仁義なき戦い・頂上作戦 2012年6月18日 三日月座BaseKOMシネマ倶楽部 初見は学生時代。あのころ、このシリーズを観て興奮していた自分が思い出される。その後、ビデオ、DVDと観て、今回が4回目。やっぱりこれは面白い。 最初に観たときは、こちらも若かったから、今とはちょっと感想が違っていたと思う。これ、今観ると、また視線も変わるし、重みも違ってくる。 なんだか、東映に熱気のあった時代だ。それが画面を通して伝わってくる。シリーズも4作目になって、今までだったら出演を拒否したでだろう役者が出ている。黒沢年男、小倉一郎あたりなどが、こういう映画に出るとは考えられなかった時代だった。また、このふたりが見事に作品に溶け込んでいて、いい芝居をしている。 一方で、シリーズ常連の役者陣も引き続き乗っているし、何と言っても出番を与えられた東映京都大部屋役者たちが燃えているのがわかる。 これは柏原さんの指摘のように、シネスコの横長の画面に写っているのは、とにかく人、人、人なのだ。それも一般市民役ではない。みーんなヤクザ。それに今回は警察にマスコミ。背景なんてちょっと写ればいいという考えなのか、人ばっかり。その顔がみんな濃い。こういう映画は、他にはちょっと無いだろう。これを観てしまうと、ほとんどの映画は画面がスカスカだということになってしまう。 そしてこの画面の濃さが、あのラスト近くの名シーン、菅原文太と小林旭のすれ違う場面を際立たせている。吹雪の音がする廊下で、しみじみ「もう、わしらの時代は、しまいで」 「口が肥えてきちょって、こう寒さがこたえるようになってはのう」という台詞に繋がる。この寂しさは、あのギッシリ詰まった画面と、好対照になっている。 画面だけではない。1時間41分の中に、広島ヤクザ抗争、警察・マスコミのヤクザ封じ込め作戦を描くと共に、登場人物のエピソードを巧みに織り込んでいる脚本の凄さに舌を巻いた。こんなにギュッと詰まった映画は、そうそう無い。 笠原和夫が、この4作目で脚本を降りたという理由も、よくわかる。もうこれで完結だという締めくくり方になっている。戦後のゴタゴタの中でのし上がっていった若者たち、そして死んでいった若者たち、上のものの犠牲になった若者たち。そして歴史は繰り返し、また不満を持つ若者たちが現れ、歴史は繰り返していく。これは見事に一周したようなものではないか。 とはいえ、笠原和夫が降りたあとも、『仁義なき戦い』は手を変え品を変え、いろいろな形で派生して東映映面白くしたのではあり、それはそれで私は好きなのだが。 この笠原『仁義なき戦い』4部作は、2作目の『広島死闘篇』を番外のような形にして、一応の完結をみたのだった。って、『仁義なき戦い』のナレーションみたいだね。 6月23日記 静かなお喋り 6月18日 このコーナーの表紙に戻る |