風雲電影院

『J・エドガー』(J.Edgar)

 これは日本では観る人を選ぶのではないだろうか? 私は面白く観たのだが、FBI長官のジョン・エドガー・フーパーの生き方を描く映画。日本人はアメリカ人ほど、この人に対する関心は薄いだろうし、映画自体、割とオーソドックスに淡々と進んでいくから退屈してしまう人もいるに違いない。クリント・イーストウッド監督作品で、主演がレオナルド・ディカプリオということで、それに惹かれて観に来た人も多いだろうが、「なんだこれは」と思った人もいたのではないか。

 ジョン・エドガー・フーパーに関しては、すでにその死後に多くの報道がなされ、その実態が暴露されていて、ほとんどそのFBI長官という名誉は地に落ちた感じだが、こうやってドラマとして観せられると、その感慨はひとしお。

 演じるはレオナルド・ディカプリオ。20代から70代までを演じているが、20代の溌剌とした姿は、むしろ美しい。はびこる暗黒街との闘い、指紋照合システムの確立と、その理想に燃える姿は若さに溢れている。それが赤狩りに始まって、自分が正義とするもののためには手段を選ばないようになっていって、邪魔になるものは大統領すら恫喝するようになってくと、その老けメイクに伴って、どんどん醜くなっていく。それはもう実に、その顔つきからして変わっていって、嫌な顔になっていくのだ。死んでいくシーンでは、ブヨブヨの身体を曝すことになる。メイクなのだろうが、デイカプリオも、よくこんなシーンを撮らせたものだ。イーストウッドとの信頼関係なんだろう。

 こういう映画を観るにつけ、最近とみに感じている「正義とはなんなのか」という問題を思わざるを得ない。その人にとっての正義も、他人にとっては単なる思い込みに思えてしまう事がある。「正義だから」と持ち上げられると、ついつい加担してしまいたくなるが、それはある一方からの見方でしかなかったりする。最近のイーストウッドは今までアメリカが正義としてやって来た事を問い直そうとしているのではないか。どうもそう思えてくるのだが。

2012年3月8日記

静かなお喋り 3月7日

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