スラム街とか、ストリートギャングに追いかけられて殺されそうになるといったような設定が、今の日本で可能かどうかというと、まずありえないだろうと思われる。アメリカだったらどうなんだろう。もう20年も前の映画だから、ひょっとしたら当時アメリカには、そんなところもあったのかなという気がしないでもない。本当のところは、どうなんだろう。

 同じ国の中で無法地帯があるというのは、それはそれで怖いが。うーん、幸いなことに今の日本ではそんなことはないだろうし、そうあって欲しくないが。
 もし日本人が体験するとしたら、外国に行った時かなあ。そういうところに紛れ込んだら、それは怖いだろう。

 この映画に無理があるなあと思えるのは、ストリート・ギャングに追われた4人が逃げ込んだ建物で、住人に屋上に子供たちが隣のビルに渡した板があるから、それを伝って逃げろと言われるところ。親としてはそんな危ない板を渡して行き来している子供を放っておくわけないはずないのだが。実際にその橋にしている板は見るからにもろい板で、危険極まりない。4人のうちのひとりは、渡るのを拒否する。

 するとストリート・ギャングらがやってくる。ひとりを残し3人は向こうのビル。この時点で、ちょっと頭が働く追手なら、二手に分かれて隣のビルまで下を通って行って挟み打ちしそうなものだが、それもしないのね。まっ、いいけど。というか、もう橋がわりの板を落としてしまった時点で、下に降りて追いかけろよ。

 上映後、柏原さんが以前やはり一晩ものの脚本を書いたことがあって、それには撮影に地下鉄の協力が必要で、営団地下鉄に持って行ったら、その直前に撮影協力した、ある映画にモンダイがあって協力を断られたというエピソードが紹介された。持ち込んだ脚本と実際に映画になったものに大きな違いがあったそうで。ダメだよねえ、協力団体を騙して撮っちゃ。

 帰宅途中、一晩ものといえば、コーネル・ウールリッチの小説『暁の死線』も一晩の話だったなあと思いだした。そういえば昔、もしあの話の最後に、私の思いついた、あるオチをつけたら、コメディが作れないかと考えた事があったのを思い出した。
 うふふ、時間が出来た今だから、ちょっと考えてみるのも面白いかも。

2012年4月10日記

静かなお喋り 4月9日

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